第26話 開発チーム
藍川巡査は、次に被害者である杉戸さんの人柄について訊くことに
「杉戸さんは、会社ではどのような人だったんでしょうか?」
今度は、女性の野方主事が少し小さな声で話し始めた。
「主任とは、5年前の『リデラル・ジェル』で、同じ開発チームになりました。当時から、プロジェクトリーダーのような熱い人で、自分の工程が遅れ気味になると、すぐに手助けいただき、感謝しかありません」
『リデラル・ジェル』は、当時週刊少年誌で連載していた同名の漫画を原作としたソーシャルゲームである。ゲームの正式名称はサブタイトルが付き、『リデラル・ジェル ~ディノラルアイランド冒険譚~』である。元々は別のゲーム会社が開発していたが、大幅に工期が遅れ、開発費も膨れ、開発困難になった。しかし、そのプロジェクトをリアーリャ・チバティルが引き受けて、半年でリリースに至った。リリース時、運営は別会社に移管して、原作漫画が完結する(厳密には打ち切り)まで、サービスが続いた。
「同じ開発チームで、『咆哮2』というVRゲームの開発を行い、杉戸主任がメインプログラマーに選任されました。当時も変わらず、手厚くフォローくださり、私も一生懸命、頑張ることができました」
『咆哮2』は、一風変わったホラーゲームである。前作は別の倒産したゲーム会社が開発しており、版権を買い取ったリアーリャ・チバティルが続編を開発した。なお、開発期間は2年間らしい。ホラーゲームの舞台は、前作と同じく動物園である。ストーリーについては、事件と関係ないので省略する。
「『狭霧の鍵』は、杉戸主任のアイデアで開発を始めたゲームです。プロジェクトリーダーであり、原作者として、張り切っていたのですが……」
野方主事は、次第に涙声になる。
少し間を置き、川喜多巡査がゲーム開発について気になったことを訊いてみる
「ゲーム開発って、どのように行うんですか?」
この質問は、落合専任課長が答える。
「プロデューサーやディレクターって言われる人がいるんですが、弊社ではプロジェクトリーダーって呼んでます。IT企業で働いていたころの名残ですかね。営業部門もありますよ。3人ですが。オリジナルゲームの開発は、常務や社長、指名された社員数名の前でプレゼンをして、その評価の結果から決まります。『狭霧の鍵』は、杉戸主任がプレゼンをして、開発が決まりました。先ほど話に出た『リデラル・ジェル』は、営業が取ってきた仕事ですね。開発体制は、外注を含まない場合は、開発統括部がプログラマーですね。シナリオやイベントの担当、プランナーは、戦略本部の人がそれぞれ行います。キャラクターやオブジェクトのデザインは、設計部が担当しています。音楽は音響開発部。マーケティングは、営業部が中心で行い、完成前の試験は、品質管理部が行います。それぞれの部門が独立して動くことができ、一部の部門が外注さんに置き換わることもありますね」
ご丁寧に説明していただいたが、藍川巡査と川喜多巡査はあんまり理解していないようだ。一先ず、
「やっぱり、どのお仕事も大変なんですね」
と、適当な相槌を返した。さて、本題に戻り
「最近の杉戸さんの様子とか、変わったことはないですか?」
「変わったことですか……。思いつくことなら、新婚で家族優先になったぐらいですかね」
と、落合専任課長が答えた。付き合っていた期間は3年で、入籍したのは昨年の暮れだった。
「実は、杉戸さんの赤ちゃん、産まれてすぐに亡くなったんですよ……」
「責任は、私達にもあります……。『狭霧の鍵』の最終工程で、杉戸主任はなかなか帰れず、不幸な事故があったんです……」
「事故、ですか?」
と、藍川巡査は警察手帳にメモする。事件に関係あるか分からないが、重要なことだろう。
落合専任課長は申し訳なさそうに、
「杉戸さんの奥さんが、疲労により、赤ちゃんを抱えて階段から落ち、病院に搬送されましたが、赤ちゃんは打ち所が悪く……」
