第32話 名指しのメッセージ
ディスプレイには、真っ黒の背景に白い文字が表示されている。悠夏が持っているヘッドマウントディスプレイを動かしても、画面は動かない。人物名以外に、遅れて短い文章が表示される。悠夏は、表示された文字を続けて読み上げる。
「杉戸 三荷。どうして、彼女が私を」
短い文章だった。少し沈黙が流れ、悠夏が最初に戸惑いながら
「えっ……、犯人が被害者の妻、三荷さんってことですか?」
飛躍しすぎか? でも、そういうことじゃないのか……? 文面的に、被害者が息絶える前に記したのでは……?
「いや、被害者の妻は第一発見者で、アリバイが……」
鐃警が、急いで事件資料を見直す。「アリバイがあったはず」と呟きながら。
「被害者の妻が殺人犯の場合、考え方が変わ……」
る……のか? 『狭霧の鍵』から入手した情報から、点と点を結び直せば、矛盾しないのでは……? どう結べば良い?
二人が慌てていると、伊與田はシステムの方面から考えた推理として、
「ダイイングメッセージにしては、かなり凝っており、もともと告発に用意していたメッセージの部分だけを書き換えたという可能性もありますね。少なくとも、これほどのシステム構築や、プログラムへの細工は、数日かかるでしょう。自分が死ぬ間際で言葉を残すとすれば、すでに準備していた部分を差し替えるぐらいで……」
資料を見ていた悠夏は、伊與田の推理に対して、
「それは、『狭霧の鍵』に示されたデータと、本件は関係ないってことですか?」
殺人事件と会社の金は、全く別だろうか?
「ただ、それなら、わざわざ『狭霧の鍵』での告発に含める必要はないと思うんですよね……。しかも、かなり時間をかけないと出てこないですし……」
鐃警は事件資料を見直しながら、そう言った。どっちにも捉えられる。被害者が咄嗟に選択したのが、ここだっただけで……。ん?
「警部。咄嗟にここを選択したのなら、ダイイングメッセージに『狭霧の鍵』とわざわざ書き残す必要もないかと……。ただ、第一発見者の妻が犯人の場合、ダイイングメッセージって消さ」
悠夏が最後まで言い切る前に、鐃警が
「消される可能性は高いです。ただ、残っていたと言うことは、被疑者が気付かなかった。または、消せなかった可能性もあります」
「消せなかった……。時間が無かったってことですか?」
「それもあると思いますが。最近だと、刑事ドラマを見て、ルミノール反応を知ってる人が多くなり、血で書かれた文字を消してもバレることを知って」
「それなら、上から書き換えれば……。あ」
悠夏が何かに気付いた。もしも、殺害が被疑者の外出前で、戻ってきてから気付いた場合、乾いて上書きすることは出来ないだろう。
いろいろと推理できるが、いずれにせよ、三荷さんから任意で聴取をせねば。そうなると、
「捜査一課は鹿児島ですが……。どうしましょう……?」
「藍川巡査と川喜多巡査の2人ですよね。ならば、榊原警部に連絡して」
と、鐃警が内線をかけようとすると、悠夏が
「榊原警部なら、一昨日から出張中ですよ」
「出張?」
「はい。毛利さん一家の事件捜査に行くとか」
先々月、1月3日の事件である。放火事件として処理されているが、謎が残っている事件で、正月明けから榊原警部が独自に捜査している。悠夏たちは知らないが、エルシーズの可能性がある事件だ。
「ならば、長谷警部補に連絡します」
そう言って、鐃警が捜査一課に連絡する。捜査方針が大きく変わりそうだ。
*
2019年3月5日。3日に発生した杉戸 俊宏の殺人容疑で、杉戸 三荷が逮捕された。昨夜遅く、任意の取り調べで容疑を認めたらしい。真相は、ある日、ハンカチを洗おうとビジネスバッグから取り出したとき、会計が記載された資料を見つけ、夫が会社の着服していると思い、問い詰めたらしい。そのとき、俊宏は、田巻の名前を出さず、主語を言わなかった。その結果、勘違いが生まれ、今回の事件に発展した。
悠夏は供述の資料を何度も見て、
「被疑者の供述に、矛盾はなさそうですが……」
「そうか……」
「警部は、納得できないんですか?」
「納得できれば良いのかと言われると、違うんですけど……。今回の事件、何か変というか……」
「被害者のスマホは、被疑者が隠し持っていたことも分かりましたし、スマホの消されたデータを解析した結果が出れば」
