第271話 非常階段
徳島県徳島市。演舞場では、次々と連が阿波踊りを披露する。不参加を表明した連もあれば、参加しているが人数の減った連もある。
徳島本町交差点。国道192号線の終点、国道439号線と国道318号線の始点、国道11号線と国道28号線と県道29号線の交点である。横断歩道橋がぐるりと交差点を周回するように設置され、四国内で最大の渋滞ポイントであった。サイレンを鳴らすパトカーが徳島本町交差点を北方面から西へと右折するとすぐ、徳島中央署近くの路肩に停車する。
助手席から榊原警部、後部座席から藍川巡査が降車し、SITが突入している現場へと急ぐ。
徳島駅はかつて地上だけのホームだったが、リニア四国横断新幹線開通に伴い地下ホームが新造された。その建造の際、経路上に存在した地下駐車場を閉鎖する必要があった。その地下駐車場が、徳島駅地下駐車場である。一部封鎖および取り壊しが行われており、一般の人間は入れないはずなのだが……。
捜査本部では、突入作戦と同時進行で管理会社について調べていた。かつては、封鎖する前は全日本旅客鉄道東京株式会社が管理運営を行っていた。リニア工事の際、残った部分を徳島市へ委任し、徳島市から民営のメンテナンス会社へ管理を委託した。そのメンテナンス会社が問題だった。問い合わせしたところ、さらに委託先があり、3社に渡って委託しており、末端の会社は人手不足で管理が杜撰だった。市への定期的な報告内容に虚偽が含まれていた可能性が考えられ、これはこれで別件の捜査対象になるだろう。そのあたりは徳島県警と徳島市に任せるとして、地下駐車場に突入したSITと悠夏を追い、榊原警部と藍川巡査も地下駐車場の非常扉へ。インカムである程度の状況は把握しているつもりだ。
旧徳島駅地下駐車場は、地下6階構造。各階におよそ80台が停車でき、収容台数は約500台。地下6階と5階は工事で縮小され、現在は20台ほどが収容可能な広さだろうか。
捜査本部では、印字された地下駐車場内の設計図を広げ、SITからの報告をペンで書き込む。
非常階段は3回折り返すと1階分で、ざっくり40段くらいだろう。先程聞こえた男女の声は、地下2階と地下3階あたりからだろうか。先導はSITの隊長である宮倉警部補に任せて、悠夏は隊員たちに紛れて下りていく。
ドーンと、何かが衝突するような音。おおよそ日常生活では聞かない音が非常階段に響く。
「なんだ?!」
宮倉警部補が足を止め、捜査本部からは「どうした? 報告しろ」と状況説明を促す。悠夏が隊員の隙間を縫うように階段を下りると
(怪物……?)
そう思ったが、なんて表現すべきだろうか。異形なモノだ。異形なモノは腕と思われるようなモノで男性の首を掴み、ゆっくりとこちらを見る。いや、そいつに目らしきものはない。
「佐倉巡査?」
鐃警の呼びかけに悠夏は我に返り、
「……クトゥルフ神話に出てきそうな異形なモノが」
「つまり、SAN値チェックしますか?」
「警部……、そんな冗談を言っている暇は」
SAN値チェックとは、TRPGという複数人で会話しながらプレイするロールプレイングゲームの用語である。TRPGは、紙やサイコロなどの道具を用いて、人間同士の会話とルールに従って進める対話型のゲームである。その中で、特にクトゥルフ神話を題材としたゲームで、プレイヤーの正気度や精神力を示す値がSAN値と呼ばれる。今回のように、プレイヤーが正気を失うような出来事に直面したとき、サイコロを振り、正気度のステータス変化を判断する。正気度が減ると、行動不能や自暴自棄などのマイナスな状態が付与されることが多い。
なお、クトゥルフ神話は20世紀にアメリカの作家が書いたホラー小説を基に広がった架空の神話である。
踊り場で横たわっている女性と、捕まっている男性について顔がはっきりと分からない。突入直後に声を聞いたことから、まだ生きていると思われるが……
