第168話 東京の夜空を彩る花火が打ち上がるとき、拾玖
六本木の東京放送第一テレビや最大手の動画配信共有プラットフォーム”TubeLiving”で生中継されている”第42回隅田川花火大会”。時刻はまもなく19時30分。
東京放送第一テレビの場合は、女性アナウンサーの浜田 春海が中継画面右上のワイプに映り
「まもなく第二会場から花火が打ち上がる時間となりました。現在、映像では第一会場からの花火をお届けしております」
中継の画面が横に二分割される。片方は花火が夜空を彩っており、夜景も綺麗だ。もう一方は、暗い夜空で画面下部には首都高の光が見える。
数秒して、夜空だけの画面に上空へと上がる一筋の線が。やがて、大きな花を開き、菊花火が夜空を彩る。第二会場周辺で歓声が上がる。続けて、二発目も菊花火だ。中継の画面では、第一会場と第二会場の両方の花火が同時に映っている。現地でも、第一会場と第二会場の両方が見える場所で、人々はスマホや一眼レフカメラで撮影を行う。レジャーシートに座った家族連れやカップル、友人や仕事の同僚など、皆が東京の隅田川上空に上がる2箇所の花火を見上げて楽しんでいる。
見物客の中には、昴 千弦と北澤 ことみの姿もあった。楽しげに談笑しながら、花火を見上げていた。
”TubeLiving”では、無人航空機ドローンの販売会社”ユメミル・スペース・グローバル商社”が宣伝のために特別に許可を得て、花火を上から見える生配信を行っていた。さらに、スカイツリーから生配信している配信者もおり、1993年のドラマ作品、2017年にはアニメーション映画にもなった話題の映画タイトルでは無いが、文字通り、下から見ることも横から見ることも、さらには上から見ることもできる。
そして、東京放送第一テレビでは企画でドローンを花火の中に突入させる”花火の内部から見る”ということにチャレンジしていた。
人々が花火に夢中になる中、綺麗な花火を落ち着いて鑑賞することが出来ない人々がいる。何事も無く、無事に隅田川花火大会を終えられるように、周囲の警戒を行う捜査員や指示を受けて場所を移動する捜査員。この隅田川花火大会の人混みを利用して、大金を得ようとする者。
アパートの4階空き室で監視をしていた稲蔵 実信は、飛ばし携帯で時間を確認する。19時38分。まもなく取り引きの時間だ。稲蔵がアパートに到着したのは19時35分。到着してすぐに電話がかかってきたことから、アパートも監視されているのだろう。ならば、先ほど見た光景を連絡すべきだろうか。
稲蔵は同期の姿を確認した後、工事中の橋の下に止まっている巡視船を見た。もう一度、橋の方を見ると、まだ停泊していた。
いや、言わない。アレが見えた場所は限られる。
あれこれ考えていると、取り引き場所に動きがあった。連絡する暇もなく、固唾を呑む。次の瞬間、稲蔵は「マジか……」と溜め息混じりに、別の心配事を目の当たりにした。
中武 芯地が工事中の公衆トイレへと入っていったのだ。4年前、ともに切磋琢磨したライバルであり同期の元お笑い芸人だ。確か、今は俳優業をやっていたのでは……。そこから程ほどの距離には、見覚えのある3人がいる。中武の元相方、絓 正人。”トラオム・ダイアグラム”のコンビで活動していた。さらに、”ながれたす”の萱沼 丞と青樹 勤もいる。
「まさか、いるのか? お前も……」
稲蔵は3人の周囲を隈無く探す。ただし、冷静にいられず、焦っている。だが、自分の元相方である鈴山 公の姿は見当たらない。
「いるはずがないか……」
乱れた呼吸を何度も落ち着かせようとするが、なかなか整わない。寧ろ、たまに過呼吸のようになる。
「落ち着け……落ち着け……。ターゲットが芸能人なんて聞いてないぞ……」
稲蔵の正体を知る者は宇佐鷺組にいない。偶然だろう。
どうする? どうする……? 俺はどうすればいい? ターゲットは元同期だ。被害者になって欲しくは無い。取り引きを失敗させるべきか……。あいつは単独で決める傾向があった。どうやって失敗させる?
