第105話 元巡査
警視庁生活安全部サイバーセキュリティ課。部屋の中には入れてもらえず、捜査一課の榊原警部と藍川巡査は、廊下で待ちぼうけ。
藍川巡査は自分のスマホを取り出し、通知を確認する。新着メールは無く、電車遅延の通知ぐらいだった。
「重要参考人の鐘 査代子さんの居場所、まだ分からないですかね……?」
「携帯の電源が長期間入ってないからな。被害者の携帯電話も発見されてない。夫の携帯電話も。嫌な予感がするな……」
「榊原警部の嫌な予感って、集団拉致とかですか?」
「それも否定できないが、家族に犯人がいるパターンと外部にいるパターン。事故や自殺の可能性もまだ払拭しきれていないが……」
「分かっていることは、被害者は母親で、父親と娘は行方不明。3人とも東京に来た様子はない。母親は、死亡直前に電話をしていたけれど、肝心の携帯電話は現場から発見できず。携帯電話を持ち帰ったのが犯人だとして、爆発前に回収したってことですよね?」
「指示があって、どこかに置いたことも考えられる。両手を使うように誘導しても、全員が携帯電話を置くとは限らないし、携帯電話を肩に挟む人もいるし、指示を受けているなら尚更」
榊原警部の考えは、犯人が携帯電話を置く場所を指定し、爆発前後に回収したのではないか、と。鑑識による捜査で、携帯電話の部品は発見に至らなかった。
榊原警部と藍川巡査が話し込んでいると、サイバーセキュリティ課の扉が開き、勢いよく出てきた人物と藍川巡査がぶつかる。
転けることはなかったが、藍川巡査は鼻を打ったようだ。
「申し訳ない、急いでいたもので」
藍川巡査は、謝罪する相手の顔は見ずに、鼻をおさえてしゃがみ込む。榊原警部は藍川巡査の様子を見ても、特に言わず
「倉知副総監?」
どうやら衝突したのは倉知副総監だった。資料を右手に持っており、見覚えのある顔写真がクリップで留められている。
「失礼ですが、その資料は?」
「榊原君か。これは特課の事件で調べてもらったものだが」
「その資料、もしかして西方さんですか?」
「ん?」
倉知副総監は、榊原警部に言われて資料に目を落とし
「そうやら、そのとおりだな」
倉知副総監の反応から、榊原警部は、特課は名前で調べていないことに気付き
「今のヤマに関わる、重要参考人です」
「詳しく聞こうか。これから交通部に用がある。向かいながらで、いいか?」
「分かりました」
榊原警部は頷いて、残される藍川巡査に
「藍川は、サイバーセキュリティ課の件は任せた」
「えっ、自分ひとりですか?」
鼻をおさえたままの藍川巡査。触っていた指を確認するが、血は出ていない。痛みも和らいできた。
交通部に向かう道中、河川敷の殺人事件に関して説明し、
「被害者の夫が、西方 早月さんです」
「そちらの状況については、理解した。この写真を見るか?」
倉知副総監は、悠夏が撮影した取引現場の写真を渡した。榊原警部は、写真に写った人物を見て、捜査本部で見た免許証の写真と合致した。
「これは、どこでしょうか?」
「特課が送ってきた。場所は黒部ダムだ。この写真から、人物の照合をサイバーセキュリティ課に依頼していた。まさか、こんなにも早く、一課の事件に関係する人物に当たるとは」
「どういうことですか?」
榊原警部が問うと、倉知副総監は足を止め、視線と顔だけ移動させて、前後に誰もいないことを確認すると、
「これは、川喜多の件に関わる。長谷警部補からは、聞いていないか……」
「川喜多に関しては、何も」
川喜多は、もう捜査一課にはいない。5月の人事で、警察からいなくなったのだ。
「今、特課は日本海側で発生した、爆発事件に関して捜査している。ただ、捜査一課や他の課を動かせるような確証が無く、公安主導で動いている」
「川喜多の件とそれが?」
