第293話 姉弟
2019年8月14日午後9時過ぎ。もし空が晴れていれば、満月一歩手前だろうか。病院の入口付近で、バチッという音がする。音の出所は、電球が切れかけている街灯だった。
正面からは遙華が入院している病室の窓は見えない。しかし、いくつか明るい窓を見て、現実に戻された気分だ。親戚や友人達に励まされ、いつもの自分に戻れたのはそのときだけ。こうやって1人になると、再び考えてしまう。悠夏が立ち尽くしていると、
「悠夏姉も今帰り?」
路線バスから降車した遙真もここに帰ってきた。
遙真も自分と同じような心境だろうか。同じようなタイミングで帰ってきたふたり。遙真はコンビニのレジ袋を手にしており、自分も同じような袋を持っている。中身はライブのグッズと、大阪土産として買ったどら焼きが入っている。遙真のレジ袋には映画のパンフレットと、コンビニで買ったお菓子がいくつか入っている。
「そう。終わった後にちょっと寄り道したから」
リニア中央新幹線の開通後は、大阪と徳島間の移動は早くなった。昨日の混乱で行きがけは多少のダイヤ乱れはありつつも、帰りはほぼ時間通りに動いており、昨日の四国封鎖の影響が徐々に薄れている。
姉弟だというのに、静かな沈黙が訪れる。悠夏も遙真も楽しい時間を過ごしてきたが、それについて触れにくいようだった。もしかして、この状況だったので楽しめなかったのかもしれないと思い、遠慮している。
「なんか変な感じしない?」
「……うん」
「そっちも楽しめた?」
「うん……」
遙真の短い相槌も、この複雑な心情をどう処理して良いのか分からずにいるのだろう。いっそのこと言ってしまうか。
「遙華が目覚めない状況で、自分達が楽しんで良いのか悩んでる?」
「そりゃそうだよ。遙華があんな状況で、自分だけが楽しんでも……」
「父さんが入院していたときのこと、覚えてる?」
「……覚えてるけど」
父親、佐倉 秋風は癌で入院をしていた。確か肺がんだっただろうか。直接的な死因は少し違っていて、亡くなったときは痰が絡んで、窒息したと思う。今でも覚えている。自分のところに母さんから電話がかかってきて、状況を聞いている最中、背後で心電図のピーという音が聞こえた。自分も電話越しに立ち会ったと言えるだろうか。……それは今考えることではないので、心の隅に置いて話を戻す。
「父さんが入院してたとき、友達と遊んでたでしょ?」
「それは……そうだけど」
「あのときと一緒。遙華が目覚めることを願いつつ、交代で病院に来て、自分のやりたいことや楽しみたいことは楽しんでいいから。1人で抱える必要はない」
「……そう言われても、すぐには切り替えられないよ」
これは遙真に言いつつも、自分自身に言い聞かせている。自分も落ち込んでいたところでダメだ。頑張りすぎてもダメだし、これまでと同じ自分に戻る。……そう、頑張りすぎてもダメなのだ。何度も自分に言い聞かせつつ……。
病院の正面玄関は閉まっており、この時間は休日夜間専用の出入口へとまわる。休日夜間対応のインターフォンを押して、入院している遙華の家族であることを伝えると、自動ドアが開く。
薄暗い廊下を進み、エレベーターへ。エレベーターの扉が閉まると、遙真が俯いたまま呟く。
「悠夏姉なら、犯人を捕まえて遙華を治せる?」
「……たとえどんな人物であっても、罪を犯した人は捕まえる。……本当は私情を挟んではいけない仕事だけど、家族を狙った犯人は必ず捕まえるし、遙華が目覚めるために必要なことはやるよ」
悠夏はさらに一言言う前に口を閉じた。言ったところで遙真ならやりかねないし、自分が遙真なら止められても自分で動こうとする。悠夏が言わなかった一言とは”だから遙真は危ないことに首を突っ込まないで”という意味合いの話。悠夏は、遙真に事件に関して危険な行動は慎むように注意を促すことを敢えてしなかった。遙真はもう高校生だし、すでに誘拐事件の際に事件捜査に必要な情報を残すという功績を収めている。
弟の遙真までこれ以上危険な目には遭ってほしくない。ただ、何を言っても遙真なら、遙華のために動くだろう。遙真が無茶をする前に、犯人を捕まえる。遙華が嗅がされた薬品のことも調査しないといけない。
エレベーターの扉が開き、2人は病室へと向かう。
*
捜査本部では、まだ事件は終わっていない。供述をまとめつつ、別の捜査も展開されいていた。
「電磁波爆弾に関して、続報です」
報告するのは、海老ヶ池巡査長。
「鴻原 光隼の乗車していた車が爆発した原因を消防と調査した結果が出ました。電磁波爆弾が暴発したという結論に至り、地下駐車場で起こった電磁波爆弾と同じと考えられます。つまり、違法電波による電話通信障害事件との関連性が濃厚かと」
さらに、徳島運輸支局へ確認した結果、車検証より鴻原が所有する車は3台あることが分かっており、うち2台が今回の事件で爆発した車両と一致した。地下駐車場については、浸水により捜査が困難であることから、消防隊員のヘッドライト横に付けたウェアラブルカメラの映像を確認した結果である。
「ナンバープレートは偽造したものもあるが、残り1台はどこかにあり、鴻原に車がどこにあるか訊いても黙っているだけ」
捜査本部では当然ながら、その車にも電磁波爆弾が搭載されているおそれがないかと危険視するが、その答えは分からない。
唯一、鴻原が証言したことがある。自分が爆発に巻き込まれたのは事故だった。本来はあの場所で爆発するはずではなかったそうだ。
捜査本部での会議終了後、榊原警部は会議室に残って、警視庁からの捜査資料も含めてもう一度チェックしていた。
「日本橋で確保した犯人はいずれも下っ端。親玉の情報は出ず……」
「これだけ逮捕者が出ているというのに、誰も発端の人物を知らない。なのになんでコントロールできるですかね?」
藍川巡査はパラパラと資料を捲って、ホッチキス留めされた供述調書のうち、概要だけ目で追っている。
「結局、金銭とかなんですかね?」
藍川巡査が親指と人差し指を輪にして、お金のマークを作る。
「どうだろうな……。金で動く人物なら、受領できないと分かった時点か受けとったあとに、依頼主のことを暴露する奴もいるだろ」
「四国での事件は、……模倣犯って言っていいのか分かんないですけど、連続誘拐とは別でしたってことですが、唯一薬品の出所が不明ってことですか?」
遙華と遙真が誘拐される際に嗅がされた薬品のことである。
「今日の取り調べでは、薬品に関する情報がまだ出てきてないみたいだな……」
To be continued…
俯いていた悠夏と遙真が親戚や友人達によって、少し戻っただろうか。
悠夏が仕事に復帰し、ここから怪奇薬品に関しての捜査が始まるのだろうか。
倉知副総監の追う犯人は未だ不明。電磁波爆弾という不安要素も残っており、果たして……




