第151話 東京の夜空を彩る花火が打ち上がるとき、弍
6畳の狭く暗い部屋で、中学生の少女は床で漫画を描いている。兎の容姿をした男は、買ってきた梅おにぎりと缶コーヒーを持って部屋の端っこに座り込んだ。少女は、肩を回しながら起き上がって座ると、兎から受け取ったおにぎりを開ける。昆布だった。
「鍵は中から開けられる。いつ逃げ出してもいい。ここにずっといる価値なんてないだろ?」
「漫画が描ける」
「家でも描けるだろ。それぐらい」
「家だと描かせてくれない。かかあがダメだって」
少女は母親をかかあと呼んでいるようだ。嬶は本来”妻”を意味しているが、おそらく父親が母親のことを”かかあ”と呼んで、それに影響を受けたのかもしれない。
「ウサギさんは家族いるの?」
「……どうだろうな。もうどれくらい会ってないだろうな。まだ生きているとは思うが、俺のことはどうでもいいだろ」
「友達もいないんだ」
「いたよ。1人だけ。一緒に仕事をするようになって」
「まさか詐欺の?」
「違う。テレビに出ていた頃の話」
「有名人だったんだ」
「有名になりかけたけれど、足元を掬われた。……だから、俺の話はどうでもいいだろ。もういい。今夜、ここを後にする」
「なんで」
「今決めた。そもそも長居しすぎると、居場所が割れる」
「どこに行くの? ついていくから」
「話にならない」
兎の容姿をした男は、そう言って座ったまま壁に凭れて仮眠を取る。少女と話すと余計なことまで喋りそうだ。それ以降は、少女の声かけに一切反応しなかった。少女は諦めて、漫画の続きを描き始める。
*
捜査二課デスクで捜査資料を片手にパソコンで作業する新野警部のもとへ、50代ぐらいの男性が近づく。
「新野警部、少しいいか?」
新野警部はすぐに捜査資料を机に置いて、姿勢を正す。
「はい。石間警視、捜査会議は先程終わりまして」
刑事部捜査二課の石間警視。つまり新野警部の上長だ。
「気になることがある。害者はすぐに通報していない。盗難と詐欺被害だけではなく、社内に問題がないか確認しておけ」
「問題というと?」
「労基や着服、改竄、献金。考えられること全てだ。大方、こういうときは警察に調べられると困るから通報しなかったと相場が決まっている。当たりなら、新野の手柄でいいぞ」
「分かりました。調べてみます」
「所轄には俺から話を通しておく。連絡先を送るから、警察署の二課と連携して進めろ」
「はい」
「それと、特課の指示で、組対がスコットランドヤードに問い合わせている。探りを入れて、俺に連絡を展開してくれ。頼んだぞ」
石間警視はそう言って、別のフロアへと移動する。新野警部にこの件を話すために立ち寄ったようだった。
新野警部は、途中だったメールを書き上げて送信すると、石間警視が残したメモを見て、まずは江東区亀戸警察署刑事部捜査二課の錦糸警部へ電話する。
「もしもし。警視庁刑事部捜査二課の新野です」
「石間警視から話は聞いている。盗難被害に遭った頼舞木材亀戸本店に関して捜査をしていた際、詐欺被害にあった今舞文具後楽園駅前店と揉めていたという噂話を聞いていた巡査がいた。当時、今舞文具後楽園店の詐欺事件に関して、こちらでは認知していなかったため、そこまで踏み込んだことを捜査員が聞いてはいなかった。頼舞木材亀戸本店は、今舞文具後楽園店へ文具用として木材を卸しており、頼舞木材の取締役が今舞文具の役員であり、関連会社だった。両社ともこの土曜日は営業日だから、進展があり次第展開する」
「有り難いです。引き続きよろしくお願いします」
石間警視が先に話を通している分、話が早い。他の警察署にも問い合わせたが、いずれも捜査中で進展があれば連絡するとのことだった。
(あとはスコットランドヤードの件か。特課に行った方が早いな)
新野警部は特課へと向かう。
*
如月プロダクション。通称”キサプロ”とも呼ばれる大手芸能事務所のひとつである。声優や俳優、芸人など所属タレントは約900人。朝ドラの主演女優、籠咲 早耶が所属しており、週刊少年誌ジャンデーで大人気連載中の『鬼里』のアニメ声優も多数所属している。漫才のトップを争う大会で優勝や入賞したお笑いコンビ、ピン芸人もいる。取締役社長の如月 秋美は、音楽グループのデビューに必ず携わっており、組み合わせやデビュー日、ライブ演出、グループ名も決めている。
そんな大手芸能事務所の如月プロダクションに所属する中武 芯地は、自分の部屋で仲間達と夜通し呑んで、目を覚ますと午前11時になっていた。頭痛が酷く、寝ぼけたまま洗面所へ向かう。寮に住んでいるため、洗面所は共有だが、この時間に人はいなかった。冷たい水で顔を洗って、自分自身を起こす。
タオルで顔と濡れた髪を拭き取り、部屋に戻ると1人はテーブルに俯せており、1人は寝転がって、1人はコップを持ったまま寝ている。
「片付けるか……」
起こす起こさない以前に、テーブルとその周囲に散乱したビールや日本酒を片付け始める。すると、同い年の絓 正人がコップを持ったまま起き上がり、片目で中身が空なのを確認すると、ペットボトルの天然水を開けて、コップに注ぎ一気に飲む。
「今何時?」
「11時3分」
「昼の?」
「そう。2人も起こして。夕方に用事があるから、その前に散髪に行きたい」
「ついていくかー」
「散髪に?」
「そうだなー」
絓は頭が起きていないようだ。どんなことを言っても、テキトーに喋っている。中武にとって、今日は大事な約束がある。マネージャーにはまだ話をしていないが、今日の相手次第では、仕事が舞い込みそうだ。そんな大事な日だが、前日に少し呑む程度で談笑していたはずが、気が付く前にアルコールがまわり、いつの間にか泥酔していた。あくまでも打ち合わせだし、夕方には何とかなるだろうと思いつつ、一夜で空っぽになった日本酒を共有部のゴミ置き場へと持って行く。ゴミ置き場は各階にあるが、収集日の前にはどの階もスペースからはみ出していた。
ゴミ出しを終えると、寝ていた2人も起き上がったようで
「すまん。思いのほか飲み過ぎた……」
「あ~あ~」
青樹 勤は謝罪しながら起きたが、萱沼 丞は日本語になっていなかった。
To be continued…
年度末ですね。2022年が早くも3ヶ月経過。
少女の名前と兎の容姿をした男の名前はしばらくしたら出てくるかと。
如月って2月やね。今3月だけど。
次回から毎週更新に戻します。ストックと時間と相談しつつ。厳しければ再び隔週に戻すかもしれません。あと、別作品もぼちぼち執筆再開も考えてます。様子を見ながら




