第五十話:……声がしたんだ
全ての感覚が他クラスと一線を画する。
斥候のクラスは五感を始めとした『感覚』が強化される事で有名であり、一般的にそのクラスを得ると、得る前の二倍から三倍の感覚能力が手に入ると言われている。
故に、盗賊や弓手を始めとした、一般的にスカウト系と呼ばれるクラスの持ち主はパーティの一番前を行き、危険察知の役割を受け持つ傾向にある。
そして、同時にそれは決して、戦場においてのみではない。
『囁く光霊』のシウィンが、妹のセーラと共にクラン、『明けの戦槌』に入団したのはもう十年以上も前の事だ。
当時の『明けの戦槌』は中規模のクランであり、リーダーの種族こそ強力だったが、足りていないものがありすぎた。
いくら強力な竜人のマスターがいたとしても、クランは一人ではならない。
前衛。斥候に魔道士、そして回復魔法を担当する僧侶。
安定した探求を達成するためには最低限それらの要素が必要であり、シウィンが入団する前に『明けの戦槌』に存在していたのは前衛のみであった。
それでも、それまでクランが壊滅せずに存続できていたのはその前衛にしてクランマスター――ランド・グローリーが突出した能力を有していたからであり、運良く力押しでどうにもならない探索がなかったからであった。
しかし、そのままではいずれ大きな壁にぶつかり、クランは壊滅していただろう。
元々、ランドの種族――竜人は戦士の一族だ。
その一族では、斧や戦槌、大剣などの大きな破壊力を持つ武器を操り敵を粉砕する事が尊ばれる。
クラン名に、ランドの主武器である『戦槌』が入っているのも、それまでそのクランのメンバーが前衛で構成されていたのも、それが理由であり――そして、前衛職には適さない善性霊体種である、兄妹が入団するに至ったのは、幸運だったのは、それだけではこの先、クランを大きくしていくのが難しいとそのマスター自身が理解していたためであった。
ランド・グローリーはマスターであり、戦人であり、しかし自らの身の丈というものを理解していた。
竜人は確かに戦闘に置いて屈指の能力を持つ種族であるが、竜人以上の潜在能力を持つ存在も少なくはない。
例えば――竜。
竜人はその身に竜の因子を半分程度持つ。
半分流れているだけでとてつもない身体能力を実現する、その血の源がどれほどの能力を持つのか、ランド自身理解していて同時に、いつかそれを超える事を夢見ていた。
それは、竜人にとっての一種の悲願である。
例えば、ある竜人は竜をスレイブとする事によりそれを超えたように。
しかし、それは長年の積み重ねとノウハウの蓄積によるものであり、一代で達成するのは強い運がいる。
「今のままではきっと、遠からず厚い壁に当たる事になる」
そう言い切った、ランド・グローリーの眼を、シウィンはクランに入ってこの方、忘れた事はない。
自らの力不足に対する押し殺された無念の感情。そして、それでも何としてでも前に進もうという強い意志。
強い感情は、思念と感情、魂によりその実体を成す霊体種に強い影響を与える。
元々、『囁く光霊』は人に憑き導く者でもある。
魔術師職に強い適性を持つ種族であるシウィンが、クランに足りていなかった斥候となったのも、ランド・グローリーの意志に惹かれた――それが理由だ。
竜人が強さを求めるのと同じように、それがライトウィスパーの本懐だった。
それ以来ずっと、シウィンは明けの戦槌の副マスターとして、そして、ランドの前に立ちはだかる障害を察知し廃する者として、そのクランの前を走ってきた。
罠を、悪意を、クランに降りかかる全ての災禍を避け、クランを栄光に導くために。
そして結果として、『明けの戦槌』はレイブンシティで屈指のクランになった。
英雄の資質。高い戦闘能力と、それ故のカリスマ。種族の知名度とのその人柄。ランドがクランの旗頭だとすると、シウィンはそれを支える土台のようなものだ。
