第290話 急病人対応
事故渋滞に巻き込まれ、救急車の到着時刻は遅くなる。女性の息は最初の頃よりもさらに弱々しくなっている。悠夏は脈を測りつつ、声をかけ続けていると、
「AEDを持ってきました」
汗だくの朝日奈は持ってきたAEDを地面にそっと置き、素早く開く。一緒に走ってきた警備員やショッピングモール管理事務所スタッフは、遠く離れているがこちらに走ってきているようだ。
「そしたら」
悠夏はどうするか考えていると、女性の脈打ちに違和感を覚える。弱くなっている……いやそれどころか……
悠夏は急いで女性の口元に耳を近づけ、胸の動きを確認する。動いていないように見える。
「管理事務所のスタッフです」
30代くらいの男性が声をかけ、続けて警備員や残りのスタッフも到着した。悠夏は、冷静にもう一度胸の動きを確認する。澪奈は勘付いて
「まさかっ?!」
悠夏は、駆けつけた警備員たちに
「男性陣は持ってきた布で目隠しをお願いします! 女性の方は手伝って!」
同時に、悠夏は女性に対して心臓マッサージを始める。
「澪奈、心停止!」
澪奈はすぐに電話口で心停止を伝え、AEDを使用することも伝達する。
男性陣は大きな布を2つ使って、女性の周りを囲う。事務所の女性スタッフと一緒に女性の上着をずらしてAEDのパッドを右胸と左脇腹に張り付ける。AEDが到着するまでに、女性の体に金属のアクセサリーの類いが無いことは確認していたため、あとはAEDのアナウンスに従う。
”体に触れないでください。心電図を解析します”というアナウンスとともに、AEDによる心電図解析が始まる。
囲われた布の外では、他の人がかけつけたようで
「ライブのイベントスタッフです! 状況は?」
「女性の方が心停止で、今AEDを使っているところです」
桐嶋が端的に説明すると、イベントスタッフは
「救急車は?」
「それが、事故渋滞に巻き込まれて到着が遅れていて」
質問には桐嶋が全て答えていた。ショッピングモールの管理事務所スタッフが
「救急車が到着したときの誘導は、こちらで手配してますがライブ会場方面から来た場合は」
「分かりました。こちらの会場の誘導員にも情報共有します」
そう言って、イベントスタッフはすぐに無線で情報を流し、急いで救急車の通るルートを確保する。
AEDの心電図解析が終わると、今度はアナウンスで”ショックが必要です。充電しています。体に触れないでください”。周囲にいる人々に緊張が走る。
”光っているボタンを押してください”というアナウンスが流れ、悠夏は「離れてください」と言い、事務所女性スタッフと両手を挙げる。悠夏がAEDのボタンを押すと、ショックが流れる。
”ショックが完了しました。胸骨圧迫を再開してください”というアナウンスとともに、心臓マッサージを行う。次の心電図解析まで2分間。
すると、布の外で新堂の声が聞こえてきた。どうやらショッピングモールから医療関係者とともに駆けつけたようだ。
「医師の伊里込です」
友人と映画を見終わったばかりの女性医師が応援に来た。
「交代します」
「お願いします」
胸骨圧迫を悠夏から伊里込へと交代する。
「女性は知り合いですか?」
「いいえ。偶然通りかかって、俯せで倒れていました」
「心停止してどのくらいですか?」
「発見時からは7分くらいで、意識はなし。呼吸と脈打ちは最初から弱く、時間の経過と共に弱々しくなり、AEDが到着したときに脈打ちに違和感があり、おそらくそのときに心停止したかもしれないです。すぐにAEDを付けて、ショックはまだ1回です」
「分かりました」
伊里込が胸骨圧迫を繰り返し行い、気付けばAEDから再度のアナウンスが流れる。”体に触れないでください。心電図を解析します”。しばらくして、”ショックが必要です。充電しています。体に触れないでください”と2回目のショックへ。
「離れてください」
伊里込に言われ、悠夏と事務所女性スタッフは触れていないことを示すため、両手を挙げる。伊里込がAEDのボタンを押すと、ショックが流れる。伊里込は胸骨圧迫再開のアナウンスを受け、心臓マッサージを再開する。
