海の魔物
魔法少女マジカルゼンザイからの続き。
特別に単語を覚える必要はありません、前作も必ず読む必要はありません。
八月もいよいよ終わりを迎える。
しかし猛暑日は続いていて夏休みも終わろうというのに海水浴場は観光客で絶えない。
筈だった…。
ここはある町の海水浴場、ビーチには誰一人見当たらない。
海面には数名がぷかぷかと浮かんでいる、死体だった。
紅に染まる海、一体なにが起こったのか!
少し前、海水浴場から離れた場所(といっても1kmもない)にある港。
時間は昼を過ぎた頃だろう、漁船がいくつもあるが漁師の仕事時間はとっくに終わっていて、まばらに釣り人が居るだけである。そこに女性が一人、沖の方へ張り出た堤防に向かって歩く。
若者にしては清楚な格好、眼鏡が映える凛々しい顔立ちどれも薄汚い漁港には似合わなかった。
彼女は黒桐ユキ、女子高生である、こんな場所に何用だろうか。
堤防の先端部分にたどり着くと辺りを気にする仕草。
幸い釣り人達は彼女に興味が無いのか、自分の釣竿先端部分と睨めっこだ、あまり釣果は良くないらしい。
(よお、やっとこさご対面ってわけだ…)
ユキが声のする方へ視線を向ける、海面だ。
ぶくぶくとあわ立ち、白い物体が浮かんでくるのが見えた。
それは一杯のアオリイカだった。
―アオリイカとは―
ヤリイカ科に属する大型のイカである。胴長は約40-45cmに達する。
餌木と呼ばれる特殊な疑似餌を使った釣りで人気が高い。
食用のイカ類では最高級品として扱われ、実は一般的なスーパー等で入手し辛い。
何故なら新鮮なアオリイカは漁師の得意先、料亭や寿司屋などに回されてしまうからだ。
新鮮なものは魚介類特有の生臭さは殆ど無く、他のイカに比べ食感・味ともに別次元のものだ。
話を戻そう、海面に上昇したアオリイカ、いやイカ型の妖精マスコット、土左衛門は思念を魔法送信してユキに話しかける。
(これから一緒に戦っていくんだ、こうして顔合わせしなくちゃあな!)
「うん、でもどうして…、その…トイレに流されたはずでしょ?」
ユキが顔を赤らめながら言った。
(ああ、オレ達妖精マスコットは魔法少女をサポートする為に死ぬことは許されない、どんな状態からでも再生できる不死の能力を持ってるんだ、けど今回はさすがに大変だったぜなにしろ大べ…)
ユキの顔はさらに紅潮、噴火しそう。
(おおっと、スマねえ野暮だったな)
それはそうだ、なにしろユキは土左衛門を普通のイカとして食し、胃袋で栄養素を絞り摂られた土左衛門は排泄物として下水に流れ、海に放出された後再生、今に至る。女性にはデリケートすぎる問題、ユキは高校生、花も恥じらう乙女なのだから!
(ところで今日は顔合わせで済ますつもりだったがそうはイカないらしいぜ、ネガティブの反応有ビーチだ)
ネガティブ…犯罪者、その言葉を聴いた瞬間にユキは表情を切り替える。
それはまるで、みぞれが雪に変わるが如く、冷静さを取り戻したのだ。
ユキが海に向かって逝きよいよく飛び込んだ。
空中で彼女の身体は冷気を纏い服が凍り始めた!
そして衣類全てが凍り、割れ弾け飛ぶ!
ユキの体は薄く凍りつく、氷は益々と薄く、やがて…。
蒼黒を基調としたドレスへ生成された!
ドレスの所々、白銀に輝く氷の結晶のようなクリスタルが!
そして海面へと着水する直前に足にはシューズが装着されている!
シューズ裏面から刃が展開し着水と同時に海面を凍結させた!
