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【未完】ハウス・オブ・ザ・デッド【ホラー】

投げっぱなし。ホラーのつもりだった。

 その家は、町外れの小高い丘の上の林の中にあった。

 等間隔に並び立つ針葉樹の並木の隙間から、小さく覗く白い壁。

 そこにある窓という窓だろう場所に、乱雑に打ちつけられた木の板。

 草が茂り、荒れた小道を歩けば、その家に辿りつける。


 ロビンソンは執事だ。

 何代か前の主の要望によって窓という窓に板を打ち付けた丘の上の家が彼の職場で、そして家だった。

 ロビンソンの職場は、現在は実質空き家となっている。

 ほんの数十年前に何代目かの主が急性アルコール中毒であっさりと天に召されて以降、この家には主がいない。

 かつては豪華絢爛であった屋敷も、いまやすっかりかつての面影を無くしている、と言われている。

 というのも、窓という窓に板を打ち付けた廃墟のような外観をとってそう言われているのであって、内装には一切の衰えもなく、また栄華を誇ったかつての調度品やらもそのままの輝きで飾られている。

 それはロビンソンをはじめとする忠実で誠実なる使用人たちの努力の賜であった。

 そんな、ある種宝の山とも言える屋敷の噂は広く知られており、時折には礼節を欠いた者たちが命知らずにも屋敷を荒らそうと訪れる。

 ロビンソンと使用人たちにとって、そういった命知らずの馬鹿共を丁重にもてなすこともまた仕事の内だった。

       *   *   *

 ハリーは気の弱い子供だった。

 元気の良い幼馴染たちを遠目に見ながら、本を読むのが好きな子供だった。

 毎日毎日本を読んでいた。

 ハイスクールを卒業して、幼馴染たちと別れて、別の町の大学に通うようになっても、ハリーは毎日本を読んでいた。

 あれは大学にも慣れた頃、クリスマス休暇で地元に戻ってきた時のこと。

 久方ぶりに再会した幼馴染たちと、酒とつまみで談笑していた時のこと。

 アンディが言ったのだ。

 酒屋の息子で、大学を卒業したら家業を継ぐのだと言っていた、アンディ。

 彼が、ハングリーハウスに行こうと。

 ハングリーハウス。

 丘の上の林の中にある屋敷。

 本当はアングリー家の屋敷だが、その屋敷はそう呼ばれていた。

 地元では有名なホラースポットだ。

 空腹の家。

 屋敷の中にはかつて栄華を誇ったアングリー家の財宝がそのまま残っている、という噂もあった。

 余所から来た者が、財宝目当てに何人もアングリー家の屋敷に向かったが、誰一人として戻ってきた者はいなかった。

 町の人々は口々に言う。

“あの家は空腹に喘いでいる。

 あの家は人間を食べ、骨まで残さない。”

