8.戸惑いと喜びと
「もちろん今も好きですよ。でもその前に、貴女は私の敵ですからね」
何を考えているのかわからない微笑みを作り、ロルルはゆっくりと一歩、また一歩と私に近付く。
彼が一歩近付く度に私も一歩、そしてまた一歩と後ずさる。
しかしそれもすぐに終わる。私の右足が後ろにあった壁へとぶつかったのだ。
冷や汗がたらりとたれるが、それを拭う余裕はない。
「……死ぬ前にいくつか聞いてもいいかしら?」
その質問が時間稼ぎだとロルルにもわかっているだろうが、彼はどうぞと頷く。
ちらっと彼の後ろを見れば、兵士が腰から剣を抜き私の方へと歩いてくる。その時にその剣先がキラっと二度光る。
ひとりで来たのは失敗だったかもしれないと、慌てる私を引き留めようとしてくれたガルとアンナを思い浮かべ、ごめんねと心の中でつぶやいた。
「私を殺した後、貴方は王の試練を受けるのかしら?」
「…いいえ」
私の問いにロルルは答える。動揺はない。
その事が少し不思議であった。
前世で読んだファンブックにあるデータでは――とあるバッドエンドでロルルはリチェリアを殺すのだが、その後に試練を受けて王となるのだと書いてあったのだ。
ちなみに前世を思い出さなければ今も知らないままだった事ではあるが、彼は私の従兄弟である。
先々代の王――私のおじい様――の認知されていない子供の、その子供なのだ。
ずっと平民として暮らしていたとはいえ、王の血を引いている――王の試練を受ける資格を持っているのだ。
「貴方は王になりたいのではないの?」
「……知っていたのですか?」
ロルルは質問に答えず、問い返してきた。
そこには怒りや哀しみの類いはなく、意外そうに私を見ている。
もしかして、前世の記憶とは違う理由なのだろうか。
コルトンがその記憶にあったものそのままであったから、ロルルもそうだとつい思っていたのだが……やはりゲームはゲームでありいくら似通っていたとしても、現実は現実なのだろうか。
「…知っているって何の事? 私を殺すのであれば、私の代わりの王が必要でしょう?」
前世について話すわけにもいかないので、もっともらしい理由を声に乗せて誤魔化す。
それを聞いたロルルは目を細め、何かを探るように私を見つめたが、私は何もわかりませんという表情を維持して見つめ返した。
「…まあ、知っていようが知っていまいが、どちらでも同じですけどね」
そうつぶやき、先に目をそらしたのはロルルの方だった。
首を一度横へふり、そして一歩――私を光魔法でいつでも殺せる範囲へと――近付いた。
「質問はそれで終わりですか?」
「もっとたくさんあるわよ。せっかちなのね、貴方」
私がそう微笑みかけるとロルルも微笑む。
私とロルルの顔だけを見れば和やかだが、実際には彼の後ろには彼の部下と思われる兵士たちが剣を抜き、私にその先を向けて――私がどこへも逃げられぬように、逃げようとしてもいつでも殺せるように――私を逃がすまいと囲んでいるのだ。
そして何より、彼のその手に魔力が集まっていくのが見えた。
そろそろ終わりにする気なのだろう。
「さようなら、女王陛―――」
「させるかっ!」
言葉と共にその集めた魔力を放とうとした時、ロルルの真後ろにいた兵士が彼へと斬りかかった。
私のナイフを使いロルルはその剣を受け流し、彼へと斬りかかった兵士はそのまま私の方へと近づき私を背後に庇い剣を構えた。
「アルフィン!」
「待たせたね、リチェリア陛下」
私を庇う兵士の名前を呼ぶと彼――アルフィンは私にウィンクしてそう言った。
アルフィン・ロ・スカイルチェーレ。ロの階位――公爵であるスカイルチェーレ家の現当主であり「プリンセス・フェアリー‐身分違いの恋模様‐」の攻略対象である。。
大きな背中を見上げれば、アルフィンは明るいグレーの髪を後ろでひとつにまとめ、いつもの清潔さはどこへ行ったのか、煤などで汚れ、所々が欠けているボロボロの鎧を着ていた。
それでも損なわれないアルフィンのダンディな色気が、彼が攻略対象であるという証なのかもしれない。
私からは見えないが、その濃い――光の加減によっては黒くも見える――紫色の目でロルルを睨んでいるのか、張りつめた空気を纏っている。
「スカイルチェーレ卿」
「何かね、腐れ神官殿」
「死んでいたのではなかったのですか」
「フン、あの程度でこの私が死ぬわけがないだろう」
静かな声で言うロルルに対し、アルフィンは鼻を鳴らして答える。
