第55話 人事異動
2019年4月8日、午前10時前。警視庁警務部監察室。特課所属の佐倉 悠夏巡査と鐃警、どちらも初めて入る部屋である。室内は、ドラマでよく見るような雰囲気で、壁には絵画が飾られ、デスクの近くには、紺色のカーテンで閉められた大きな窓がある。なお、窓はデスクの背後ではなく、離れている。
上田警部の案内で、席に座ってしばらくすると、悠夏達が入ってきた扉から、首席監察官が入ってきた。どうやら、手洗いに行っていたようだ。座っていた悠夏はすぐに、立ち上がり姿勢を正す。
「おぉ。特課のロボット警部と、佐倉巡査。わざわざ、すまないね」
深みのある低い声で、イケボとでもいえば良いのだろうか。首席監察官の鴨井 尚夫警視正は、40歳の男性である。
「鴨井監察官。私は、これで」
上田警部は一礼して、退室する。
「上田警部、感謝するよ」
鴨井監察官は、悠夏と鐃警の正面に来て、腰掛ける。悠夏は鴨井監察官が着席したの確認したあとに、自分も着席する。
「君たちに声をかけたのは、他でもない。倉知副総監から聞いているとは思うが、この4月がひとつの期限だった」
2人とも、たまに思い出してはいたものの、特に意識はしていなかった。倉知副総監は、配属時にこう言った。「結果が出なければ、この課は4月末をもって、解体される」と。もしや、そのときが来たのだろうか。まだ日数はあるはずだが……。
「来週、大規模な人事異動が行われる」
やはり、人事異動とはそういうことなのか……。思い出せば、初っぱなから、伊下町の可愛らしいけれど、漁師からは傍迷惑だと困惑していたイカスミとケチャップ事件とか、クリスマスイブのケーキを経費で落とそうとしたこともあった。ケーキは結局、藤花巡査から頂いたので、経費で購入はしていない。このあたりは、怒られても仕方は無いだろう。しかし、そのあとは、年末の誘拐事件の捜査に合流をした。誘拐したことには間違いないが、子ども達を保護していた3人が、人を殺害していたと知ったときは、驚いた。喜べない年明けだった。株式会社もちのネバーランドに関しては、夢だったのか、現実だったのか定かでは無い。その後も、怖くて調べずにいる。双子の弟妹、佐倉 遙華と遙真が怪奇現象だと騒いで調べた事件。真相は3月になって明らかになったが、廃忘薬という摩訶不思議な薬品を知る事件でもあった。自分以外から、自分に関する記憶を抹消する。なんとも恐ろしい薬品である。2月は、花粉症を戦いながら、初めて殺人事件の捜査を行うことになった。さらに、休日、大家の西本さんからお願いされて、返事の無い部屋から、栄養失調で倒れていた男子高校生を救出した。3月になり、『狭霧の鍵』というVRゲームをプレイし、ゲーム内に名指しで犯人の名前を残していたことが分かり、犯人逮捕に繋がった。3月末には、台田市場で神様からお願いされる珍事もあった。先日の事件では、被害者が加害者の妹に憑依するという、俄には信じられない現象が起き、初の取り調べを行い、自供を促すことに成功した。
他にも、12月から3月にかけて、特課が関わった事件は、まだ他にもあった。都内の居酒屋での暴動から、龍淵島の盗難事件とも関連し、犯人を集団逮捕した事件。交通部からの依頼で、安全運転のビラ配りや駐禁の取り締まりに同行したこともある。総務部から依頼されて、広報の取材協力も行った。細かい仕事なら、沢山やってきた。4ヶ月という短い期間で、やれることはやってきたつもりだ。そういえば、倉知副総監がこんなことも言っていた。「心配しなくていい。少なくとも、ここが解体されれば、君は捜査一課への異動を考えている。ただ、そのときに、警察という組織が継続されていればの話だが……」あれは、どういう意味だったのだろう。ここ最近、警察を非難するような光景は昔より減ったと感じている。そもそも、一部の人が騒いでいただけかもしれない。本当にそうか分からないが……。
色々と考えたが、何を言われるか分からず、唾を飲み込む。
鴨井監察官は鐃警の方を見て、
