第四十九話:僕って格好良くない?
声をあげる必要すらなかった。
ザブラクの放った種は、空気中の魔力濃度の高い人里離れた樹海の深奥や強力な魔力を有する魔獣が生息する地を自生地とする『蛇樹』の一種のものだ。
本来、魔力の薄い地では芽吹くことのない種はザブラクの植物とシンクロする種族特性と、その膨大な魔力によって急速に成長し、その真価を発揮した。
その見た目は樹と言うより切り株に近く、円柱のように高く伸びた幹の先に枝葉などは存在しない。
その代わりに生えているのは無数の巨大な蔦だ。一本で太めのロープ程の太さもある蔦は、分別された種目の通り、まるで蛇のように奇怪な動きで蠢く。
同じように蠢く根は地盤を砕き、しかしそれだけで停止する事はない。他の樹木とは異なり、自走する事を可能とする進化を遂げたその種の根は集まった機械種に自在に伸び、時に槍のようにその核を貫き、時に鞭のようにその身体を締めつけ動きを奪う。それは、人間の手足と何ら変わらない精密性を持っていた。
『求め徘徊する蛇王の樹』
有機生命種の一種。それが、その種の名前。
広い縄張りを持ち、伸縮自在の蛇のような蔓で高位の魔獣を襲い、干からびるまで血を吸い尽くして成長するその生き物は、本来生息しない地においてもその威力を十分に発揮した。
靭やかな蔓は強靭さと柔軟性を併せ持ち、痛覚を持たないため多少の傷でその動きが止まる事はない。
いつの間にか周囲には霧のようなものが立ち込めていた。
既に一メートル先も見えない程に濃く広がっているそれは、『蛇王の樹』が発した一種のセンサーである。
霧の動きを察し生命体に襲いかかる。それは視界からの情報を元に行動する多くの魔獣種を仕留めるために進化し取得した機能であり、動きと殺意に反応し蔓を伸ばすその速度は矢や銃弾の速度をも凌駕する。
その働きはザブラクの力によるものではなく、元々のその種の持つ性能によるものであった。
元素精霊種の持つ種族スキル、精霊魔術は同種に作用する力。スイが空気中の水分を集め水の鎧を作って見せたように、樹木の精の一種に区分されるザブラクは僅かな魔力で植物を操る事が出来る。
そのあり方はどちらかと言うと『魔法使い』というよりも『魔物使い』に似ていた。
ザブラクの魔力により急成長を遂げた『蛇王の樹』の根の長さは数百メートルにも及んでいた。
その樹の中心点――地上高くから蛇王の樹と感覚を共有し周囲の情報を具に処理するザブラクはこの場の支配者の名に相応しく、しかしてその有り様が何者かに見られる事はない。
時たま放たれる弾丸も途中で根にはたき落とされ、光学兵器は霧の中で屈折し拡散する。植物と言えど、蛇王の樹は魔獣の類であり、その体表硬度は金属に匹敵する。
故に、その種は場合によっては、Sランク以上の脅威度を持つとされていた。
「かっかっか、脆い、脆いなぁっ!」
蛇王の樹の種は希少品だ。
その種自体が魔境の奥底に生息するという事、特異なクラスか種族を持たなければ管理が困難である事、そして何よりも供給というものが殆どない事がレアリティに拍車をかけている。
だが、それだけの効果がある事は明白だった。
桁違いの攻撃範囲その威力は先程まで地上で戦っていた探求者の集団に匹敵する。
地面に穿たれた大穴、目標地点まで続いているはずの奈落の穴に機械種を一体たりとも寄せ付けない。
金属の軋む音が鎮魂歌のように響き渡る中、ザブラクがふと笑みを消し呟く。
「……この程度、か? 抵抗が……ねぇな」
誰も聞く者がいない事は理解している。だからそれは独り言だった。
フィル・ガーデンの計画はそもそも、全てが敵にバレている事を想定して組まれている。
だからこそ、ザブラク・セントルという最高戦力を後詰めに使う事を決め、だからこそ地盤をぶち抜くという、気づかれていてもどうしようもないイカれた作戦を立てたのだ。
蛇王の樹を通じて伝わってくる戦果、ザブラクが倒した機械種だけでも百体に近い。一体一体の能力はそれほど高くなくとも、広域殲滅型の能力を持つ者でなければそれなりの足止めを食らう、そういう数だ。
リソースは有限だ。機械種は他の種と異なり発生から成長まで時間がかからないとはいえ、それだけの数を殆ど抵抗なく破壊させるというのは考えにくい。
……罠か?