 そんな屋敷に、行こうと言い出した。

 酒がまわって普段より気の大きくなった幼馴染たちはこぞって賛成した。

 しかしハリーは怖気づいた。

 年配の住人から口を酸っぱくして言われ続けた言葉を思い出したからだ。

 あの家は人間を食べ、骨まで残さない。

 しかし、ハリーは言えなかった。

 ハングリーハウスは怖かったが、臆病者だと後ろ指さされることも怖かった。

 そして酒という力に酔った若者たちは、丘の上の林の中の、ハングリーハウスへ向かったのだった。

       *   *   *

 ロビンソンは食堂に置かれた飾り棚の中の、銀のゴブレットを丁寧に磨いていた。

 奥の厨房からは、陽気なシェフの鼻歌が聞こえる。

 七つ飾られたゴブレットを全て磨き終える頃、バタバタと廊下をかける駆ける音。

 走る勢いをそのままに食堂の扉を開いたのは、この屋敷の唯一のメイド。

 シャルロッテはぼさぼさの赤いおさげ髪を振り乱し、肩で息をしていた。

 呼吸を整えて、ずり落ちそうになっていた瓶底眼鏡をかけなおす。

「ろろろろびんそんさん! 大変ですよぅ! 大変なんですぅ!」

 食堂内をぐるりと見回して、ロビンソンの姿を捉えると、シャルロッテは大きな身振り手振りを交えて言った。

 内容は全くなかった。

「シャルロッテ、何が大変なのか言って頂けませんと、わかりません」

 それから廊下は走らないように。

 慌てふためくシャルロッテを見つめて、ロビンソンは穏やかな声音で言った。

 その言葉にびくりと肩を揺らしたシャルロッテは、ばつが悪そうにロビンソンから視線を外した。

 胸の前に持ち上げられた両手がもじもじと落ち着きなく動いている。

「あの、大変なんです……何が大変かって言うと……町の方がお屋敷に向かっているんですよぅ!」

 目元をほんのり赤く色付かせて、レンズの奥の栗色の瞳は涙を湛えている。

 その姿はいじらしくも嗜虐心を刺激するものであったが、ロビンソンは全く意に介さず、厨房へ視線を向けた。

「聞こえたかね? シェフ、とびきりのディナーの準備をしよう」

 今日は忙しくなるぞ。

 扉の向こうから、鍋を叩く音が聞こえた。

 その音は屋敷中に響き渡り、静かだった屋敷内は途端に賑わい始めた。

「さあシャルロッテ、お前も準備を始めなさい」

       *   *   *

 豆電球から発せられる頼りない光と、それより遥かに頼りない月明かりを頼りに、ハリーは丘の上へ続く小道を歩いていた。

 トーチは一番前を歩くアンディが持っていた。

 小道の両脇には背の高い針葉樹が規則正しくきっちり並び、その隙間を埋めるように墨のような闇がぎっしりと押し籠められていた。

 その暗がりを極力見ないようにして、ハリーは歩いた。

 視線は前を歩くルイの背中に固定していた。

 だからハリーは、先頭を歩くアンディが突然立ち止ったことに反応が遅れて、目の前のルイの背中に鼻先をぶつけることになった。

「何やってるんだよ、ハリー」

「ごめん」

 振りかえったルイに視線を合わせて謝るハリー。

 強かに打ちつけた鼻が痛いのか、両手で鼻を押さえている。

「お前らあれ、見てみろよ」

 ハリーが鼻を強打する間接的な原因となったアンディが、トーチの灯りを消した。

 途端に闇に包まれる周囲に、ハリーは肩を震わせた。

 少し先に、細い橙色の筋が見えた。

 灯りだ。

 アンディがトーチの灯りを点けて、その光の筋を照らす。

 豆電球の頼りない灯りを受けて浮かび上がったのは、白い壁。

 打ち付けられた沢山の板と、その隙間から漏れ出す橙色の灯り。

 空き家の筈のハングリーハウスに、灯りが灯っている。

 息を飲む音が、いやに響いた。

 ハングリーハウスに、誰かがいる。

       *   *   *

 ロビンソンは二階の主寝室にいた。

 今は主が不在のその部屋も、ロビンソンの手によって美しく保たれている。

 真っ白なシーツがピシリとかけられたベッドはふかふかだ。

 ベッドサイドのルームランプは真鍮のスタンドが美しい輝きを放ち、ランプ特有の温かい光は部屋全体を柔らかく照らしている。

 ルームランプとは反対側に置かれたチェストも、木目が美しく見えるよう磨かれており、その上にはガラス細工の灰皿が置かれている。

 その部屋の窓から、屋敷の手前の林を眺める。

 規則正しく並んだ針葉樹の並木の隙間をちらちらと揺れる灯りが見えた。

 トーチだ。