「事情はあれども、ロボットが警察官を務めるのは、まだ違和感があるな」
「鴨井監察官。すでに、5年経つんですが……」
「おお、もう5年になるのか。……とは言え、最初、現場には出てなかったはずだな」
悠夏は初めて知った驚いたが、鐃警は警視庁の勤務5年らしい。つまり、2015年に配属されたということだろうか。鴨井監察官の”事情はあれども”という言葉に引っ掛かったが、聞くタイミングを逃してしまし、話が先に進む。
「さて、大規模人事の内容について、特課に先に伝えておく必要があると考え、今から説明するが、まだ公表されていない情報のため、呉々も口外しないように」
何を言われてもいいように覚悟を決めるが、不安が大きい。身構えていると、思わぬ話になった。
「現在も、警察庁は機能が縮小され、本来行っていた業務の一部を警視庁が補っている。知っての通り、警察庁は全国の警察の総まとめ役だった。警察庁の大きなミスが続き、ドラマやフィクションに感化された民衆の声と、与野党がそれに影響して何らかの対策を講じた結果だが、いろいろと重なったが故に、最悪を招いた結果だな……。警察庁を監視する国家公安委員会の5名も入れ替わり、かなり大変な時期だった。その警察庁が、少しずつもとに戻ろうとしている。とはいえ、しばらくは警視庁が補う状況が続くだろう。それもあって、上層部はかなり多忙だが」
警視庁はあくまでも、東京都の警察機関だ。ここ最近、地方の事件に首を突っ込むこともあるが……。話に出ている警察庁は、警視庁と道府県の警察本部をまとめる組織であり、国家公安委員会はさらにその上だ。
「あれ以降、色々と事情が変わった。人手不足により、管轄外の捜査を行うことも多くなり、合同捜査や共同捜査が大半になってきた」
話の流れ的に、警察庁が時間をかけて元に戻るということだろうか。ただ、それを特課に先行して伝える理由になるのだろうか。
「人手不足はかなり深刻だ。各都道府県において、特に刑事部や交通部、地域部を中心に人数を以前と同じまで、とはいかないが、ある程度、戻すことで調整している」
「戻す……?」
その人手はどこからやってくるのだろうか。警察学校から増やすのだろうか。
「一般的に、所属を非公表にしている公安部から、元々刑事部や交通部だった人員を戻す。それと同時に、公安部が追いかけている複数の事件をしょっ引く。つまり、来週は、かなりの事件が明るみに出る」
鴨井監察官の言い方から察するに、当時の規模縮小は退職させずに、公安部に異動させたということだろうか。
「おそらく、来週、特課に協力依頼が多くなる。そのため、4月末までの限定で特課の協力者を増やす」
「それは、つまり、増員ということでしょうか?」
「所属部署はそのままで、人員を増やす。3人は、警視庁警務部の人間だ」
鴨井監察官がリストを悠夏に渡すと、そこには4名の名前が書かれていた。警務部人事第二課 上田警部。同じく、続木警視。警務部人事一課 垣谷警視。そして、最後の1人は、警備部第一機動隊 天川警部補。
「4月15日から30日の間、特課の手が届かない部分をこの4名が特課代理として補佐する。ちなみに、人事課のメンバーは皆、元々刑事部や公安部だった人間だ。……そもそも、この人事の話を、監察官の私がするのも不思議な話だ。人事課か、それこそ倉知副総監の仕事だろう」
確かに、どうしてこの話を鴨井監察官がするのは分からなった。監察室といえば、警察官を捜査する職務であり、人事など関係ないはずだ。
そんななか、鐃警はひとつ思い当たるところがあり
「もしかして、監察官補佐が人事課の方で、忙しいからですか?」
「そうだな……」
鴨井監察官は否定せず、どちらかといえば認めるような言い方だった。
特課に戻り、扉を閉める。静かなこの部屋は、もと会議室だったこともあり、やはり広く感じる。悠夏はデスクに戻ると、座らずに
「警部……」
呼ばれた鐃警は、悠夏の方を見ると、なにやら悩んでいるような深刻な表情をしていたため、いつもより優しく
