第164話 東京の夜空を彩る花火が打ち上がるとき、拾伍
忘れもしない。2014年11月24日月曜日午後1時過ぎ。栃木県足尾市の山奥に位置する岩駕富商工業採石場。特撮のマニアのサイトによると、そこそこ撮影場所として使用されているらしい。
採石場は現在休業中である。社長と現場監督が事件に巻き込まれ、採石場が捜査対象となっており、営業出来ない状態である。
事件担当は栃木県警足尾警察署。岩駕富社長が誘拐され、犯人に心当たりがあると言った島村現場監督が行方不明となった。栃木県警に通報があったのは、事態が深刻になってからだった。通報が遅れた理由は、犯人グループからの脅迫で警察に通報すると、社長の命は保証できないと言われたそうだ。会社からは通報できず、島村現場監督の妻が警察に通報して、事件が発覚した。
犯人グループは、11月22日の未明に逮捕され、現在は事情聴取中である。岩駕富社長は、昏睡状態で発見され、病院に搬送された。犯行グループの目的は身代金であった。島村現場監督は、犯人達に返り討ちに遭って拘束されていたが、命に別状はなかった。
犯人グループからの供述で、採掘場内に別の事件で盗んだ現金を埋設していることも分かり、採掘場の一部において、鑑識による検証を行っていた。ただし、のちに時間を稼ごうとして苦し紛れに言った虚偽の供述であったと判明することになる……。
事件は決着しているが、しばらくは採掘場は使えそうにないことから、今回の機械処理を栃木県警経由で打診したところ、使用料を支払っていただけるのであれば、構わないと返答があった。
未知の機械に関する調査は、倉知 音弥が副総監に就任して、最初の事件扱いだった。警視監に昇格して早々、蓼聱牙 良輔副総監が警視総監に昇格したため、空いた副総監に倉知が着任した。本当かどうかは分からないが、噂話で他の警視監が副総監に着任しなかったのは、この件で倉知を昇格させた方が後々良いと判断されたとか。ちなみに、倉知副総監は当時50歳である。
キャンプなどで使うポータブル電源を用意し、機械に給電を行った。その結果として、機械ではあるはずが、まるでパニック状態になって意識を失った少年のようだった。
再び目覚めるのを待っていると、1時間ほどで「うぅ……」と悪夢に魘されているかのような、苦しそうな声を上げた。
「大丈夫か?」
倉知副総監がやさしく声をかけると、ゆっくりと機械が目を覚ましたようだ。
「……くらちさん?」
「そうだ。名前を覚えてくれたんだな」
倉知副総監は、機械を相手にするというよりも、人間の少年を相手するように振る舞う。
「それで、教えて欲しいな。キミの名前」
「僕は……」
すると、機械は黙り込んだ。人間で言う記憶喪失だろうか。機械なら、メモリやハードディスク破損というべきか。
「もしかして、分からない……のか?」
「さっき、夢の中ではドロヌマって呼ばれてた……」
「泥沼?」
「うん。泥沼に嵌まって、惨めな醜態を晒して、そう呼ばれてた」
(”惨め”。”醜態”。”晒して”。難しい言葉は使えるんだな。虐められていたときの記憶ということか? まるで人間だな。泥沼は比喩表現か?)
