第196話 現場周辺の環境
開園から1時間半。気温はどんどんと上がり、アスファルトやコンクリートから跳ね返る熱。スタッフは熱中症に注意しながら、アトラクションの近くでお客さんを待っている。夏休みにしては、入園者が少ない。
「お客さん、少ないですね」
設置したカメラの映像を見てもお客さんは疎らだ。悠夏の呟きが聞こえたのか、イベント企画課の板東は
「なかなか客足が伸びないどころか、年々遠のいていて……」
客足が遠のく理由として、人口減少や地方衰退など、遊園地やレジャー施設では解決できない問題やレジャーの多様化により、昔と比べて遊園地以外にも娯楽が増えた。そして、創業から歳月を重ね、設備の老朽化も問題になる。
地方のレジャー施設は、こうした問題だけではないだろうが、様々な事情から閉園を決断する施設もあった。閉園後は、新しい施設に変わるところもあれば、廃墟と化す施設もあるそうだ。
「遊園地に行くなら、千葉や大阪に行く人が多くて、遠方だから関係無いと思われがちですが、影響はありますし競争相手でもあります。ネームバリューや施設の規模から、真っ向勝負では勝てませんし、どういう経営戦略で今後生き残るか……」
「難しい問題ですね……。入園者数を増やすのなら、無料開放とかしているところもあるって聞いたことがありますが」
悠夏は板東の話に耳に傾けつつも、映像の監視を続ける。
「うちも定期的にやってるんですけどね。無料開放。それでもなかな結びつかないことがありますし……」
おそらく考え得ることはすでに試しているのだろう。アイデアがあれば、手助けできれば思うが、早々そんなアイデアは浮かばず、二番煎じになってしまう。
鯖瀬巡査は齧り付くようにモニターに近づいており、周りの声は聞こえていなさそうだ。ちなみに鐃警は車のエアコンで涼んでいた。
「少し、現場周辺を見てきますね」
悠夏は車から下りて、イベント会館の正面入口へと歩く。その様子は、カメラ越しで見えている。
(入口近くに現れる謎の少女……)
入口が面する通路の左右を見渡す。少し遠くを見ると、風景が揺らいでいるように見えた。"陽炎"という現象である。日射によって空気が不均一に熱せられたことにより、通過する光が屈折してゆらゆらと見えるそうだ。今日のように晴れて日光が強く、風の少ない日に見られる。
さらに、ゆらゆらするアスファルトの部分には水があるように見える。実際には水はないのだが、"逃げ水"という現象で、まるで水があるかのように見え、"地鏡"ともいうそうだ。
イベント会館の入口の天井には、次のイベントで使用する予定のプロジェクターが設置されている。水のカーテンに映像を投影するプロジェクションマッピングを行うそうだ。
視線を少し移動すると、イベント会館の入口とは別に、トイレが併設されている。同じ通りに面しており、昼過ぎには清掃スタッフが掃除を行うそうだ。その際、ホースを使用するそうで、ついでに”打ち水”も行っている。地面に巻いた打ち水は、水が蒸発する際に周囲の温度を少し下げる効果がある。他にも、土埃が舞うのを抑える効果もあるそうだ。
周囲を見渡すと、イベント会館の向かい側には、子ども向けの短いジェットコースターがある。坂を下る途中には、熱中症対策でミストを発生させている。たまに風が少し吹くと、こちらにミストが流れてくる。
通路の方を見ると、イベント会館を背にして右方向に目をやると、開園前は閉まっていたアイスクリーム屋がある。悠夏たちが座っていたパラソルテーブルがあり、丁度3人家族がソフトクリームを食べている。あの辺りは、風の通り道なのか少しだけ涼しく感じた。通路の反対方向を見ると、メインのジェットコースターや大観覧車、野外ステージなどがある方面。トイレのあたりが丁字路の突き当たりとなっており、トイレを背にして正面方向を見ると、急流すべりのアトラクションやゴーカートなどがある方面だ。
