第191話 母親
徳島県三好市東祖谷と美馬市木屋平、那賀郡那賀町木沢の境に位置する標高1954メートルの剣山。徳島県内の最高峰であり、日本百名山に選ばれている。冬季を除き、標高1750メートルまではロープウェイが運行しており、日本百名山のなかでは、登りやすい山に分類されるそうだ。
山頂付近は、平家の馬場と呼ばれるなだらかな平原である。その昔、平家が騎乗訓練や武術の稽古をしたといわれているそうだ。天気の良い日は、山頂から高知県の室戸岬や瀬戸内海、紀伊半島を眺められる。
SNSや動画配信共有プラットフォームにて活動している登山家、有栖川 汐と舟坂 志弦、村松 航太の3人は、撮影しながら剣山の登山を楽しんでいた。ロープウェイは使わずに、登山口から登っている。
有栖川は広島出身の23歳女性登山家で、このチームのリーダー的存在だ。容姿端麗で、学生時代には、外で芸能関係者からスカウトされたことも度々あったが、すべて断ったそうだ。
舟坂は有栖川の従姉妹。有栖川に誘われて登山の魅力にはまった21歳の女性。
村松は、女子校のクラスメイト。航太という名前と、ボーイッシュな見た目かつ、本人がかわいい服を敬遠するので、男と間違えられる。自分が産まれたとき、父親が男の子だと間違えて名前を付けたという話があり、それは父親が冗談で言っているのか本気で言っているのか分からず、笑い話の持ちネタとしてよく話している。空手と剣道を習っており、男勝りとか。
「もうすぐ頂上です。前登った筑波山とか伊吹山みたいに、登りやすいらしいです」
先頭を歩く有栖川が動画用のコメントを行う。ちなみに、カメラは登山用ザックの肩紐にアクセサリーで固定している。道中の景色や休憩所は、4Kビデオカメラを用意するが、登山中は両手にストックを持っており、片手でビデオカメラを持ちながら登るなんてことはしない。
「なんで、登ってる本人が他人事みたいに」
村松が後ろから有栖川にツッコミを入れると
「事前情報だとそうだったから。客観的にも伝えないと」
「そこ客観的にする、フツー?」
村松と有栖川のコントのような会話を聞いて舟坂はクスクスと笑い、
「もうすぐ頂上だよ」
剣山の山頂標は何人か並んでおり、順番待ちで撮影をした。親切な年輩の夫婦が、3人に撮りましょうかと買って出てくれた。
おじいさんは、かつてテレビ局でカメラマンの仕事をしていたそうで、動画撮影の件を伝えると、おばあさんに腕の見せ所だよと言われ、張り切って撮ってくれた。
「剣山、無事に登頂しました!」
3人が息を合わせて言い、動画は道中で出会った方のお礼と共に終わった。
リビングでスマホを片手に、音を出したまま動画を見ていた佐倉 遙華。弟の遙真はゲームをしながらも内容が気になったようで
「何見てたの? 登山の動画?」
「そう。この前、大会でコラボした人が登山家だったみたいで、気になって見てた」
「大会って、FPSのカスタム?」
遙真のいうカスタムとは、主催者が主に動画配信者や投稿者から参加者を募って開催されるシューティングゲームの大会である。人気のある大会だと、SNSや配信で盛り上がって、トレンドにも入るほどだ。配信を行っている人ならば、誰もがテレビで見たことのある芸能人や中堅や若手の動画投稿者や配信者、最近だとバーチャルライバーも参加している。
「3人一組のチームで、一緒になった人がこの動画の有栖川って人」
「へー。ゲーム上手いの? その人?」
「上手かったみたい。そういや、キル数が10位以内に入ってたかも」
「マジかよ」
会話に夢中になって、遙真の操作するキャラは攻撃を受けてミスになった。「あっ……」と気付いたときには、画面が切り替わる。
窓の外から車の音が近づいてくる。しばらくすると、玄関の方から音がして、
「ただいまー」
悠夏が帰ってきた。スーパーで買った食材や飲み物などを詰めたエコバッグを持って、そのまま冷蔵庫の方へ。