「杉戸主任が育休の予定をキャンセルしなければ……。原因は、最終工程で深刻なバグが見つかって、リリースを延期するかという瀬戸際になって……」
「杉戸さんは自分の責任だというだけで、でも、我々にも杉戸さんに頼りすぎていた原因がありました……」
どうやら、杉戸さんが夜遅くまで帰宅できず、妻の三荷さんが疲労困憊により、階段で足を滑らしたそうだ。不慮の事故とは言え、責任を感じるのも無理はないだろう。
「それからは、仕事よりも家族を優先するようになりました。我々も、それを願ってましたし、以降は社員の休暇をキャンセルさせないという、暗黙の了解が浸透しました」
傍から見れば、当たり前かもしれないが、その当たり前が出来ない現場は数多くあるだろう。警察だと、休暇のキャンセルなどよくあると、藍川巡査はそう思い、深掘りはしなかった。それに、働き方改革で最近色々と言われているので……。
その後も、いくつか質問をして、事件当時のアリバイについても確認したが、ふたりともサーバーのメンテナンスで仕事中だったらしい。
「メンテナンスって、何をされていたんですか?」
川喜多巡査が仕事内容を訊くと、落合専任課長は簡単な説明として、
「サーバー強化ですね。『狭霧の鍵』で、リソースを多く使うので、もうひとつレンタルサーバーを準備して、稼働テストをしてました」
「リソース……?」
聞き慣れない言葉に、川喜多巡査が首を傾げると、
「アクセスが多くなると、コンピューターの人手が足りないので、その人手を増員するイメージですね。実際は、仮想領域の……って、言っても分からないですよね」
藍川巡査も苦笑いして、「申し訳ないです。幾分、コンピューターの知識には疎くて……」と言い、続けて
「実際の作業はどちらで?」
「ここです」
と、野方さんは、後ろの壁向こうにある事務所を指差した。
「社内にあるんですか?」
「いえ、北陸地方にあるレンタルサーバー会社のサーバーを使用しています。セキュリティの関係で、サーバーの場所は一部の人しか知らないんですが、場所が分からなくても、VPNや固定IPアドレス、ドメインなんかで繋がるので……」
「はぁ……」
と、IT用語にはちんぷんかんぷんな藍川巡査。VPNは、バーチャルプライベートネットワークであり、インターネットを経由しつつも、専用のネットワークを拡張できる技術である。外部からアクセスできないようになっており、セキュリティ上、安全な経路を使ってデータのやりとりができる。
早い話が、中野区の事務所から、北陸地方にあるサーバーへ、まるで直接繋いでいるような環境を構築できるのだ。
ということで、まとめると
「つまり、お2人は事件当時、事務所でお仕事されていたんですね。……非常に申し訳ないのですが、それを証明できる方はいらっしゃいますか?」
「2人しかしませんでしたが、事務所の解錠と施錠の記録をセキュリティ会社に出してもらえれば、カメラの映像もありますし、それで証明できないでしょうか?」
「十分です。ご協力いただき、ありがとうございます」
聞き取りはこの辺りかなと、藍川巡査がメモした警察手帳のページを捲って聞き忘れが無いか確認していると、スマホが鳴る。
「失礼します」
藍川巡査は断ってから、会議室の壁際に移動して、スマホの画面を見る。電話がかかってきたのは、特課からだ。何か情報を得たのだろうか。藍川巡査は電話に出ると……
To be continued…
意外と部署名のところでどうしようか悩み、統括やら戦略、設計、品質管理など、結局普通にありそうな名前になりましたね。あと、IT用語がどんどん出てきますね。サーバー強化は大事ですよ。落合専任課長はサーバー強化の準備って言っているので、おそらくゲームのメンテナンスは行わず、独立した裏方作業のようですね。ちなみに、事件当夜は3月3日なので、日曜ですよ。お仕事大変だな。別に、稼働サーバーに影響ないなら、作業は平日でよくない? まぁいっか。あと、作中に出たゲームに関しては、考えるの楽しかったですね。