一瞬ザブラクの脳裏に浮かびかけた考えを、弾丸を叩き潰す音が遮った。
音速を越えるスナイパーアントの弾丸も、同速で放たれる蔓を掻い潜る事はできない。
しかし、その音によってザブラクは考えを改め、再び周囲に展開された敵の機械種に意識を向けた。
自分が依頼された仕事は穴を開ける事と、その地点を死守する事だ。他の事を考える必要はない。
何よりも、あの男の事を、SSS級探求者を憂慮するなど、どうしてザブラクに出来るだろうか、と。
§§§
「……これは勝ったかな? あるいは……勝たせて貰ったのか?」
ザブラクが地面に穿った穴、その奥は思ったよりも暗くも湿ってもいなかった。
恐らく、機械種故に湿気を嫌ったのだろう。機械種は防水だが、それでも湿気はない方がいい。
凄い勢いで視界を流れていく壁は滑らかで、何らかのコーティングがされていた。ダンジョンの崩落を回避するための処置なのだろうが、コーティングによって実現された硬度も所詮ダンジョンの自壊を防ぐためのものであって、外部からの攻撃に耐えうるものではない。
それこそがダンジョンの製造の難しさを示している。やはり、完璧なダンジョンの運営には幻想精霊種の関与が必須なのだ。
ザブラクのあけた穴は縦穴ではない。急勾配とは言え、転落してダメージを受けないように坂のようになっている。
瓦礫が無数に転がる坂を、蔓を手掛かりに降りていく探求者達。天井を覆い尽くし固定する蔓を見ながら、ため息をつく。
広域殲滅型にして、精密なコントロール。陣地を形成する力。どれをとっても、種族独自の力なくして達成できる内容ではない。
「恐ろしい力だ。ただの『種』が種族スキルによってこうも威力を発揮する」
だが、アリスの敵ではない。
この手の力は僕のアリスと、とても相性がいい。ザブラクは元素精霊種だが、蛇王の樹は有機生命種だ。例えいくら魔力を込め成長を促したところで、アリスの生命吸収に打ち勝つ事は出来ない。
そんな事を考えていると、
「人の背の上で遊んでんじゃねえ!」
「いや、遊んでいるわけじゃないけど……」
僕を背負って運んでくれていたハイルの怒鳴り声に、耳の奥がきんきんした。ガタガタと臓腑が揺すられ吐き気を催す。
仕方のない事なのだ。僕のパラメーターじゃとてもじゃないけど自分一人で地面までたどり着けないし、たどり着けたとしても何かする余力は残らない。
「てめえ、どうやって今まで生きてきたんだっ!?」
「こうやってだけど」
力を込め、背中にしがみ付く。僕は人の手を借りる事に躊躇しないのだ。
何層もぶち抜いた穴の中、坂を下り続ける事数百メートル、着地点が見えてきた。
そこかしこに張り付いた光苔の朧げな灯が唯一の光源だ。僕にとって必要十分な量ではないが、夜目の利く種ならば問題ないだろうし、その他の者も対策は取ってある。
そして、地面に到着した。
飛び降りるようにしてハイルの背から降りる。ずっと背の上で揺られていたせいか、一瞬地面が揺れている感覚がした。
周囲には殆ど人の姿はない。僕たちに先行したメンバーはすかさず散開し、アルデバランまでのルートの構築とこの周囲にいる蟻たちの露払いに出向く手はずとなっている。
待っていたのはガルドやランドさんにエティなど、僕たちのパーティの中枢を成すメンバーだけだ。
通路と言っても、生息する機械種の大きさが大きさであるせいかかなり広い。
ガルドに確認する。
「蟻は?」
「周囲にいた奴らは片付けたぜ」
ガルドがその背に背負った斧を軽く叩き答えた。