「おかえり」
遙華と遙真は座ったままいると、佳澄も帰ってきて
「お父さんがまだ泣いとるわ」
「え? 何の話?」
話の脈絡が分からずに、遙真が反応すると
「雨が降ってるってこと」
悠夏は理由を答えたが、遙真と遙華は「え?」と、それだけで理解できるはずが無い。悠夏に彼氏がいないという話を車内でしたら、ちょうど雨が降ってきたので、佳澄が「天国のお父さんの涙が」と言った話を自宅まで持ち込まれても、と思う悠夏である。
*
徳島県海部郡阿佐南町。高知県との県境に位置する町である。依頼を受けた戌角探偵は水鳥 北岳の実家を訪ねていた。父親は2年前に死去しており、母親の一人暮らし。
「水鳥さんのご友人、榊原さんから友人を探してほしいとの依頼で参りました」
「榊原さんから話は伺っています。どうぞ」
案内された先は、2階の北岳さんの部屋である。学習机とシールがいっぱい貼られたタンスが目に入る。ブラウン管のテレビが置いてあるがアンテナは繋がっていない。どうやら家庭用ゲーム専用のモニタとして使っていたようだ。
「こちらの部屋にあるものは全て調べても問題ないですか?」
「えぇ……」
母親の水鳥 野根は、部屋に入らずに廊下から見ている。
「最後に息子さんと連絡を取ったのが、いつ頃だったか分かりましたか?」
「それが……、やっぱり思い出せなくて……。息子のことを思い出せないから、病気かと思って病院にも行ったんだけど……、先生は様子を見ましょうとだけ」
「……通話履歴や連絡アプリなどは確認されましたか?」
「見たつもりなんだけど……、段々と自信が無くて……」
母親は記憶が思い出せない何らかの病気ではないかと疑っているようだが、戌角探偵の調査でも友人や依頼主の榊原警部までもが、北岳さんのことを思い出せないという。警察としては、その理由を知っているそうだが、この件が解決するまでは教えてくれないそうだ。人の記憶を操作できるなど、そんな技術が明るみに出ると、悪用されるおそれがある。
人から聞くことは諦め、モノから調べることにした。調べたところ、高校卒業後の足取りを追えば良さそうだ。部屋には大学のパンフレットや入試関連の資料があった。しかし、どれも新品のまま。
「役場からもらった書類はありますか?」
「もってきます」
戌角探偵は、予め住民票や戸籍の取得を依頼していた。母親が役場で受けとった住民票には、北岳の名前は無かった。戸籍謄本を調べると、北岳さんの現住所が書かれていた。
「現住所は東京都台田市場区か。徳島まで来たけど、とんぼ返りだなこりゃ」
部屋を調べた限り、あまり得られるモノは無かったが
「"ニオイ"は分かった」
戌角探偵の鼻が冴え渡る。人の臭いとは少し違うらしいが、東京に戻って探す手がかりになる。
「成人式の写真とは無いですか?」
「あったかな……?」
あまり期待できそうに無い。あるのは中学と高校の卒業アルバムに写る姿のみ。住民票と戸籍謄本を拝借し、戌角探偵はバスで高知市へと向かい、高知龍馬空港から羽田空港へと戻る。もう少し四国でゆっくりとしたかったが、榊原からの一発目の依頼を早々に解決することにより、技術と信頼を得るためいつもより効率アップで動いていた。
To be continued…
先週体調を崩し今週の更新が怪しい部分がありましたが回復して間に合いました。3週ぐらいストックがあったものの、いつの間にか無くなってしましたね。
8月に起こる事件に向けた話が展開されており、次回は戌角探偵の捜査が中心になるのかな。警察と探偵で棲み分けしつつ、廃忘薬について新たな情報は出てくるのでしょうか……。戌角探偵が成人式の写真を求めたということは、榊原警部はこの町の成人式に参加しておらず、別の町出身のようです。榊原警部が持っていれば、卒業アルバムではなく成人式の写真を渡したでしょうし。




