第186話 出迎えるは……
2019年7月31日。佐倉 悠夏から送られてきた報告を、タクシーの中で読んでいた。茨城県常陸筑波市で発生した交通事故と死亡事件を含む。最後まで読んで、確認した。お疲れ様とだけ返信して、タブレットの画面をオフにする。いつもより飲み過ぎたため、気分が悪い。タクシーの助手席後ろにあるデジタル広告に表示された時刻を見ると、もうすぐ0時だ。日付が8月1日に変わる。
「8月か……」
自宅付近でタクシーを降り、真っ暗な玄関が出迎える。電気を付け、靴を脱ぐが足がもつれて、壁によりかかる。
「酔いすぎだな……」
真っ暗なリビングに鞄を置いて、電気を付けてベルトを外す。すると、スマホがバイブレーションで震える。電話かと思ったら、メールだった。スマホのホーム画面に出たメールの通知を見ると、どこかのチェーン店で使えるクーポンを知らせるメールだった。倉知はスワイプして通知を消す。ホーム画面には、デジタル時計が表示されており、背景には女性と子どもが映っている。
「もう5年になるのか……」
スマホをテーブルの上に置くと、一気に疲れと酔いでソファーに倒れ込む。
「いかんな……こんな姿、奏空に見せられないな……。今日ぐらい、許せ……」
しばらくソファーに倒れ込んで電気を付けたまま、寝落ちしそうだったが、5分くらいして我に返り
「海翔が怒るな。……着替えるか」
ソファーから起き上がって、着替えて寝室のベットへと向かう。
*
8月1日午前2時。4件目の店へと向かうと、紅 右嶋がハイボールを飲みながら
「どうだった? 倉知の様子」
対面に座る田口 啓正は、変わり種の日本酒を少し口に運び
「仕事でなんとか……という感じに思えます」
「2件目で飲み過ぎてリタイアするほど、参っているようだな」
飲み屋を梯子して、2件目までは3人で呑んでいた。倉知が家へ帰り、3件目の寿司屋は緑茶だけで過ごし、再び別の居酒屋に来ている。今回は個室だった。
「倉知さんの妻子が事件に巻き込まれて、5年ですか。犯人は逮捕できたものの、助けることが叶わず……」
「あのときは……どうすれば良かったんだろうな」
「薄々感じてることですが」
「ん? 田口、どうした、言ってみろ」
「倉知さん、鐃警と自分の息子を重ねてるように思うんですよ」
「それはそうだろ。あのままだと悄然としたまま、警察も辞めて栄養失調になりそうだと危惧したから、階級を理由に押しつけたからな」
「えぇ? 倉知さん、警察辞めるって?」
「田口は知らなかったのか? そうかあの時期は広域事件の捜査で倉知の様子を見る暇もなかったか。俺に相談に来たよ。バカ言うなって言い返したよ。冗談だ。真摯に相談には乗ったよ。ただ、倉知自身、すでに答えはあったみたいだから、背中を押して欲しそうだったから、続けろって言った」
倉知副総監は一度辞職するか継続するか悩んだそうだ。結果、続けることを選択し、鐃警と会った。
*
2019年8月1日木曜日。天気予報によると、真夏日の観測地が今年初めて800地点を超えるそうだ。東京の最高気温は35度予想。全国的に晴れている。
今日から4日間休暇の悠夏は、実家の徳島県西阿波市に帰省していた。西阿波市の日中最高気温は36.1度。
駅から一歩外に出ると、その暑さを実感した。
「日焼け止め、もっと厚く塗った方がよかったかな……」
悠夏は日差しから逃げるように、日影へ。ロータリーに車の迎えが来るけれど、炎天下ではあまり待っていられない。
ロータリーに車が来ないか見ていると、白いナンバーの軽トールワゴン車が停車する。通常、軽自動車は黄色いナンバーだ。しかし、来年開催予定の東京オリンピック・パラリンピック競技大会特別仕様のナンバープレートを申し込むと、エンブレム付きの白いナンバープレートになる。
昨今のあおり運転でドライブレコーダーを付ける対策と合わせて、軽自動車に白いナンバープレートを付ける人が増えているそうだ。
