第五十一話:非効率だったのでしょう
「リソースとコストだよ」
かつて、まだアムがフィルと共に探索を行っていたその時、まだ自らの特性も機械種の特性もそして、その相性すらもよく知らなかったアム・ナイトメアの上げた一つの質問にその主はそう説明した。
霊体種は有機生命種や無機生命種と異なり、肉体ではなく魂のみにより成り立っている。
かつて最初にモデル・アントと戦った際、霊体種が総じて有する『透過』のスキルはその攻撃を完全に透過した。それは、存在が成立する次元の違いを明確に示している。
要するに、アム・ナイトメアやセーラ、悪性霊体種や善性霊体種と呼ばれる存在にとって、この世界で『物体』に干渉しているいつもの状態こそが異常であり、本来の霊体種にとってそれらは空気のように何の影響も与えないものなのだ。
だが、確かに存在するその法則は相手が高位の機械種になると当てはまらない。ランクの高い機械種の物理攻撃は透過を使用したアム・ナイトメアに確かに影響する。
何が違うのか。どうして低位の機械種の攻撃は『透過』で避けられるのに高位の機械種の攻撃は避けられないのか。
その疑問に対する回答。
本来機械種に魂は存在しない。存在する次元が異なる以上、霊体種と機械種は互いに干渉し合わない。干渉を可能とするためには特殊な材料やスキルが必要とされる。
そして、それらは貴重な代物だった。レイブンシティ周辺、機械種の縄張りに棲息する全ての機械種に適用出来ないくらいには。
リソースとコスト。
つまり、それが答えだ。アム・ナイトメアがフィルと出会うまでの期間死ななかったその理由の一つでもあり、アリスと異なりエナジードレインを攻撃の主体としないアム・ナイトメアが機械種相手にそこそこ有利に立ち向かえる理由だ。何しろ、『透過』のスキルを使用する決定権は――アムの側にあるのだから。
だから、『機蟲の陣容』のその底、その暗闇の中でも、アムは全く恐怖と言うものを感じていなかった。
冷たい空気も、閉塞感も、暗闇も、悪性霊体種たるアムにとってはメリットの一つでしかない。
もちろん、恐怖がないのはたとえすぐ近くでなかったとしても、同じ空間に主がいる事も大きな理由の一つではあるだろう。
だがしかし、少なくとも確かに今のアムは冴え渡っていた。
久しぶりに近くにいる主に活躍を見せたい。それはアムが持っていて当たり前の感情で、感情によりその能力を大きく上下させる霊体種であるアム自身に大きな力を与えるのだ。
「音が……するわね……」
「戦闘が始まったようだな」
アムとは逆に、やや表情の暗いリンが小さく呟く。
その不安げな言葉に広谷が無愛想な声で答える。その言葉の通り、耳を澄ませば騒々しい音がそこかしこから聞こえていた。
今回の作戦でメンバーは大きく分けると三通りに分けられている。
即ち、ザブラクの行っている地上での足止め。中堅程度のパーティが担当する、アルデバランの棲み着く部屋への道を封鎖する組。そして、アルデバランの討伐を行う主戦力。
アルデバランの部屋までのショートカット――奇策は既に成っており、ここからは各々の地力が物をいう世界だ。その中でも、リン達に与えられた役割は一番最後の組だった。
もちろん、まだC級探求者であるリンがアルデバランと直接相対するわけではない。最終的にその主力を消耗させずに届けるのがミッションである。
だがそれでも、他にも同じ役割を持ったメンバーは何人もいるがそれでも、リンにとってその任務はかなり荷の重い物と言えた。そもそも、リンは本来『灰王の零落』のクエストを受けられる下限にも達していないのだ。
リン達のグループは主力部隊に先行する形で進んでいるが、主力部隊が後ろから攻撃を受けないように殿を護る役割のパーティもいる。
主導は明けの戦槌のメンバーではあるが、今探求者の集団は皆事前の作戦に則って進んでいた。
たった一つの目的を、たった一体の敵を討伐するために。
「明けの戦槌の斥候グループが先行している。罠の類は奴が発見しているはずだ。斥候に発見できなければ俺達にも無理だろう」
険しい表情で鼻を引く付かせ、いつでも抜刀できる覚悟を保ちつつ、広谷が言う。暗く冷たく、しかし肌が焼け付くような錯覚はここが戦場である証である。
元気づけるような広谷の声を受けてもどこか不安げな様子のリン。
その背後から、アムがその身体に飛びついた。唐突な行為にリンの身体がびくんと跳ねる。
「きゃっ!」
「リン、ほら! 元気出して!」
「あ、あなた……ねぇ」
「せっかく重要な役割をくれたんだから――ちゃんとやらないと」
