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Tamer's Mythology  作者: 槻影
第二部:栄光の積み方

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94/121

第四十六話:どう生きるか、だよ。

 常に注意深く行動する事。


 最も恐ろしいのは、敵がどこに居るのか、何を企んでいるのかわからない状態である。

 獣人や竜人などとは異なり身体能力的に脆弱であるプライマリーヒューマンは特に不意打ちに弱い。後衛職である魔物使いならば尚更だ。町中とはいえ、油断は出来ない。


 死ぬつもりはないが、どうせ死ぬのならば事故などではなく渦中で死にたいものである。


 討伐開始までの残された日々を、僕はできるだけ誰かと共に過ごした。

 幸いな事に伝手はあった。同じ宿には水霊の灯という、親しんだパーティがいたし、外には外でここ二ヶ月で出来た知り合いが大勢居る。


 臆病と言う事なかれ。これは僕が勝ち続けるために必要なプロセスであり、故に誰に何を言われたとしても行動を変えるつもりはない。


 薄い藍色の雲が空を覆っていた。

 夜明けまで後一、二時間。僕たちは門の前に集まっていた。


 目の前で隊列を作っている探求者たちを俯瞰する。


 ぴりぴりした空気。総勢五百人の多種多様な職、装備の探求者たちがそれぞれのパーティ単位で集まりを作って並んでいる姿は奇怪で違和感があり、しかし間違いなく軍隊であると言える。装備も出身も理由も異なっていても、彼らは目的を共にする仲間たちであり、そしてこの中の何割かは今日死ぬ事だろう。探求者の家族なのか、早朝にも拘らず、遠巻きに何人もの街人が僕たちを窺っている。その中には当然だが、この街の町長であるバルディさんや、万が一を考え街に残り防衛を担当するマクネスさんの姿もあった。


 立ち並んだ軍勢。前に出ているのは僕を除けばこの地方で名の知られた探求者たちだ。


 中央に威風堂々と立つのは陣頭指揮を取るランド・グローリー。竜人という戦人として突出した適性と大規模なクランを育て上げたカリスマ、今回の大規模討伐で最も多くの者達が認めるリーダーとしてふさわしい男だ。僕はそれを隠れ蓑にする。その隣に立てば誰もが僕なんかには気づかない。気づくわけがない。誰がプライマリーヒューマンが指揮を取っているだなんて思うだろうか。いや、思わない。ここに居る参加メンバーを除けば。


「ようやくこの日がきた」


 ランドさんが強い語気で士気を鼓舞するための演説を始める。立ち並ぶ探求者たちの視線がそこに集中する中、背後から囁くような嗄れた声が聞こえた。


「フィル・ガーデン」


「ああ」


 ザブラク・セントル。僕と同じSSS級の探求者のエントが、僕の影に隠れるようにしてその三日月に裂けた口を開く。

 枯木のようなその体躯は闇の中では見えづらく、恐らくその場で突っ立ったままならばただの植物のように見えるだろう。実際に、人の世で暮らさないエントは年老いた森の奥で森に擬態した集落を作る性質がある。


「きっきっき……集まってるぜぇ」


「ああ、そうだろうね」


 ザブラクの言葉は僕の予想の範疇を出ない。

 集まってる。僕たちが、ではない。その意味を理解しても、僕の心臓の鼓動のリズムは微塵も乱れなかった。凪の如く平静。既に全ての事前準備は済んでいた。プロの探求者として当然である。何しろ、命が掛かっているのだから。


「昨日までとの差異は?」


 僕の言葉に、ぎょろりとその二つの小さな眼球が回転する。ザブラクは僕とは違うものを見ていて、そして僕もまたザブラクとは違うものを見ている。

 蟻の巣、その内部に生えたヒカリゴケ。その視点を共有しているであろうザブラクが含み笑いを漏らした。


「巣の内部を巡回する個体が二割程増えてる」


「外は?」


 荒れ果てた荒野といっても草木の一本も生えていないわけではない。この地はザブラクのフィールドでもあった。まさに――千里を見渡す眼。

 その口腔から冷たい吐息が漏れ、首筋を撫でる。僕は思わず肩を震わせた。


「五倍だな」


「五倍か」


「かっかっか……驚かないんだな」


 ザブラクが乾いた笑い声を漏らす。薄い笑みを浮かべて一言で答えた。


「百倍だったら驚いていたよ」


 敵がいることは知っていた。こちらの人数は五百。五百である。

 五倍? 五倍程度何の障害になろうか。


 荒野に遮蔽物は殆どないが、大きな身体の機械種が十全の性能を発揮するためにはある程度のスペースを必要とする。倍現れた所で――大した問題はない。固まって現れるのならば範囲魔法で一網打尽にするだけの話。


 そもそも――


「問題あるか?」


 僕の問いに、ザブラクは何も答えず身を引いた。ひらひらとその植物の根に酷似した手の平を振り、こちらから離れる。


 SSS級探求者が二人も揃って対応出来ないなど、ありえてはならない。これはプライドの問題である。


 鼓舞が成功したのだろう。士気の向上。怒号に似た咆哮があがり、空気をびりびりと震わせる。

 ふと、ランドさんが僕の背中を軽く叩いた。ただ無言で小さく首を横に振る。


 この場で僕が言うことは何もない。


 ランドさんから投げかけられる呆れたような視線を避けるため、僕は周囲を静かに見渡した。リンたちの姿は見えないが、アムの気配は契約の紋章を通して伝わってくる。間違いなく近くにいる。表向き彼女は一般の探求者である。軍勢の中に混じっているのだろう。


