第188話 依頼
8月1日。東京都品川区目黒駅周辺。目黒駅は目黒区に無いし、品川駅も品川区には無い。それはさておき、榊原警部は日本橋警察署を出た後、目黒駅に来ていた。別件で地図を見ながら場所を探していると、後ろから視線を感じる。店舗のショーケースに反射して、2人の影を確認した。
気付かれているということに鈍感かもしれない2人は
「どこ向かうんですかね?」
と、鐃警が藍川巡査に聞くと
「今朝聞いた事件と関係してるとか?」
「でも、あれは日本橋ですよね? なぜ目黒に?」
厳密に言えば目黒駅であり、ここは品川区だ。
「あ、裏路地に行きましたよ」
「追いかけるぞ」
藍川巡査が先導し、鐃警とともに榊原警部のあとを追う。すると、角を曲がった瞬間に見失った。
「あれ? どこだ?」
「その辺りの店は?」
2人は、撒かれたかもしれないと思わないのだろうか。
撒いた榊原警部は、とある雑居ビルの4階にある探偵事務所の扉をノックする。
「どうぞ、お入りください」
中から声がした。
「失礼します」
と、扉を開けると両側の壁一面に段ボールが詰まれ、若い男がいる机も書類でいっぱいだ。ペーパーレス化とは程遠そうなところだった。
「どうぞ、お掛けになってお待ちください」
榊原警部はソファーに腰掛ける。探偵は忙しそうに手を動かして、書類に何かを書き込んでいる。
「探偵事務所に刑事さんが来るのは珍しいですな。浮気調査とかプライベートな身辺調査ですか? それともペット探し?」
手を動かしながら、口も動く。返答していないのに、探偵は
「過去の仕事に関しては喋れないですよ。依頼者の守秘義務がありますので」
「写真を見てほしい」
榊原警部は鞄からクリアファイルに入った資料を取り出す。探偵は手を止めて
「ん? それを見たらもう断れないとかナシですよ」
「そうか。キミの”ハナ”を信用して、ここに来たのだがな」
榊原警部がそう言うと、探偵は手を止めた。椅子に座ったまま、キャスターで移動し机に近づく。探偵の青年は、まるで犬のような鼻をしていた。
「誰から紹介を?」
「とある妖狐の先生から」
榊原警部がそう答えると、探偵は少し考えて
「女性の教諭?」
「えぇ。お互い守秘義務で名前は言えないようですけど、その人から戌角探偵のことを伺いました」
7月22日に足立区の高校で邪神が暴走して、校舎が全壊した事件。あのときの女性教諭、宮岸 真岐のことである。
「とても”ハナ”の効く探偵であると」
「警察は”夔”にも協力依頼を出すのか」
戌角の言葉が一瞬聞き取れなかった。”もののけ”と言ったのだろうか。
「先日、同僚の担当したヤマで、幽霊が絡んだ事件があったそうだ。妖怪やら怪物やら、もはや捜査中に出会しても驚かなくなった。そんな話は、取り敢えずいい。写真を入手するだけでも大変なんだ」
「それで、これは警察案件か? それともプライベート?」
戌角が写真を指差しながら、榊原警部の目を見る。
「初回はプライベート。その結果次第では、2回目から正式に警視庁から依頼する。もちろん、2回目からの報酬は約束しよう」
「なんだよ。初回は報酬が少ないってか?」
「ぼちぼちってことだな。俺が出せる金額だと」
「いいのか? 戌角探偵事務所は高く付くぞ」
「なら、この話は無かったことにしよう」
「なんだ? ビビったか?」
「2回目からの報酬は期待してもらっていいと言った。つまり、継続的に仕事を頼むことになる。それも1回目の報酬だと考えれば、十分過ぎやしないか?」
「分かった。嘘は吐いてないみてぇだし、本題に」
戌角はキャスター付きの椅子からソファーに座り直して、机を挟んで正面で対話する姿勢を取る。
「用件は?」
「この写真に写る人物がどこにいるか知りたい」
「写真だけだと分からないぞ?」
学ランを着ている男子。中学生だろうか。
「名前は水鳥 北岳。平成21年3月、徳島県立阿佐南中学の卒業生。俺の同級生だった」
「その写真は卒業アルバムの写真ということか。最近の写真は無いのか?」
「残念ながら。彼の所在を掴めるような情報は一切」
「同級生なら、他のクラスメイトに聞けば誰かは知っているだろ?」
「ひとつひとつ、確認が必要か? 結果が分かっている上で」
「……そりゃそうだ。分かってたら、探偵に依頼になんて来ないわな」
「同級生や水鳥の親族も、彼についての情報は得られない。自力で探すしかない状況だ。実家に彼の部屋は残っているから、そこから探してほしい。これが1件目の依頼だ」
「情報が何も無いって不思議な話だな。そこは説明できないのか?」
「今は言えない。警視庁からの正式な依頼をする際に、明かすことになる。それまでは言えないんだ」
「了解。その資料は見ても良いのか?」
「ああ、これは俺が調べた情報だ。依頼を引き受けてくれると受けとっていいんだな?」
「戌角探偵に任せとけ、2週間、いや1週間で決着付けてやる」
榊原警部が戌角探偵に依頼した捜索。水鳥は、おそらく”廃忘薬”を服用した人物だ。だから、同級生であったはずの榊原も憶えておらず、親族やクラスメイトも分からないというのだ。
*
榊原警部が探偵事務所で話し込んでいる頃、藍川巡査と鐃警は路地を歩いていた。14時ということもあり、飲食店から出てくる人が多い。窓越しに中を覗くが、榊原警部の姿は見えない。
「完全に見失いましたね」
鐃警が藍川巡査に断定して言うと、
「いや、まだ見失っていない。可能性がある」
「いえ、もう見当たらない時点で……」
「自分たち、警察なんですけどね」
「相手も警察ですよ」
警察官なら見失うはずがないということを言いたいみたいだが、榊原警部も警察だ。尾行を振り切るのも警察の腕の見せ所では無いだろうか。
「にいちゃん、警察なんか?」
突然、定食屋の前で煙草を吸うおじいさんに声をかけられた。
「警察ですよ。何かありました?」
「丁度良かった。店の中でトラブルがあって」
「トラブルですか?」
一体、何があったのだろうか。おじいさんは2本目の煙草に火を付けた。なんて悠長な。
To be continued…
何気に榊原警部の年齢と中学校の情報が初出です。平成21年ということは、2009年。計算すると1993年生まれ。悠夏と同い年です。阿佐南中学校は徳島県南部に位置していますが、榊原警部の出身地の情報はまだ出ていません。四国なのかな?
互いに守秘義務で名前を言えないなど。正式な依頼になるまでは探り合いになりそうな予感です。
次回、定食屋で起きたトラブルとは? 鐃警と藍川巡査というとても不安な2人組で捜査へ。
2023/5/3追記。戌角探偵の漢字を間違えていたので修正。戌角、すまぬ。ついでに"夔"について後書きで触れてなかったのでこちらも追記。"夔"は読むなら"キ"です。意味は妖怪など。日本語などの人語では無く、戌角探偵は別の言語で発音したようで、榊原警部が聞き取れない状況になったようです。