アムの言葉に、リンは言葉を上げかけ、しかし言葉を返す代わりにため息で締めた。
アムの言葉は正しい。緊張していては、本来の実力が出せない。マスターの不安はスレイブにも伝播する。
しかし、尤もな言葉ではあるが、それにしても余りにアムには危機感がなさすぎる。地中を探索するのも初めてのはずなのに、いつもと変わらない能天気さが少しだけ羨ましくなってしまう。
肩の力を抜き、仮マスターの責務として、リンはアムに注意の言葉をかける。
「アム、さっきも言ったけど、ちゃんと安全を考えて戦うのよ? ここからは――透過の効く敵と効かない敵が混在して出てくるんだから」
「大丈夫、大丈夫。躱せばいいんでしょ。躱せば」
一体どの口で言っているのか。
以前も機械種の解体中に爆発させたというのに、全く反省する気配がないアム。
ジト目を向けて、きっぱりとした口調でリンが言いつける。
「私の指示には従ってもらうわよ。私だって、フィルさんから指揮権、預かってるんだから」
「わかってるって!」
わかってない。全然わかっていない。
一度本来のマスターにお灸を据えてもらいたいものだが、それはそれでリンの魔物使いとしてのプライドが許さない。
肩を落とすリンの背をアムがぐいぐい押す。全然反省が篭っていない、友達に対するそれを見てマスターとスレイブだと思うものはいないだろう。
「どうやってフィルさんはアムをコントロールしていたんだろう……」
むしろ、昔リンが組んでいた頃のアムの方がまだ扱いやすかった。
今のアムはその行動の一つ一つが自信に満ち、それだけならまだいいが浮足立っているせいで糸の切れた風船のようにどこかに飛んでいきそうだ。
以前よりも確かに強いが、リンにとってはとても扱いづらい。ましてや、契約を結んでいない状態では魔物使いのスキルでサポートもできないので尚更だ。
背中をおされながら歩いていると、ふと開けた空間に出た。
道の幅が一気に三倍程に広がり、天井も遥か数メートルの位置にまで高くなる。その天井付近には幾本もの横穴が見えた。
リン達よりも先に進んでいたメンバーが会話を交わしている。
その側にはモデルアントの残骸が幾つも転がっていた。
「リン」
「……ええ」
事前に地図は配られ、計画も立てられている。そこは防衛地点として想定された場所の一つだった。
アルデバランのいる女王の間に辿り付くまで通らなくてはならない道の一つでもある。
先行グループを取りまとめていた『明けの戦槌』のメンバーの男が全員に聞こえるように言った。
「予定通り、数グループここに残す。想定よりも被害が少ないから、多少多めに残した方がいいだろう」
「わかりました」
救援の足止めにも人員を割いているとはいえ、ここは敵の本拠地だ。まだ敵の数がどれほどいるのかもわからないし、足止めを増やせば生存率も上げられる。
アルデバランの間まではそれほど距離はない。後は主戦力を送り込み、倒すまでの時間を稼ぐだけだ。
「シウィンさんのグループが既に先行してる。トラップの類は今の所ないようだ」
そこまで説明したその時、天井近くから小さな物音がした。
その場にいたメンバー全員が即座に反応し、天井を――横穴から天井に這い出てきたモデル・アントを見上げる。事前の『予測』に基づいた機敏な動作。
天井から現れる。
足元が崩れ引きずり込まれる。
壁が割れ這い出てくる。
フィル・ガーデンが主体となったミーティングで出された妄執とさえ呼ぶべき、あらゆる危機的パターンがその動作に消化されていた。
天井にぶら下がった蟻が上半身の倍程も巨大な下腹部を下に向ける。リーダーが叫んだ。
「酸が来るぞッ! 総員、備えをッ!」
言葉と同時に、弾丸のような酸の塊がまさしく雨のように降り注いできた。
暗闇の中、酷く見づらい酸の嵐に、盾を持っていたメンバーが盾を上部に向け、風の魔法を使えるメンバーが少しでもその軌道を押さえるために風を起こす。リン達、盾のないメンバーは特殊な素材でできたマントに身を包む。
鼻の奥がつんとくるような臭い。
モデルアントの利用する酸は生き物の殺傷を目的とした物だ。高出力で飛ばされたそれは金属の弾丸に劣らぬ威力と、金属を溶かす性質を持つ。
もちろん、モデルアント討伐にあたり、特殊コーティングをされた装備を揃えたメンバー達の装備は溶けたりしないが、例え弾丸自体を弾けても飛沫が皮膚に付着すればダメージは免れない。
想定していた攻撃の中でも厄介なそれに、リーダーが唇を噛む。
弾丸が盾を穿つ音が響き渡る。鼻を刺すような刺激臭が強く広がる。
ただ総員が防御の体勢を取るその時、アムがたった一人尽きる気配のない酸の嵐の中に躍り出た。