悠夏が全て言い切る前に、内線が鳴る。悠夏は受話器を取り、応答する。少し話をして電話を切ると、
「警部。結果が出たみたいです。かなり重要な情報みたいですよ」
捜査会議室。捜査員達は着席せずに、立ったままだ。スクリーンに、被害者が残した文章が表示される。読み上げるのは、解析を担当した伊與田。
「被疑者が削除したデータを解析し、復元したものの1つがこちらです。”2018年3月、田巻さんの鞄から資料を見つけた私は、落合さんに相談した。提出予定の決算書を確認したところ、1千万円の差異が確認された。しかし、それは田巻さんが見つけた証拠だった。当時、田巻さんが使用していた会社のパソコンには、田巻さんが集めた資料がいくつか残っていた。そこから、ある人に疑惑がかかる。それが、私の妻だった。しかし、社員ではない妻がそんなことをできるはずもなく、一先ず社内の注文書を発行して1千万を開発費として使用したことにして、犯人捜しが始まった。私も、引き続き調べていたが、まだ分からない”。1つ目はここまでで、次に切り替わります。2つ目です。”狭霧の鍵にこっそりと社員にだけ分かるような細工をしてみた。これを見て、捜査に協力してもらえる人はいるのだろうか?”。3つ目です。”退職した同期が疑われている。妻の次は同期なのか。”以上です。結局、被害者は、最後まで1千万円の行方を知らないままみたいです」
長谷警部補が片手を挙げ、
「被疑者は、自分が疑われていたことを知っている可能性があるということだな。これもとに再度被疑者に聴取を行う必要がある。あと、落合さんに再度、任意で聞き取りを」
指示が出され、捜査員は急いで会議室を出る。
特課への指示は今回、無かった。『狭霧の鍵』はもう進めないし、捜査に加わるにしても、捜査員はすでに外だ。
「警部。我々はどうしましょうか?」
「待機……ですかね」
3月6日。事件が幕を下ろした。ニュースには、金額の件は一切報道されなかった。それもそのはず。捜査により、今回の事件と関わりが無く、そもそも1千万円は問題がなかったそうだ。
事件資料に目を通した悠夏は、
「結局、税務署や経理などの話によると、新しく導入した社内システムの計算ミスが発覚して、その確認に例の注文書を作成したみたいですね。改修して、決算書は問題なく提出できたそうですが、経理だけで話が完結し、他の部署には展開されなかったみたいですね。それで、決算書が一時的に複数存在することになり、偶然杉戸さんがそのうちの2つを入手し、疑念を抱いたわけですか……」
どうやら、百万円単位で計算した際に、あろうことか十万円以下の計算が正しく行われていなかったらしい。そのため、金額に過不足が発生し、経理が確認用で注文書を作成して調査したみたいだ。
杉本さんは、誰かが金額を改竄したと思って調査し、その資料を見た妻が、さらに誤解して、夫が改竄して会社のお金をだまし取っていると思い、それから、確認用で作成した注文書に記載されている適当な名前が、偶然にも妻の名前と一致し、さらなる誤解を生んでしまった。偶然が重なり、妻が夫を殺害した事件だった。
「ややこしそうな事件でしたけど、結果を見ると、偶然と勘違いが重なって、事件に至ってしまったってことでしょうか……」
悠夏は事件資料をダンボールに戻し、荷台に載せる。VRゲームの機器が入ったダンボールもあり、捜査一課へ返却するつもりだ。
「現実は、ドラマみたいに証拠や事象といったピースがきっちりと嵌まるわけでは無く、勘違いとかで捩れて上手く嵌まってないピースが存在することが多いですね……」
なんか上手いことを言いたげな鐃警に、悠夏は
「言いたいことは、なんとなく分かるんですけど……、警部。分かりづらいです」
悠夏は、警部の返答を待つこと無く、荷台を押して捜査一課へ向かうのであった。
To be continued…
元々、他作品の進み具合によっては、今年の『路地裏の圏外』で書く候補に上がった『狭霧の鍵』でしたが、幕切れはあっけないものでしたね。次回は後日談的なのが少し。
もう10月になろうとしているのに、作中では3月5日。果たして、今年中に、作中で令和を迎えるのだろうか。作中で令和になる前に、もうひとつ長編があるので、なんか来年になる気がしてきた。