第136話 跋扈する魑魅魍魎
放課後。昴 千弦は異質な教室を見渡すが、いつも一緒に帰るはずの井村 八太郎や北澤 ことみはいない。部活は休みの日だったが、すぐには帰らず、何かを知っていそうな宮岸先生の後を追うことを考えた。
宮岸先生は教室から職員室へと歩いていたが、途中で足を止め、理科準備室へと入っていく。理科は担当ではないはずだ。
千弦はそっと扉の隙間から中を覗く。ダンボールが積み重なった奥に、宮岸先生がいる。だが、よく見てみると尻尾が見える。見間違いかと目を擦って、もう一回見るとケモノのような耳が見える。
女性教諭と思われた宮岸先生は、人間では無かった。
自分の目を疑いつつも足が竦み、その場から動けずにいると、中からドンという音と、何かが崩れる音がする。
さらに、クラスメイトの悲鳴が聞こえて、助けを呼ぶ声がした気がする。数秒後にはその声は途絶え、幻聴ではないかと疑うが1つ思ったことがある。
クラスメイトがいなくなったのは、宮岸先生が犯人ではないかと。
ただ、千弦はこの事実をどうすればいいか分からない。警察に言うのか? そんなこと警察が信じるはずがない。高校生にもなって、何を馬鹿なことを言っているのだと、門前払いだろう。そうなると、どこに頼ればいいんだ?
動けずに頭だけが働くなか、ぽつりと廊下の遠くから雫が落ちるような音がした。またぽつりと。その音は、ゆっくりとではあるが、段々と近づいてきている。
千弦は音のする方へと、視線を動かすと、視界には天井を這う大きな怪物がおり、滴っていた音は、怪物の涎のようなモノだった。例えるなら、舌の長い爬虫類のようだが、大きさは人を丸呑みできるような巨大で、何よりもぞっとするような異形な生き物。
千弦はその場で尻餅をつき、廊下に手を突いた。ただ廊下の床という感触では無く、まるで生き物のような……。見たくはないが、自分の右手の方を見ると、黒い何かが蠢いている。
恐怖のあまり声が出ない。段々、黒い何かが千弦の手首から腕へとを這い上がってくる。
もう終わりだ……。自分の死が迫っていることを感じた。自ら目を瞑って、受け入れるしかないと涙を堪え、抗えない自分に悔しくも思い、走馬灯を見ることも無く、状況が悪化していく。
突如、バンと大きな音を立てて目の前の扉が開いた。理科準備室の扉だ。宮岸先生の姿が見える。人間と化け狐が混在したような姿だ。
「宮岸先生……?」
ようやく、千弦の声が出た。宮岸先生は一刻を争う状況に、躊躇せず自らの力を使う。両手から青い炎を出すと、火の玉のような火炎弾を黒い影に向かって放つ。廊下を覆っていた黒い何かが衰弱して、爬虫類のような怪物が後退する。
「昴くん、今のうちに避難を」
宮岸先生は手加減なしに、火炎弾を怪物へ直撃させる。まるで少年漫画のような光景だ。
「何事ですか!?」
職員室から出てきた丸開教頭と猫平田校長が駆けつけるも、見たことのない状況に
「あれが、例の怪物!?」
「宮岸先生、生徒は!?」
「校長先生、彼を連れて避難をお願いします。あまり持ちそうにありません」
見たところは優勢のようだが、宮岸先生は劣勢だと考えた。その理由は、すぐに分かった。廊下の窓が外から次々と割れる。学校の外から数多の怪物が侵入しているのだ。
即座に判断した丸開教頭は、職員室へダッシュして戻り、受話器を握る。電話先は、葛飾区堀切綾瀬警察署の青戸警部補へ。
続いて、猫平田校長は千弦に手を差し伸べ
「掴まれ。逃げるぞ」
「ありがとう……ございます」
千弦は起き上がって、猫平田校長の後ろを走る。千弦は、あまりにも冷静な猫平田校長に驚き走っている最中に
「校長先生も冷静ですけど、もしかして宮岸先生みたいに?」
「冷静? そうだな、生徒の前では立場上、毅然とした態度でいなくてはな。……もうすでに、あっぷあっぷだがな」
猫平田校長は、水の中を必死に藻掻くように余裕がない状況のようだ。それでも傍から見て冷静な態度に見えるのは、これまでの経験や場数を熟したからなのだろうか。ただ、こんな状況は初めてだ。
「それと、特殊なのは宮岸先生だけだ。我々は、我々ができる精一杯のことをするのみ。まずは、この校舎から避難すること」
途中で職員室の前を通ると、丸開教頭が電話をしていた。猫平田校長はそれに気付いて、足をとめた。後ろを走っていた千弦もそれに続いて。猫平田校長は、叫ぶように
「丸開教頭、今は避難だ!」
「校長先生、見て、窓!」
千弦が職員室の窓を指差すと、先程の廊下と同じように窓を割ろうとする、数多の黒い影がある。
「電話は後だ! 逃げろ」
猫平田校長の叫び声とともに、職員室の窓が割れる。黒い影が職員室へ雪崩れ込む。
丸開教頭はようやく状況に気付き、驚きの悲鳴を上げて電話を切る。すぐに廊下の方へ。
合流して、階段の方へと走る。すると、正面の廊下の窓が割れる。そして、誰かが押した火災報知器が鳴りだし、けたたましく校舎に鳴り響く。
「まずい、囲まれたか」
すると、後方から青い炎が飛んでくる。
「みんな、走って!」
時間を稼いでいた宮岸先生が追いついた。前方の道を切り開く。
丁度そのとき、校舎内のスピーカーから、雑音と共に「みんな外へ避難してください!」と女子生徒の必死な声が響く。「外へ!」という声が聞こえた後、ぷつんと途絶えた。
「放送室に駆け込んで避難を呼びかけた生徒がいたのか……」
ここからだと放送室は階も違えば、逆方向だ。何人の生徒や教員、学校関係者が巻き込まれているのだろうか。全容を知る前に、まずは自分達がここから避難せねば。途中で生徒がいれば助けることも出来るが、放課後であまり教室には残っておらず、大抵は部活動をしているだろうが、
「事前に、部活は休止するように通達している。こうなることが予見されたからこその判断だったが、学校ごと封鎖すべきだったか……」
猫平田校長は唇を噛みしめる。職員室に教員が少ないのも、未知の脅威に巻き込まれないように、早々の帰宅を促したからだ。
「相手は1人だけじゃなかったのか……」
悔やまれる判断だが、相手が想像を遥かに超える怪物だったようだ。
校舎を包むように襲いかかる怪物。大小様々な魑魅魍魎が校舎内を蔓延り、跋扈する。
To be continued…
『エトワール・メディシン』とは思えぬようなタイトルと内容ですが、紛れもなく『エトメデ』です。
こういう場面で校長や教頭が出てくると、足を引っ張りそうなイメージが多いけれど、今回は活躍しています。都内の学校校舎を覆う規模ということは、かなり恐ろしい状況ですね。もはや警察でどうこう出来る規模を超えているような……




