第169話 東京の夜空を彩る花火が打ち上がるとき、弍拾
2019年7月27日土曜、19時46分。第42回隅田川花火大会は、第一会場と第二会場からそれぞれ花火が打ち上がり、大盛況である。その最中、1つの組織が絡む3つの事件が進行していた。
隅田川公園の公衆トイレでは、取り引きが行われていた。花火を見ずに、工事中の公衆トイレを見る3人の芸能人。最低限の変装をしており、今のところ声をかけられることは無い。それが喜ばしいことなのかどうかはさておき、今は周囲から声をかけられたくは無い。
「あいつ、大丈夫かな……」
絓 正人は、中武 芯地のことを心配していた。元相方が事件に巻き込まれ、囮捜査で現行犯逮捕を行う。それが上手くいくかどうか。
「芝居やってる身だ。そこは大丈夫だろ」
と言いつつも、萱沼 丞は同期ということで、他人事では無いことに落ち着かない。
「トイレの中には、潜伏している警察官もいる。何かあれば、そんときは」
警察が犯人を確保するだろう。青樹 勤が最後まで言い切らなかったのは、青樹も心配しているからだ。余計なことを言って、想定外の展開にならないように口を噤んだ。ここで言う言わないが結果に結びつくはずはないのだが。
*
空き室のはずだ。しかし、なぜかドアからガチャガチャという音が聞こえる。ノブを回している音だろうか。鍵はかかっている。架かっていたはずなのに、なぜか扉がゆっくりと開く。
(ピッキングか……?)
稲蔵 実信が気付いたときにはもう遅かった。扉が開き、1人の男が入ってくる。警察だろうか。警察なら1人ではなく、複数人だろう。だが、部屋の中に入ってきたのは1人だけ。いや、警察ならオーナーや管理会社からマスターキーを借りるだろう。ならば、なぜピッキングする必要があった? 証拠が残るようなことを。
稲蔵は、迂闊なことは言えないと考え、相手の出方を探る。
相手も黙ったままだ。どうして? 声が出せないまま、硬直状態になる。飛ばし携帯の電話が鳴る。男は右手で電話に出ろとジェスチャーで伝える。
ここで電話に出ないのも……。稲蔵は「もしもし」とは言わず、静かに耳に当てる。
「予定通り、撤収しろ」
それだけ言われて、電話は切られた。”予定通り”という言葉に引っ掛かったが、今は目の前の人物が敵かどうか見定める。
「なぜ報告しなかった?」
何を? 理由を聞いている? 言葉数は少ない方が良いだろうか。おそらく、警察が張り込んでいることをすぐに言わなかったから? それとも工事現場のアレを言わなかったから?
「何を?」
「しらを切るつもりか?」
質問を質問で返したとは言え、何のことだろうか。いっその事言ってしまうか。
「指示に無かった……から?」
半疑問になった。男は何かを見定めるように、自分のことを見ている。そう感じた。もしや……と、直感的に考えたがそれを言うにはリスクが大きい。
「彼女を解放しようとしたのはなぜ?」
そう言われて、ようやく理解した。この男は立和名 言葉のことを言っている。……待て。”解放しようとした”という言い方がすごく引っかかる。まるで失敗したかのように。
「まさか、あの子に何かしたのか」
会話が噛み合っていないのは重々承知している。それに”予定通り、撤収しろ”ということは、カーテンの外では橋が爆発し、騒動になっているのか? そう言えば、花火の打ち上がる音がしない。いつから音がしないのかは分からない。まさか……
「あの子は関係無いだろ」
「広珠蒲で事件を目撃した。それでも?」
「あの子は自分から乗り込んだと言っている。事件を目撃したとは一言も言っていない」
「本当にそうか?」
稲蔵は自分で言っていても、馬鹿げていると思っている。立和名が自ら犯人の車に乗る? まるで自殺行為だ。自暴自棄だったのかと、親でなくとも怒りたくなる。あのままでは、また同じことを繰り返しどこかで命を落とすだろう。あの子自身、本当にこの世を去りたいなんて思ってはいないだろう。その一瞬間だけ、魔が差したと言うべきか。だから、警察に保護してもらうのが一番だ。児童施設や親に直接返すのでは、あの子は変わらない可能性が高い。警察でこっぴどく怒られれば良い。そして、自分の過ちに気付け。……本当は、自分がそれをすべきだったのだろう。すでに道を誤った自分には、あの子を怒ることができなかった。
「あの子をどうするかは、指示を受けていない。だから、自分の判断で解放した」
すると、男は少し考え込むように小声でぶつぶつと言うと
「組織に盾突くことになっても、自分の行動は正しいと?」
「あれが正しい行為だったかは分からない。少なくとも、組織の立場から言えばマイナスだろうな。ここで、さらに3人も失って」
稲蔵が”3人”と言ったことに、男の眉がピクリと動いた。
「ならば、協力しないか?」
思わぬ提案に稲蔵は「は?」と声が出ていた。
「協力者を探していた」
稲蔵はピッキングで開けられた扉を指さし、
「……後先考えないヤツに誘われてもな」
「あれはわざとだ」
訳の分からないことを言われ、稲蔵はまた「は?」という声が出ていた。沈黙が流れると、ドンという音が外から聞こえてくる。花火の音か、それとも爆発音か……
カーテンを背にしており、外の様子が分からない。
*
19時??分。正確な時間は分からない。厩橋の近くにまで来たが、思わぬことになった。隅田川花火大会は交通規制を事前に告知している。しかし、唐突なことで、それがすっぽりと考えから抜けていた。第一会場近くの厩橋は、一方通行で規制されていたのだ。立ち止まらず、一方向に流れる人々。すぐ北の第二会場では花火が打ち上がっている。
隅田川に架かる橋の規制状況は、第一会場近くで立ち入り禁止区域に指定されている桜橋から南へ順番に次の通り。言問橋は東から西への一方通行。すみだリバーウォークは完成前で工事中のため、当然ながら立ち入り禁止。吾妻橋は西から東への一方通行。駒形橋は東から西への一方通行。
2つ飛ばして、両国橋は相互通行可能。なお、桜橋より北の白鬚橋も相互通行可能。
両国橋の北、蔵前橋は東から西への一方通行。そして、厩橋はというと……
To be continued…
最長の20話到達へ。序章を入れると21話ですが、隅田川花火大会の話はまだ続きます。
2022年も残り少ないですが、一気に明日と大晦日も『エトワール・メディシン』を連続で更新します。展開的には、各所でピンチが訪れそうな予感。




