第172話 東京の夜空を彩る花火が打ち上がるとき、弍拾参
稲蔵 実信は、構成員の男から協力者の話を持ちかけられていた。カーテン越しに、静寂の中の打ち上がった花火の色が部屋を照らす。赤色、黄色、青色。3発の後、また静寂が訪れる。上がったのは、近い第一会場だろうか。
稲蔵は持っていた双眼鏡をブルーシートの上に置き
「連絡役から、予定通り撤収するように指示があった。ここに長居は出来ない」
「予定通り? そう言ったのか?」
この男は撤収指示を受けていないのか? 稲蔵は疑問に思ったが、悠長にしている時間はないだろう。
「交渉はまだ始まったばかり……、撤収なのか?」
「それは気になるが……、まるで切り捨てるようだ」
「今、何て言った?」
男が稲蔵の服を掴んだ拍子に、帽子が落ちる。稲蔵は男の目が変わったのを見逃さず、
「なんだよ、笑えよ。言っとくが着ぐるみじゃないぞ」
兎の姿が露わになったのだ。男は少し驚いたようだが、
「切り捨てる……まさかな……」
稲蔵の姿には全く触れずに勝手に考え込む。やがて、掴んだ手を緩めて、稲蔵に背を向けて玄関の方へと歩く。
「謝罪もなしかよ……」
という稲蔵の言葉は届いていないようだ。男は携帯電話でどこかへ連絡する。
「おい! 盗み聞き」
盗聴される可能性を指摘したが、男はポケットからなにやら機械を取り出した。アンテナが伸びて、電子音が一定に鳴る。おそらく盗聴器発見機だろう。
男は警戒する素振りをみせず、安易に電話口で自分の名前を述べた。
「川喜多です。ご無沙汰しています。どうやら、予定通り撤収する指示が出たようで、これは計画通りのようです。おそらく、警察に捕まえさせることが目的ではないかと。橋の爆破でモグラを始末しよう企んだという推測が、強ち間違いでは無かったようです」
稲蔵は耳を疑った。組織の上層部に連絡しているような内容ではない。川喜多が電話を切ると
「改めて、警視庁公安部の川喜多です。立和名 言葉を自ら逃がし、警察へ保護を託したという点を買い被り、公安の協力者として引き続き宇佐鷺組の潜入をお願いしたいのですが」
稲蔵は、ドラマぐらいでしか聞いたことのない協力者という役割が本当にあるのかと、夢でも見ているようだと感じた。川喜多は稲蔵の返事を待たずして
「ちなみにですが、断ればこの場で逮捕します」
「それ、もし俺が協力者を演じて、逆に利用するような可能性は考えないのか?」
「少女を一人逃がした立場の人間が、組織の人間に信用されますかね? それに捜査員は別にもいますから。密告しようすれば、逮捕ですめばいいですけどね」
「脅迫じゃないか、それは」
「すでに犯罪に手を染めた人が言えますか?」
「俺はまだ……。いや、全くもってそうだ」
組織に巻き込まれた時点で、もう後戻りできない。いっその事、逮捕された方が罪を償って……。そこまで考えたが、1つ心残りがあった。それを思い出した稲蔵は
「俺が言えた立場でないことは重々承知しているが、代わりにひとつ頼みがある」
「交換条件というやつですか? 刑期を軽くしたい、それとも」
「いや……、そういうのじゃない。森堂 朝次という男の所在を調べて欲しい」
「モリドウ……? その男の所在を調べてどうするつもりだ?」
「他人を獣の姿に変えることに罪状があるなら、森堂をそれで逮捕したいが、そんな罪状はない。だから、そいつの口から直接聞くためだ。警察の前で殺人なんかはしないから、ただ所在を知りたい」
「検討はしますが、お望み通りになるとは保証できません。それで、こちらの提案は?」
「協力者とやらを引き受ける」
*
元捜査一課所属、現在公安部所属の川喜多 拓駕巡査の連絡を受けたのは、本捜査には加わっていなかった長谷 貞須惠警部補だった。
「さて、まずは警察庁か?」
川喜多から得た情報を警察庁刑事局組織犯罪対策部組織犯罪対策企画課の高円寺 宗兵衛警部に連絡する。長谷警部補と高円寺警部は同い年で、過去の事件で交流があった。それが縁となり、長谷警部補が警察庁に情報を流す際は、高円寺警部に連絡していた。電話を終えると、
「次は榊原警部か」
榊原警部に連絡する。ただし、情報提供元は伏せるように忠告した。どちらにも、川喜多の名前は出さなかった。とある筋からの情報とだけ。ただ、これが決定打になり、警察の方針が大きく転換する。それまで確保を待っていたが、待つ必要がないと判断。
*
「こちら新野。突入します」
「同じく、天河も続きます」
警視庁刑事部捜査二課の新野 隼佑警部と警視庁組織犯罪対策部組織対策第二課の天河 紀一警部は、工事中の公衆トイレに近づき、フェンスを開く。捜査二課と組織対策二課の捜査員たちは、工事用フェンスの周囲を囲む。異様な光景に、花火を見ていた人々が、公衆トイレのほうを見る。スマホで動画を撮影する人もいるが、捜査員が少し離れてください。
黄色い立ち入り禁止のバリケードテープ持ち、公衆トイレ周辺から野次馬を遠ざける。しかし、次々と打ち上がる花火よりも、公衆トイレで事件があったのかと気になる野次馬が増える。
公衆トイレの中では、中武 芯地が500万円に偽装した紙切れを渡しているところだった。
「警察だ。電田 心斗、現行犯で逮捕する」
新野警部が警察手帳を見せて、天河警部が電田の確保へ近づく。しかし、電田は鞄を振り回して、公衆トイレから逃げようとする。しかし、入り口は多くの捜査員がおり、逃げ場がないと悟った電田はその場に崩れ落ちた。
新野警部が時計を確認し、
「19時59分。公務執行妨害の容疑で逮捕する」
一旦、公務執行妨害で逮捕し、勾留期間中に詐欺罪で再逮捕するだろう。
取り引きは電田の逮捕で幕を下ろす。
*
問題は、厩橋である。悠夏が軽傷とは言え、被疑者が鋭利な武器を所持している。それ以外にも隠し持っている可能性もある。長谷警部補から報告を受けた榊原警部はすぐに
「藍川、被疑者確保だ」
「了解です」
急いで袂から橋の中央へ。人混みを掻き分けていく。
悠夏は、立和名に覆い被さるようにして、被疑者から守る。榊原警部はインカムで「応援はまだか!?」と叫ぶ。
To be continued…
”予定通り”とは。真意が分かるのはしばらくあとになりそうです。おおよそ想像通りだと思いますが。
川喜多の名前が出てくるのは第111話以来です。なぜ彼が……
次回、終章。2022年最後の更新です。




