第九幕 ケーティの脳裏から
言葉を発せずただただ立ったままでいる男を前に、ジャンヌは額に汗をにじませた。
「何じゃこやつ、腹話術師か?」
「普通のお兄さんじゃないのかな?」
「ええ、この方は純粋なレムリアの民です。私たちだけに聞こえるようダイレクトに伝えています。」
「はい。その通りです。それに、あなた方がアトランティスの民ではないことも承知の上です。」
「じゃあじゃあ、何かご用ですかっ?」
目鼻の整った男は三人の顔を見渡し、こちらへ歩み寄ってきた。
そしてケーティの髪の毛をくるくるといじるキャサリンの頭に手を置き口を開いた。
「僕はリュートと申します。キャサリンさん、あなたがここを訪れるのを待っていました。」
フィオナとジャンヌは状況が飲み込めず、きょとんとするキャサリンは首を右へ左へとかしげた。
リュートと名乗る男は一枚の羊皮紙のような物を差し出した。
【レムリア王国歴99,997年プレイオネの月315号 ケーティと共に 古代図書館に現れし者 レムリアの民を導く】
リュートの曽祖父はレムリア大国の預言者だった。
アトランティスによる強襲により曽祖父は命を落とし、再構築を試みたがその望みは叶わなかった。
そして、曽祖父が残した預言書に記されたのが今日この日だったのである。
「わ、私ですかっ?きっとこちらの方だと思いますけど。」
「えっ、何で我なのじゃ。きっとこっちの者じゃと……。」
「そのような展望は私の見解にはございませんが。」
(賢者の石が関係しているとかではないのか?)
(レムリアの民を救うとかそういう話にはならないはずなのですがっ。)
「安心して下さい。僕はあなた方の心の内を読み取ることはできません。アトランティスとの戦いでその能力は封じられてしまいました。」
差し出された右手の甲、中指の付け根から手首付近にかけて赤い傷が伸びていた。
能力傷。
ジャンヌやキャサリンと同様、転機を迎えた者に残される傷と同様のものがあった。
「主は……、一度死んだのか?」
「死……、いえ死んではいません。アトランティスとの戦いに敗れ生還した者は皆、この傷を負い、その能力を封じられます。」
「右手の能力傷、私たちは左手です。もしや右手は能力を封じるためのものなのでは。」
「そのような話、聞いたことがないぞ。封印傷とでも呼ぼうかの。」
「僕もあなた方の旅に同行してもよろしいでしょうか。どうやらその書物を持ち出したい様子ですし。」
「この量の本をどうやって持ち運ぶのじゃ。実は怪力の持ち主とか。」
「さすがにこの量は持ち運べません。ご存知ありませんか?」
そう言うとリュートはケーティの顔の前に手をやった。
その手をペロペロと舐める。
「しばらくお待ち下さいね。この子は優秀そうだ。」
「????」「????」
「何でしょうね。」
数冊の分厚い辞典を運んできたリュートはケーティの眼前でパラパラとすばやく本をめくった。
その次の辞典も、その次もその次もその次も。
「どうだい?」
「なるほど、理解した。」
ケーティが喋った。
「ど、どどどういう。」
「これは驚きましたね。」
「ケーティ!あなた言葉を話すことができるの!?」
「はははっ、ケーティは頭がとても良い。それに我々と似た発声器官や発達した舌を有しています。全てのケーティがこうとは限りませんが、この子は特別優秀なのでしょう。一通りの言語を教えました。」
「もっと言葉を教えて下さい。僕はケーティ。名前もケーティ?」
「うん!そうだよー!ケーティでケーティ!」
「さ、そこの本を全て覚えてもらいましょう。できるね?」
「できますできます。お安い御用です。」
「ちょっと待てリュートよ。主、普通に喋ることもできるのか。」
「当然です。」
「それなら最初から話しかけてくださいよー!」
「詳しくは存じ上げませんが、周囲の人に聞かれたくない話もあるのでしょう?」
「お察しの通り、かも知れませんね。」
100冊近い書物をケーティに読み取らせる作業も終わると、達成感もひとしおだった。
「オリハルコンというのは」
「だーっ、ケーティ、本の中身を喋らんでもよい。その時が来たら我に教えてくれ。」
「承知しました。わかりました。理解した。」
「お姉ちゃんが借りた本はケーティに覚えてもらわなくてもいいの?」
「これを覚えることはできないのではないでしょうか。」
開かれたのは様々な地名が記された地図だった。
眺めていると、微妙に地図が変形していく。
「ああ、これは難解ですね。地図が変わってしまうと対応しきれないでしょうし。」
「はい、これから向かう先は地形の変動が多いので船旅が良いでしょう。」
「アヌビスの居場所がわかったということじゃな?」
アヌビス神が住まうのは、レムリア大陸より北西に進んだ孤島。
五次元移動により小さな島は次々に姿を変える。
キャサリンの時空間移動で飛んだ先が大海原のど真ん中、という可能性もあるのだ。
「船かあ。乗ったことがないのう。船酔いしそうじゃのう。」