第210話 その手は救いの手か染める手か(前編)
事件当夜の備讃島。前面が凹み、フロントガラスに罅が入った軽トラック。軽トラックの中には梶村 賀佐が眠ったまま座っている。軽トラックの近くにいる片桐 才蔵と森山 芹は、黒い服で身を包み、手袋をしていた。
「持ち物は全部か?」
森山に言われ、片桐はもう一度、賀佐のズボンのポケットを漁る。
「問題ない」
「よし、やるぞ」
森山は軽トラックのシフトレバーをパーキングからドライブに変え、シフトレバーを上げる。すると、軽トラックはクリープ現象で進む。少し走れば、ほぼ直線の下り坂。下り坂で加速する軽トラックは、賀佐を乗せたまま下り坂のカーブを曲がることなく、崖から海へと真っ逆さまに落ちていく。カーブにガードレールはない。ドボンと海へと落ちた軽トラック。
片桐と森山は、すぐにその場から離れて、小型ボートで近隣の島へと移動する。
片桐と森山が現場をすぐ去ったため気付かなかったが、一部始終を目撃していた人物がいた。和彁月 羽里梛、8歳の少女だ。羽里梛は洞窟内の備讃村へと走る。洞窟の外で監視に当たっていた青年駲致 凉眞とその恋人の椦嶺 來裡が気付き、声をかける。
便宜上、ここでは日本語で会話内容を記す。実際に彼ら、彼女らが話しているのは外国語だ。
「羽里梛、慌ててどうした?」
凉眞と來裡は、羽里梛の身長に合わせて屈んで声をかける。羽里梛は泣いているようだ。
「賀佐さんが、誰かに車に乗せられて……」
凉眞と來裡は羽里梛な喋り方で危機感を抱き、真剣な表情で互いを見た。
「車に乗せられた?」
「うん……」
涙を流しつつも、受け答えは出来る。來裡は羽里梛の目を見て
「ゆっくりでもいいから、詳しく話してくれる?」
「知らない人たちが、車が……坂を走って、海に……」
それだけで2人は、賀佐が乗った車が何者かによって海に落とされたと理解した。
「凉眞はこのことを皆に知らせて」
「來裡は?!」
「あんた泳げないでしょ?」
來裡は羽里梛が走ってきた方向へ走る。凉眞は泳げない自分が今行くよりも、人を集める方が優先だと痛感する。
「どうしたの?」
騒ぎを知ったのか、偶然来たのかは分からないが、男の子が2人洞窟の中からやってきた。槞雀 桝谷と灼暃 行久である。彼らは羽里梛の1歳上だが、年齢が近いため一緒に遊んでいた。
「やっと見つけた! 羽里梛……?」
どうやら2人は羽里梛を探していたようだが、泣いている羽里梛を見た行久は
「凉眞が泣かせた!」
「おい待て! 違う……じゃなくて、緊急事態だ。2人とも、力を貸してくれ」
行久と桝谷は茶化そうとしたが、凉眞が真剣な表情をしていたため
「……なんだよ。そんな真剣な顔して」
「手の空いている大人に声をかけてくれ。賀佐さんが海に落とされた」
漆黒の海。來裡は海の見える場所まで来たが、肝心の車が見えない。すでに沈んで、地上から見るのは不可能だろうか。村での生活で暗闇はよくある存在だ。しかし、暗い海の中は分からない。海面を見ながら、海沿いを走ると光が見えた。
目映い光が海面からする。すぐに、それが車のライトではないかと思い、海へと飛び込む。
この島には車が1台だけある。それが今は海に落ちた軽トラックだ。そのため、島民は車のうち、軽トラックを知っている。
漆黒の海。海底まではそこまで距離がないとはいえ、それでも12~15メートルくらいだろうか。少しでも沖合へと進めば、深さは30メートルを優に超える。來裡が軽トラックまで近づくと、車内には賀佐の姿が。シートベルトを締めているが、頭の方にぎりぎり空気がある。來裡がドアを開けようとするが、車内と海底の水圧に違いがあり、簡単には開かない。車種にもよるが、一般的には車内に水が5分の4くらいあれば扉が開くようになるらしい。
來裡が扉を必死に叩く。賀佐は起きる気配がない。このままだと息が続くかどうか分からない。來裡は一旦諦めて、息継ぎのために浮上する。
海面から來裡が顔を出すころには、車のヘッドライトが消灯した。しかし、そのライトを見た島民たちが集まっており
「來裡!」
凉眞が叫ぶと、來裡がこちらに気付き
「この下にいる! でも、扉が重くて開かない! たぶん、この深さだと私しかいけない!」
島民のうち潜水が出来る者は何人いるだろうか。宇根元 秋高から釣りや泳ぎを教わった者はいるが、潜水は教わっていない。賀佐から潜水に関する知識だけを教えてもらい、独学で会得した來裡ぐらいだ。賀佐は調べたことなら言えるが、実際にはできないから教えることはできなかった。
來裡は空気を吸い込み、潜水する。地上にいる大人達は、引き上げた後のフォローを行うため、薪を集めて焚き火の準備や水や食べ物を準備する。
「引き上げは少し東にある海岸からがいい」
「ロープや浮き輪、使えそうなものを準備!」
いろいろな指示が飛び交い、忙しなく動いている。消防の119番通報や海保の118番通報をしないのは、緊急通報を知らないからと電話がないからだ。
備讃島は洞窟内を除くと、どのキャリアの電波もカバーされている。電話機と通報の知識さえあれば、言葉の壁はあるが外部に助けを呼ぶことができたかもしれない。
賀佐は片桐たちによって盛られた薬品などにより、昏睡状態になっていた。ドアを叩く音が微かに聞こえ、目を覚ました。顔を動かそうとすると水が口に入る。しょっぱいため、海水だろうか。ボンヤリしており、目が覚めない。自分が絶体絶命であることなど理解できない。
來裡は必死にドアや窓を叩く。車内の水面がだんだん上がる。もう一度扉を開けるために力を加えると、水圧が同等になったのか扉が開く。同時に海水が車内に流れて、空気の泡が逃げるように上昇する。
賀佐は意識朦朧とするなか、シートベルトを外す。もしかすると無意識に近い行動だったかもしれない。ドアが開いたから、車を下りるのだと身体が思ったことで、自然とシートベルトを外す行動をしたのだろうか。
賀佐の体が少し浮く。來裡は賀佐を車の外へ出し、背中から抱きかかえて浮上する。海面では泳げる大人達が、浮上を今か今かと待っていた。
「よくやった、來裡!」
一番早く、そして大きく叫んだのは凉眞だ。海面まで辿り着いた來裡から、大人達が賀佐を抱え、來裡も肩を借りる。
砂浜まで移動すると、焚き火が用意してあったが、來裡は
「暑いからいい……」
と断って、砂浜で横になる。凉眞は器に入った水を運んできて
「水、持ってきたよ」
「ありがとう……、そこに置いといて」
「……もしかして、このままだと飲めない? ……口移ししようか」
凉眞の変な知識による御節介。來裡は「バカじゃ無いの」と残る力で凉眞の頬を叩いた。
To be continued…
どうやら島民の名前には幽霊文字が使用されているようですね。"彁""駲""椦""槞""暃"が幽霊文字です。
JISに登録されている文字ですが、上記の文字は出典が不明らしいです。他の文字だと、昔の地名に使われていたとか。
ちなみにセリフはすべて日本語訳ということで、彼らは何らかの外国語で会話しています。
また本編と後書きが誤字ってる……




