2話 6ヶ月前
「好きだ」
「美咲、お前のことが好きだ」
棚の上に置いてある写鏡を睨みながらそうなんども呟いている光の顔は真剣そのものだった。
明日こそ、明日こそ美咲に気持ちを伝えてみせる。
そんな意気込みから何度も何度も告白の練習をしていると
突然部屋の扉が開いた。
「光、飯だぞ」
突然の出来事に身体がビクッと痙攣する。
「勝手に入るなよ親父!」
見られたくないものを見られてしまった恥ずかしさから、いつもより大きな声でそう言ってしまう。
「悪いな、光」
言葉とは裏腹に、父の口元は薄ら笑みを浮かべていた。
「美咲ちゃんにまだ気持ちを伝えていなかったのか」
「親父には関係ない話だろ」
勝手に私事にヅカヅカと踏み込まれても良い気はしない。
光は突き放すように言うと、
父も悪い悪いと苦笑いを浮かべながら扉を閉じた。
しかし、扉が閉まる瞬間、彼が呟いた「もう時間はないんだぞ」という言葉が光の耳にこびりついて剥がれなかった。
光は気が抜けたように、ベットで横になる。
ドンドンドンと階段を降りる音を聞くとこちらもようやく気恥ずかしさから抜け出せたように思えた。
「そんなこと知ってるよ」
父の言葉が何度も何度も俺の脳裏にリピートする。
時間がないことなんて今に始まったことではない。
それでも、ずっと一緒に寄り添っていた美咲に改めて好きだと伝えることはどうしてもはばかられる。
彼女を目の前にするとどうしてもその一言が言ってはいけないことのように感じてしまうからだ。
美咲は光が10歳の時に出会った。
同い年くらいの友達などいなかった光にとって、遠い街から引っ越してきた小さな女の子との出会いはとても記憶に残るものだった。
今でも鮮明に覚えている初めて会話した記憶。
「君はどこからきたの?」
「山を越えてもっと遠くのところ」
「なんできたの?」
「もう人が少なくて住めないから」
「名前は?」
「ミサキ」
美咲、初めて聞いたその名前はとても美しい響きだと思った。
「ミサキ」
思わず口に出すと、
その気恥ずかしさから両手で口を押さえてしまった。
「あなたの名前は?」
「ヒカル」
少し恥ずかしがりながらそういうと美咲に目を輝かせた。
「ヒカルって綺麗な名前だね」
そんなことで、
その一言で、光は美咲のことが好きになってしまった。
その時から2人はずっと一緒だ
「光、遊びに行こ!」
美咲と海辺で駆けっこをして、
どちらが足が速いのかを競い合った。
街のはずれにある山に登ったら最後、クタクタになって頂上で日が落ちるまで眠ってしまったこともある。
その時は父と美咲の両親にこっぴどく怒られた。
2人で一緒に泣いたことは、今となってはいい記憶だ。
楽しかったことは色々と思い出されるが、今まで美咲に直接好きだなんて言ったことはない。
美咲との大切な記憶が頭の中を駆け巡るが、今の現実を直視するとギュと胸が痛くなった。
過去の思い出に浸っているとついつい時の流れを忘れてしまう。
ハッと我に帰り時計を見ると、針は少しだけ動いているだけだった。
最近は時間の経過に敏感になる。
だからと言って別段何かやるべきことがあるかといえばそうではない。
期限は生まれた時から変わらないのだから今更なにかをしようとも考えないし、
もはや労働をするほど食べるのにも困っていない。
こうして何をするでもなく、じっと考え込んでいる時間が何よりの苦痛である。
がばっとベッドから立ち上がり
扉を開けて父のいる居間に飯を食べに行く。
待ちくたびれた様子の父が飯を前に座っていた。
遅いぞと言いたげなその顔を見てそそくさといつもの席へ座る。
「いただきます。」
夕飯は必ず一緒に食べることになっている。
さっきのこともあるから2人ともなにも喋らず黙々と目の前の食事に手をつけていると、
沈黙を破るように父から話を切り出した。
「今年の冬は一層寒くなるらしいぞ」
「太陽はどんどん元気になるのに寒いんだ?」
「うん、最後のエネルギーを蓄えるために一時熱が内に籠るんだ」
「へぇ」
「移民団の活動は順調?」
「ああ、上手くやっているよ。今回、新しいコロニーが建設されたそうだ。これで移住空間が広がる」
目の前にある鶏肉のソテーをバクバクと口に入れながらそう答えた。
父はこの街に残された唯一の科学者である。
何十年も前に地球を脱出した移民団と連絡を取り合っている。
惑星間通信ができる大規模な機器を保有するのは周辺でこのうちだけだから、住民は父から最新の情報を聞かされる。
だから光自身も地球最先端の情報を知っている1人と言えるのだが、
もうすぐ地球自体がなくなってしまうのだから、そんなことなにも誇らしくないというのが本音である。
今までの人生で死というものをあまり意識してこなかった。
それは自然界での当たり前でありどうしようもないものだとある種腹をくくっていたからだ。
しかし最近光の内面が変わりつつある。
死ぬ間際になって初めて、新しい感情が芽生え始めたのだ。
それは、移民団への嫉妬である。
どうして地球に残ったものは死に、脱出したものは生き残るのか。
そして、自身が選択したわけではないのに死ぬ運命があらかじめ決められていたことへの怒りである。
たしかに死ぬことは怖くなかったが、愛する人との別れが来ることは怖かった。
これらの感情は美咲と会って、一緒の時間を過ごすうちに少しずつ大きくなっていった。
父に自分考えを言うことは、何よりの親不孝である。
自分を今まで大切に育ててくれた、大切な父親だ。
彼を悲しませるようなことは何があってもしてはならない。
そう硬く決心しているはずだがどうしてもほころびは出てしまう。
「そっか、地球と違ってこれでしばらくは安泰ってわけだ」
そう、皮肉で答えてしまったあとで光はしまったと口をつむぐ。
だが父は全く気づかない様子で
「ああ、人類は救われる」
と、微かに笑って食事を続けた。
彼の真意は分からなかったが、自分の悪意を感じ取られていないことは理解できた。
ぎこちなく食事を終えると、光は足早で自室に戻った。
もしも、惑星で産まれていたらこんなに悩まなくてもいいのに。
そんな考えが頭をよぎる。
ただ、考えても状況は変わらない。
「もう時間はないんだ」
そう呟いて、美咲への告白計画をまた練り始めた。