 夜闇を溶いたような黒い瞳を細めて、ロビンソンは薄い唇に笑みをのせる。

 視線の先には固まって暗闇を歩く五人の男女。

 大人と子供の中間をたゆたうような、どちらとも言えてどちらとも言えない不安定な年頃の若者。

 将来が夢と希望に溢れ、あらゆる可能性を己の物に出来ると無邪気に信じられる頃。

 ロビンソンはほくそ笑んだ。

 自分にもそんな頃があったことを懐かしんで。

 その可能性が今日ここで絶え、恐怖と絶望と諦観が若い心を満たすことを思って。

*   *   *

 ハリーは自分の心臓がまるで早鐘を鳴らすように忙しなく脈打っていることを感じていた。

 そして背筋を伝う冷たい汗に、自分が言い知れぬ恐怖を抱いていることも自覚していた。

 それでもそれを音として口から出さなかったのは、少しの興奮と好奇心と、それからしょうもない見栄だった。

 少し前方ではアンディがジョシュと、話をしていた。

「どうする? 中に入ってみるか?」

 数メートル先まで届いたトーチの光で照らされた屋敷の玄関扉を見つめて、アンディが言った。

 囁き声が、虫の声一つしない林でよく聞こえた。

「浮浪者が勝手に住み着いているのかもしれない」

 ハリーの隣から、ルイが言った。

 そんなことはない、とハリーは何故だか思った。

 浮浪者ではない。

 何か得体の知れない恐ろしいモノが棲んでいる。

 そんな言葉がぐるぐると脳内を駆け巡る。

「ノックしてみようよ、誰も出なきゃそのまま帰る、誰か出たら謝って帰る」

 キャシーが言った。

 怖いもの知らずで気の強いキャシーは、現在の状況すら楽しんでいるようだ。

「でもな……」

「ヤバかったら逃げたらいいじゃん」

 渋るジョシュの肩を叩いて、アンディは笑った。

「それとも怖気づいたのかよ?」

 本当に小さな囁きだっただろうそれが、ハリーの耳には確かに届いた。

 嘲るような声で、アンディはジョシュに迫った。

 ジョシュは難しい顔で考え込んでいる。

「僕は止めた方がいいと思う」

 ルイがジョシュに助け舟を出すように言った。

「住み着いているのが浮浪者でも銃を持っているかもしれない」

 ルイの落ち着き払った言葉を、ハリーは頭の中で即座に否定した。

 住み着いているのは浮浪者ではないし、自分たちを嬲り殺す武器は銃ではないと知っていた。

 何故知っているのかはわからない。

 ただ、そうなのだとハリーは知っていた。

「ルイと、同じ意見だ」

 それでもハリーの頭の中でのみ一直線で繋がる真実という名の寝言を、他人に聞かせる勇気はなかった。

 だからハリーは、さもルイと同意見だという顔を装った。

 ハリーの背はぐっしょりと濡れていた。

 前方に見える屋敷には、きっと自分たちを貪ろうとしている悪魔が大きな口を開けて待っている。

「アンディ、そもそも屋敷を見に行くと言ったが中に入るとは言ってない」

 ルイとハリーを順番に見て、それからアンディに向き直ったジョシュが言った。

「危険だから、もう戻ろう」

 ジョシュはアンディの肩を一度、軽く叩いた。

「嫌だね」

 アンディはジョシュの手を叩き落として言った。

 その顔には嘲笑が浮かんでいる。

「怖いならお前らだけで帰れよ、臆病者、俺は屋敷を調べて帰るぜ」

 そう言って、アンディは屋敷へ向かって歩き出した。

「あたしも気になる」

 キャシーがアンディの後を追った。

「戻れよ、アンディ! キャシー!」

 ジョシュが怒鳴るが、二人は止まらない。

「臆病者は仲良く手でも繋いで帰れよ!」

 アンディが馬鹿にしたようにけらけらと笑った。

 笑いながら、トーチを持った腕をぐるりと振りまわした。

 トーチがこちらを照らし、アンディの背後の屋敷を照らし、それから空に光を当ててまたこちらを照らした。

 ハリーは一瞬だけ、確かにそれを見た。

       *   *   *

 キャシーは面白いことが好きだった。

 快楽主義者を気取るつもりはないが、楽しいことが大好きで、退屈が敵だった。

 だから、昔馴染みのアンディがハングリーハウスを見に行こうと言った時、二つ返事で賛成した。

 面白そうだったからだ。

 キャシーの両親や祖父母は、ハングリーハウスには絶対に近づいてはいけないと口を酸っぱくして言っていた。

 多分他の昔馴染みたちも、耳にタコが出来るくらいには同じことを言われてきたんだろう。

 本好きのハリーなどは、律義に言いつけを信じて守ってきたに違いない。