アルフィンの死因は毒であるのだが、それはロルルではなく別の人間によって盛られたものであったはずなのだが、それはロルルの指示か何かだったのであろうか。
死因は前世の記憶で知っていたが、その背景まではさすがに載って……いたかもしれないが、私は覚えていなかった。
まあとにかく、ならば今生きている彼は、死ぬはずであった未来を回避した事になる。
「アルフィン、生きていてくれて嬉しいわ!」
「陛下に喜んでもらえるのなら、私が陛下より先に……寿命以外の原因で死ぬことはないだろう。少し汚れてしまうかもしれないが我慢してくれたまえ」
小声でアルフィンに告げれば、アルフィンはそう言って私を抱き上げた。
まるで小さい子供のようにその左腕の上に私を抱えた。
私は思わず小さく叫び、彼の首へと抱きつく。ちょっと驚いた。
「逃がしませんよ」
ロルルが魔力を再び集めこちらへ放ちそう言うが、それはアルフィンにも私にも届かず消えた。
それと同時にロルルの部下と思われる兵士たちが私たちへと斬りかかってきたが、それは私たちの目と鼻の先まで来たところで、何かに弾かれて、彼らは地面に転がった。
「―――ギリギリだな、ヤルザン」
「……アナタって何でいつもそう偉そうなのかしら?」
アルフィンがそう言うと、私たちの後ろ――壁の上の方から少し高めの男の人の声がした。
見上げる前に、その男はそこから飛び降り、足の骨を折る事もなく、ゆっくりと重さなんてないかのように私たちの横にふんわりと着地をした。
「お待たせ、陛下」
青色のローブを着た金髪碧眼の男――王宮魔術師の筆頭であるヤルザン・ラ・ラスフェルがにっこりと笑う。
女の人のような言葉を使ってはいるが、彼は男である。見た目も、声も。
彼も攻略対象の中のひとりである。
「…貴方も生きていたのですか」
「そうよぉ! アタシが陛下を残してそう簡単に死ぬわけがないじゃない」
苦虫を噛み潰したような声でロルルが言えば、ヤルザンはカラカラと笑う。
ヤルザンとアルフィンは攻略対象たちの中でも年嵩な方であるが、年相応のダンディなオジサマな顔のアルフィンとは違って、ヤルザンは10代にも見える幼い顔立ちが特徴である。
「ミルファを騙してアタシたちを殺そうとするとか、それでも聖職者なのかしら?」
陛下の事も殺そうとしていたし許せないわね、とヤルザンが言葉を続ける。
彼の言葉通り、ヤルザンの死因も毒であり、ヤルザンとアルフィンは同じ毒で死ぬはずだったのだ。
そしてその毒を盛ったのはミルファ――ミルファルファ・サーランという名前の王宮付きの料理人であり攻略対象のひとり――であり、その事を苦にミルファは自殺する……までがノーマルエンドでの彼らの死亡図である。
が、ヤルザンもアルフィンも死なずに生きている。
「そんな顔をしなくても大丈夫よ、陛下。ミルファも生きてるから」
呆然とした顔に気付いたのか、ヤルザンがそう言いながら私の頭を撫でてきた。
顔は幼いがそういう行動が自然であり違和感がない辺り、やはり彼もオジサマなのだろうなぁと場違いな事を想ってしまったのは内緒だ。
ミルファはロルルに栄養剤と言って渡されたモノを毒と知らずにお茶へと混ぜ、それを飲んだヤルザンとアルフィンも死にかけていたのだそうだが、そこへセルファンに連れられたアンナが駆け込んできて、なんとか解毒が間に合ったのだそうだ。
そしてそこで教会についての事を聞き、ミルファの事をセルファンとアンナに押し付……じゃなくて任せて、私を助けにきてくれたらしい。
陛下の危機に間に合ってよかったと二人は言い、二人が死ななくてよかったと私は思った。
「逃げられると思ってるんですか?」
そんな様子の私たちを見て、後ろの部下たちに指示を出しながらロルルが言う。
さきほどまであったはずの余裕が、彼の顔や態度から消えているように見えた。
「まあな。私とヤルザンが居るのだから、不可能など何もないのだよ」
「そうね、アタシとアルフィンが居て、陛下を害せると思ったら大間違いよね」
二人はそう言って頷きあい、アルフィンは私を抱えたまま剣を、ヤルザンはどこから出したのか長い木で出来た杖を、ロルルへと構えた。
主人公は強いのですが、その強さが災害レベルで手加減ができないので、強い強い言いながらも、その力を使えません(使うと城どころか国を滅ぼしてしまうので)
なので普段は守られる側。