第193話 特課への協力依頼
2019年8月4日、日曜日。悠夏はキャリーバッグを開いて、東京に戻る準備をしていた。すると、白い猫のマシュがキャリーバッグの上に座り込み、悠夏の手が止まった。
「そこ、どいてもらえる?」
猫に言っても聞いてくれないだろうが、このまま鎮座されると帰り支度が出来ない。
「昨日着た服、持って帰る?」
母親の佳澄が天日干しで乾いたばかりの服を持ってくると
「今、作業が中断してる」
悠夏が見ているキャリーバッグの方を見ると、マシュが自分の居場所のように居座って、眠そうにしている。
「そのまま持って帰る?」
「このまま?」
「冗談よ」
佳澄はそう言って、圧縮袋に入った状態の衣服を悠夏に渡す。受けとったのはいいが、このままだと支度が終わらない。
「おやつ持ってこようかな」
台所にある猫用のおやつを取りに立ち上がると、
「さっきご飯食べたから、難しいと思うよ」
おやつによる作戦は難しいかもしれない。
「悠夏姉。スマホ鳴ってるよ」
遙真が悠夏のスマホを持ってやってきた。電話の着信音が鳴り続けている。
「遙真、ありがとう」
お礼を言って受けとると、画面には捜査一課と書かれている。警視庁刑事部捜査一課の内線からかかってきたみたいだ。
「もしもし、特課の佐倉です」
「休み中にすまない。長谷だ」
電話をかけてきたのは長谷警部補だ。
「徳島県警から特課宛てに電話があった」
「はい。しかし、なぜ長谷警部補が?」
特課の話ならば、倉知副総監か鐃警からかかってくると思われるのだが、なぜ捜査一課の警部補からかかってきたのだろうか。
「鐃警はメンテナンスでサイバーセキュリティ課にいる。特課に繋がらなくて、うちにかけてきたみたいだ」
「なるほど。それで詳細は?」
「要請があったのは徳島県警の阿北警察署。鯖瀬巡査と言ったな」
鯖瀬巡査と最後に会ったのは4月だろうか。悠夏とは、中学でクラスメイトだった。
「明日、現場捜査で吉野川遊園地に行くそうだ。変わった事件らしく、依頼があった」
「遊園地ですか?」
「なんでも、アトラクションのひとつで度々行方不明者が出ているらしい。おかしな話だが。状況によっては、こっちからも人を手配するが、一先ず明日、朝6時にお願いできるか」
「分かりました」
悠夏は電話を切ると、遙真がマシュを抱きかかえていた。どうやら電話中に、キャリーバッグの上に陣取るマシュを上手く持ち上げることに成功したみたいだ。
「遊園地に行くの?」
マシュを抱えた遙真に聞かれたが
「仕事だから詳しくは言えないけど……」
家族とは言え、捜査内容は簡単には話せない。
「しばらくこっちで仕事になるかも」
「帰らないんだ」
遙真がそういうと、マシュが動いて遙真の腕からスルリと抜け出し、キャリーバッグの上をわざわざ歩いて、リビングの方へと歩いて行った。
「悠夏姉が帰るのやめたから、邪魔しなくなったのかな」
「どうだろう」
自由気儘な猫だから、今回はそういうことにしておこう。
「車どうしよう……」
「代車使う?」
佳澄が提案したが、代車を乗り回すのはどうなんだろうか。電車やバスは始発が出るよりも前だ。
「おじいちゃんの車は?」
「あぁ……、ワゴンだっけ」
「ワゴン車か軽トラかだけど、軽トラはミッションかな」
「マニュアルは、もう運転できない気がする……」
自動車教習所ではマニュアルトランスミッション車<MT>を運転して免許を取ったが、実際に運転しているのは、オートマチックトランスミッション車<AT>ばかりだ。ちなみに、”ミッション”と言うと、どちらも”トランスミッション”だから、どっちなのだという話になるかもしれないが、主に関西だとマニュアル車をミッションと呼ぶことがあるそうだ。佳澄が昔から”ミッション”と言っていたため、悠夏も自動車教習所に通うまでは”ミッション”と言っていた。自動車教習所で”マニュアル”という呼び方を初めて知った。
「ワゴン車はデカいからなぁ……」
悠夏は基本的に軽自動車やコンパクトカーを運転しており、車幅と全長が長いセダンなどを運転するときは、車のサイズ感覚がデカくてぶつけそうで敬遠したい。
「でもパトカーを運転してるんでしょ?」
「それとこれは別かな」
よく運転する車ならある程度慣れているが、あまり運転する機会の無い、大きいサイズの車は必要以上に緊張する。
「それなら送ろうか?」
佳澄からの提案にどうしようか迷ったが、タクシーを呼ぶことや迎えに来て貰うことを考えると、今回は甘えることにした。行きしなは悠夏が運転し、現場到着後は佳澄が一人で帰りを運転する。
*
翌朝。代車で西阿波市から国道192号線で吉野川市へ。早朝ということもあり、交通量はぼちぼち。
「吉野川遊園地か。懐かしいな。憶えてる? 昔家族で行ったの」
「ハルハルが小学生のころでしょ?」
遙真と遙華が小学2年生の頃、今高校1年生だから8年くらい前だろうか。悠夏は高校生だった。憶えている。
「ゴーカートに何回も乗ってた」
2人用で悠夏と遙華、父親と遙真がそれぞれ乗って、コースを回っていた。コースは曲がりくねって、わりと距離があったと思う。
「自転車のやつも憶えてる」
同じく2人用で、サイクルモノレールという自転車のようにペダルを漕いでレールの上を進むアトラクション。身内には衝突お構いなしだったが、今考えるとそれもどうだろうか。
四国最大級の観覧車は4人で乗り、確かあのときは催し物で
「迷路かなんかあった?」
「そう。暗闇の迷路で、お父さんと遙真だけがどんどん先に行って、お母さんと遙華は置いて行かれた」
「あれ? そのときどうしたっけ……」
「悠夏はどっちとも離れて、1人で進んでたよ」
「そうだっけ」
憶えているつもりだったが、思ったよりも記憶が曖昧だ。写真やビデオがあれば少しは違うだろうが、車を運転中なのでアルバムを見返すのは今度。
仕事の話は出来ないので、遊園地に行ったときの話をして現場へ。悠夏は車を降りて、佳澄は運転席へ移動して家へと運転して帰る。
シャッターの閉まったチケット売り場前には、鯖瀬巡査の他に鑑識なども含めて10人くらいだろうか。事件の詳細は、仕事用のタブレットに資料を送付してもらったが、現地で改めて聞く。
今回の事件とは……
To be continued…
作中の吉野川遊園地は2011年に閉園した遊園地です。現在の四国最大級の観覧車は香川県のニューレオマワールドだそうです。2019年はすにで閉園済みなので、作中でそのまま名称を使うことにしました。アトラクションや園内の設定は色々と追加するかもしれないですが。
ミッションって言い方、悠夏と同じく自分も親がミッションって言っていたので、免許取るぐらいまでミッションって言うんだと思ってました。あと、自分もマニュアルは運転できるか自信ない。そもそも今の車はオートマがほとんどだから、機会無いよね。
念のため書くけれど、オートマとは、アクセル操作を行うだけで自動のギアチェンジしてくれる仕組みの車のことです。マニュアル/ミッションは、ギアチェンジを手動で行う必要がある車です。そのうち、オートマ車とかマニュアル車って言葉自体、なにそれって言われる時代が来そうな予感もしますが……。




