第二幕 空闊の庭園から
内面からにじみ出るような気品を持つ女がアポロンの目の前に立ちはだかった。
小柄なアポロンに対し、頭二つ分も高い身長で見下ろす。
そしてジャンヌとキャサリンに向かって言葉を続けた。
『ジャンヌ・ダルク、そしてキャサリン。初めて顔を合わせることになるな。タナトス、行きて帰って来られたのだな。私はトニだ。』
「トニだと?あの串刺しになった鷹か。主は獣人だったのじゃな。」
「タナトスちゃん。トニはボクたちよりも遥かに高い戦闘能力を持っているんだ。戦うことなんてもうないと思うけどね♪」
「その雷槍は……、あなたはあの戦神トールなのですか?」
「トール!お姉ちゃんがお話してくれたことがある!戦神トールさまなの!?はじめましてっ!」
トニの手を取り、ぶんぶんと楽しげに握手を交わす。
驚きのあまり、その赤い瞳を見開いたままタナトスはトニを凝視した。
戦神トール、北欧神話最強の戦神と称され豪胆且つ乱暴者。
雷槍で天候を操り巨大な槌で大地震を巻き起こすとされる。
かつて地上に存在した人類の脅威である巨人を討ち滅ぼし、その武勇は主にゲルマン民族の信仰を高めた。
「な、なぜトールがこんな僻地におるのじゃ。それに数ヶ月前のあの時、我の攻撃を避ける、いや跳ね返すことも容易かったじゃろう。それにトールは髭を蓄えた大男だと聞いておるぞ。」
『私はもう戦わない。戦う必要がないのだ。地上の脅威を取り払い、人類は最大限に発展した。その結果、この星が滅ぼうともそれは宿命なのだからな。』
「トニはれっきとしたレディだよタナトスちゃん。それで?どうしてジャンヌちゃんたちをラウラちゃんとナタリアちゃんに会わせたらダメなの?さっき起こしてきちゃったよ。ほら。」
アポロンの視線の先には、チョコレートブラウンの癖っ毛を後ろに束ねた少女たちの姿があった。
咄嗟にジャンヌとキャサリンの前に立ち、その視界を遮るために巨大な槌を召喚するトニ。
『私の話を聞いていなかったのかアポロン。ジャンヌ姉妹とラウラ姉妹は同一人物だ、銀河系が吹き飛んでもいいのか?』
「え?え?どういうこと?」
「片割れの記憶にある対消滅というやつか。しかしなぜこやつらが同一人物なのだ?見た目も全然違うではないか。それに我が大昔に回帰させたのだぞ。」
ラウラとナタリアは戦火の中世ヨーロッパで生まれ、親を亡くした二人は孤児として修道院で育った。
生まれつきラウラには未来を予知するという特殊な能力があり、やがてこの修道院にも終わりの日が来ることを知っていた。
そのことを誰にも告げず信仰生活を送っていたが、戦況は悪化する一方で遂には修道院にも火の手は及んだ。
そこに現れたのがタナトスである。
タナトスは戦火に散った修道女全てを回帰させ、その中のラウラとナタリアに流れるレムリアの血脈を感じ取った。
レムリアの能力を無理やり引き出すべく、二人の体内に霊獣ラミアの血を混ぜ洗脳、紅玉に封印したのだ。
ジャンヌ姉妹が転機を迎えたのと同じ、1,431年5月の事である。
「お久しぶりです。タナトス様。」
「数百年ぶりですねー!タナトス様!」
「百年も経っておらぬではないか。ラウラ、ナタリアよ。お主らラミアの」
「あ、もうないない。全部解毒しちゃったよー♪それにその辺りの記憶もぜーんぶ消毒済みー♪」
「うーむ……。考えても何もわからぬ。一体何がどうなっておるのじゃ。」
巨大な槌でジャンヌ姉妹を隠したままトニが額に汗を浮かべ説明を始めた。
『ナタリア自身は気づいていないが、彼女には生前から五次元移動の能力がある。戦火を逃れようとする思いが強く、無意識のうちにジャンヌが平定させたこの星に時空を超えてやって来たのだろう。しかし修道院が戦火に巻き込まれること自体はどの時間軸でも変わらなかったのだな。』
「スケールが大きすぎるねえ。じゃあラウラちゃんたちとジャンヌちゃんたちは違う時間を生きてきた同じ姉妹だって言うんだね。へえー。」
トールの巨大な槌を赤毛の少女はふわりと飛び越えた。
スタスタと足早にナタリアの方へ歩み寄るキャサリン。
瞬時にその場の空気は凍りついた。
「こんにちはー!」
「こんにちはー!」
「私、キャサリンですっ。よろしくねー!」
「私はナタリアですー。よろしくねー!」
小さな手同士で握手が交わされる中、アポロン以外全員が即座に目を強く閉じ地面に伏せた。
銀河系が消滅するほどの衝撃が起こるのであれば、そんな行動は全くの無意味なのだが、反射的に体が動いたのだろう。
十秒、一分、沈黙の時は流れた。
キャサリンとナタリアの会話だけは続いていた。
「ねえトニ、対消滅っていつになったら起こるんだい?」
巨大な槌の奥からトニに向かって囁く声が聞こえてきた。
「トール神、お言葉ですが私が古代図書館で得た知識では、五次元移動は時間を行き来する手法ではありません。よって彼女たちは時間軸的には同一の存在なのかも知れませんが、私たちとは同一人物ではないかと。」
『……、そのようだな……。』
額からポタポタと落ちる汗を拭いながら、大きく息を吐く。
「ええい!ややこしい!誰か我にもわかるように説明せんか!」
「タナトスちゃんはストナちゃんと違って、脳筋なんだねえ。待ってて、ボクが今絵を描いて説明してあげる♪」
そう言ってアポロンは庭園の奥へ姿を消した。