「あ……アムッ!?」
リンが悲鳴を上げる。その時、既にアムは宙にいた。
数メートルもある高さを僅か一飛で飛ぶ。その全身に雨あられと降り注ぐ酸弾は全て、まるでその身体が幻であるかのように何の抵抗もなくアムを貫き、下に降り注ぐ。
リソースとコスト。それが理由だ。
機械種は霊体種に対する万全の耐性ができていない。故に、悪性霊体種の持つ恐怖を利用した能力は機械種に通じないが、機械種の攻撃もまたアムには通じづらい。
無数の酸の弾丸を浴びたアムにダメージはない。アムの透過のスキルにより、全ての弾丸は透過ダメージを与える事なく去っていった。金属で出来たその身体はアムを貫くだけの能力を有していても、酸弾までは話が別だ。
重力無効。透過。
種族スキルを有効活用し、瞬く間に接近したアムに、前足を天井に突き刺しぶら下がったモデルアントが複眼を向ける。
そのセンサーが果たして透過したアムを見抜けるのかどうか、アムは知らない。ただ、空中でくすんだ金色の虹彩を敵に向け、一言掛ける。
「随分と重そうな身体ね」
空中で、アムが右手で腰から剣を抜き放つ。かつて機神の祭壇でなくしてしまった剣と同じ、青白い刃を持つ長剣が光苔の朧げな光を反射し鈍く輝く。その様が地上にいるリンからはまるで騎士であるかのように見えた。
天井にその六脚を突き刺しぶら下がったモデルアントは動けない。ただ視線のみを向けてくるそれの頭を、アムが切り払った。
衝突の瞬間、透過のスキルを解除する。刃が実体を取り戻しモデルアントの頭を打ち付ける。アムがその反動で大きく後ろに下がる。
重力無効のスキルを使っている現在、空中で踏ん張りの聞かないアムが与えられるダメージはそれほど大きくない。だが、その一撃の衝撃でモデルアントが突き刺していた脚が天井から外れる。
その顎がまるで驚愕を示すかのようにぎしりと動き、金属で出来た重さ数百キロもあるその身体が、背を下に無抵抗に落下する。地上から短い悲鳴と歓声。地面に巨大な物体が落ちる音。
問題は距離だった。地上に落ちたモデルアントなど物の数ではない。
騒々しい地面に視線を向ける事なく、アムが次の蟻に向かってその身を閃かせる。
リンがそれを見て額を抑え、甲高い声で叫んだ。
「アムッ! 危ないから戻ってきなさーいッ!」
§
暗闇はとても恐ろしいが、機械小人は元来鉱山の奥底に棲む種族だった。
鉱山の奥底に住み着き、発掘した金属鉱石を使いその器用な手先であらゆる物を生み出す。その存在は鉱山人と呼ばれる種の亜種と呼べるかもしれない。
エトランジュ・セントラルドールの生まれたその時には既にメカニカル・ピグミーは機械種を生み出す程の高度な文明を手に入れていたが、鉱山の深奥、暗闇を生き抜いた遠い先祖の記憶はその魂に眠っている。
光苔に照らされた世界はエトランジュにとって外の世界となんら変わらない。
エトランジュの歩行速度に会わせるようにその身体の周囲を白銀色の守護機械が回っていた。
周囲の警戒をしながら進むランド・グローリーを先頭にした一行は作戦の要だ。経験も、実力もある一団は同時に映写結晶で観察したアルデバランを討伐し得ると判断されたメンバーでもある。
足音を潜め進む一団の中、先程から止まらない声があった。
「壁が硬い。ワーカーアントが特殊な液剤で固めてるんだ。内部崩壊を防ぐため、巣を作るために働き蟻はそういう機能を持っている。もちろん、硬度に限界はあるが、ザブラクに大穴を開けられても『巣』が崩れない、それが理由だ。分かるな、ハイル」
「あー……そうだな」
さすがの傍若無人な豹人も相手をするのに飽きたのか、怒鳴ることすら諦めたのか、生返事を返す。
「そして、モデル・ワーカーはモデルアントの他種と明確に異なる特徴を持つ。大きさが……三種類存在するんだ。生物ってのはその成長速度によって大きさに差異が出るもんだけど、機械種は違う。同一種ならば大きさも重さも殆ど統一されている」
その生返事にも何ら感情を見せる事なく、フィル・ガーデンが早口で続けた。その眼は先程から天井や床に向けられており、仲間を見ていない。激しい視線の変化は一種の情緒不安定にも見える。
いや、エトランジュにとってフィル・ガーデンという男はどこかいつも情緒が不安定な男だった。
一番最初、一緒に図書館で図鑑を見ていたその時から、その思考は読めず情動は理解できない。何もかもを見透かすかのような漆黒の眼を周囲に向け、脆弱なその身体は恐怖に震える事もない。
その根幹にあるものを、エトランジュは知っていた。今のエトランジュは気づいていた。