取り引きを監視しろという指示だった。そう言えば……、”何かあれば連絡しろ”という指示は受けていない。……受けていないよな? 軽いパニック状態だ。冷静に考えようとしても、自分の記憶が段々と信じられなくなる。連絡しろって指示を受けた……? 記憶を疑い始めると、もはや分からない。
「落ち着け……」
ここで喋っている内容が盗聴されている可能性がある。口に出すな。なお、盗聴はされていなかったと分かったのは、この日からかなり後のことだ。
(考えろ。どうして、3人がこの場にいて、遠くから見守っているんだ?)
可能性を考える。昔の同期の考えくらい分かるだろ? と、自分に言い聞かせる。稲蔵は双眼鏡で周囲を見渡す。花火を見ずに、周囲を警戒している人物が何人もいる。しかも、たまに公衆トイレの方を見ている。つまり
(囮だ。警察と協力して、捕まえようとしているんだ)
中武は自ら囮となって、誘い込んでいるのだ。すでに事務所や警察に相談済みだ。稲蔵は安堵したが、すぐに別視点の心配事が。
(ならば、確実に取り引き担当は捕まる)
飛ばし携帯の時間を見ると、19時42分。
(もう時間は過ぎている……。大丈夫か?)
立和名 言葉は、警察に無事保護されただろうか。さらに、もう一つの騒動はどうだろうか。
(頼む……。無事に……)
稲蔵は飛ばし携帯の履歴から電話をかける。
「もしもし」
「なんやかあったか?」
相手は若干訛っていたが、無理矢理標準語に直そうとしていた。
「張られている」
「それは本当か?」
電話の相手は、標準語で喋っている。どうやら訛っていたのは最初だけだ。唐突にかけて、油断していたのだろうか。
「それも人数が把握できない」
「分かった」
と言うと、一方的に電話を切られた。ここからは伝言ゲームだ。連絡役がさらに伝える。何人を経由するのかは分からない。
公衆トイレの近くを双眼鏡で確認すると、男の姿が見えた。少し前まではいなかった。花火など一度も見ずに、周囲を警戒するように見ている。工事用のフェンスに手をかけようとしたとき、手が止まった。電話のようだ。男は、振り向いてフェンスに背を向ける。
(中止の電話が届いたか……)
双眼鏡で男の周囲を見ると、男を睨むように見ている人物が何人か確認できた。捜査官の場所は分かったが、他にも隠れている人物はいるだろう。
(取り引き相手の素顔が割れた可能性が高い。そうなると、他の騒動とやらを起こす可能性が高い。俺も逃げる準備をするか……)
飛ばし携帯に着信が来た。「もしもし」と稲蔵が電話に応えると
「続行だ。引き上げは、橋の爆発が合図だ」
耳を疑う言葉だけを伝えられて、電話を切られた。双眼鏡で公衆トイレを見ると、先ほど電話をしていた人物が工事用フェンスを開けて中へと入る。
(なんで……)
リスクを取ってまで金を奪う気なのか……?
双眼鏡で外ばかり気にしていた稲蔵だが、後ろからガチャガチャという音が聞こえ、急いで振り向く。
(鍵……かけたよな……)
何者かが扉を開けようとしていた……
To be continued…
2週だと終わらないとか言ってましたが、筆が一気に進み第172話まで進んでいます。しかし、それでも終わりがどうなるかという状況なので、来週は変則的に更新すると思われます。年内に隅田川花火大会の話が終わらなければ、年始早々にも終わらせたい所存。
それと、公安課の話を先にしようかと先週言ってましたが、順番を変えました。




