第270話 不択手段
不択手段。目標のためには、手段に制限なく行動することを言い、大抵の場合は悪い方法を採るときに使われる言葉だろう。
どこかの駐車場。息を切らしながら走り、非常階段の重い扉を開けて、もう一人の女性に”急げ”と声を出さずに手振りする。
「なんなんだよ……あいつら」
「どうすんの、下条さん。もう警察に駆け込んだ方が安全なんじゃないの?!」
「それをすれば、死人が出るんだぞ」
「でもこのままだと私達が先に」
すると扉がバンと音を立てる。誰かが体当たりしたような音だ。
「摩季ちゃん、逃げるよ」
下条は三井に手を差し伸べて非常階段を駆け上がる。2人とも手は汚れ、頬や腕に擦り傷がある。逃げるのに必死で、どこかで擦ったのだろう。階段を上ると、先程のドアが開く。扉の先から現れたのは、人間でも狸でも無く異形な姿をした4足歩行の怪物である。まるでゲームや映画の世界に出てくるような無形なモノ。2人はそれから逃げているのだ。
徳島市内の交番。別室の長椅子で横になる狐塚 茉未。交番に駆け込んでから、一気に話すと意識を失ってしまった。緊張の糸が切れたのか、それとも伝えることを気力にここまで来たのだろうか。彼女は眠っている。安心してなのか、蓄積した疲労からだろうか。病気ではないので、そのまま安静にさせている。彼女を見守る女性巡査、上角谷巡査は冷やしたタオルを交換する。
羽山巡査が戻ってくると
「阿波踊りが始まったよ。どう? 様子は?」
「たまに魘されているみたいな表情を見せるけど、特には。上層部に言われて、声をかけてみたけど特に起きる気配はないし……」
と話していると「うーん」と言いながら、狐塚が背伸びする。
「ここは……」
「安心して。あなたが駆け込んできた交番だから」
上角谷巡査がやさしく声をかけると、狐塚は安心した表情と心配事がまだ拭えない不安な表情が混じる。
「落ち着いてからでいいから、もう一度話してもらえるかな。あなたの言葉で」
狐塚は「うん」と言い、深呼吸してから話し出す。すると、丁度浅原巡査が特課の鐃警とともに戻ってきた。羽山巡査と目が合い、「調書は私が」と話し相手は2人に任せて、戻ってきて早々調書の準備をする。鐃警は挨拶する暇も無く、その場で見届けることに。
「男が村を訪れて、大人達や私の仲間を連れていって」
これは羽山巡査がすでに聞いた話だ。
「だから、みんなを探しにここに来て……。でも、誰も口をきいてもらえなくて……」
「遮るようで申し訳ないんですが」
と鐃警が前置きしつつ、さらに浅原巡査と羽山巡査に「警視庁特課です」と一言だけ説明し
「狐塚さんはみんなを識別できるんですか?」
「うん」
「なるほど。ではもうひとつ。自分の意志で変化するときと、変化が解けてしまうときに、違いはありますか?」
「ない……と思う」
「では、変化する瞬間を人に見られてはいけない、とか」
「それは人間に見つかるとよくないからって、お父さん達が言ってた」
「単刀直入に聞きますが」
「”たんとうちょくにゅう”って何?」
狐塚に聞かれて、自分のリズムを崩される鐃警。ちょっと格好付けていたので
「気にしなくて大丈夫です。あとでやさしい巡査の方々が教えてくれますよ。それで、変化を見られると体が燃えることってありますか?」
「燃える? どうして?」
「やっぱり……」
鐃警が狐塚に質問しているのは狸火に関しての情報である。現在、変化する瞬間を人間が目撃することで狸火が起きるとされている。それは金長狸の証言からも一致していた。
「資料を見返していて気付いたんですが、羽山巡査は狐塚さんの変化を目撃したんですよね?」
羽山巡査が狐塚から話を聞いていたときのことだ。狐塚から白い煙が姿を隠し、煙がすぐに晴れると、まるで狸を擬人化したかのような狸っぽい人間が目の前に現れた。頭の上には、葉っぱが載っかっていた。