 あの子は誰から見ても臆病だった。

 家が隣で生まれる前からの付き合いだと言う幼馴染のジョシュの陰に隠れて、いつだってびくびくと周囲を窺っている。

 キャシーにとって、ハリーはそんな子供だった。

 ジョシュはそんなハリーを気にかけていた。

 そっけなかったり、時々突き放していたりもしたが、結局最後にはハリーに手を差し伸べる。

 ハリーが困っていれば助けるし、危険があれば護る。

 ジョシュは勉強もスポーツも大抵のことがそつなくこなせて、女の子にもとてもモテたのに、肝心の本人にその気がないみたいで、昔馴染みと一緒に騒いだりしていた。

 ルイはハリーとも仲が良くて、本が好きなインテリだ。

 でもふざけたことも案外好きで、ハイスクールからの付き合いだけどキャシーたちとすぐに馴染んだ。

 アンディは昔からジョシュに対抗心を持っていた。

 アンディだってスポーツが得意で、恰好良くて、勉強は少し苦手みたいだったけど、ジョシュと同じくらい女の子に人気だった。

 でもアンディはジョシュに勝ちたいみたいで、いつも突っかかっていってた。

 だからジョシュが戻ると言った時、多分アンディは対抗心から進むと言った。

 キャシーは面白そうだったから、アンディについた。

 結局真面目で、いつだって臆病者のハリーの為に危険を避けて通るジョシュと無鉄砲でもどこまでも突き進むアンディとでは、アンディの方が面白いのだ。

 だからキャシーはアンディについて、彼の後を追った。

 トーチで前方を照らして、ぐんぐん進むアンディの背を追った。

 暫くして、ハングリーハウスに辿り着いた。

 重厚感のある玄関扉には、鉄の獅子が輪を加えたノッカーが設置されていた。

 随分古い物の筈なのに、扉もノッカーもぴかぴかに磨きあげられていた。

「誰か住んでるのかな?」

 キャシーが隣のアンディに問えば、彼も同じことを考えていたのか、一度頷いて見せた。

「そうかもしれない、ノックしてみるか?」

「あたしが?」

「俺がしてもいいよ?」

「うーん……じゃアンディがやってよ」

「わかった」

 アンディが一歩前に進み出て、ノッカーに手を伸ばす。

 細い輪を掴んで、三回、鳴らした。

 それから一歩下がって、様子を見る。

 ノックをしてから暫くして、ゆっくりと扉が内側から開かれた。

「ようこそ、お待ちしておりました」

*   *   *

 アンディが振りまわしたトーチが、屋敷の壁に沿って上へ向けられた瞬間。

 二階の、唯一つ板の打ち付けられていない窓辺に、黒髪の悪魔が美しい笑みを湛えて立っていた。

 悪魔と目が合ったことを確信して、言葉を失ったハリーの手をジョシュが掴んだ。

「帰ろう」

 ジョシュが言った。

 ハリーの腕を掴んで、元来た道を戻りだす。

「でも二人は」

「こっちの言うことを聞かなかったんだ、喰われたって仕方ない」

 足早に林の中へ戻ろうとするジョシュと、ジョシュに引っ張られるハリー。

 屋敷を見ながら、ルイがどうするんだと問えば、ジョシュは冷めた声で言った。

 その言葉を聞いて、ハリーは納得した。

 納得したと同時に、ハリーは一つ確信した。

 ジョシュにもあの悪魔が見えていたのだ。

 二人はきっと悪魔の胃袋の中に消えてしまうけれど、悪魔を滅する術はハリーにはなく、ジョシュにもない。

 それは仕方のないことだった。

「僕は二人を待ってみるよ」

 ルイが言った。

 ダッフルコートのポケットから取り出したトーチを、くるりと手の中で回した。

「駄目だ、早く林を抜けないと」

 鬼気迫る様子のジョシュに、ルイは不思議そうな顔で、それでも首を横に振った。

「二人を待つ、これ持って行きなよ」

 ルイはトーチをジョシュの手に握らせた。

「……これはお前が持ってろ、でも茂みに隠れて、絶対に灯りを点けるな」

 トーチをルイのコートのポケットに入れ直して、ジョシュが言った。

 やっぱり不思議そうな顔をして、それでもルイはそれ以上何も言わなかった。

 ハリーはジョシュに右手を引かれたまま、彼について歩き出した。

 ジョシュは林を抜けるまで一度も振り返らなかった。

 屋敷の方から耳を塞ぎたくなるような悲鳴が響いて来ても、けして振り返らなかった。

 掴んだままのハリーの手を握る力が、痛いくらいに強くなっただけだった。

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