第285話 親戚
2019年8月13日火曜日。もうすぐ満月と思われる月明かりが、薄いカーテンを通して、病室内を照らしている。病室にベッドは4つ。うち2つは誰もいない。窓際に佐倉 遙華が気持ちよく眠っている。雲が流れ、再び月明かりに照らされると、遙華の隣、窓際の丸椅子に座って、静かに見守っている悠夏の姿が見える。そっと手を伸ばし、遙華の頬に触れて体温を感じる。髪の毛に手を伸ばすと、髪の間を指が綺麗に流れる。
病院に搬送されても目覚めることはなかった。睡眠の状態が続いていると言われ、12日以降に精密検査を行うことになった。医師からは、眠り病といわれるナルコレプシーや突発性過眠症、クライネ・レビン症候群などの病名を聞いたがピンとこなかった。看護師たちの協力のもと体を洗い、髪はサラサラになった。
遙真から聞いたのは、”誘拐されるときに嗅がされた薬品が怪しいと思う”ということだった。麻酔効果のあるクロロホルムを染みこませた布状のものを嗅がせ、昏睡状態にする手法はドラマによるものだ。現実世界でそんな簡単に人を昏睡状態にできるのなら、不眠症患者がクロロホルムに手を出しそうである。
隣のベッドでは、窓に背を向けた遙真が寝ている。遙華を守るために、誘拐された後に目覚めてから一睡もしていないらしい。疲れも溜まっていただろうし、やっと落ち着き、緊張の糸が切れたのだろう。静かに眠っている。そう悠夏は考えていた。
本当は、遙真は眠れないでいた。起きたままだと悠夏を心配させてしまうと思い、悠夏に背を向け、狸寝入りをしている。目蓋を閉じても、まだ心臓の音が大きく聞こえ、睡魔を阻害する。どうすればこんなことにならなかったのか。悠夏姉にもっと早く見つけてもらう方法はなかったのか。振り返って、自責の念に駆られる。周囲からは、自分の機転が利いた行動を褒めてくれたが、それでも……。
どのくらい経過しただろうか。遙真はそっと遙華の方を見る。丸椅子に座っている悠夏姉は、どうやら眠ったようだ。自分達と母さんを助け出すために死力を尽くし、ようやく眠れたのだろう。遅い時間だったこともあり、事件について詳細を聞けていない。
遙真はゆっくりを起き上がって、悠夏姉に薄い掛け布団をそっと掛ける。起こさぬように。
ベッドに戻って横になれば、そのうち眠れるだろうか。
*
早朝5時。なにか騒がしい。
「伯父さん、わざわざありがとう」
悠夏は眠たい右目を擦って、何か色々入ってそうなレジ袋を受けとる。
「みんな無事でよかったわ。心配しとったんやけど、なかなかこっち来れんかったけんな」
悠夏にとって父方の兄、佐倉 駿清が駆けつけた。レジ袋を受けとると、想定の2倍くらい重く、腕をもっていかれた。
すぐに廊下から看護師と話す声が聞こえてきたかと思えば、駿清の妻、佐倉 友璃が看護師とともにやってきた。
「悠夏ちゃん、ごめんな。こんな朝っぱらから」
そう言って、悠夏の持つ重いレジ袋を受けとる。駿清に対して、「そのまんま渡すん?」と言いたげだ。
「一応な、食べもんとか着替えとか持ってきとるけん」
「すみません。ありがとうございます」
「夏波も心配しとったけど、流石に学校があるけんな……」
夏波は悠夏と同い年の従姉妹だ。大阪の中学校教諭として働いている。小さい頃から会うたびに一緒に遊ぶ仲だ。どちらも名前に”夏”が付いているのは偶然だった。
友璃伯母さんは、遙真と遙華の服だけではなく、悠夏の服までも持ってきてくれた。何着か並べた後、
「ほとんど夏波の服なんやけどな。下着はこっちの袋にはいっとるけん」
夏波には申し訳ないと思いつつ、ありがたくお借りすることにした。実家に服を取りに行くとしても、今の汚れた服しかない状況だった。
「廻里ちゃんとこの家族も、今こっち来よるみたいやけん」
廻里ちゃん家族とは、同じく父方の姉、豊崎 九紅の娘であるい。廻里も悠夏と同い年の従姉妹である。悠夏の親戚は、親戚家族を娘や息子の名前で呼び分けている。ちなみに、長男が駿清、長女が九紅、次男が悠夏の父親、秋風である。駿清と九紅はどちらもひとり娘。悠夏の家族だけが3人姉弟だ。あとは、母方に姉がおり、従姉妹は娘と息子である。この2人は悠夏と年が違う。
四国の交通網が麻痺したことで、病院に駆けつけるまで時間がかかっているそうだ。ときには3時間くらいの渋滞に嵌まったそうだ。
「なんかいるもんあったら、遠慮せんと言うてな」
「助かります。それと、昼に、私と遙真と遙華、3人のスマホを買ってこようかと思っていて」
この事件で遙真と遙華は犯人によって壊され、悠夏は強力な電磁波によってスマホが壊れてしまった。
「言うてくれたら、車出すけんな。多分ショップは10時からやろうし、それまでには廻里ちゃんとこの家族もここ着くみたいやわ」
自分が買い物に出る間、遙真と遙華のことを任せたい上に、連絡手段がないので親戚の助け船は非常にありがたい。話を聞けば、母さんのところには母方の祖母、樋月と母の姉、栞凪が駆けつけたそうだ。特に問題は見受けられず、明後日には退院できるそうだ。入院期間が短いため、転院はせずにそのまま。正直、親戚が駆けつけなければ、遙真と遙華がいるこの病院に転院をお願いしていただろう。
午前10時過ぎ。夏波の服を借りて、廻里と出かけることになった。親戚の父親と母親が2組いれば、遙真と遙華について心配することはないだろう。精密検査や医師や看護師とのやりとりをお任せする。
悠夏は助手席に乗り、豊崎 廻里の運転で市内のスマホショップへと向かう。
「すごい心配しとったけど、悠夏も無事でホント良かった」
「ごめん」
「悠夏が謝ることないけん。悪いんは犯人やけん」
「ほなけど、なかなか捕まえられんかった」
普段方言で喋らない悠夏だが、従姉妹との会話はほとんど方言で喋っている。悠夏曰く、丁寧に喋ろうとすると、結局共通語になってしまい、必然的に方言が出ないだけらしい。
「しばらく仕事は休むん?」
「うーん……」
「あんま無茶せんようにね」
ショップに着くまで、事件に関係しない話をした。少しでも事件のことから思考を離れ、心身共に元気になってもらえればと思い、自分の最近の話を含め、色んな話題に触れた。段々悠夏がいつもの調子に戻りつつあり、店に着いたときはある程度元気になってそうだった。
To be continued…
悠夏の親戚大集合。父親の名前も初出しです。
方言の台詞を書くと、合ってるのかどうか何度も読み返すものの、やっぱり不安になりますね。悠夏が阿波弁で喋るの新鮮だな。
過去にスマホの通信会社について会社名と設定を考えたつもりが、その資料がどこかに紛失して、悠夏の使っているキャリアの名前が分からなくなり、明記しませんでした。どこいったのかこれを更新した後も探してます。
さて、次回は紅警視長の誘拐事件対応の予定です。たぶん1話では終わらないかな。




