プロローグ
どうぞ、とカウンター越しに差し出されたコーヒーカップを受け取り、私は少しはにかんで礼を言った。頼んでいたいつものブレンドコーヒーは、ふわりと私の鼻をくすぐって芳しい香りを漂わせている。
用事なんて何もない休日に、新しいカバンを手にお気に入りのシューズを履いて、目的も決めずにふらふらと家を出た。せっかく時間があるのだから普段とは違うこともしてみようか。そう直感だけで歩を進めたはずなのに、結局その足が運んでくれたのはいつもの行きなれた喫茶店だ。
ここに来るなら本の一冊でも持って来れば良かったかもしれない。手持ち無沙汰に先日買ったばかりのストローバッグを開くと、思いがけず一冊の書籍がぽつんと鞄の中に佇んでいるのを見つける。
タイトルは、『夢』。
白い表紙にただの一文字だけ、そう記されていた。
いつカバンに入れたのだろう。
いや、そもそも、私はこんな本を持っていただろうか。
様々な疑念が沸々と湧いてくるが、今日の私はなんだか気分が良い。きっと浮立っていたために何もかもが抜けていて、新しく本を買ったことも、その本を持ち出したことすら忘れてしまっていたのだろう。
そんなあり得ない馬鹿げた言い訳を呟いて、見覚えのない冊子を右手にとる。
『夢』
真っ白い背景に浮かぶ一文字。
じわり、と思考が滲む。早く読み進めなければならない。そんな迫る衝動のままに、私はその表紙を捲った。