土台なくして栄光の城は建たない。
昏い穴蔵の中、今までのクランの栄光を想起する。
いつもと同じようにクランの、そして今回は討伐パーティ全ての前を進みながら、シウィンの中には僅かな淀んだ感情があった。
淀んだ感情。
それは後悔だ。何故、自分がいなかったのか、という後悔。
フィル・ガーデンとランド・グローリーの最初の接触時に自分がいなかった事に対する悔恨の念だ。
それは、脅威だった。
ランドにその印象を問われた際、シウィンは要注意人物と答えたがそれは誤ってはいなくとも決して正確ではない。
SSS級探求者。最弱の種族と最上級のランクを持つ者。
戦闘能力ではなく、それ以外の能力でその地位を得た者。そういう者は大抵の場合、英雄の天敵となりうる。
§ § §
『君たちに勝利を捧げよう』
数日前に乾杯の音頭の際に掛けられた声が熱となって脳内を巡っていた。
『灰王の零落』を受けられる下限ランクはBだ。
B級探求者、半巨人のロドリス・マッシャーにとって、その難易度はいつも受けているそれよりも遥かに高く、当然死傷のリスクもそれに応じて高い。
だが、今その頭の中にあるのは死に対する恐怖ではなく、何としてでも与えられた仕事を達成しなければならないという熱だ。
レイブンシティでは上の下程度のパーティのリーダーをやっているロドリスにとって、それは初めて感じる感情だった。
異議を申し立てた自分を処分すると言い切った脆弱な男の、言葉、声、感情が、ロドリスの中にそれまで存在していた価値観を僅かに変化させていた。本人も気づかないうちに。
何としてでも、与えられた仕事を終わらせなくてはならない。目に物見せてやらなくてはならない。それは、B級探求者としてのロドリスのプライドであり、そしてそれが一種誘導された結果である事を解っていなかった。
薄暗い洞窟の中、ゆっくりと足音を忍ばせ、薄暗い道を進む。
ロドリスを始めとした、中級のパーティに振られた仕事は、足止めだ。
メイン戦力がアルデバランを討伐するその間、その部屋に救援に向かうと予想される蟻たちを足止めする事。裏方ながら、任務の成否に大きく関係する重要な仕事である。
地下の地形は既にザブラクの力により解っており、防衛ポイントも詳細に決められていた。
アルデバランの部屋に至る道は十一本。ロドリス含めた三つのパーティが担当するのはその中の一本だ。
蟻の巣の道幅はそれなりに広いが、それは探求者達にとってであり、住まう蟻たちにとってはやや手狭だ。巣に潜んでいると想定される蟻の数と比較し、侵攻した探求者の数は遥かに少ないが、外で戦う時とは異なり、その多くが巨体である蟻たちが一気に探求者に襲いかかる事はない。
そして、それは巨大な盾を使い前線を保つ事を役割とするロドリスにとって都合がよかった。探求者は到着地点から放射状に散開しており、いつもの探求とは異なり、背後を打たれる可能性も低い。
ロドリスのパーティの戦術は単純だ。敵が近づいてくるまではパーティの後衛火力である魔術師と火器で攻撃し、近づいてきたらロドリスともう一人の戦士が足止めをする。
ハーフジャイアントの筋力はその身体の大きさ相応に高く、蟻の攻撃を完全に防ぐ事ができる。例え上位のランクの蟻でも、負ける気はしなかった。
「おいおい、ロドリス。随分やる気じゃねえか」
「……黙ってろよ。俺はやってやる」
仲間のデミヒューマンの戦士の軽口に一言返す。その言葉に宿った気迫に、仲間は口をつぐみ、それに釣られるように気を引き締める。
暗闇の中には、進軍を進める呼吸の音と鎧同士が噛み合う小さな金属音のみが残った。薄暗闇と緊張。側にパーティメンバーがいるという安心がその精神を調律し程よい緊張感を作っている。
そして歩く事数分、ロドリスの耳が音を捉えた。
闇の奥から聞こえて来る金属同士がすり合わせられる音。まるで剣を研ぐ時のそれに似た音に、ロドリスが立ち止まり盾を構える。
