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親の心子知らず

作者: 浮世melancholy

何もかもが意味を無くし世界の淵に立った時

静寂が恐ろしいものだと改めて実感した


自分にとって都合のいいように物事を捉え

あの人は、あの人ならこれを望むだろうと

現実から目を背けるように想像に逃げ込む


期待を裏切られ、どれだけ失望したとしても

私だけはこの子を否定してはいけない

失ったものはもう戻らない

それでもこの子にとっては幸せなのだから

午前3時を過ぎた頃、私はそっと窓を開けた


ムスカリの刺繍が施されたカーテンが揺れ


ティアドロップの飾り気のない


グリーンメノウのイヤリングも静かに揺れた


静寂に包まれた死んだような世界に誘われ


揺れたイヤリングに指先でそっと触れた後


美しく装飾された窓枠から私は身を投げた




私は容姿をよく褒められる、容姿だけを


自分の容姿を醜いとは思わない


決して美しいとも思いはしないけど


「王女」 こんな飾り言葉がなければ


誰も執拗に褒めたりもしないだろう


此処に生まれてしまったことは覆せない


感嘆する事で何かが変わるのなら


喉が切れて血を吐いても嘆き叫び続ける


「不自由の無い暮らしをしているくせに」


誰かにそう思われても仕方がない


此処では私の望みならばなんだって


いとも簡単にすぐに叶ってしまう


故に私は人として生きている心地がしない


時折、側近に無理を言って城下町へと


連れて行ってもらう事がある


私の国は隣国の発展し栄えた国に比べれば


痩せ細った枯れてしまいそうな国だ


そんな国だというのに町の人々の顔には


城の中には無い楽しげな笑顔が浮かび


街角には近々この国にやってくる


サーカスの張り紙が貼ってある


子供達が囲んでキラキラした顔をして


演目を見つめ想像を膨らませている


青果や魚、雑貨などの露店もあるが


此処では仕入れるのも簡単では無いだろう


町の人々全てが輝いて見えて目が眩む


城下町の奥、路地をいくつも曲がった先


この国で最も手が届いていない場所


俗に「貧民街」と呼ばれている場所へは


絶対に足を運ばせてはくれない


私がなによりも感じたいのはそこなのに


煌びやかじゃない暗く淀んだ場所


この国の埃を被っている場所に


私の何か別の生きる道がある気がした


側近の目を盗んで一度見に行った時


荒廃した酒場のような建物の裏で


揉めている様子の若い男女がいた


男が女の首を掴んでいる


そんな状況なのに女の人は笑っていた


とても綺麗で淡く、儚い女性だった


私には無い素敵なものを感じた


慌てふためいて探しに来た側近に見つかり


その場をあとにした


私もあの女性のようになりたいと


どこか心の片隅で思った




この小さく揺れるイヤリングは私のお守りだ


王妃だった母が身に付けていた物で


小さい頃に我儘を言って譲って貰った


母は身体が弱く私が幼い頃から


医者にかかりきりだった


私は母が大好きでいつも一緒にいた


優しい笑顔で髪を撫でてくれたが


その時も身体は蝕まれていたのだろう


私の前で苦しい素振りなど見せなかった


母は色々な事を教えてくれた


だけど、今の私には意味の無い言葉の羅列


私が14歳の時、母の人生に幕が降りた


死にゆく母の手を握った


握り返してくれたその手は細く、弱く


見つめる眼差しも虚ろだったが


それでも母の美しさは変わることはない


途切れ途切れの脆い声で


"死ぬことは怖くないのよ、だから泣かないで


あなたに会えなくなるのは寂しいけれど


イヤリング、あなたによく似合ってるわね"


母はそう言うとイヤリングに手を伸ばしたが


その指先は触れることなくだらりと落ちた




父はこの国の9代目の王、先代は立派だった


歴史はまだそれほど深い国ではない


父が王になってからこの国は荒んでいった


「私腹を肥やす」父の為にあるような言葉だ


それでいるくせに国民には好かれている


どんな善良な人間にも裏はあるのだろうか


幾度となく私は父の武器にされてきた


武器といっても誰かを殺すものではなく


それよりも質の悪い夢魔の様な誘惑


褒められる容姿を使った甘い政略


各国の要人も色欲には忠実な馬鹿ばかり


その行為には特に何の感情も抱かなかった


母が死んだ日から私の心も枯れていた


父の事は母が死ぬ前から好きではなかった


思い返せば何の思い出もない


父も私には興味は無かったのだろう


私は父の「娘」ではなく、国の「王女」でもなく


私腹を肥やす「道具」としての価値しかない


暮らしにこれといった不自由はなくても


私の心はあらゆるものに縛られていた


苦しくて息が詰まる、それでも呼吸は続く


終わりにしよう、詰まらない私を




母を亡くした日から私も死んだと同じなんだ


人間の代わり、王女の代わりは幾らでもいる


だけど今のこの心に取って代わるものはない


共感なんてさせない、理解も必要ない


哀れみも憂いも要らない、何一つ


母を追う事が私の望んだ事


きっと母もそれを願ってくれている


一人で彷徨う暗い世界は寂しい筈だから




母が身に付けていた頃と今の私とでは


グリーンメノウに祈る意味も異なる


母はきっと自らの心身の調和と再生を祈り


私は今までの憂鬱とこれから死ぬ事への


不安を取り除き、勇気を与えて貰う為に


グリーンメノウは調和と勇気をもたらす石


母の最期を看取った次は私の最期を見届ける


部屋に飾ってある母の小さな遺影を胸にしまい


ふと横目で時計を見ると午前3時を過ぎていた


私は窓を開け、もう見る事の無い外を眺めた


閑静な外の空気にあてられ目の前にある死が


急に現実味を帯びて手が震え息が漏れる


優しくて冷たい風が頬を撫でイヤリングを揺らし


失望と失意で織られたカーテンが揺れて


身体に鬱陶しく纒わり付く


それはまるで私を引き止めるかのようだったが


私はサッと振り払い


邪魔をしないでくれ、と溜息をついた




「ああ…母様、もうすぐ会えるから待っていて


これでもう寂しくないよね、母様も…私も」




遺影が空を舞い耳元に落ちて血が滲み


薄れゆく意識の中で母が泣いている


「私も会えて嬉しいよ、母様…」


閉じかけた目の先にムスカリが咲いていた


ムスカリ(学名: Muscari)ツルボ亜科ムスカリ属の植物の総称。狭義には、学名 Muscari neglectum をムスカリという。名の由来はギリシャ語の moschosムスクであり、麝香のことである。花は一見するとブドウの実のように見えることから、ブドウヒアシンスの別名を持つ。

花言葉は寛大なる愛、明るい未来、通じ合う心、失望、失意と、まるで正反対の意味がある。

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