倉知副総監は少年の語彙力を疑いつつ、敢えて機械という前提を放棄して
「小学校のときか?」
と、具体的に夢の内容について訊いてみた。否定されると思われたが、
「たぶん。そんなことがあったんだと思う」
やはり、機械とは思えない。自分が相手している人物が”機械”ではなく、本当に”少年”だと仮定したら、目の前で恐ろしいことが起こっていることになる。人間が機械の体を手に入れた? そんな漫画やテレビの世界じゃあるまいし。
この頃は、”怪事件”というものは無かった。実際には過去から存在していただろうが、いずれも人間として処理されていた。当たり前だ。人間で無い人物など想定していなかったのだから。怪事件としての最初に扱われたケースが、この機械だった。
機械は過去の記憶が思い出せないそうだ。しかし、人間と同じような応答や、多少の違いはあれども人間のような動きが出来た。当時のロボット技術では考えられない。
世は、第三次人工知能ブーム。2000年代から2022年現在も続いているAIブームである。インターネット上に存在する膨大なデータこと、”ビッグデータ”を元にAIが知識を獲得する”機械学習”が実用化され、人工知能が自ら学習する”ディープラーニング”が更なるブームを加速させている。特許庁によると、AI関連の発明に関して、特許出願件数が増え始めたのが2014年らしい。
この機械を公表するには、時期尚早。ここから、倉知副総監とドロヌマと夢で呼ばれた彼との対話が始まった。公表に至るまで、4年の歳月をかけて……
彼と対話する中で驚いたことがあった。それは、ある日のこと
「今日は何か本を読んでいるのか?」
機械がタブレットで電子書籍を読むという不思議な光景だが、倉知副総監はそこには触れなかった。
「警察官の勉強です」
「そうか。頑張り屋さんだな。警察官に関する勉強だと、内容が難しくないか?」
「いえ、刑法は憶えました」
「ん?」
「どうやら、僕は一度憶えたことを忘れないみたいです」
倉知副総監は驚いたが、機械の彼であれば記憶が書き込まれて、忘れないのだろうかとそれっぽい考えを巡らせる。
「倉知さんの先週木曜の晩ご飯は、カレー麺でしたよね? 合ってますか?」
「……いや……」
「間違えてましたか……」
「いや、そうじゃない。先週の木曜……。なんだったかな……」
自分の方が忘れている。「たぶん、そうだったかも」と自信が無い。そもそも突如訊かれて、お昼ご飯や晩ご飯を直近でさえ思い出して言えるだろうか……? 歳だなと思う。
彼は、その後も警察について勉強を続けた。倉知副総監が警察学校で使用する実習用の事件資料を入手し、彼に渡して事件が解決できるか試してみた。最初は難しいようだったが、次第に解決への糸口を掴めるようになった。実際の事件についても、考えを聞いたことで、解決に繋がったこともあれば、奇抜な発想により、一歩間違えれば迷宮入りになりそうなこともあった。
そして、2018年12月。倉知副総監は、”特課”を立ち上げることとなった。
なお公表時の名前で”鐃警”に決まった理由は、佐倉 悠夏が配属される初日、「一応、未来性や国民に親しまれているから、その名前にした」と倉知副総監が説明していた。ただし、悠夏に名字を訊かれたとき、「開発者が泥沼という名字だったから」という突発的な嘘を言っていた。配属した初日に全てを明かすことは出来なかった。しばらくして、悠夏が気付くだろうと。そもそも特課が4月まで続くかどうか分からなかった。
年齢的に倉知副総監は2020年にも警視総監に昇格しそうかな。警視総監が何歳かで定年時期にもよりますが。さて、過去の回想が終わり次回からは事件が進むかな。今年中に終わるのかな……これ。隅田川花火大会の話が終わったら短い話をする予定です。
鐃警と倉知の邂逅を何年にするかを考えるのに時間がかかりました。2014年より前にすると、第163話で副総監就任していると書いたので、警視総監に昇格するタイミングがおかしくなるかなと、あとは他の出来事の設定と矛盾しないように調整しつつ……。本作『エトメデ』の他、『黒雲の剱』や『紅頭巾』などなどの作品が裏で絡むので、年表整理すると結構自由度無いですね。
AIについて作中でいろいろ書いてますが、どこまで描くか試行錯誤してます。あまりにも深く書きすぎると、鐃警で無茶が出来なくなってしまうので……。第2話や第3話、第45話くらいのノリの話をまだまだ書きたいですし。
さて、もうしばらくだけ続く隅田川花火大会ですが、次回から鐃警が再び動けそうかな?