それを見た他のパーティのメンバーも立ち止まり戦闘態勢を取る。
戦闘開始の合図は、闇の向こうから伸びてきた細長い金属の棒であった。
多節からなる鎖のような棒が撓り、上空から叩きつけるように襲いかかる。鋭いナイフのように研がれたその先端に、ロドリスが冷静に盾を合わせる。
盾が震え、暗闇に衝撃と音が響き渡る。
数日かけて頭に叩き込んだ敵の情報から類似の情報を汲み取り、ロドリスが叫んだ。
「モデルスピアーだ! 後衛は盾の後ろにッ!」
射撃型に次いで攻撃範囲の広い蟻だ。その鞭にも似た攻撃は複雑な軌道を描き、後衛だけでなく近接戦闘職にとってもやりにくい部類に入る。軌道が読みにくければ避けるのも当てるのも難しい。
ロドリスの叫びと同時に、その背後から銃弾が、魔力弾が掃射された。
再び跳ねるように襲い掛かってくる『槍』を再び盾で弾く。ほぼ同時に斜め上空から飛んできた刺突を、腰から鉈を抜き斬り弾く。
「二体いるぞ。気をつけろっ!」
息を荒げ、目を凝らす。しかし、闇の奥に蟻の本体は見えない。
そもそも、硬い甲殻を持つ機械種に対して一般的な重火器や魔力弾程度で致命打を与えるのはかなり難しい。
だが、そんな事はもともと解っていた事だ。ロドリス達の任務はあくまで足止めであり、蟻の破壊は二の次だった。二体程度ならば、遠くから攻撃を仕掛けてくるだけならば、十分に受け持てる。
闇の向こうから再び槍が飛来する。その盾の上空を通り抜けようとする槍を鉈で斬り下ろし、足元低くを疾走する槍を盾で堅実に潰す。
一撃一撃の重さが手に伝わってくるが、長年の探求で培われた筋肉はその程度で鈍ることはない。
「数、七体。距離、十五メートル」
その時、他のパーティに所属する斥候が叫んだ。
ロドリスのパーティに斥候はいないが、それぞれの防衛地点に最低一人、その道に長けた者が入るようにパーティ分けされている。
七体か……多いな。
考えるとほぼ同時に、また別の声が響く。
「大技行きます!」
ロドリスが盾を構えたまま一歩下がる。
同時に空気が強烈な熱気を帯びた。目に見えない衝撃が確かに空間を奔り、闇の向こうに消える。
イグニッション・ウェイブ。熱を放ち対象を溶解させる魔法。
熱せられた空気に、じりじりと額から汗が落ちる。
飛来してきていた槍が止まり、緊張がわずかに緩み、ほっと息を吐きかけたその瞬間、ふと脳裏を言葉が過ぎった。
『皆、その眼に敵を……焼き付けておきなよ。僕達はこいつを討伐するために全力を尽くしそして――もしかしたら死ぬかもしれないのだから』
「一体残ってるッ!」
「ッ!!」
斥候の叫びに、とっさに盾を上げる。それに、半分溶解した槍がぶつかるのはほぼ同時だった。
衝撃に、強く結んだ唇から息が漏れる。高温が盾に仕込まれた遮熱材を僅かに抜け、盾の取っ手を焼く。
手の平から伝わってくる熱を噛み締め、しかしロドリスは力を緩める事はない。
魔力弾が飛び交い、今度こそ本当に飛んでくる槍がなくなった後も、その節くれだった指は盾を強く握ったままだった。
ロドリスの元に、その仲間が声をかける。
「大丈夫か?」
「あの男の……声がしたんだ」
ロドリスがぐしゃぐしゃと自分の髪をかき回し、呟く。
「なんだって?」
「……いや、なんでもない」
仲間の声に、頭を振る。
熱は罰だ。もしもまともに受けたら、大きなダメージを受けていただろう。今この戦場に於いてそれは致命打になりかねない。それに比べたら多少の熱など、どうということもない。
大きく呼吸をし、そしてロドリスは仲間の方にじろりと視線を向け、言った。
「油断するなよ。俺達はもしかしたら……ここで死ぬかもしれないんだから、な」
「お、おう」
今まで聞いたことのないロドリスのその言葉に、仲間が一瞬唖然として目を瞬かせる。
戦端は未だ開かれたばかりだ。闇の奥を睨みつけ、ロドリス・マッシャーはその言葉を今一度心に強く刻み込んだ。




