第187話 令和元年8月1日
2019年8月1日木曜日。警視庁刑事部捜査一課の榊原警部のもとにある情報が伝わった。真帆薬品工業の綾口 魁羽会長が東京都中央区日本橋近くの地下駐車場で倒れ、病院へ搬送後死亡したそうだ。長谷警部補に事件のことを詳しく聞くと
「日本橋警察署が管轄になる。知り合いの呉服警部伝いなら、話はできると思うが……、おそらく公安の取り扱いになる」
「公安部が捜査……、例の薬品がやはり?」
「ここでその話はしない約束だ」
「……失礼しました」
怪奇薬品のうち”憑依薬”は、真帆薬品工業が製造元では無いかと考えられている。
時刻は10時30分過ぎ。榊原警部は日本橋警察署へ。刑事課の場所を聞いて、3階へ上がる。刑事課の札がぶら下がったデスクの方へ行くと、呉服警部が気付いて向こうから声をかけてきた。連絡してすぐなので、初対面だが警視庁から来た人だろうと思ったそうだ。
「事件の捜査資料はありますか? 見せていただきたいんですが……」
「向こうの会議室に証拠品と捜査資料を置いてある。あと30分ほどで公安部が到着するから、20分ほどだ。それでもいいなら」
「ありがとうございます」
時間が少ないため、すぐに会議室へ。ホワイトボードには、事件当時の写真と関係者について書かれていた。
第一発見者は警備員。朝のパトロール中に、倒れているのを発見したそうだ。地下駐車場に防犯カメラは1台も設置されていない。お金がなくダミーを張り付けているそうだ。
刑事課での捜査結果として、殺害現場は別の場所である可能性が高く、被害者はここに運ばれたのではないかという考えのようだ。昨日、被害者は休暇のスケジュールであり、家族も会社も行き先は知らないそうだ。
外傷は見当たらず、砒素などの何らかの薬品によって、死亡したと推測。司法解剖前に公安部への引き渡しが決まり、現時点で死因は不明とされている。
自殺の可能性が低い理由は、財布や携帯電話、腕時計などを身につけておらず、金品目的による強盗の可能性も否定できないそうだ。
捜査資料を一通り見ると、呉服警部が現れ
「そろそろ時間だ。あとは警視庁の仕事だ。公安部とは知り合いか?」
「いや、部署が違うため……」
「そうか」
*
同日。藍川巡査が特課にふらっと立ち寄ると
「あれ? 佐倉巡査は?」
「佐倉巡査なら4日ほど休暇ですよ。……ここでは、珈琲や紅茶は飲めませんよ」
デスクに向かう鐃警が答えた。
「暇じゃないですよ」
「いや、こっちの台詞ですよ?」
某刑事ドラマで、たまにやってくる課長ポジションみたいだなと思っただけだ。
「それでここに何か用が?」
「今朝、榊原さんと長谷さんが話しているのを少し聞いたんですが、真帆薬品工業の会長が亡くなったらしく」
「ネットニュースにもなっている事件ですか」
「公安部が動いてるらしく」
「それで?」
「いや、それだけなんですけど」
「わざわざそれを伝えに?」
「ダメですか?」
藍川巡査は何故か自信満々だ。油を売っているとしか思えない。
「やっぱ、暇なんですか?」
「うーん、そうかもしれないしそうじゃないかもしれない……です」
鐃警はデスク作業を中断し、折角なので別の話を聞くことに
「隅田川の事件、あれからどうなりました?」
「宇佐鷺組については、末端の人物らしく情報が出てないそうですよ。無都巳という女性は、黙秘を貫いており、何も話していないそうです。傷害罪で送検して、検察でも同じく何も喋らず、勾留期間ギリギリまでは粘るそうですが、一言も喋らないままになりそうな可能性が高いかと」
*
同日。警察庁警備局公安課。
「葵 彩女と廣本 柚吾に辞令を下す。本日を以て、警備局公安課から九州管区警察局広域調整部広域調整第一課に転属を命じる」
長官官房人事課よりそう告げられた。隅田川花火大会での事件で、2人は警視庁に捕まった。組織に継続潜入することは困難と判断され、公安課から九州管区警察局へと転属することとなった。
倉知副総監の計らいにより、知っているのは幸い、鐃警と倉知副総監のみだ。しかし、工事現場が爆発せず、組織からの指示も途絶えた。数日経っても連絡が来ないことから、手を引くこととなった。
都内の捜査はしばらくできないだろうということで、離れた九州へ異動することになった。広域調整部とは、管区内の県警が共同して迅速な捜査が行えるように、捜査の調整や捜査員の広域的な運用を行うための指導的な役割を担う。広域調整第一課は、特殊犯罪やサイバー犯罪などの取り締まりに関して、広域調整第二課は、交通規制や交通指導取り締まり、交通事故事件に関してが主になる。
表だった捜査が行えないため、広域調整部になったそうだ。
「九州か」
「廣本さん、九州には?」
「初めてだな。ただ、表立った行動はできないのが……」
「1年経ったら、別のところに潜入。そのつもりで過ごさないと」
葵の認識の通り、最短1年経過したら、再度公安課へ出戻りになり、九州で潜入捜査になる予定だ。宇佐鷺組では電話連絡が主で対面は皆無だったため、別の組織への潜入先変更期間として、1年は短い方では無いだろうか。
「宇佐鷺組の関する情報は、警視庁と警察庁の両方に託した。あの夜以降、連絡は途絶えた以上、組織からは見放されたと考えるべきだろう」
「あの状況から考えるまでも無く、アタシたちを爆弾で消そうとしたのはなぜか」
「潜入がバレたと考えるべきか、それとも切られるような要因があったと考えるべきか」
宇佐鷺組に警察庁の公安とバレた、または警察関係者と疑われたかどうか。もしくは、宇佐鷺組にはルールがあって、それを満たすと組織から消されるのではないか。いずれも可能性だけであり、分からない。
「期間や連絡回数が条件だとしても、隅田川花火大会で爆死させるのはハイリスク過ぎやしないか?」
「奴らにとって、場所や時間はどうでもいいのかもしれない。いずれにせよ、あまり期間は継続できないところだろう……」
To be continued…
真帆薬品工業は憑依薬の製造元として関わっている疑惑があると119話くらいで触れていました。その会長が被害者の事件。隅田川花火大会の後日談を含みつつ、しばらく8月1日の話が続きます。




