抱きつき
「うんうん!いいぞ!!あともう少し!」
「はぁ、はぁ……」
今は夜の8時過ぎ。
すっかり人気のいなくなったプールでオレ達は水泳の練習に励んでいた。
今は昼間に挑戦したクロールを再び教えているところだ。
あのときとは違い、周りには人もほとんどいなく、時間をかけて教えることができた。
元々、運動神経は抜群な柊。
要所要所を丁寧に教えると、あっという間にそれらを飲み込み、完璧とは言えないが、だいぶ形にはなってきた。
そして先程、サポートなしに25m泳げるかやってもらっているところだ。
「はぁはぁ……」
息継ぎの合間から見える柊の表情はかなり苦しそうだった。
だが、あともう少しで25m泳ぎ切る……!
頑張れ……!
オレは心の中で必死に応援し、拳を力強く握った。
「はぁはぁ……あれ、え……」
無我夢中で泳いでいるうちに柊の手はいつの間にか反対側の壁に触れていて、それに気づき、荒く呼吸をしながら、顔を上げた。
その瞬間、オレは自分の頬がゆっくりつり上がっていくのがわかった。
「やったな!柊!!25m泳げたぞ!!」
未だ状況が飲み込めない柊の手を掴み、プールから上げてやる。
「あ、アタシ、泳げたんだ……」
夢を見ているように柊は囁くように呟いた。
「なんか夢みたい……」
そう言って、柊は力尽きたように倒れかかってきた。
「わ……!」
急にオレの身体にもたれかかってきたので慌てて柊の身体を支えた。
その細い華奢な身体を抱き締める格好になってしまい、オレは恥ずかしくなったが、離れるわけにもいかないので、少しの間、そのままの体勢でいることにした。
「んあ……」
それから少し経ってから横にいる柊が声を上げた。
柊がオレにもたれかかってきて、中々目を覚まさないので、オレはそのままプールサイドの近くにあるベンチに移動した。
「気づいた?」
「え?あ、もしかしてアタシ寝てた……?」
目をゴシゴシと擦り、辺りを見回す。
「ちょっとだけな。で、そろそろここも終了の時間らしい」
言いながら、プールの中央にある時計を指差す。今は8時になる5分前だ。
「わわ!ごめんね!アタシが寝ちゃったから……!」
「気にすんなって。それよりクロールで25m泳げたことを喜ぼうぜ」
小さな子供を褒めるように柊の頭をわしゃわしゃと撫でてやる。
「あ、ありがとう……」
照れたように俯きながら、柊はほんの少し微笑んだ。
しばし、頭を撫でてやったあと、時間も時間なのでオレ達は私服に着替えてレジャー施設から出ていった。
その帰り道。
電車を降り、改札を出る。
「いやー、遊んだな。今日はぐっすり寝れそうだ」
「アタシも。もうクタクタだよ」
苦笑しながら、柊は眠そうに目を擦った。
「夜も遅いから送っていく」
「え、い、いや大丈夫だよ!アタシの家、駅から近いし!」
柊は慌てて両手をブンブンと前に振った。
「そ、そうか。じゃあ気を付けて帰れよ」
あまりの慌てようにオレは少し気圧されつつ、手を上げてからその場から離れていった。
さすがに家まで送るのはまずかったかな……
いや、でも夜道を女子一人で歩かせるなんて危険だしな。間違ってないと思う。
それにしてもクロールができるようになってよかった。
そんなことを考えながらオレは自宅までゆっくりとした足取りで帰っていった。




