第181話 揺らぐ前提
警視庁の喫煙所。石間警視が休憩で向かうと、倉知副総監の姿が見えた。
「倉知。また吸わないのにここにいるのか?」
「待ち人がいて、ここならくると思って」
「ここの空気吸うと、肺が汚れるぞ」
「吸う人に言われたくないですね」
石間警視は電子タバコを取り出して、吸い始める。
「俺が吸うから言ってるんだぞ。癌になっても知らないぞ。副流煙の方がヤバイとか言われてるだろ?」
「電子タバコで副流煙って出るんですか?」
「そこじゃなくてだな……」
多少の煙は発生するので、副流煙はゼロではないそうだ。ものによるかもしれないが。
「健康に気遣っていた頃の倉知はどこにいった?」
「今や独身の身ですし」
「……そうか」
石間警視はどう返せば良いか分からず、言葉に詰まった。倉知副総監のバックボーンを知っているからこそ、苦笑も出来ず表情が固まった。石間警視は話題を変えて
「で、今日は誰を待ってるんだ?」
「前回と同じ人を」
「特課、増員するのか?」
「聞いていたんですね」
「わるい、盗み聞きをするつもりはなかったんだが、ここで吸ってたら聞こえてきたもので」
その話を聞いたのは、同じように喫煙所で会った3日前のことだった。
「特課に新米の女性巡査を1人アサインする。まだオフレコだがな」
「そうなると、特課はしばらく続くのか。大変だな、副総監の仕事をしつつ、直属の課の面倒をみるのは」
「もともと、鐃警によってなにかあれば、俺が責任を取ることが始まりですし……。そのためには、直属の部署が必要だろうってことで、立ち上げたんですけどね」
「最近は特殊な事件が増えつつあるから、今度うちの課も助っ人に頼むわ」
談笑していると、目的の人物が喫煙所に現れ、2人の会話は打ち切られた。
*
茨城県常陸筑波市の常陸筑波警察署、第三会議室。国岡 環の車内を調べた結果を捜査員に展開していた。鑑識の風返巡査部長は資料を片手に
「かなり丁寧に拭き取られていたが、後部座席のシートの縫い目やシートベルトのバックルの僅かな部分に、被害者の血痕が検出された。遺体にあまり出血箇所は確認できなかったが、口元から出血した血痕だと考えられる。被害者は口の中に切り傷があったようだ。捜査資料に記載している」
続けて、捜査一課の湯袋巡査から捜査報告を行う。
「被害者の首元に吉川線が見当たらず、意識を失った状態で首を絞められたと考えられていましたが、司法解剖によって監察医からの報告で、胃の中に濃度がかなり濃い睡眠薬が検出されています。市販品ではないため、入手ルートが限られており、捜査を行った結果、大学から一部の研究用の薬品が減っていたことが分かりました。薬学理学部の教授によると、普段から薬品は施錠されて管理されており、取り出せる人間は限られているそうです。その限られた人物のなかに、尽大路 及も含まれています。そのほか、卒業生も保管している鍵の場所は知っており、盗むことは可能です。聞き込みで、卒業生がここ最近、薬学理学部の建物に近づいたという情報はありません」
加生野巡査部長は捜査員に対して
「睡眠薬は尽大路が盗み出し、遺体を運んだ車は国岡の車である可能性が非常に高い。2人が共犯であることが証明されつつある。引き続き、2人について重点的に捜査だ。尽大路の監視はどうだ?」
別の捜査一課のメンバーが応えて、
「今日は市内の遊戯施設で過ごしており、大きな動きはありません」
*
捜査会議が終わり解散した後も、特課の悠夏と鐃警は着席したまま捜査資料を見ていた。
「警部、どう思いますか?」
「どうって……何を?」
悠夏の漠然とした質問に何を問われているか分からないので、聞き返した。
「被疑者は2人。被害者は浮気を疑って、ホテルに乗り込んだと思われたが、実際は被害者がストーカーで、故意か思い込みで乗り込んで返り討ちに遭った」
「被疑者は薬品を用意していたということは、計画性も疑うべきかと。絞殺する縄も用意していたようですし」
「ストーカーに対して、誘い込んで殺したってことですか?」
「確実なことは言えないですが……」
鐃警は悠夏の提唱した誘い込みについて、否定も肯定もしなかった。現時点ではどちらとも言い切れない。悠夏は他に考えられそうなこととして、
「例えばですけど。尽大路さんが薬品をストーカーに使うのは、想定外だった……とかはどうですか?」
「それは、つまり他の目的があったと?」
「考えたくないですけど、それこそ、国岡さんに対して……とか。国岡さんは、事件の後、冷静になったら尽大路さんが薬品を自分に使うつもりだったのではないかと、自分の身の危険を察知して……とか?」
「2人が証言しない限り、そのパターンは裏が取れないかと」
鐃警は冷静に返す。悠夏は考えられそうなことをひとつひとつ鐃警に言うと、否定も肯定もしないため、言っただけになった。それでも、そういった方向性である可能性はあるかもしれない。
「この事件、どこかがおかしい気がするんですよね……。感覚で動くのは良くないと思ってはいますけど……」
「刑事の勘ってやつですか? 佐倉巡査が言う側になるのは珍しいかと」
「警部……」
「なんでしょう?」
「……幽霊が後から証拠を捏造して、偽装工作を企てたというのは、流石に奇想天外な発想ですか?」
「佐倉巡査は、犯人が別にいると? でも、自分を殺した犯人を庇う必要がどこにありますか?」
「例えば、犯人がとても大事な人で、守りたいと」
「それは……どうでしょうか……。百歩譲ってたとしても、殺されたんですよ。そんな人を守って、別人を犯人にするなんて……」
「やっぱり、それはないですか……」
「前提がそもそもおかしいんですよ? この事件。佐倉巡査は白装束の女性が言ったという話に影響されすぎですよ。ほどほどにしないと」
「”言ったという”って……警部も聞きましたよね? 車の中で」
あのとき、運転席には悠夏が乗って、鐃警は助手席にいた。
「……佐倉巡査。とても言い辛いことなんですけど……」
「警部。まさか聞いてなかったって……?」
「いえ、そもそも……僕が幽霊を見聞きしたという前提が違うんですよ」
「警部……?」
「僕は一度も白装束の女性を見てないですし、声も聞こえていないんですよ?」
鐃警の予想していない発言に、悠夏は言葉を失った。確かに、鐃警と女性は一度も会話していない。てっきり、自分に全てを任されていたのかと勘違いしていた。ロボットである彼には、白装束の女性は映っていなかったのだ。
「みんなの視線と言葉伝いで、多少分かっただけなんですよ」
鐃警のカミングアウトで、悠夏は段々と自分がどんな状況下にあったかを理解していく。それとともに、鳥肌が立つ。
To be continued…
ロボットである鐃警だけが見えていた景色。いや、見えていなかった景色だからこそ、というべきでしょうか。幽霊に翻弄される捜査員達とは違い、冷静に見ていたようです。車の中で驚く用意をしていたけれど、悠夏のツッコミで驚けなかったり、部下にさせればいいんですよとか言ったりしていましたが、そもそも彼には見えていなかったし聞こえてもいなかったという。ということは……どういうこと? 次回、改めて事件を整理します。




