第163話 東京の夜空を彩る花火が打ち上がるとき、拾肆
2019年7月27日土曜日午後7時10分。第42回隅田川花火大会の第一会場より、花火が打ち上がってから5分が経った。人混みを掻き分けるのは困難。急いでいるとは言え、警察だと明かしてしまうわけにいかない。私服警官として、人混みに紛れ込んでいるのだから。
警視庁刑事部捜査一課の榊原 岾人警部と藍川 桑栄巡査、警視庁特課の佐倉 悠夏巡査は、工事中の新設歩道橋建設現場の近くを歩いていた。伊勢崎線の高架をくぐり、北十間川の源森川水門を横目に、枕橋を渡ると墨田区役所が見えてきた。周辺は混雑しており、警察官が誘導を行っていた。墨田区役所の隣には、国内大手のビール会社”アカツキビール”の本社がある。金色の雲がに靡くようなオブジェが特徴的である。これは金色の雲では無く、フラムドールと言うそうだ。フラムドールはフランス語で”金の炎”であり、社員の燃える心をイメージして造られたそうだ。下の建物が聖火台である。屡々、元々は縦向きに建設されたという噂がされるが、デザイン当時から横向きであり、縦向きにデザインされた経緯は無いそうだ。ちなみに、隣の建物はビールジョッキをイメージしている。
特徴的な建物を通り過ぎると、榊原警部が足を止めた。
「榊原警部?」
藍川巡査が「どうしました?」と聞くと
「このまま人混みを掻き分けるのは、会場に近づくにつれて難しくなる。遠回りになるが、隅田川から一旦離れる」
吾妻橋東詰交差点から南東方面へ向かう。通常であれば、厩橋まで移動するのに時間が足りるが、隅田川花火大会の混雑で、想像よりも到着に時間がかかりそうだ。
*
少し遡り、午後6時30分ごろ。警視庁生活安全部サイバーセキュリティ課の会議室のドアを、倉知 音弥副総監がノックして入室する。
「入るぞ」
「倉知副総監。ご足労をおかけいたします」
と、瀧元 瀧一は姿勢を正す。
「ハードやソフトではなく、メンタルが壊れたロボットがここにいると聞いたが?」
「こちらです」
瀧元が案内するまでも無く、会議室の端っこで子どものようにしょぼくれているロボットがいた。
(まるで子どもだな……)
*
「ここは、倉知副総監にお任せしたい」
倉知副総監と紅 右嶋警視長、田口 啓正警視正の3人で話し合っていたが、階級が一番高い副総監に判断を委ねられた。階級は警視総監、警視監、警視長、警視正の順。副総監は階級ではなく、警視監の階級である人物から1人が割り当てられる。
「あの機械の正体が分からない以上、どう扱うべきか上に確認するのは至極当然のことかと」
「警視総監に聞くべきだったか……」
倉知副総監は少し落胆していると、紅警視長が追い打ちのように
「総監に相談されても、副総監から提案していることから、一任すると言われるかと」
「分かっている……。分かっているからこそ、元同僚に相談するしかなかった」
「元同僚だと言ってくれるのは有り難いですが、毎回そう言って我々を巻き込んでますよね? 倉知副総監」
「今回のは今までと訳が違う。今までも今までだったが、今回のはそれらを遥かに凌駕している」
紅警視長と田口警視正は、これまで元同僚の誼みで無理難題を相談に乗っていたようだが、今回は規格外。
「留置所に勾留する? 科捜研に送る? 断られたよ。だから、面倒を見ることになった。しばらくは捜査になる。製造元を探る」
しかし、製造元を特定することは出来なかった。極秘のため、少数精鋭で捜査に当たったが、全くと言っていいほど情報を掴むことができなかった。産業用のCTスキャンを依頼し、非破壊検査を行った。市販されているような製品は使用されておらず、部品から手がかりを掴むこともできず、捜査は暗礁に乗り上げた。
CTスキャンの結果から爆発物が搭載されていないことが分かり、機械は家庭用電源で動くことも分かった。それからは主に根回しを行うことで時間がかかった。理由は安全を期して、機械に電源を投入するため。機械は最初から電源が切れていた。電源を投入すると、何が起こるか分からない。郊外の採石場で、上空からの情報漏洩を防ぐために、簡易の屋根を拵えた。妨害電波や最悪破壊してでも止めるような最終手段まで用意した。防弾チョッキを着込み、周辺にはSITも少人数で待機している。
機械に電源を入れると、そんな心配を余所に
「ここは……?」
最初の一言は、場所を訊くようだった。最近のスマートスピーカーならば、挨拶で「こんにちは」から起動することが多い。それか設定方法を喋る。しかし、この機械の反応は、まるで事故か何かに遭って目を覚ました人間のようだった。
倉知副総監は機械に近づき、しゃがんで同じ目線で話しかける。
「キミの名前は?」
「名前? えっと……。おじさんは?」
日本語は通じる。しかし、まるで子どものようだ。おじさん呼ばわりされたが、今はそれは触れずに、
「申し遅れたね。私は倉知という」
「くらち?」
今度は呼び捨てにされた。それも触れずに
「そうだ。キミは?」
「……分からない」
「分からない?」
機械は、自分の手をゆっくりと動かす。すると
「なんで? ……なんで?」
次第に混乱して慌て始める。本体がまるで人間でいう痙攣のように震える。
「ねぇ? くらちさん……、これ僕の手じゃ無いよね……? ねぇ? 嘘だって言って!」
明らかに異常だった。倉知副総監は、その異質な反応に落ち着かせるため
「キミ、落ち着いて」
「イヤだ……、イヤだ!」
落ち着かせるために、何と言うべきだ? 人間ならば「落ち着いて、深呼吸だ」と言えば良いのだが、相手は機械だ。本当に人工知能なのか? まるで人間の少年のようだ。しかも、少年が機械の体になって驚いて混乱しているような……。
「なんで?」
そう言って、機械はフリーズした。人間のように言うならば、混乱し過ぎて、パニック症状となり、意識を失った。
電源を入れたことにより、倉知副総監はとんでもない機械と出会った。どう報告すべきだろうか。危険性は低いと判断し、警戒レベルを下げつつも、最低限のリスク回避として、郊外の開けた場所かつ、人目につかない場所で、引き続き目が覚めるのを待った。採石場は、別件の警察の捜査で休業状態だったこともあり、打って付けだった。
To be continued…
花火が打ち上がるなか、3人は移動中。フラムドールは、調べてそうなんだと思ったので調べた内容から書き連ねてみました。アカツキビールは後々出てくるかな。
さて、ここから回想に入るとなると、さらに長い話になりそうです。鐃警と倉知副総監が出会ったときの話。どこまで描くかは次回。




