第6話 蜉蝣
20時ごろから、品川駅、高輪ゲートウェイ駅、田町駅ほか、山手線と京浜東北根岸線の駅では、入場の抑制が少しずつ始まった。20時30分を過ぎたころ、都内の列車運行情報が更新される。品川で折り返し運転を行い、品川から東京駅間は、山手線と京浜東北根岸線のみ運転。京急本線は、直通運転を中止して品川駅で折り返し運転。都営浅草線は、折り返し設備が無いため全線運転見合わせ。直通運転する京成押上線は押上駅で折り返し運転。モノレール羽田空港線は、昭和島駅で折り返し運転を行い、昭和島から東京駅間を運転見合わせ。都営三田線と地下鉄南北線は、状況によって運転を見合わせるが、今のところは通常運行である。さらに、これらの運転見合わせの理由は、線路内安全確認等では無く、単純に確認のためとした。多くの路線が一斉に運転を見合わせたが、テレビでは大晦日の特番を継続し、テロップのみで対応。報道規制の協力により、事件の情報は出ない。
蜉蝣のメンバーである浅羽は、警視庁への電話を終えて車の後ろに荷物を詰め込む。当初は12月28日に予定していたが、都心で雪が降るため、今日の31日に設定した。
運転席に座る登根は、バックミラー越しに
「浅羽さん、荷物はこれで全部ですか?」
「次がラストだ。後ろに気をつけろよ。俺はもう一台の車で浜松町まで行く。予定通り、品川で黒埜と会って、高輪まで向かってくれ。警察から受け取ってからの、高輪と田町の間が重要になる。奴らから子ども達の先生と、悠未奈を助けるぞ」
「分かってます、浅羽さん。悠未奈……、必ず助けるからな。どんなことをしてでも……」
登根の目は本気である。ハンドルを握り直し、サイドミラーに映る自分に唇を噛みしめる。
12月25日の買い物帰り、黒埜たちと鉢合わせた。いや、待ち伏せされていた、というのが正しいだろうか。黒埜たちは、目撃した宰君と結紀ちゃんを引き渡すように言うが、有塚は2人を守るために、自ら黒埜たちに捕まった。
慌てて帰ってきた2人から聞いて、登根が有塚の携帯に電話をかける。4回目のコールが鳴ったあと、繋がった。登根は
「悠未奈か!? 返事してくれ」
しかし、返事は男性の声で、
「我々に刃向かうのであれば、彼女たちの命はないぞ。よく考えて行動することだな」
電話口の後ろから、悠未奈の声が聞こえた。しかし、すぐに電話が切れた。登根の手かスマホが床に転げ落ちる。子ども達が必死に謝ろうとする。それが、無情にも、登根をさらに追い打ちをかけるようだった。
「荷物は積み終えたぞ」
浅羽の声で、登根が我に返る。浅羽は
「2人の結婚前に、こんなことになってしまい……、申し訳ない。あの日、子ども達を見かけたても、言わない方が良かったのかもな……」
「浅羽さん、それは違いますよ。子ども達が危ない目にあっていたんですよ。助けるのは当然でしょう。浅羽さんなら、なおさら」
「しかし、悠未奈まで人質になってしまい……」
「浅羽さん。悠未奈は必ず救います。だから、子ども達をよろしくお願いします」
そう言って、登根は車のサイドブレーキを上げ、アクセルを踏む。もう戻れない。奪還の計画が始まる……
浅羽は、登根の車を見送った後、自分の車へ戻る。後部座席に座る子ども達に、ドアの窓越しで
「今から、君たちを家族の元に送る。だが、その前に一本吸わせて貰って良いか? 多分、最後の一本になるからな」
そう伝えて、車から少し離れようとすると、後部座席の窓から、結紀ちゃんが
「浅羽さん、私たちも協力させてください。有塚さんと稲月さんを助けたいんです」
「ダメだ。危険すぎる。それに世間では君たちは、私たちに誘拐されたことになっている。その犯人と共謀することは、君たちにはさせられない。それに、悟君と隆君ははやくお母さんのもとに帰りたいだろうし」