「どうしました?」
「この特課って……何と言うか……、私達の知らないところで色々と動いているみたいで……」
「手のひらで踊らされているみたいで、嫌って事ですか?」
「そう言うことじゃないと思うんですが……」
「じゃあ、手のひらで転がされている?」
「うーん……」
「……佐倉巡査。そんなに思い詰めても仕方ないですよ。警視庁特課。捜査一課や捜査二課でもない。交通部でも公安でも、組対でも地域部でもない。かと言って、窓際部署でもないし。全国の捜査協力が行える特別な部署です。上層部の目論見は何らかあるかもしれませんが、我々がすべきは事件の早期解決ですよ」
鐃警が真面目に答え、悠夏は頬を両手で叩き、
「そうですね……。じゃあ、何かあれば、警部のせいにしますので、頑張ってくださいね」
「こっちじゃなくて、倉知副総監を通してくださいよ」
「冗談です」
「冗談って……、折角、真面目に答えたのに……」
「さて、残った事件書類を片付けますか」
結局、悠夏と鐃警は12月の配属直後と変わらず、自由に活動し4月15日の人事異動の日を迎えるのであった。
To be continued…
ついに、『エトワール・メディシン』が1年を迎えました。思ったより、良い感じに最終回っぽくなったけれど、まだまだ続きます。人手が云々って、人員を増やすことだったみたいです。鴨井監察官がなぜこの話をしたのかというと、鐃警の推測通り、監視官補佐が人事課の人物で、特課に説明する必要があるけれど、時間が取れずに代わりに話したみたいです。一応、鴨井監察官から倉知副総監に話をしたら、「鴨井監視官に任せるよ」と言われたとか、言われなかったとか……。
正直なところ、次回からも特課は変わらないと思います。1年目と変わらず、2年目に突入です。作中だと、12月から4月までの5ヶ月ですが。
さて、折角1年という節目なのでここまでの登場キャラをまとめてみました。各キャラの説明はざっくりと。説明ないキャラもいますが。思ったより、キャラが多かったですね。
あと、明日の2月28日も更新します。丁度、『エトワール・メディシン』の1話を投稿したのが2月28日なので。
【登場キャラ一覧】
・佐倉 悠夏。警視庁特課所属の25歳女性巡査。
・倉知。警視庁副総監で、特課を直轄。
・鐃警。警視庁特課所属のロボット警部。一応、フルネームは泥沼 太郎。
・藤沢。神奈川県警所属の巡査。伊下町の事件とおぎ野の事件で登場。
・藤花 真凪。巡査。クリスマスケーキの事件で登場。
・鷺沼 耕司。元警察官で藤花の彼氏。現在はジムのインストラクター。
・瀧元 瀧一。警視庁生活安全部サイバーセキュリティ課所属。鐃警のメンテナンスで度々登場。離婚で母親の旧姓になり、ドラゴンが2匹に。
・紅 右嶋。警視長。
・田口 啓正。警視正。エルシーズの捜査を榊原に依頼。
・小渕 創哉。警視庁刑事部所属の参事官。
・久保 悟。6歳男児。
・鈴本 隆。6歳男児。
・下地 宰。12歳男児。
・猪坂 結紀。11歳女児。
・長谷 貞須惠。警視庁刑事部捜査一課所属の警部補。
・稲月 智恵子。29歳女性。幼稚園教諭。
・宇野沢 己奈。警視庁組織犯罪対策部組織犯罪対策第五課所属の女性警部。
・藍川 桑栄。警視庁刑事部捜査一課所属の巡査。
・岩橋 和宏。警視庁刑事部所属の警部で交渉人。
・浅羽 泰敏。58歳男性。有塚の里親。
・登根 雅司。39歳男性。登根と有塚は、恋人同士。
・有塚 悠未奈。30歳女性。
・三輪 明菜。6歳女児。
・黒埜。国籍不明の男。
・榊原 岾人。警視庁刑事部捜査一課所属の警部。エルシーズに関する事件捜査を行っている。
・斑鳩川 柊哉。兄の影響で探偵をしている。悠夏の見立てで小学6年生。
・青海 辰巳。
・櫛田。
・上原 和花。警視庁総務部広報課所属。
・望月 沙矢香。株式会社もちのネバーランド、代表取締役社長。
・久佐望 ズィーファ。同じく、秘書。
・マツュマロ。本人曰く、餅。
・マシュ。悠夏の実家で飼っている猫。