そのまま海面を滑りながら高速移動、後には二本の氷の線路が出来ている。
その様子を一人の釣り人が見ていた、竿が引いているのにも気付かず、ただ眺めていた。
「ぎゃああああ!」
逃げ遅れた海水浴客がまた一人串刺しにされた。
腹から銛の先端が突き出ている、そして数秒間苦しんだ後絶命。
彼には何の罪も無い、ただ夏の最後、海水浴で思い出を残そうとしていただけなのだ、一体何故こんなことに…。
答えは簡単だ海水浴客を襲っている男、それは狂っている犯罪者なのだ!
男は海の魔物と呼称されている、無差別殺人鬼で水中から姿を見せずに人を襲うことが出来る。シー・サーペントの背中にはバックパックが装着されている、これには酸素ボンベ・水中銃・さらには小型のモータースクリュウを備える、そして全身は勿論抵抗が少ない伸縮性スーツである、水中で活動するには申し分ない装備。
これにはかつて町の平和を守ってきた、マジカルゼンザイ&ホシイモも手を焼いた筈であろう。
「くくく、ははは、逃げ遅れた奴はもう居ないかな?」
ゴボゴボとシュノーケル先端から泡がたった、そして次の獲物を探す。
見つけた、浮き輪で海を漂う子供だ!海水浴客は自分達が助かることで一杯だ、大混乱のビーチ、この子の母親も混乱に巻き込まれ砂浜に一旦引き上げた、そして一人海に取り残された我が子を発見する。
「たけちゃん?たけちゃーんッ!!!」
叫びながら再び海に向かう母親、しかしこれは無駄だろう、シー・サーペントの小型スクリュウは時速40kmの推進力を持っている、これはホオジロザメのスピードに匹敵するものだ、海中ではどうあっても逃げられない。
無残にもシー・サーペントは十分な加速を付け、子供目掛けて銛を突き刺した!
破裂する浮き輪、その残骸が銛に絡みつく。
そう、銛に纏わり付くは浮き輪の残骸だけ。
子供はどこに!
海面に立つ一人の少女、子供は彼女に抱きかかえられている、その名は魔法少女マジカルカンテン!
すぐさま浅瀬に居る母親に子供を受け渡す、彼女の役割はまだ終わっていない。
海面を走り抜け元の場所へ、目的はネガティブ…シー・サーペントの討伐である。
途中、水面から二本の槍がユキ目掛けて飛び出た!
シー・サーペントの水中銃による攻撃だ、狙いは正確、このままでは首と胸に突き刺さる!
ユキは状態を後ろに大きく逸らし、躱したッ!これは見事なイナバウワー、オリンピック選手のそれと遜色ない!
だがこれで終わりではない、水中銃の攻撃は実は陽動、反り返ったユキの背中はがら空きだ、そこへシー・サーペントは垂直方向に加速をつけ、銛を勢いよく突き出すッ!
ユキはギリギリで跳躍回避、空中で6回転アクセルを決め、海面に着水!
今のはかなり危なかったはずだ、何故ならユキが攻撃を回避できたのはたまたま、氷の線路がシー・サーペントの攻撃軌道上に入っていた為それが一瞬銛攻撃に隙をつくったのだ。
シー・サーペントは再び海中に潜る。
ユキは次の攻撃に備え、海面上を華麗にすべる、美麗…、血生臭い海上の戦闘において何たる神秘的な光景だろうか!波の飛沫が魔力の凍気で結晶化し宙に舞う、それはまるで魔法少女マジカルゼンザイ海上ステージ彩る特殊効果!!!