「なら、その後でいいから」
と、今度は宰君が真剣な表情で言う。しかし、浅羽は首を横に振った。
「一服するのは、やめだ。やめ、やめ。さっさと、君たちを送ろうか」
浅羽は煙草を吸わずに、車に乗り込み、サイドブレーキを上げる。しかし、アクセルはすぐに踏めなかった。でも、前に進むしかない。登根は先を行っている。このままでいいのだろうか。少なくとも、今はこの道しか考えられない。バックミラー越しに、子ども達を見ると、悟君と隆君は眠っているようだ。宰君と結紀ちゃんと、バックミラー越しに目線が合うと、浅羽はすぐに目線を外して、前を向く。(この子達を警察に送り届けた後に考えよう……)浅羽は、アクセルをゆっくりと踏み込んだ。
*
インカムを通じて、指示が飛び交う。左耳が常に騒がしく、右耳では電車の発着アナウンスが聞こえる。
「4番線の電車は、まもなく発車いたします。閉まるドアにご注意ください」と車掌の声が聞こえたと思えば、今度は自動放送で「3番線の 次の電車は、20時52発 京浜東北線 大宮行きです」と。あまり周囲を見渡すと不審に思われるため、3番線の方を向くベンチで、悠夏と警部が大きな鞄をそれぞれ1つ持って、人を待つ。11両編成の山手線の上下線も、10両編成の京浜東北根岸線の上下線も、この時間に発着する車両はすべて警察官が何人か潜伏している。一般人に不審がられないように、乗降者の多い品川駅や東京駅で乗り降りして、絶えず車両に潜伏しているらしく、いつから鉄道会社になったのかと思うほど、インカムで車両番号と発着時間、何人乗って、何駅で降りると言った情報が飛び交う。さらに、発車の遅れがあれば、1分遅れていますなどの情報も入る。
で、言わずもがなではあるが、悠夏と警部がいるのは高輪ゲートウェイ駅の3番線ホームである。受け渡しを任命されたのだ。
「なんで、こうなっちゃったのかな……」
悠夏が自信なさげに、小声で呟くと、警部も小さな声で
「特課に活躍して貰いたいからでしょうね。大きな事件ほど、活躍すれば結果に繋がりますから」
「それは、分かってはいますけど……」
「先ほど届いたという、参事官からのメールでは、何と?」
「作戦、命大事に、バッチリ頑張れ。とのことです。ゲームじゃないんですから……」
悠夏は鞄を持つ手が震える。寒さもあるが、これから犯人と接触するのだ。緊張しないはずがない。
インカムでこれまでよりも大きな声で、
『こちら品川駅。2番線に、被疑者1名ともう1名が、20時55分発の山手線 内回り 東京・上野方面に乗車を確認』
警部が「ついに、来ましたね」と言うと、悠夏は深呼吸をする。先ほどの追加情報として、
『被疑者の登根が乗った山手線が発車しました。もう1人は、おそらく、協力者か組の者だと思われます』
『下手に手出しが出来ないな……。身柄の拘束は、人質が解放されてからだ。下手に手を出すなよ』
参事官がそう命令する。品川駅と高輪ゲートウェイの駅間は短く、1キロほどである。すぐに、高輪ゲートウェイに到着する。
『鉄道会社より、連絡です。現在、21時台に発車する最初の列車が大崎駅、大井町駅、浜松町駅をそれぞれ発車。これから、後続列車は、それらの駅で発車を抑止します』
つまり、次に大崎や大井町、浜松町を停車する列車は運転を見合わせる。犯人が逃走するであろう電車が最後の運行となるのだ。
『被疑者は、高輪ゲートウェイの京浜東北根岸線ホームへ移動中です』
To be continued…
『龍淵島の財宝』のときみたいに、少しずつ話が長くなっているような……。
『龍淵島の財宝』は、今週で完結ですので、そちらもよろしくお願いします。
ちなみに、文中では京浜東北根岸線ですが、セリフでは京浜東北線で分けますね。
流石に、セリフだと京浜東北とか京浜東北線って言うと思いますので。