それは――好奇心。その眼は観察する眼、その口は情報を聞き出すための口、その行動は自らの好奇心を満たすためにのみ動いている。
他者を揺さぶり言葉で惑わし手の平の上で転がす。気づき始めたのは、迷宮の天井をぶち抜くという案を出したその時からだ。
エトランジュとブリュムを連れ、機神の祭壇に向かった。その時に得た情報を元に迷宮の天井をぶち抜けるのではないかという想定を出し、それを計画の根幹にした。その瞬間からだ。
自分より上のランクの探求者。もともと興味はあったが、その瞬間から眼を……離せなくなっていた。
「何故だかわかるか、ガルド」
「……知らねえよ。あのなぁ、フィル……」
唐突に問いを投げられたガルド・ルドナーがため息をつき、立ち止まる。
その手に握っていた戦斧の柄を地面に立てると、呆れたような視線をフィルに向けた。
「もうここは戦場だ。ちったぁ静かにしてられねえのか?」
「ガルド、これは……とても大事な事だ」
「あ……? ……そうなのか?」
たった一言でガルドが文句を言うのをやめる。
メンバーの注意がたとえ視線は向けられなくても、フィルの方に集まるのを感じる。それに興味を持っていないのは、衛星のようにエトランジュの周囲を警戒する護衛機械と、フィルの頭の上で待機している護衛機械だけだ。
フィルが少し掠れた声で続ける。その声を聞きながら、エトランジュが小さくため息をつき、軽く唇を噛んだ。
「答えは――規格だ。機械種には規格がある。特に一体一体手作りされるタイプではない『工場』で量産されるタイプの機械種はその傾向が顕著だ。大きさ、重さ。規格を揃えれば量産できる。大きさを変えるには生産設備を複数立てなくてはならない。ガルド、リソースと……コストだよ」
「……それのどこが重要だって?」
「だがしかし、ワーカーアントには大中小で大きさが三種類存在する。何故だか分かるか?」
再び広がりかける沈黙。
フィルの言葉に我慢できなくなり、エトランジュが声を上げる。
機械種について、機械魔術師以上に詳しい者などいない。少なくとも、エトランジュはそう自負していた。
「大きさを分けた方が便利だから、なのです」
「エティ」
答えたエトランジュの方をフィルが振り向く。
呼ばれた愛称に、そしてそれを自分から許してしまったその事実に一瞬目の前が眩み、しかしすぐに我を取り戻す。
黙って言葉を待つフィルに続けた。
「モデルアントの働き蟻の役割はその巣を作る事。巣を細部に渡り製造するにはサイズが一種類ではとても不便なのです。その為、一般的なモデルアントのサイズに合わせたLサイズ、その半分程のサイズのM、そして更にその半分のサイズのSの三種類に分けられるのです。SサイズのワーカーはLサイズの四分の一、細かい巣作りが可能なのです」
「それ以下のサイズはないのか」
ランド・グローリーが会話に混ざってくる。
その問いに、フィルが何も言わずにエトランジュの方に視線を向ける。
エトランジュはその事実に少しだけ胸を張って答えた。
「機械種を生み出すには存在核が不可欠なのです。そして、存在核はとてもコストがかかる。それ以下のサイズを生み出すのはとても非効率だったのでしょう」
感心したように唸るランド。
同じSS級の探求者でも、戦士であるランドと魔術師であるエトランジュの差は明確だ。機械種の専門家でもある自分と戦闘職を比べてはならないが、その事に改めて自負を持つ。
そんなエトランジュに、今まで黙っていたフィルが言った。
いつもと何ら変わらない薄い笑みを浮かべながら、しかしその眼だけは真剣に。
「エティ、それは――違う」
「……え?」
予想外の言葉に、エトランジュの背に冷や汗が出る。
ランドとガルドが目を見開きフィルの方を見る。
慌ててエトランジュは反論した。確かにフィル・ガーデンは自分と同じくらい機械種に興味を持っているが、その知識は機械種一本に絞って研究してきた自分よりも下のはずだ。
「あってる……のです。多分、きっと、恐らくは、少なくとも私の知っている限りでは――」
「それは違う。エティ。答えは――」
フィルが深く呼吸をする。
その喉の動きが、胸の動きが、はっきりと分かるくらいにエトランジュはそれに集中した。
そして、その血色の薄い唇が小さく開き言葉が紡がれる。常に人を惑わす言葉が。
「答えは――わからない、だよ。エティ、わからなかったんだ、三種類のワーカーが存在する理由が。それは……僕が最初にこの地に来て受けてしまったモデルアントの討伐依頼、モデルアントについての情報を一通り得た際に浮かんだ――WHYだった」