「”蛇菰”と呼ばれている組織がある。その組織は、石郷岡の管轄にあり、人数は多くはない。確証さえあれば、組対五課も捜査に加わる。……動きたくても、何も情報を得られていないが故に、どこから手を付けられるか分からない。言うなれば、五里霧中だな」
倉知副総監は榊原警部の質問に答えないまま、交通部を目指して歩き始める。廊下に人が増えたため、榊原警部もそれ以上は聞かなかった。
交通部では、なにやら賑やかに話が盛り上がっていた。交通捜査課の滿井 佐武朗警部が、交通総務課所属の女性巡査、町屋さんや湯島さん、若い男性巡査長の白山さんと話が盛り上がっているようだ。
倉知副総監は咳払いをして
「滿井警部。娘さんのために情報収集ですか?」
「おや、ちょっと用事で来たけれど、長居したか。じゃあ、戻ります」
そう言って、交通捜査課のデスクへと戻る。湯島巡査はその背中を見て
「娘さんのために買うなら、オレンジですよ」
倉知副総監は、少し気になって
「滿井警部の娘さん、誕生日まで半年あるけど、どうしたんだ?」
すると、白山巡査長が
「娘さんのプリンを間違って食べて、嫌われてるらしいです」
「なるほど……。それで、どうやって仲直りできるか考えているのか」
「みたいですね。それで、交通総務課にご用ですか?」
白山巡査長が用件を伺うと
「神楽坂警部にナンバー照会結果を受け取りに。今はどちらに?」
白山巡査長は周囲を見渡し、居場所を知らないようだ。湯島巡査には、心当たりがあるようで
「神楽坂警部なら、10分ほど前に、交通執行課の桜台警部と休憩所で話し込んでましたよ。缶コーヒーを片手に」
「そうか。休憩所か」
「ただ……、夫の愚痴を言い合ってたので、今は行かない方が……」
「それを言われると、行きにくいな。ただ、あまり時間がないんだが」
「滿井警部も、神楽坂警部に用事があったそうですが、先程の……、ご覧になった通りです」
倉知副総監は、黙って神楽坂警部のデスク前まで歩き、デスクの上に期待する資料がないか、一切触らずに探す。しかし、資料が重なっており、見当たらない。
「倉知副総監。私のデスクを、なにジロジロ見てるんですか?」
気が付けば、神楽坂警部が戻ってきた。この前見たよりも一回り太ったように見えたが、女性にそんなことを言うのは御法度なので、口を噤んだ。ただでさえ、夫の愚痴話をした後だというのに。
「バイクの資料なら、こっちです」
神楽坂警部は、引き出しを開けてクリップで留められた資料を手渡しする。
「登録されているナンバーは、盗難車で、被害届が出てたわよ。サイバーセキュリティ課からの報告で、ご存じだとは思うけどね。それと、登録されているナンバーとバイクの車種は違っていたわ。これはご存じないでしょ?」
ナンバーの付け替えにより、盗難車と合致していないそうだ。
「全国の交機に情報を展開しているから、見つかるのも時間の問題かもね」
神楽坂警部の言う”交機”とは、交通部所属の交通機動隊のことである。情報に関しては、高速道路交通警察隊や自動車警邏隊にも展開している。
To be continued…
川喜多元巡査は、4月の事件を最後に登場していなかったのですが、警察からいなくなっていたようです。退職なのかそれとも……。倉知副総監は、知っていて言わないみたいですね。”蛇菰って、読めないけれどなんぞや。ツチトリモチ科の植物と関係があるのでしょうか? たぶん無い。
どこかのタイミングで『エトワール・メディシン』のストックを持たないと、他の作品が完全に止まってしまっているので、ちょっと考え中です。スラスラ書けるときは、早く出来上がるんですが、今回の話は1話1話にいつもより時間がかかってます。更新の当日とか、後から追記して完成している時点で、スケジュールが破綻してますね……。
安定するまで、他作品についてはお待ちください。エトメデのキャラが登場する『路地裏の圏外』シリーズについても。
さて、次回までにストック含めて2話分できるかな?