「絵本で出てきそうな変化でしたよ。煙がもくもくと」
鐃警は間をおかずに自分の考えを述べる。
「捜査本部でも気付いた捜査官はいるかもしれませんが、煙が体を覆っていたこともあり、直接変化を見ていないから狸火は発生しなかったと考えていました。ですが、狐塚さんの話からすると、狸火は虚偽情報。動けない金長狸もそれに乗っかるように虚言を吐いたようですが……」
鐃警はインカムで悠夏を呼びかけ
「佐倉巡査、聞こえますか?」
「はい。警部、どうしました?」
「今、狐塚さんと話をしまして。どうやら狸火は嘘のようです」
「狸火が……ですか?」
「人に見られてはいけないという掟はあっても、体から火が出ることはないそうです」
この会話を狐塚は黙って聞いている。何を言っているのだろうという表情をしており、狸火の考え方を変えなければならない。
唐突の新情報に、反応がすぐ返ってこない。おそらく悠夏は咀嚼に時間がかかっているようだ。
「金長狸がブラフを?」
「それは本人から確認するとして、捜査本部へ依頼。金長狸へ狸火について確認願う」
「捜査本部、了解。金長狸とはあと10分ほどで通話可能とのこと」
「特課、了解」
鐃警が返事し、今度は悠夏から
「こちら旧駅地下駐車場入口。正面の出入口はコンクリートで閉鎖されています。もう一方の入口はシャッターが閉まっており開きません。非常階段は施錠をしており、解錠待ちです」
悠夏の報告に捜査本部から「了解」とだけ返事が来た。もしこの中にいるのなら、早く突入して救出したい。
「こちら捜査本部。地下駐への入口は、破壊して突入可能とのこと。SITが待機中の中央警察署から向かっている」
「特課、佐倉。了解しました」
徳島県警の特殊部隊SITが向かっているのであれば、ここは待つしか無い。
「……警部は狸火がいつから嘘だと?」
「資料を見返していたところ、羽山巡査の前で狐塚さんが化けたという記載がありました。車の中で佐倉巡査の考えを聞いていたときですね。確証はなにもなかったので、唐突な報告になりましたが」
「こちら捜査本部。羽山巡査、聞こえていたら報告の件について報告を」
「羽山巡査は狐塚さんと会話しているので、代理で答えますと、榊原警部たちが見た狸火の発生の仕方と、羽山巡査の前で変化したときには違いがありました。煙があるかないか。だから、他の捜査員も、煙で見えないから狸火は起きなかったと思い込んでいたのかと。いずれにせよ、金長狸に肯定された情報だったため、それ以上は誰も疑わなかったでしょう。それに金長狸以外の狸人で聞ける人は限られてますし……」
ちなみに、秋田の狸人である高六科 臣音さんは現在病院で異常が無いか診断中である。
「こちらSIT。旧駅地下駐車場入口に到着し、佐倉巡査と合流。これより扉を解錠する」
インカムは共用のため、会話が混じる。少なくとも通常の会話をする場ではない。SITが手早く扉を解錠し、ドアを開く。すると、地下のほうから女性の悲鳴があがる。
「突入!」
SITの隊員に混じって、悠夏も地下への階段を下る。男性の「近寄るな!」や女性の「やめて」という声が響いて聞こえる。大勢が階段を駆け下りているため、この音は相手にも届くはずだ。一体何が起こっているのだろうか……
To be continued…
狸火は人に変化を見られたときに起こるという条件が崩壊。嘘だったという。狐塚が子どもだから知らないという仮定もあるが、第230話で彼女は羽山巡査の目の前で変化している。煙で姿が隠れたという情報により、直接姿が見えないからと思い込んでいたということだろう。
さて、悠夏たちがついに犯人らに接触か。犯人を襲う異形なモノの正体とは……
なお駅地下駐車場についての説明は次回です。