隅に山を作っているガラクタに視線を飛ばす。装甲を両断され転がるそれ、色を失った複眼に似た視覚機構がこちらをじっと睨みつけている。それは生き物じゃないにも拘らず、確かに死を感じさせた。
洞窟の中、銃撃の音、金属同士が擦れ合う音が反響している。道は前後に伸びていた。だが、どちらにも露払いを放っている。
他のメンバーはランドさんやガルド程の手練ではないとは言え、この狭い場所では地上程数の差が有利に働かない。そう簡単に突破される心配はないだろう。
天井にはザブラクの力の残滓である蔓が緩やかに張っていた。陽光がなければ植物操作は高い性能を発揮できない。僕が地の底にいるアルデバラン討伐にザブラクを振らなかった理由の一つだ。
まぁ、彼ならば恐らく振ったところで上手い具合に戦って見せたと思うが、今日はSSS級のお披露目をするためにきたわけじゃないんだよ。
ガルドの隣で、目を瞑り集中していたランドさんが口を開く。
「アルデバランの居場所については、計画の通りシウィンを偵察に出した。何かあれば知らせてくるはずだ」
「何事かあったら?」
「護衛もつけてある。合図を出す事くらいは出来るはずだ」
斥候の役割はトラップの看破や状況の確認だ。それが出せなくなると任務の達成確率や被害率が大きく上昇してしまう。
だが、今回はどうやら予定通り動いているらしく、ランドさんの声色には先程まであった不安がない。戦場に入ると集中力が増すタイプなのだろう。
アルデバランのいる場所に直通の縦穴を掘る案もあったが却下した。着地の瞬間、人は無防備になる。待ち受ける蟻の群れに身を投げるわけにはいかない。アルデバランの間から少し距離のある地点を侵入地点として設定したのはそのためだった。想定外の出来事があった際に立て直す時間が欲しかったという事もある。
隣で、ランドさんと比較すると実際以上に小さく見えるエティが指折り呟いている。
「ナイト五、スピアー三、カーディナル二、ルークが二……いや、三に、ワーカーアントが……七……自己修復機能を持つカーディナルと穴を掘るワーカーを先に潰すのです」
「承知しました」
独り言にも聞こえるその声に、機械音声が答える。エティの隣に佇んでいた球体関節人形――エティのスレイブが、まるで操り人形のような奇怪な動きで暗闇の奥に消える。人の可動域を超えた機械種ならではの動き。かなりの速度だが足音一つしないのは音を制御する機能でもついているためか。
僕が確認する前に、エティが僕の方を見上げる。
その身の回りを衛星のように回転し、周囲の脅威からエティを守っていた護衛装置がエティの手の平の中にすぽんと入る。
「想定通り、ジャミングが掛っているのです。アルデバランのいる女王の間の中はここからではわからないのです」
監視機械がもし完成していたら視覚情報を転送させる事もできたのですが……、と、やるせない声色でエティが続けた。
全てのスキルには長所と短所がある。
機械種の天敵は間違いなく機械魔術師であり、そのスキルの対策を取られるのは想定の範疇だ。
「周囲の敵の数は?」
僕の問いに、エティがぱちぱちと目を瞬かせた。
「いっぱいいるのです。蟻の巣なのですよ? ここは」
「エティが勝てないのは?」
「……私が勝てないような蟻がいたなら、他の人達も勝てないのですよ……」
気分を悪くしたのか、若干憮然とした表情でエティが答えた。
その通りだ。全くもってその通りだ。