悠夏は車の運転席を見ると、自分の母親が乗っており
「あれ?」
思わず声が出た。車の助手席まで行き、乗り込むと
「車、買い替えたの?」
「車検に出してるから、代車」
母親の佳澄は端的にそう答えた。いつもの車は車検で使えないそうだ。車検の正式名称は、自動車検査登録制度で、2回目以降は自動車継続検査と呼ばれるそうだ。
「安全装置っていうの? ピピピピって鳴るやつ。白い線に近づいたり、前の車が発進したら教えてくれるから便利ね。買い替えようかしら」
「へぇ、代車のほうが性能良いんだ」
「悠夏は車買わないの?」
「東京で自分の車はいいかな。電車で移動できるし、地方に行ったときは借りるから」
悠夏は自分の車は持たずに、レンタカーを使うことが多い。そもそも、管轄の警察署で車を借りることも屡々。
「相乗りみたいなのは? なんて言ったっけ、あれ……」
「相乗り……?」
佳澄の言いたげなことを考えると、多分これかなというのが浮かび
「カーシェア?」
「そうそう、シェイクしそうな名前のやつ」
「シェイクって……。カーシェアは、自分には合ってないかな」
カーシェアリングは、登録を行った会員同士で車を共同利用するサービスである。短い時間であれば、レンタカーよりも安くなり、日頃の買い物やちょっとしたおでかけなどで需要が出てきている。ただし2019年時点では、サービス対象地域が限られていた。
交差点の信号で止まると、佳澄は思い出したかのように
「悠夏、誕生日おめでとう」
「ありがと。プレゼント届いたよ」
昨夜、自宅に帰ると宅配ボックスに荷物が届いていた。弟妹の遙真と遙華からの誕生日プレゼント。それと、仕送りの諸々が入っていた。悠夏の誕生日は過ぎているが、直接会って言うのは今年初めてだ。
「仕送り、こっちから送れなくてごめん」
「いいのよ、悠夏は気にしなくて。自分の稼いだお金ぐらい、自分のために使いなさい。こっちは十分だし。それよりも、休みの度に顔を出してくれるのがなにより嬉しいから」
仕事柄、いつ帰ってこられるかは分からない。休みのときぐらい、たまに顔を出して、家族の顔を見たいと思うのは悠夏も同じ気持ちだ。平凡な日常でも、いつなにがあるか分からない。会えるときに会っておきたい。変わらぬ毎日、明日も会えると思っていたが故に、自分の父親の最期には立ち会えなかった。電話越しで、心電図モニターの心停止を告げるピーという音を聞いた。その日は、高校の部活を優先していた。
「それで、彼氏できた?」
「はぁ!?」
なんの脈絡もなく聞かれて、変な声が出た。
「ないない」
右手を振って、悠夏は否定すると、佳澄はわざと悠夏に見えるように口を尖らせて
「ふーん。お母さん、楽しみにしてるからね」
「はいはい……」
言い訳はせずに、ちょっと気まずそうにして、口を窄めてブツブツと呟くように
「そんな出会いなんてないし……」
「なんて?」
「何でも無いです!」
たわいも無い親子の会話。話が終わるかと思ったら
「お父さん悲しむよ?」
「なんで父さんの名前が出てくるの」
「天国で泣いてるよ、きっと」
佳澄に言われて、悠夏が黙っていると、フロントガラスが雨粒がつく。
「ほら、天国のお父さんの涙が」
「雨でしょ」
次第に、雨脚が速くなる。天気予報では午後から雨予報だった。だから、雨が降ることは分かっていたのだが、降り始めるタイミングが偶然にも重なった。
To be continued…
3月、2022年度も終わりが近づき今年は毎週更新が持続しています。劇中は8月へ。
さて、本編では倉知副総監の家族と悠夏の父親について。悠夏の父親については、語るつもりは無かったものの話の流れで触れることにしました。倉知副総監の妻子については、後々……
悠夏の誕生日は7月22日かな。本編で一切何日か言わず終いでしたが。




