第277話 事件収束に向けて
警視庁の廊下を2人の警官が歩き、すれ違う他の警官は頭を下げている。蓼聱牙 良輔警視総監は、参事官の小渕 創哉警視正から四国の事件について、状況を確認していた。
「特課の家族が無事に救出できたそうだな」
「はい。地下駐車場で発見し、犯人も2人確保しているとのことです」
佐倉 遙真と遙華を誘拐した犯人は、八井田 諸誓と安瀨地 恋那の2名。負傷により聴取は難しく、2人は現在病院で治療を受けている。
「それで、犯人たちの聴取はどうなっている? 主犯まで確保できるのか?」
「県警と密に連絡を取っておりますが、如何せん末端の人物ばかりで情報が」
佐倉 佳澄を誘拐した田部井 琉介、非浦 勇地、島谷 久場の3名。特課が確保し、肥前村誘拐事件の被害者だった椋本 伊鞠。なお、紅警視長の母親を誘拐した伊島 陞、甲森 英丈の2名は四国とは別事件扱いのため、ここでは該当しない。
田部井たちの証言によると、最初は仕事内容が誘拐だとは知らなかったそうだ。自分たちの個人情報の流出を恐れ、かつ金に困っていたため手を出した。3人は見ず知らずの他人で、誘拐事件の当日に知ったらしい。結局、金が振り込まれる前に警察に捕まった。指示役とのやりとりは飛ばし携帯と秘匿性のある海外製アプリで行っており、直接見たことはないと言っていた。自分達のスマホは、仕事に必要だと言われてインストールしたアプリ経由でハッキングされ、個人情報やカメラの映像から常時監視されることになったとのこと。
「四国の封鎖はいつ解放できる?」
「内調からもそれを言われているんですが、狸人たちが犯人を四国から逃がさないために仕組んだことらしく……。それと、犯人が仕掛けた爆弾を逆手に利用しており、解放すると再び狸人が封鎖に動くかと」
小渕警視正は警視総監が求める回答ができていないことを重々承知していながらも、そう言わざるを得ない。
「今が18時22分」
蓼聱牙警視総監は腕時計を見て、少し考えたあと
「商会の者を確保したと言ったな。すぐに犯人の所在を吐かせろ。今の状況が24時まで続くことはない。おそらく政府からも再度速やかな鎮圧を要求される。1時間以内に何が何でも犯人を確保しろ」
「……分かりました」
小渕警視正が返事をすると、丁度会議室の前に着いた。ノックしてドアノブに手を伸ばし、先に蓼聱牙警視総監を通す。
「これはこれは、蓼聱牙警視総監。数時間ぶりですね」
会議室にいたのは、京内内閣情報官と紅警視長。京内内閣情報官は、パイプ椅子に腰掛け、紅警視長と対面していた。何かを話していたのだろうか。紅警視長は蓼聱牙警視総監に対して、黙ってお辞儀をした。一方、京内内閣情報官は扇子を閉じ、
「四国の事件ですが、そろそろ決着を」
「四国の各県警と警視庁が全力を挙げて」
「お分かりだと思いますが、そういう形式的な回答ではなく……」
京内内閣情報官は腕時計で時間を確認すると
「粂官房長の記者会見を21時から予定しています。それまでに終止符を。これ以上四国を封鎖し続けることによる、経済的なダメージや政治にも影響が出るのは目に見えて明らか。テレビを付ければこの事件ばかりですよ。腹の探り合いや取り引きなんてしないで、ハッキリ言っていただけますか? 実際、どうなんですか?」
「……八万十ダム建設に関わっていた人物が相当数いる。確か八万十ダムは国も支援していたよな?」
「それは……」
京内内閣情報官もこんなところで油を売っている暇などなく、本来忙しいはずだ。寧ろその忙しさから逃げるためにここに来ているのかもしれない。
「ただし、今回の事件はその中で暴走している遠賀 里一という男が招いた。どうやら、解体したはずの無雁屋仁組の残党による手引きもあったそうだ。長谷警部補が写真とともに入手した情報から、男の名は三入 将猶。無雁屋仁組の残党と思われる。さらに、高知龍馬空港で小型飛行機が炎上したとき、その空港で被害者を連れていたそうだ。高知県警の捜査により、カメラの映像から写真の人物と同一である。さらに、椋本 伊鞠の供述で三入は肥前村の誘拐事件の実行犯と判明した。共犯の櫧荃 立夜と無雁屋仁組との関係は今のところ出ていない。伊鞠は櫧荃 立夜に自分と同じ境遇だのと唆され、同行することになったそうだ。伊鞠によると、三入は”ラムネのようなもの”を沢山持っていたと言っていた。つまり、三入は覚醒剤を所有している。遠賀は土佐島の誘拐事件で孫と妻、さらに会社の社運を賭けた八万十ダム建設どころか、反社との関係発覚により会社までも失ったとはいえ、こんな事件を起こすだろうか。三入と接触している場合、この事件は覚醒剤の使用によって引き起こされたことも考えられる。遠賀電工電気商会の社員が特課と徳島県警により確保され、現在治療と平行して聴取を行っている。狸人の矛先が遠賀であるのならば、社員からの証言により事件の区切りは間もなくかと」
