第61話 かかりつけ医
4月19日金曜日。あのあと、16日に東京へ戻り、依頼のあった他の事件をいくつか処理し、今日の午後、こっちに戻ってきた。今晩は実家に泊まり、明日の朝9時に駅で待ち合わせだ。
午後4時。悠夏は、上京前にお世話になっていた、かかりつけの平原耳鼻咽喉科を訪れていた。久しぶりの待合室。本棚には、子ども達が退屈しないような児童書や大きなブロックのおもちゃ、有名キャラのぬいぐるみが置いてある。
「懐かしいなぁ……」
自分が幼い頃に体調を崩すと、母親に連れてこられた。何回も同じ本を読んだり、ぬいぐるみでひとり遊びしたり。懐かしい本を手に取り、ページを捲る。本の内容は結構憶えている。パラパラと捲って、最後のページを見ると
「あれ? これって、もしかして……」
当時、何回も読んだのに気付かなかった。というか、巻末の著者名や発行者名などが書かれている奥付なんて見ていなかった。大抵、最後まで読む前に呼ばれて、気になった本は図書室で続きを読んでいたから……。奥付の下の方に、小さな字で自分の知っている名前が書かれていた。”平原 亜衣”。悠夏のクラスメイトだ。ただ、会話をあまりしたことはない。別の女子グループで、接点がなかった。
「他の本もそうなのかな……」
何冊か調べてみると、同じように名前を書いている本があった。寄贈と思われる本や中古らしきものもあり、知らない名前もあった。ふと気になって、ぬいぐるみのタグを調べてみた。が、流石に名前は書かれていなかった。
待合室にいる親子が何組か呼ばれているが、まだ呼び出されるまで時間がありそうだ。昔は名前で呼ばれていたが、今は受付番号で呼ばれている。自分が上京したあとに、このシステムが導入されたのだろうか。外からスマホで事前受付を行えたり、今の受付番号を確認することもできたり、便利になったみたいだ。
たまに、受付番号を呼ばれてもいないこともあるが……。
「59番の方いませんか?」
看護師が受付番号59番の人を探すが、いなさそうだ。
「駐車場の方、見てきますね」
別の看護師に言って、外へ。症状によっては、もしくは待合室にいたくない人は、車の中で待機しているみたいだ。悠夏の受付番号は62番。
それから15分くらいして、受付番号を呼ばれて診察室へ。
「失礼します」
診察室に入ると、医師の平原 幸憲が「どうぞ」と言い、看護師からカルテを受けとる。悠夏は、荷物置き場に鞄を置いて椅子に座る。
「おっ。佐倉ちゃんか。えっとぶりやね。今日はどうしたの?」
”えっとぶり”とは、方言で”久しぶり”の意味である。あと、子どもの頃からお世話になっているので、佐倉ちゃん呼びである。
「お久しぶりです。アレルギーのお薬が無くなりそうなので、もらいに」
悠夏は花粉症であり、お薬がないとこの時期は辛い。
「わざわざ徳島まで?」
「いえ、仕事のついでです。まぁ、ついでと言いながら、お薬が無いと私には死活問題なんですが……」
「あれ、お仕事は確か……」
平原医師は、悠夏と会話をしながら、カルテに手書きで”お薬が無くなったため”と、ドイツ語で書いている。悠夏にはもちろん読めない。
「警察官です」
「なんや。鯖瀬君と同じか。とはいえ、彼は徳島県警やけど」
「そうですね」
「お薬は、エバステルやったかな……」
平原医師は、カルテの前ページを確認し
「そうだ。上京前に、ザイザルにしとったな」
「そうですね。当時、効かなくなって、症状が酷かった記憶が……」
「点鼻薬と点眼は必要?」
「あれば……」
「そしたら、ザイザル錠を最大の90日間と点鼻薬2本、点眼2本で」
「ありがとうございます」
「佐倉ちゃんは、徳島には、いつまで?」
「早ければ、明日ですかね。そもそも、用事があるのは高知県なので。今日は、前日移動です」
「そうか……。なかなか、ゆっくり出来へんみたいやね」
平原医師は、カルテに処方箋で出すお薬と量を記載し、看護師に渡す。
悠夏は立ち上がり、荷物置き場の鞄を取り
「お世話になりました」
と、昔から言っている挨拶をして診察室を出ようとすると、平原医師が
「ちょっと、待って」
と、悠夏を引き止めた。平原医師は自分のスマホを取り出し、
「ホンマは、地元の警察に相談すべきやと思うんやけど……」
スマホの画面に写真を表示し、悠夏に見せる。
「この人は?」
「亜衣の彼氏なんやけど……。名前は、城戸 信太。なんかこう……怪しいっちゅうか……」
「それは……、どういう風にですか?」
「嘘をついとる気がする……。うちのお袋、3年前に、詐欺被害に遭って……。そのときと同じような……」
平原医師の言い方だと、雰囲気でしか伝わらないため、悠夏は
「確たる証拠とかは……?」
「証拠があったら、それこそ警察に言うよ……。だけど……」
平原医師は、だんだんと自信なさげに声が小さくなる。自分の娘のことだ。気がかりなのは、十分理解できる。警察としては、この現状では動きようが無い。かといって、「任せてください」とも言いづらい。困った結果、
「分かりました。少しだけ調べてみます。ただ……、いいんですか……?」
色々と。自分が相手の身辺調査や疑いを吹っかけて捜査していることが、仮に亜衣にバレたら、父親と娘の信頼関係は失墜する可能性がある。「お父さんなんて、大っ嫌い」と言って、駆け落ちとか……。犯罪の証拠が出れば、話は別だが、それはそれで恋人同士の関係を第三者が引き裂くのだから、どうなるか分からない。つまるところ、どっちになっても、親子の関係が揺らぐおそれがある。そういった広い意味で、いいんですかと聞いたが
「娘のためなら、鬼にでもなるさ」
悠夏が受付で会計をし、処方箋を受けとると、平原医師が受付まで現れ、
「これ、印刷したから」
と、封筒を受けとった。中身は、先ほど見せてもらった写真である。
「申し訳ないけど、お願いね」
と言って、両手を合わせて懇願していた。
平原耳鼻咽喉科のお向かいにある調剤薬局で、処方箋と保険証、お薬手帳を渡し、待っている間、東京にいる鐃警にメールで”城戸 信太”の身元調査依頼を出した。事件の詳細は書かずに、別件で頼まれたため、と暈かした。
(平原さんの思い過ごしで終わればいいけど……)
To be continued…
無駄にリアル。自分が春夏秋と花粉症なので、耳鼻咽喉科とかアレルギー科のあるところには、お世話になってます。悠夏は診察後に「お世話になりました」って言いましたが、自分は「ありがとうございました」って言いますね。どうでもいいですが。
今回の話の続きは、先に伊上被疑者たちの事件を終わらせてからになりそうです。何話か飛ぶかと。
2020年も、早くも4月ですね。作中も4月ですね。1年違いますが。