彼女は切り札だ。切り札はたとえ切らなかったとしても意味があるが、切り札を大きく越える戦力の魔物が現れると非常に面倒な事になってくる。
ハイルが眉を顰め、荒々しい声をエティに投げかけた。
「……言うじゃねえか、ちび」
「……私はフィルが自分を表す手札として、貴方を選んだ理由もわからないのです、ハイル・フェイラー」
エティが手の中の林檎くらいの大きさの護衛機械を、軽く宙に放る。
それは、一瞬蜂の羽ばたきのような音を立てると、重力に反して宙を浮遊し、そのまま僕の頭上で静止した。
さっきいらないって言ったはずなのに、エティは心配性だ。
手の中の槍を強く握り、ハイルが牙をむき出しにする。
「ッ……俺の腕が不安か?」
「腕も不安だし、性格も不安なのです。探求者ランク『だけ』は高いみたいですが……」
売り言葉に買い言葉。何故こんなところで挑発するような事を言うのか。
探求者は皆、腕に自信を持っていてそして、好戦的だ。
しかしそれは、戦場で披露すべきものではない。ランドさんが眉を顰め、口を挟むタイミングを測っている。
が、僕は心配していなかった。彼らは一流の探求者である。その事を信じている。この程度のやり取りで何がどうなるわけでもない。むしろ、緊張をほぐすためにあえてやってる可能性だってある。
止める様子のない僕に、ランドさんも口を噤む事に決めたようだ。ため息をつき、周囲の警戒に戻った。
「あぁ? てめえ……もしかしてこいつの女か?」
「ッ!?」
エティがその挑発に呆然とする。しかし、追撃を受ける前にすかさず返した。
「ッ……少し、借りがあるだけなのです。なんで男って、そういう発想しかできないんですかッ!? 私が、フィルの、女?」
その様子、演技にしては熱がこもりすぎていた。
そろそろ止めるべきか……何が琴線に触れたのか。
まくし立てるようにエティが突っかかる。威圧するようにハイルに一歩近づき、怒鳴りつける。
「大体、私は、もっと、格好いい人が、好み、なのですッ!」
そこで僕は、もういてもたってもいられず、口を挟んだ。
「え? 僕って格好良くない?」
「……え?」
エティが目を丸くする。エティだけでなく、ハイルもランドさんも目を丸くする。
「……」
嫌な沈黙が広がり、そしてハイルがぼそりと呟いた。
「……悪かったな、変な事言って」
「……こちらこそ悪かったのです。ダンジョンで人を疑うような真似をしてしまって……」
急に神妙になるエティたち。何故か、奇妙な連帯感がその間にはあった。
だがちょっと待って欲しい。何も解決していない。
「ちょっと待った。僕の問いに答えてないんだけど?」
「フィル……ここはもう戦場なのです。油断してくだらない話をしている場合ではないのです」
「流れおかしくない? え? まるで僕が格好良くないみたいじゃん?」
おかしい。
この僕が、格好いいと黄色い声援を受け続けた僕がまるでピエロみたいだ。
何故かエティが哀れみを込めた眼差しを僕の方に向けてくる。その視線には、慈愛さえ見られない。
「……士気に関わるのでコメントは差し控えさせていただくのです」
「言っとくけど、もう士気だだ下がりだからね」
釈然としなかったが、エティから一旦離れガルドとランドさんの側に近づく。
ガルドがまるで僕を慰めるように肩を叩いてくれた。
「フィル……頑張ろうぜ。いい事あるさ」
「なる程……そういう喧嘩の仲裁方法もあるのか。勉強になったよ、フィル」
……もちろん、士気が下がったところで僕が手を抜くことなんてありえないのだが。