・佐倉 遙華。悠夏の妹。遙真と双子。
・佐倉 遙真。悠夏の弟。
・西原 木岐。遙華と遙真の担任教諭。
・毛利 貴之。廃忘薬を服用。
・毛利 孝根。貴之の父親。49歳。
・毛利 恵美。貴之の母親。45歳。
・埴渕 真妃。
・中萩。愛媛県警予讃警察署の警部。
・鯖瀬。徳島県警阿北警察署刑事課の巡査。悠夏と中学のクラスメイト。
・五十崎。愛媛県警予讃警察署鑑識課の所属。
・猿。新宿駅とその近くのバスターミナルを逃亡ののち、捕獲。
・立住 知一。
・与野。埼玉県警高速道路交通警察隊所属の巡査長。埼玉県警の捜査一課から異動。
・濱千代 としゑ。葉陽の母。虎の祖母。
・濱千代 葉陽。中学1年生の次男。かなりネットで有名な動画配信者だった。
・濱千代 虎。久成の息子。小学2年生。
・蒲生。埼玉県警捜査一課所属の警部補。
・入曽。埼玉県警捜査一課所属の巡査。
・濱千代 久成。長男。
・岩槻。埼玉県警の鑑識。
・濱千代 有理。久成の妻。
・室賀 粗菜。
・近藤 廣美。中学1年生の少女。
・韮崎 笹子。山梨県警の警部。
・東桂。山梨県警の警部補
・国母。山梨県警の巡査
・川喜多 拓駕。警視庁交通課から捜査一課に異動。
・西本 蕾。悠夏が住むマンションの大家。父親と2人の子どもが行方不明。
・宮沢 守。男子高校生。404号室の住む。
・杉戸 俊宏。ゲーム会社の開発統括部の主任。32歳。
・杉戸 三荷。俊宏の妻。
・橋爪 篤哉。オンラインのVRゲーム『狭霧の鍵』の主人公。私服警察官。
・落合。ゲーム会社の開発統括部の専任課長。
・野方。同じく、開発統括部の女性主事。
・宇宿。俊宏と同期。地元の鹿児島でIT企業に転職。
・高円寺。ゲーム会社の設計部所属。
・杉戸 茅穂。俊宏の娘。
・伊與田 武章。警視庁生活安全部サイバーセキュリティ課所属。『狭霧の鍵』事件のほか、『龍淵島の財宝』事件でも登場している。
・田巻 吉規。ゲーム会社の経理部所属。
・及部 朝矢。
・賀井 太居。
・浅岡。VRゲーム『狭霧の鍵』に登場する警部。
・小籏 もとみ。つるぎ西商店街の会長。
・保科 景子。鶴城神社の神主。
・瀬名 大悟。貴之のクラスメイト。
・伊上 三見。建設現場の現場監督。
・於福。建設現場の作業員。
・湯ノ峠。建設現場の作業員。
・伊上 彰代。19歳。石郷岡から事件のことを聞く。
・石郷岡。
・奈那塚 アリー。日本人の母とアメリカ人の父をもつ、ハーフの女の子。英語は授業で習ったぐらいしか喋れない。
・蔵本。徳島ウミガメ専門交番所属の巡査。
・廣村 達夫。
・碩 成敏。
・撫養。撫養塾教室の経営者。
・見能林。つるぎ西商店街の精肉店を経営。
・穴吹。つるぎ西商店街の玩具屋の店主。
・聯。ストリートピアノを各地で行う動画投稿者。
・佃。徳島県警阿北警察署の巡査。
・坪尻。徳島県警阿北警察署の鑑識。
・日浦 マサ。20代男性のシンガーソングライター。広い音域の持ち主。
・瀬名 克則。大悟の父親。作曲家。
・鬼。台田市場の守り神。
・輩。弱った守り神を狙う奴ら。
・辻埜 直斗。退職後、しばらくして霊になる。
・恩田。朝の情報番組の司会を務めるアナウンサー。
・都筑。朝の情報番組に出演する女性タレント。
・粂。内閣官房長官。新元号の”令和”を発表。
・君島 舞彩。新中学2年生の女子。憑依体質。
・磯貝 潤一。
・君島 光也。舞彩の兄。新高校3年生。
・栗平。神奈川県警若葉警察署の警部。
・鶴川。神奈川県警若葉警察署刑事第一課の巡査部長。
・羽沢。同じく、巡査長。
・下川井。神奈川県警若葉警察署の女性鑑識。
・仁志銘 債。
・大極 舞彩。光也の彼女。
・ピザ屋の店長。
・ピザ屋の副店長。
・新野。警視庁刑事部捜査二課所属の警部。
・上田。警務部人事第二課所属の警部。
・鴨井 尚夫。警視庁警務部監察室所属、首席監察官の警視正。
・続木。警務部人事第二課所属の警視。
・垣谷。警務部人事一課所属の警視。
・天川。警備部第一機動隊所属の警部補。
以上。




