第276話 喪神薬
爆風と破片はSITの隊員たちによる防護盾により、ある程度緩和されただろうか。風圧により、多くの人がその場に倒れた。
「センサーは?!」
消防隊員は、すぐに身につけたセンサーを見る。二酸化炭素濃度と一酸化炭素濃度超過を知らせるアラートは鳴っていないため、ひとまずは大丈夫だろう。
倒れ込んだ悠夏は、咳き込みながら体を起こす。電気は消えて暗い。スマホのライトで周囲を照らして、爆風で離れた遙真の手をもう一度握る。握った手も服も汚れ、周囲は煙が舞っており、思わず咳き込む。悠夏は自分よりも2人を心配し
「遙真、遙華。大丈夫?」
声をかけると、遙真は「なんとか」と咳き込みながらも答えた。「急ごう」と、悠夏が遙真を起こすのに手助けしていると、少しひんやりとした水が足元に流れてくる。
「水……?」
悠夏がスマホのライトで周囲を確認する。水が流れてきている。さらに、奥の方にいるSITの隊員が懐中電灯で壁際を照らして
「マズい、壁から水が漏れ出しています!」
火災、爆発に続き、今度は川の水が流れ込もうとしている。警察無線で想定はしていたが、本当にそうなるとは。
「全員待避! 同時に人数確認」
先程の爆発で全員が無傷ということはない。瓦礫に体が挟まれるといった規模の崩落は発生していない。負傷した隊員に肩を貸し、できる限り早くこの場から去る。壁はボロボロと崩れ落ち、水位が上昇する。水位はすぐに踝の高さとなり、シャッターまで約50メートル。シャッターの近くまで行くと、水位は太ももくらいまで上がってきた。
爆発と水で体力を奪われつつも、急いで地下5階へと上がる。
「警部は?!」
悠夏は警察無線で確認を取ろうとしたが、インカムが無い。爆発後に倒れた際、どこかに外れてしまったのだろう。すぐ横にいた消防隊員に
「警部を見かけませんでしたか?」
「警察のロボットの? 見てないですね……」
もしもあの水で漏電などが起これば……。
「悠夏姉……」
遙真の気力が落ち、握っていた手が緩む。すぐに倒れそうになる遙真を支え、
「遙真?! しっかりして」
「ここにきて疲弊が……」
虚ろになる遙真を見ると、ここに置いて戻ることはできない。地下6階へと繋がるスロープの方を見ると、誰か1人出てきた。
「宮倉さん」
「佐倉巡査。早く待避を。……遙真くんは?」
SITの宮倉警部補は、体調が悪い遙真の心配をする。
「かなり心がすり減ったみたいで」
誘拐されて尚も1人で遙華たちを守ろうと必死に行動していた。心身共に疲弊するのは考えれば当然だ。
「そうか。今、消防隊に声をかける」
「それと、警部を見かけませんでしたか?」
「いや……。しかし、地下6階にはいなかった。警察無線は?」
「それが爆発のときに紛失して」
「スマホは?」
「電源が入らないみたいで」
水没や衝撃で壊れたわけではなさそうだが、ディスプレイは真っ暗だ。バッテリーもある程度あった。
「こっちもいくつか電子機器がお釈迦になった。電磁波爆弾が混ざっていたかもな」
電磁波爆弾とは、電磁パルスにより電子機器に対して損傷や破壊を行う爆弾である。人体に影響はないそうだが。
「それって、益々、警部が心配で」
「地下6階は隈無く探した。先に避難したのかもしれない。すぐに水が来ることはないとは思うが、周囲の川や堀よりもここは低い。地下水の可能性もあるが、すぐに地下4階へ向かった方が良い。連絡もしないと」
「……分かりました」
遙真と遙華は消防隊員に背負われ、地下4階へ。地下4階ではSITの隊員が負傷者と安否確認を行い、消防隊員が負傷者に対して手当を行っていた。遙真と遙華もここで一度横になる。
「佐倉巡査、無事でよかったです。警察無線で応答がなかったので」
目の前に現れたのは、無事かどうか心配していた鐃警だ。
「警部も無事で良かった……」
