九
「私は貴方様と数回しかお会いしておりませんが、夏蓮は分かって参りました。嘘をつくときとそうでないときの笑い方や、男らしい面、それでいて可愛らしい所も……。私も、こんなに会いたくなってしまうのです」
しばらく間が空いた。風が強く吹き、楓雅の髪や夏蓮の簪を揺らす。
「俺は……」
どうなのですか、と彼女の瞳は強い光を宿していて、目をそらせない力があった。
「俺、は……っ!」
限界だった。楓雅は夏蓮の細い腕を掴み、力任せに自分の方へと引き込む。引っ張られた相手は小さな悲鳴を上げ、そのまま楓雅の胸へと飛び込んだ。両の腕にすっぽりと収まってしまう華奢な体をきつく抱き締める。
「楓雅様っ!?」
戸惑うように身じろぐ夏蓮の動きさえも封じ、彼女の熱を求める。他の女なら簡単なのに、どうして、どうして、どうして――。
もどかしさとやりきれなさで楓雅はただ夏蓮を抱き締めるしかできなかった。「好き」と「慕う」の違いくらい、痛いほど分かる。
本当は彼女をさらって逃げて、どこか遠くで二人だけで生きていくこともできなくはない。けれど、それで本当に彼女を幸せにできるのか? 答えは、否。
そんな自信は楓雅にはなかった。気の遠くなるような未来を予想して歩む道を決めていけるほど人生経験も積んでいないし、何より夏蓮が「今」から逃げていることくらいすぐ分かる。
「夏蓮、どこか遠くで暮らそうか」
「えっ……?」
「その人との結婚が嫌なら、逃げればいい。俺とどこか、誰も知らないところでさ。家も親も兄弟も全部捨てて、誰も知らないところへ、逃げよう」
「で、でも、それは……、それは……」
口ごもりながら、夏蓮は楓雅から逃れるようにもがく。腕を解かれた楓雅は突き放されるように夏蓮と離れる。
「私っ、私……っ、できません……っ」
――やっぱりな。
覚悟があるかどうかを聞いたわけではない。確認しただけだ。
裕福な家ならば、なおさら「家」を棄てることはできないのだ。周囲の願いを背負い、決められた道を進まなければならないことを裏切る、それがどんなに罪深いことか。