布に遮られた外では、イベントスタッフの無線から
「救急車確認。走行ルートは確保済みです!」
駐車場の空きを待つ車は全て道路の脇へ寄せ、横断歩道を渡ろうとする歩行者も止める。救急車がサイレントを鳴らしながら、救急隊員が「ご協力感謝します!」と感謝を伝えて、公園へ向かう。
そして、スタンバイしていたショッピングモールの警備員や事務所スタッフが公園の入口で救急車を誘導する。公園の入口にあった車止めのポールは、公園管理会社に確認を取った上で外している。そのため救急車はそのまま公園内へ入れる。
救急車が止まると、救急隊員が担架と救命バッグを手に駆けつける。目隠しの布を少し開け、
「救急です」
伊里込は胸骨圧迫を一定間隔で続けながら
「脈なし。呼吸なし。ショック2回。アドレナリン投与を! 1ミリグラム、ワンショット」
救急隊員は救命バッグから薬剤を取り出し、アドレナリン投与の準備を手早く行う。女性にアドレナリン投与を行うと、AEDから心電図解析のアナウンスが流れ、解析の結果、3度目のショックへ。”ショックが必要です。充電しています。体に触れないでください”
「離れてください」
悠夏と事務所女性スタッフは触れていないことを示すため、また両手を挙げる。医師がAEDのボタンを押すと、ショックが流れる。伊里込は胸骨圧迫を再開できるように構えると、女性が噎せる! 伊里込はすぐに肩に手を置いて
「大丈夫、落ち着いて。ゆっくり深呼吸してみましょう。深呼吸です」
と、深呼吸を女性の目の前で行う。女性は僅かながら目を開き、伊里込の深呼吸を真似る。次第に、女性の息が整う。
「意識が戻りました!」
伊里込の報告に周囲にいた人々が一斉に安堵の声と歓声を上げた。すぐにイベントスタッフが「みなさん、お静かに」と、女性が驚かないように周囲を落ち着かせ、皆がそれぞれ顔を合わせて頷いている。
AEDのパッドを外して、上着を戻し担架へと乗せる。消防隊員は女性の持ち物と思われる鞄とスマホを、女性に見せて「これはあなたのものですか?」と問うと、女性は小さく頷いた。
救急車が去るのを見送ると、地面には汚れた2つのライブタオルが残されていた。1つは頭部と地面の間に敷いていたタオルで、もうひとつは日影を作るために使っていたタオルだ。心停止という状況で地面に置いたため、汚れてしまった。
「ご協力ありがとうございました」
悠夏と澪奈がこの場いる全員に協力のお礼を述べる。残された2つのタオルを軽く払い、ありがとうと最初に駆けつけてくれた3人に改めて感謝する。
「なんとかなって、よかったです。ライブ楽しみましょうね」
「そうだね」
悠夏達は気付かなかったが、そのやりとりをイベントスタッフがちゃんと見ていたようで、
「イベントのタオル、新しいのを用意できるか、ちょっと聞いてみますね」
桐嶋と新堂はハモるように「いやいや、そこまでは」とご迷惑ではと断るつもりだったが、イベントスタッフはすでに関係者と話を進めているようだった。
受けとれないですと断ったが、人命救助の功績とイベントスタッフの計らいにより、男子大学生3人と悠夏、澪奈までライブタオルと、それぞれ1種類ずつライブグッズをプレゼントとしていただくこととなった。
なお、女性は搬送された病院で治療を受け、喋れるまで回復したそうだ。
To be continued…
エトメデで登場する人物や名称はすべて名付けようと意気込んでいた時期がありましたが、最近は名前が付かないキャラが多くなってきました。アドレナリン投与は2006年より救急隊員が投与可能になったそうですが、投与は講習や暴飲実習を修了する必要があるとか。あと、AEDは3回から5回くらいのショックでバッテリーが無くなるらしいです。今回は3回なのでバッテリーが無くなる描写はありませんでした。
さて、次回は悠夏のライブ参加歴の話に戻り、そろそろ開演の時間でしょうか。