「あなたは狸人ですか?! 我々は警察です」
悠夏が叫ぶと、異形なモノは男を持ったままこちらへ少しずつ近づく。インカムでは「発砲許可は?」というSITの隊員が確認する会話が聞こえてくる。しかし、そう簡単に発砲は許諾されない。
「宮倉警部補……」
「佐倉巡査、どうしました?」
「かなりマズいかもしれないです……。狸人ではないかも……」
「総員待避!」
防護盾を構えながら、後方の隊員から階段を戻る。すると、異形なモノは第二、第三の腕というか触手のようなものを鞭のように操り、階段のコンクリートを叩く。すると、コンクリートにヒビが入る。地下ということもあり、ある程度頑丈に造られている。1発では崩れないだろう。1発では。つまりは、何回も攻撃されると崩れるだろう。
まるで海外のアクション映画のようだ。しかし、CGや特殊メイクなどによる加工ではない。異形なモノが実在する。しかも好戦的で、会話などできそうにない。
「このままだと、奴が街中に出るぞ! 本部、緊急手配要求。規制線を」
「こちら捜査本部、すでに地上の捜査員により周囲500メートルを封鎖」
「たった500?!」
思わず悠夏が声に出したが、それは聞いていた誰しもが感じたことだ。規制の距離にしてはまだ短いだろう。
過去に似たような事柄……五月雨島のことを思い出した悠夏は
「自衛隊は?!」
五月雨島で発生した有事の際は、SITとSATのほかに自衛隊が事前に待機していた。村長が災害派遣要請を出し、活動を行った。
異形なモノの攻撃は強く、防護盾を構える隊員が崩れる。公務執行妨害で逮捕といきたいが、相手は人ではない。良心を微塵も感じない。応戦するにはどうすればいい? 地下駐車場の非常階段につき、火気の使用は考えられない。火がダメならば……。
インカムから
「こちら徳島市消防署。合図により開栓準備完了」
「こちら榊原。鐃警と消防隊員が非常階段に突入。SITおよび佐倉巡査に合流後、合図によりガイシャに対して放水を開始する」
数分前に榊原警部と藍川巡査が現着していたのだ。非常扉の前に着いたところで、インカムから異形なモノについての情報を耳にした。すぐ近くの消火栓が目に入り、榊原警部はすぐにホースを取り出す。藍川巡査が消防署に連絡を取り、その最中に交番から駆けつけた鐃警が到着。そこからは突入まで早かった。
「クトゥルフ神話の敵って、水は効果あるんですか?」
インカムはオフの状態で、藍川巡査が呟くと榊原警部は
「さぁな。知ってても知ってなくても、ネタバレだから言えないな」
「榊原警部も知らないんですね」
クトゥルフ神話の作品やTRPGなどのネタバレになるかどうかの論争はどうでもいいので打ち切り、ホースを持った鐃警と消防士が階段を下る。ホースはなんとか足りそうだ。
「佐倉巡査!」
鐃警が叫ぶと、SITと悠夏が道をつくって、鐃警が階段を駆け下り
「放水開始!」
叫ぶとほぼ同時に「開栓!」と言う声がインカムから伝わる。すると、勢いよくホースから水が放たれて異形なモノを直撃する。異形なモノが後退し、ヒビの入った壁に倒れ込む。
「救出!」
SITと消防隊員が急いで男性と女性を担いで、階段を上る。
「警部、全員上の階へ」
「分かってます。こんなの一時凌ぎにないので、佐倉巡査も早く避難を」
異形なモノが水圧に抗い、触手を鐃警へと伸ばす……
To be continued…
異形なモノと邂逅する悠夏たち。
本作品は流血描写をしないので、そこまで負傷に関する説明はしないのですが、2人とも大怪我を負ってそうです。意識不明の重体でしょうか。
異形なモノは狸人によるものか、それとも全く別のものか。
遙真や遙華たちの救出前に、異形なモノを取り押さえなければ、街に危機が訪れそうです……