「消防隊員のホースがシャッターに引っ掛かったらしく、それを聞いて引き返したんですよ。引っ掛かっても十分距離は足りたみたいですけど」
「あの場にいたら、私のスマホみたいに壊れたかもって」
「どういう意味ですか? ああ、水没で」
「いえ、爆発時に電磁波が発生したみたいで」
悠夏の報告は、鐃警が警察無線ですぐに報告した。
捜査本部では、その報告で1人の捜査員が挙手し
「電磁波……。東雲警部が巻き込まれた爆発も電磁波が発生していたみたいです」
「どういうことだ?」
情報は警察無線ですぐに共有される。同時に警視庁刑事部捜査一課への問い合わせでもある。ただ東雲警部は治療中のため、回答するのは現場の捜査を担当した徳島県警の捜査員である。海老ヶ池巡査長が無線越しで報告する。
「鴻原参考人が乗車しようとした偽造ナンバーの車のトランクに、強力な電磁波の装置を搭載していたようです。本件との関連性は不明ですが、鴻原はその装置で違法な電波を発していたのではないかと考えられます。県内で度々報告されている違法電波による電話通信障害の被疑者ではないかと考えて捜査中です」
どうやら別件かもしれないとのことだ。しかし、車が爆発した理由は分からない。
鐃警が警察無線の内容を復唱して悠夏に伝達していたが、それ以降捜査本部の会話になったため、復唱はやめた。
「それで、佐倉巡査のご弟妹は」
「遙真は疲れで気力がもうないみたいだけど」
「悠夏姉……」
悠夏の声が遙真に聞こえたみたいだ。
「寝てていいからね」
と悠夏が優しく言うと、遙真は首を横に振り
「一緒にいた子は?」
狸人の少女のことである。
「今応急処置を施してる。火傷を負ったけれど、呼吸はしてる」
実際は火傷だけではなく、流血もしているが全てを話して余計に心配させるよりも、今は遙真の気苦労を軽くしたいと考え、それだけ答えた。
「それと、遙華のことなんだけど……」
遙真は、今まで一度も遙華が起きなかったことを説明した。最初は起こしてパニックになるよりも寝ていた方が幸せだろうと思い、起こそうとしなかったが、その後も全く起きる気配がなく、体を揺らしたり軽く肩を叩いたりしたが、それでも起きることはなかった。
「誘拐されるとき、なんかの薬品を嗅がされて、自分はあまり嗅がないようにしたけど、遙華はそんなことできなかったし……」
「遙真くんは、それが怪しいと?」
鐃警が割り込んで、なぜ最初に嗅がされた薬品が怪しいと感じたのかと訊く。
「嗅いですぐに意識がなくなるものなんてないだろうし。そんなものがあったら、不眠症なんてないだろうし」
「その考えは理解しました。誘拐されたあとに、何か摂取した可能性は?」
要は、例えば誘拐後に、注射などで意識がすぐに戻らないようにした可能性は考えなかったのか、と。
「それなら、どっちも起きないだろうし」
「ご尤も」
他の可能性は色々と後から考えればいい。今は遙真の直感を尊重する。
「佐倉巡査。遙華さんは」
「全部言わなくていいです……」
悠夏は鐃警を止め、遙真の前で不確かな存在である”喪神薬”の可能性について言及してほしくなかった。自分も家族のことなら相当無茶をするけれど、遙真も同じだ。今回の事件でもかなり危ない橋を何度も渡っている。ここで遙華のことについて色々言うのは得策ではない。遙真のことだから、そのうちどこかで情報を得るとは思うけれど……
To be continued…
遙真と遙華を無事に救出。狸人の少女は重傷ながら一命を取り留めたようです。
地下の話の流れで、数話前にクトゥルフ神話で例えましたが、異形なモノはどちらかというとThe Backroomsだった気も今更ながら思ってます。ただ劇中は2019年でバックルームの発祥が2019年らしいので、一番言いそうな鐃警や悠夏に言わせなかったということで。
さて、現在地下4階。次回は地上へ脱出し、主犯の捜索が始まります。