「要は、遠賀を確保すれば今の封鎖は解除できると? 残党の三入にも矛先が向いている可能性は?」
「三入は高知県警が空港からの足取りを追っており、目的地は中止になった八万十ダムの建設現場ではないかと推察され」
「行き先が分かっているのであれば、もう封鎖を続ける必要は」
「遠賀の所在だけは、社員が知っていない限り、行方を掴めていまない」
京内内閣情報官と蓼聱牙警視総監だけが会話しており、小渕警視正は紅警視長に近づいて
「湖舞さんは病院で検査を行い、特に異常はないそうです。念のため、数日は入院して様子見となりました」
「ありがとう。……倉知のところの巡査も家族が無事に救出できたそうだな」
「えぇ、無事ではあるんですが……」
小渕警視正は少し暗い顔をして
「弟妹のうち、遙華さんが昏睡状態のまま目を覚まさないそうで……。もしかすると、怪奇薬品かもしれないと何人かが……」
「それを巡査は?」
小渕警視正は首を横に振り、「本人は……。しかし、勘付いているかと」
「倉知は何と?」
「佐倉巡査との直接の会話はまだ」
*
高知県土伊佐村。八万十ダムの建設に関する看板とバリケードがまだ残っているが、木々の根や葉、蔦によって覆われている。ゲリラ豪雨により地面は泥濘み、傘が必要ない程度に雨が降っている。
関係者以外立ち入り禁止の看板は斜めになっており、荒廃した場所と表現すれば良いだろうか。当時、工事は調査まで行っていたため、ショベルカーなどの重機やダンプカー、乗用車も放置されている。撤去には莫大な費用がかかり、その費用負担を八万十ダムの建設に関わった会社に要求したが、いずれもダム建設に投資していたため現物はなく、費用は回収できていない。土伊佐村としても、税収は少なく国に助けを求めたが金額は全く足りなかったらしい。
「ここは私達のテリトリー。帰って」
そう言って壊れたフェンスの前に現れたのは、1人の女性。懐中電灯で照らす限り、他に仲間はいないようだ。鬱蒼と生い茂った森の向こうまでは見通せない。
「四国から逃がすつもりがない以上、ここに来るしかないと思ったが」
対面するのは黒い服を着た男。
「三入、あんたが全部やったの?!」
「先に計画を潰したのは、君らだろ。組織を全壊できなかったからには、こうなることは分かっていただろう。報復されると」
「今更ここで何をするつもり? 明日の朝には記事が出る」
「興味深い。ここで君を葬っても記事は出ると。さて、その切り札はどんな記事だい? そんな記事1つでなんとかなると?」
男は余裕を見せて煙草に火を付ける。記者である狸人の女性は手の内を全て明かすわけには行かず、かつ相手のペースを握られるわけにもいかない。一呼吸して
「当初、あんたは無雁屋仁組のメンバーの解放を警察に求めるつもりだった」
三入は黙っており、鬱蒼と生い茂る森に向かって、吸い込んだ煙を吐く。
「警察関係者を誘拐したのはそれが理由だったはず。でも、想定よりも警察が早く人質を救出した。さらに、手駒のメンツは逮捕された。自分がかつて実行犯として従事した連続誘拐犯を模していたが、その計画は破綻した。狸人に仕掛けた絡繰りも、逆に利用されて四国から出られなくなった。何度も何度も計画を変更せざるを得なかったあんたは、ついに持っていた駒を捨てた」
To be continued…
毎週更新が途切れて2週スキップになってしまいましたが、警視庁トップの会話から再開です。あと、本編がいつもよりちょっと長いです。
名前が多く出てくるのと、これまでの事件の確認もあり時間がかかってしまいましたね。他にも要因はありますが。
さて、本編では遙華の様子が心配され、四国の玄関口の解放が急がれる状況。犯人グループの三入と対峙するある人物。まだ話数がかかりそうですね。
さて、次回の更新は明日22時を予定しています。2週間分スキップしたので書き上がり次第更新します。
2025/6/7追記。1箇所だけ"櫧"の字が違ったので修正しました。




