6話 15日前
きっかけは些細なことだった。
夕食後、何気なく父が言った、
「美咲ちゃん、元気か?」
そんな一言がなぜかひどい悪口に聞こえて、自分のプライドが傷つけられたような気がした。
美咲は元気だったし、父に悪気など何一つないことなど理解していた。
しかし光自身の所謂、劣等感や自意識が父のその一言をひどい悪態に変えてしまったのだ。
つまり、光は美咲にいまだ何も伝えることができていなかった。
長い間一緒にいて、お互いに愛し合っていることなど分かりきっていることなのに、
光にはそれがどうしてもできなかった。
だからそのコンプレックスを傷つけられたのだと無意識が反応した。
その結果が怒りとなったのだ。
「もういいよ、そんな話!
いちいちいちいち、俺の生活に口出すなよ!
気持ち悪いんだよ!!」
カッとなり溢れる思いが一気に吐き出す。
「どうしたんだよ。急にそんな怒って」
光のあまりの変わりように父もどうしてよいかわからない。
「いいって言ってんだろ!
なんで、こんな苦しいんだよ
もうすぐ死ぬのなんて嫌だよ!
もっと生きていたいよ!」
これは光が父に言った初めての本心である。
この18年間一度だって言わなかった。
死ぬ数日前に出た光の本心である。
光は死ぬのが怖かった。
この記憶全てがなくなってしまうのが怖くて仕方なかった。
今までの出会いが無になるのが怖かった。
それほど光は美咲のことを愛していたのだ。
「親父、なんで俺なんか産んだんだよ
どうせ、18で死ぬことはわかってたのに
なんで、こんな悲しいんだよ」
父はただ黙って話を聞いている。
力が抜けて、悲しい顔をしていた。
「俺はわからないよ。
どうして、移民団に乗らなかったんだよ。
どうして、地球に残ろうとしたんだよ。
親父の勝手にどうして俺も振り回されなけりゃいけなかったんだよ!」
光の怒鳴り声が家中に響き渡る。
「光、ごめんな」
父はただ光の目をじっと見てそう言った。
その目には、光に対しての悪意など微塵も感じられない、
喉の奥から出るか細い声での謝罪だった。
「まだ間に合うんじゃないのかよ
もう地球から出られないのかよ」
「無理だ、今の技術力では不可能だ。
もう遅いんだ、どのみち宇宙空間で爆発に巻き込まれる」
「知ってるよ、そんなこと」
吐き捨てるように言った。
光はうつむいて唇を噛みしめる。
全てが憎たらしくなった。
地球も太陽も人間も自分も。
己の無力がこうもはっきりと現れることへの異様な拒絶反応は自意識を内へ内へと潜り込ませる。
視界がぼやりとして意識がぐわんと遠のいていく。
父が口を開いた。
「お前を地球で産んで、そして育てることはお母さんと一緒になって決めたんだ。
俺たちは光に地球の素晴らしさを知って欲しかった。
この母なる大地で命を輝かせて欲しかったんだ。
だから、惑星にはいかないと決めた。
この地球で懸命に生きて死のうと覚悟したんだ」
「でもな、光の言いたいことも痛いほどわかるんだ。
だから、本当に申し訳ないと思ってる」
母親のことを聞いた瞬間光はハッと我に帰った。
そして、瞬間自分自身の犯した過ちに気がついた。
激しい自己嫌悪で気持ちが悪くなる。
死ぬまでうちに秘めていようと思っていたことを吐き出すのはある意味では快感であったが、それ以上の罪悪感が胸中を包み込んだ。
今まで育ててきてくれた人に対する最後の仕打ちがこれかと考えると今にもどこかに飛び込んで、いっそ死んでしまってもいいんじゃないかとさえ思えた。
ただ、彼にはそんなことはできない。
なぜなら死ぬのが怖いからだ。
「言いすぎた」
それだけ言い残して逃げるように扉を開けると、
階段を登り自分の部屋へと駆け込んだ。
光は布団の中へ篭るように潜り込む。
それを全身を覆いかぶせて、身を丸めて横になった。
光の歯止めの効かない想像力は己を酷く傷つける。
太陽が爆発して、宇宙を超えて地球を飲み込む。
水は一瞬で蒸発し、大地はえぐり取られ塵となる。
体は熱に溶かされあっという間にこの世から消え失せ、己の記憶も否応なしに無となる。
今までの光であったらそのようなことを想像しても気にもとめなかった。
自分への自信と人生の楽観が力となり深い恐怖を受け入れようとはしなかったからだ。
しかし昔と現在ではあらゆる考えが変わっている。多くの経験が彼の生き方を弱気なものにした。
頭の中が真っ白になる。
絶望感に押しつぶされそうになり、ヴーヴーと小さく鈍い声を出す。
しばらく長い時間そうしていながら、
しかし死の恐怖はとめどなく襲ってくる。
死を想像した時、光は闇の中に突き落とされるような虚無を感じた。
はっはっと息づかいが荒くなる。
もう、だめだ
死にたくないの死んでしまいたくなる。
そう思った瞬間、愛する人の顔が浮かんだ。
ミサキ
彼女の笑顔を想像すると心が安らいだ。
生きていることへの幸福感と言うべきか、さっきまでキリキリと内に迫る絶望感がすっと引いてくる。
布団の中でビクビクと怯えていた体がゆったりと弛緩して息をはぁと吐き出した。
自分を包んでいた布団から顔を出すとすぅと澄んだ空気が鼻腔を刺激する。
まだ生きていることを実感するのに、それ以上の根拠はいらなかった。
「だめだ、やっぱり謝ろう」
立ち直ることは案外早かった。
もう時間はないとわかっていたから、行動に移すのに躊躇はしてられない。
今を逃したら、死ぬ直前までもやもやを抱えてしまうかもしれない。
その思いで、また父のいる部屋に向かった。
リビングの扉を開けると父はまだ椅子に座っていた。
手元のタブレットをじっと眺めている。
何か不吉なことであったのではないかと思うほど神妙な表情だった。
光が中に入るやいなや、
それの電源を切り、ただ視線をまっすぐにして顔を動かそうとはしなかった。
「親父、さっきは本当にごめん。
どうかしてた」
ようやく、父が光の方をみた。
光の目を離さず、
内面を観察するように鋭い目つきだった。
部屋中に緊張感が広がる。
父は微かに微笑えみ、
「いいんだ」
と言った
「親父、ありがとう
いままでありがとう」
思わず泣きそうになりながら絞り出した声はかすれかすれだった。
父の顔は優しかった。
幼い頃みた父の笑顔そのものだった。
「ごめんな、光。
ずっと辛かったんだよな。
それなのにいつもあせらせるようなこと言って」
父は全て分かっていた。
光自身の葛藤全て見抜いていた。
だからこそ、やはりこの人は優しい人なんだと思った。
「それだけだから...。
じゃあ俺、上に戻るよ」
光が扉を開けようと手をかけた時、
父が呼び止めた。
「光、大事な話がある」
父の目つきが変わった。
「太陽が爆発する日にちがわかった」
覚悟していたことだ。
もう、18年前から覚悟していたことだ。
怖いといえば嘘になるが、それでももう逃げ出したくなるような弱い気持ちにはならなかった。
「そっか」
「15日後の19時前後だ」
「わかった。
俺、美咲に気持ちを伝えるよ。
今までの気持ち全部。
それで終わらせる」
光は力強く扉に手をかけたその強く握りしめた拳でゆっくりとそれを開けた。