第189話 非接触決済
8月1日。東京都品川区目黒駅周辺。3階建ての1階にある個人経営の定食屋前で、2本目の煙草に火を付けたおじいさんから、店の中でトラブルが起こっていると声をかけられた。
藍川巡査は定食屋の中に入り、
「はい。警察ですよー」
と、警察手帳を誰も見ていないうちから前に出して歩いていた。
「お巡りさん?」
年配のおばあさんが、レジ前からやってきて、藍川巡査の袖を引っ張って引き込んでいく。
「僕らが引き受けますので、声をかけていただきありがとうございます」
鐃警がお礼を言うと、煙草を吸っているおじいさんが鐃警を見て
「なんだい? お前さん、人じゃねぇな?」
「ロボットなんですよ」
「ほう、あれだ。未来から来た青い狸の……」
「彼は猫型ですね……。まぁ、それはよくて……、いいですか? 中で話を聞かないといけないので」
早々に会話を切り上げて、捜査に入る。
「いってこい、いってこい。わしに構わず」
そう言って、おじいさんはもう一本煙草に火を付けた。あまりにも吸うのが早いのか気になって
「もう次を?」
「あぁ、この煙草は吸い始めだけが美味いんだ」
「……そうなんですか。あの、お体にはお気をつけて」
煙草って確か1本当たりの価格が高いような気はしたが、それは言わずに店の中へ。
店内にはテーブル席が6つある。レジ前で若い男性と女性がスマホを持って、SNSを観て時間を潰しているようだった。
「警察です。トラブルかなにか?」
藍川巡査が若い男性に聞くと
「そうっす。トラブってるんっす。自分ら、ここで美味しいランチを頂いたんっすよ。だけど会計が間違えだらけで、詐欺られるとこなんすよ。別に、ばあちゃんが悪いわけじゃないんっすけどね」
大学生だろうか。名前を聞くと、男性は洗足、女性は大橋という名字だった。”詐欺られるところ”と言う割には、おばあちゃんのことをフォローしており、怒っているようには見えない。
「それでトラブルの内容としては、二重決済?」
藍川巡査がトラブルの内容を確認すると、洗足は
「そこのスマホに表示されるQRコードをレジにある端末にかざすと、ピピッと会計ができるはずなんっすけど、表示金額と合わないっすよ。それで、試しにもう一度したらまた別の金額が支払われて……」
洗足が支払いに私用するスマホアプリは、最近流行り始めている非接触決済である。2018年10月頃にサービスを開始した”PiPiPay”というQRコードによる決済において、ある確率で当選すると、その場で買った商品が全額還元されるというセールが非常に人気を博し、もともとあった大手のQRコード決済が利用可能なお店が増え、さらに新しいQRコード決済も増えて、世間に浸透し始めていた。とはいえ、まだ東京近郊では、全日本旅客鉄道東京株式会社の交通系ICカード”SuiSui”が根強い。全国のコンビニで使用でき、対応する自動販売機も増えている。
今回は、QRコード決済による事件のようだ。
「支払履歴を確認させてください」
藍川巡査の前で、洗足はスマホを操作し支払履歴を表示する。
「これっす。必要なら、メールも確認できるっすよ」
「これっすか。そうっすか」
藍川巡査は画面を確認して、手帳にメモを取る。
「藍川巡査、口癖がうつってますよ」
「失敬」
と咳払いして、藍川巡査は確認のために読み上げる。
「13時41分、7452円。13時47分、6483円」
「実際の会計金額は?」
鐃警が聞くと、洗足はレジの表示器を指して
「そこに書いてあるとおりっす。2980円っすよ。ふたりで」
「間違いないですか?」
鐃警は大橋に確認すると頷いて答え、店主の女性であり先ほど藍川巡査を引っ張って助けを求めた、八雲に確認すると
「1000円のランチ2つと、490円のデザート2つで、合計2980円です。すみません……、私が機械の操作を誤ってしまいまして……」
「おばあさんは悪くないっすよ」
と、洗足は怒るどころか、寧ろQRコード決済を選択した自分が悪いかのように言っている。被害者だが優しい青年なのだろう。
「QRコード決済はこれが初めてですか?」
藍川巡査が八雲に確認しながら、手帳にメモする。
「いえ、昨日も4人ほど会計しています」
「そのときは問題なかったと?」
「はい。今日は初めてですが、いつもどおりに決済していて……」
藍川巡査と八雲が状況確認を行っているなか、鐃警は洗足に近寄り
「”PiPiPay”は表示の時間制限とかありますか?」
「5分間っすね。ほら」
洗足がそう言って、画面を見せるとQRコードの近くに残り時間らしき表示が出ている。”5:00”から1秒ごとに時間が減っていく。