攻撃が来ない。
そう逃亡である。
シー・サーペントは魔法少女と戦いに来たわけでは無い、弱者を一方的にいたぶる為にこの海水浴場にやって来ている、その歪んだ欲望は今日十分に果たすことができたから必然的に撤退したのである。
ユキはその事実に気付き身動ぎできない、奴は水中にもぐったまま移動できる。
魔法少女になっているとはいえ、ユキは水中を時速40km超えるスピードで泳ぐことは出来ない。
しかもシー・サーペントの場所、特定できる筈が無い、ここは広大に広がる太平洋なのだから。
―ゴポポポポポッ
潜水して10分も進んだろうか。
「聞いてないぞ、奴ら今は動けないんじゃあねえか!まあいい…、こうして逃げられた分けだしな」
くくく、はははと笑い潜水を続ける、シー・サーペントはこのまま少し離れた海岸に着陸すればいいと思っていた、海中沖辺りには何も無い、シー・サーペントはまるで世界の王者になった気分だ、ここは俺だけが支配する世界、魔法少女ですら勝てなかった、最強は俺だ!と。
しばらく進むと前方に白い魚影。
「イカか…?」
そうイカだなんの変哲も無い、しかしそのイカ唯のイカではない。
ある信号を発信し続けている、勿論イカにそんな機能は備わっていない。
直後、シー・サーペント目掛けて垂直潜行する物体有り!
魚雷の様な勢いを持って、シー・サーペントに激突!ガッシリと拘束、そうユキだ!
「ゴボッ、ゴボッ、ゴボォ!?」
シュノーケルから空気泡が大量に漏れ、二人を覆い隠すように包み込み潜行は続く。
海中戦はユキにとって天恵だった、何故なら妖精マスコットから最大限のサポートを受けれるからだ、シー・サーペント近くを浮遊していたイカは土左衛門、ずっと追跡していたのだ、イカの遊泳スペードは大型の物で時速40kmを超える。
突如の奇襲で取り乱しはしたがすぐに戦闘態勢に移行するシー・サーペント。
彼がすべきこと即ち、魔法少女の排除、具体的にはこのまま海底の方向へ潜る為、スクリュウを最大出力で稼働させる。狙うは魔法少女の酸素切れ、シー・サーペントの酸素貯蓄は背中のバックパックに十分にある。
ユキがその策略に気がつくと素手での攻撃、片手で拘束しながら、相手の顔面を叩くがここは水中だ大した攻撃力にはならない。しかもシー・サーペント酸素吸入器はボディースーツと一体物、中々外れない。相手の酸素切れは狙えない、潜行は続く…。
「馬鹿め、貴様も所詮人間よ、ここは俺の世界侵入してきた時点でお前の敗北は確定していたのだ!」
ゴーグルの下の目が三日月上に歪み、シュノーケルから嗤いの泡が吹き出た。
今は完全にシー・サーペントがユキを拘束している。
新たな魔法少女の伝説はここで終了してしまうのか…?
「ゴボッ…!」
ユキがシー・サーペントのバックパック、ボンベ部分を蹴り始めた。
「無駄だ、無駄だ、これは簡単には破壊できない…」
攻撃は通用しない、あのアズサでさえ水中では鋼鉄製のボンベは破壊できないだろう。
一体何故、ついに恐ろしい事態、酸素欠乏症による混乱が始まったのか?
違う!
ユキは物理的な破壊を狙っていたのでは無い、何度かボンベを蹴り足を固定した。
足裏がボンベ表面にピタリと張り付く位置を捜していたのだ!
そして魔力を足裏に集中させる、中の酸素が凍結し始めた。
「ガボッ、ガボッ、ガボボォォォ!!!」
酸素吸入が上手く行かない、水中での不足自体に人はパニック状態に陥りやすい、実際ダイバーの水中事故は落ち着いて対処すれば防げるものが多い、しかし緊急事態に冷静で居られないのが人間である。
水中戦を制したのはユキだ。
「ッハァ…ハア、ハア、ハア…」海面から顔を出し、酸素を吸入。
数十秒間の出来事だったが、ユキには海中で何分間も戦っている錯覚があった。
「土左衛門ッ、やったよコイツどうしよう?」
シー・サーペントは気を失っている。
「土左衛門?」
妖精マスコットに通信するが反応は無い、それもそのはず彼は今沖にいた鰹に捕食され、遥か彼方にいたからだ。
アオリイカは魚に取っても旨いのだ。