イベント会館のすぐ横にも通りがあり、そちらへ進むと、イベント会館の裏を流れる江川に出る。江川の上には、赤い迷路のような橋がある。直角に曲がって、丁字路になっており、道の先が行き止まりになっている場所もあれば、ぐるりと周回できる道もある。江川には鯉が泳いでおり、橋の上には餌やりの販売機が何台か設置されていた。橋を渡りきれば、お土産やゲームセンター、パターゴルフなどがある。
江川は名水百選に選定されており、湧き水が遊園地の西側にあり、夏は10度前後と冷たく、冬は20度前後と暖かい、異常水温らしい。江川は隣町まで流れており、最終的には吉野川へと流れ込む。遊園地の中を江川が流れていることで、川風が吹けば少し涼しいと感じる。おそらく、パラソルテーブルの近くが涼しかったのは、川風の影響かもしれない。
(周囲には水に関するものが多いけど……。陽炎や逃げ水があったとしても、やっぱり無理か……)
開園直前の3人しかいない捜査会議で議題には挙げた。でも、それらで少女の姿を見間違うかは言い切れないし、現実問題、再現可能なのかも分からない。物理学に詳しい専門家の意見を訊くべきだろうか。
ミストの発生装置が近くにあり、入口近くに水のカーテンを作る。そこに入口にあるプロジェクターで少女の姿を投影する。そんな方法はどうかと、鐃警が提唱したものの、プロジェクターの投影可能な明度の環境が適していないことがすぐに分かり、たとえ日陰だったとしても、投影する光が弱くて話にならない。
鯖瀬巡査は、それならば鏡で光を集約すれば強くなるのでは無いかという考えを述べたが、そんなことやって、本当になるのかが分からない。
イベント会館の中には、鏡以外にプリズムを使用して、複雑な光の反射を演出として使っている。プリズムでなんとかできないかという話も出たが、技術知識が乏しくて、それ以上話が進むことは無かった。
少女の姿については、やはり張り込むしかなさそうだ……。
一方、鏡に少女の姿が加工された件については、ウォータージェット加工が有力候補で、進展はまだない。鏡に少女の影を転写することはできないかと調べたところ、ハンドインクジェットプリンタというものがあることが分かった。とはいえ、真っ黒だからペンキでもできることだ。
おそらく犯人は、鏡をウォータージェット加工機で少女の姿に輪郭を彫り、中の鏡を砕いた。砕いた部分はガラスが張られている木の板が露出する。そこを黒く塗ったのだ。しかし、何故そんなことをする必要があったのだろうか。
その点については、捜査会議で鐃警が
「犯人にとって、なんらかのメッセージかもしれないですが、何も意味をもたないものかも。そこは議論しても答えは簡単にはでそうにないですよ」
結局、この事件の犯人像が見えない。
「犯人はなにがしたかったんでしょうか?」
悠夏の疑問に答えたのはやはり鐃警だった。
「犯行動機は様々です。衝動的なものやなんとなくやった、酔った勢いで……とかも、別に珍しいことではないですよ。偶然割って、少女の形にみえるだけかもしれないですし」
「それにしては、綺麗な割れ方ですよね……」
それ以外には、鏡をすり替えた可能性も考えられるが、鏡の木枠には番号が振られており、同じ番号のスタンプや管理番号のシールを複製することは容易くできやしないだろう。一応、頭の片隅には残しつつも、直近に出入りした業者から任意で聴取するしかあるまい。
To be continued…
遊園地のマップは実際とは異なります。フィクションですので。すでに閉園しているので資料も少ないですが……。さて、作中で説明のあったように、陽炎の中に逃げ水が発生するそうで、似たような現象で蜃気楼がありますが、陽炎と蜃気楼は発生条件や場所、見えるものが異なります。蜃気楼はより遠くの景色が地面から少し浮き上がったように見える現象とのことです。