「さっきの決済履歴って一覧ですよね?」
「そうっす」
洗足がスマホを操作して、先ほど見せた支払履歴の画面を表示する。履歴には先ほどの2件以外にも、午前中の決済がある。
「詳細って見えますか?」
「詳細っすか? 多分、タップすれば見えるっすかねえ……?」
洗足がリストの1つをタップすると、画面が切り替わる。すると、
「ええっ!?」
と、驚きの声を上げた。藍川巡査と八雲も驚き、鐃警が画面を覗き込む。
「ドーキンス露天商秋葉原店、7452円。ここの決済ではなく、別の店の決済……。もうひとつの履歴も」
鐃警に言われて、洗足はスマホを操作して
「同じ店です」
「藍川巡査、ドーキンス露天商秋葉原店について確認をお願いします」
「警部、了解です」
すると、大橋がスマホを操作していたようで
「なんか、よくわかんない……ネットショップみたいです」
と、名前を調べたようだ。鐃警は感謝しつつも
「すみません、検索頂いて有り難いのですが、もしかしたら、そのサイトがウイルス感染などの危険なサイトである可能性もありますので、注意してください」
「あ、はい……」
「有り難いのですが、申し訳ないです」
と、念押しで感謝と申し訳なさを伝えた。そうなると調べることが決まってくる。
「藍川巡査、送付先の確認を。それと」
鐃警は指示を出しつつ、決済端末に近づいてケーブルの先を確認する。すると、そのままルーター機器に接続されていた。インターネットを使用するので、当たり前ではあるが……。
「おそらく、このQRコードを読み込むカメラが第三者に盗み見られており、洗足さんのかざしたQRコードがこの店の会計では無く、第三者による別の支払いをさせられたと考えられます」
「そんなことがあり得るんっすか?」
「カメラにかざす時間は短い時間。その間に別の決済を行うのは、難しいですけど、出来なくは無いかと。かざすタイミングが分かれば準備できますし」
「かざすタイミングっすか? そのカメラだと見えないと思うんっすけど」
「盗み見られているのが、このカメラだけじゃ無く、おそらく店内のカメラも盗み見られている可能性が高いです」
「警部さん、頭良いっすね。確かに、店のカメラを見ればいつ会計に行くか分かるっすね」
鐃警の推理に関心する洗足。推理を披露した鐃警は、気分が良さそうだ。すると、急にドタバタと、上の階から音がし始めた。
「上?」
鐃警が上を指して、八雲に確認すると
「上は賃貸なんです。2階と3階とそれぞれ」
ドタバタとした音は、階段で下る音に変わる。
「……まさか。藍川巡査、すぐに外へ!」
そのまさかである。鐃警が外にでると、ジャージを着た男が急いで、店の方を見ながら駅の方へと走る。
「藍川巡査、あの人に職質!」
「了解!」
藍川巡査が全力疾走で男を追いかける。すると、男は息を切らしながら、躓いて転ける。
「待ちなと言っただろ。なんで逃げた?」
「待ちなって言われてないんですけど」
「確かにそうだな。それで、なんで逃げた?」
「いや……それは……」
「警察はお見通しだぞ」
藍川巡査のハッタリである。すると、男は大きくため息をついて観念したらしく
「すみません、私がやりました」
「ちゃんと、何をやったか言わないと」
「うぅ……、私がQRコードを盗み見て、買い物をしました」
男が自供した。
*
警視庁。藍川巡査が長谷警部補に事件のことを報告すると
「迅速な犯人逮捕と事件解決はお手柄だな。しかし、なんで目黒に行っていたんだ?」
「あ……えと、それは……」
なぜかしどろもどろになる藍川巡査。怪しいと勘づくまでも無く、
「なんだ?」
「ランチ……いや、パトロールと言いますか……」
「……まぁいい、今回は事件解決に貢献したとして見逃すが、警察が警察のストーキングはするなよ」
「なんのことでしょうか。分からないっす」
「はぁ?」
「いえ、なんでもないっす。いえ、なんでもないです。被害者の口癖が”なんとかっす”って言っていただけで……」
慌てて言うと、洗足の口癖がうつってしまった。
To be continued…
今回のケースは、出来そうな雰囲気を醸し出しながらも、普通に考えると出来ないフィクションだよねって感じの事件です。細かいところを指摘するとすれば、どうやってQRコードだけで決済したのかとかありますよね。というか、そもそも決済時に画面に購入元の店名が出るし、購入履歴も出るので即バレです。
次回、最速でこの事件のアフターストーリーです。
鐃警と藍川巡査のコンビが思いの外、暴走せずに事件解決したのでよしとするかどうか。