 風が吹く。熱と湿気を含んだ強い風だ。もしかしたら雨が降るかもしれない。

 全身に感じるざわめき、得体の知れない悪寒に、僕は笑みを浮かべながら天を見上げた。




§§§




 今回の攻略対象。モデルアントの縄張りであるA級迷宮、機蟲の陣容まではそれなりに距離があった。


 大規模討伐に際してギルドから与えられた多数の人数を運べる移動機械(ランナー)の内、先頭の一体に乗り込み、移動を開始する。

 振動は殆どない。百足に似た形をしたそれは、速度こそサファリなどの奔竜型には劣るものの、それを補い余りある利便性を持っていた。旋回性能も高い。無数の細く頑丈な脚部が地面を砕き高速で景色が流れていく。


 ランナーの背中に取り付けられた椅子に座り、足を組むと、一枚の紙を取り出す。


 それは地図だった。ザブラクの力を借りて作り出した現在の蟻の巣に限りなく近い地図。巣に入らずとも、植物と情報共有が出来るザブラクならばその内部の詳細を知ることができる。迷宮内部のそこかしこに生えた苔は彼にとって監視カメラと何ら変わりないのだ。


 アルデバランが住む部屋はその巣の最奥にあった。機蟲の陣容は幾つもの入り口を持つが、最も近い入口から入ったとしても相当な距離がある。地下に立体的に広がる巨大な蟻の巣は正攻法で挑むにはあまりにも時間がかかりすぎる代物であり、当たり前だが地の利は敵側にある。真正面からでは、五百人で突入したとしても大きな被害が出た事だろう。ましてや地図がなければどれ程の被害が出ていた事か、予想すら出来ない。


 僕はとっくに頭の中に入れ終えてある地図を再度確認し、ぺろりと唇を舐めた。

 

 攻めるに難く守るに易い。城壁はなくともそれはまさしく要塞であった。

 以前会議室で見た映写結晶を撮影した機械魔術師(メカニック)はよほどの自信家かあるいはスリルを求める性質でもあったのだろうか。

 そして同時に思う。そんな事だから負けるのだ、と。単騎で巣に侵入、脱出まで果たせる程の実力を有しておいて――現在行方不明。今この場、攻略作戦にそのメカニックがいないのは必然である。彼はようするに、大胆に行動しすぎたのだ。アルデバランは……ただの前哨戦にすぎない。


 その時、ふと背後から気配が近づいてきた。


「フィル」


 顔を出したのは、今回複数種類の機械種を相手にする上で最も有用で――それ故に危険な身の上の少女、エトランジュ・セントラルドールであった。

 闇の下、静かに輝く短く切り揃えられた碧の髪に同色の瞳。前回とは異なり最高位の装備『機神』に身を包み、その腰には無数の工具が下げられている。カタログスペックでは竜の息吹(ドラゴン・ブレス)を防ぎきる服であるそれを着込んだ彼女は恐らく竜人化したランドさんかそれ以上の防御力を誇っている事だろう。先ほど、門の前で並んでいた時は側に球体関節人形に似たスレイブを連れ添っていたが、今はその姿はない。


 何を話しにきたのか。あるいは、戦場を前にして落ち着かないのか。エティは少し戸惑ったように口ごもり、そして尋ねてきた。


「フィル、演説はよかったのですか……?」


「必要ないからね。ランドさんのカリスマは確かだよ」


 僕が総指揮である事は既に周知済みであり、そしてランドさんに戦場での基本的な指揮を任せるという件についても周知済みである。あえて今僕が出る必要はない。


「そう……なのですか。まぁ、フィルがいいのならいいのです」


「引っかかるような言い方だね」


 その答えに、エティの表情が緊張が緩んだように僅かに和らいだ。


「いえ……ただ、私、フィルはああいうの、好きだと思っていたので……」


「好きだよ。でも、時と場合はわきまえないとね……」


「……フィルの口から時と場合なんて言葉が出るとは思わなかったのです」


 エティがくすりと笑った。


 間違えている。彼女は勘違いしている。好きだ。確かに好きだ。が、基本的に僕は必要に迫られてそれをやっているのだ。独自の行動理論に従っているのであって、無差別に欲望のままことを起こしているわけではない。


 僕が演説してしまえばまるで――僕が『リーダー』みたいじゃないか。


 僕とランドさんで最も大きく乖離している要素は言うまでもない。ぶっちゃけ、僕は狙われたら死ぬ自信がある。ランドさんは生粋の戦士である。頑丈な竜人という種族特性もあってその生命力は僕の二倍や三倍ではない。


 彼は囮だ。僕は死なない努力をしているだけなのだ。目立つというのは狙われやすいという事でもある。


 僕はそれらの思考を全て心中に留め、エティに尋ねた。


護衛機械(ガーディアン)は直った?」


「……おかげ様で。部品は在庫があったのですが、修理だけでもとっても大変だったのです。というか半分は一から作りなおしだったのですよ」


「自業自得だよね」


 自分の機銃を反射されて破壊されたのだから。あれがなければ軽い整備くらいで済んでいたはずだ。

 僕の言葉に、エティの眉がぴくりと動く。唇を開きかけ、しかしすぐに声の代わりに大きなため息を吐いた。一拍おいて再び口を開く。


「ええ。ええ。フィルの言うとおりなのですよ! 全くもってフィルの言うとおりなのですよ! フィルの言うとおり、なのですッ!」


「反省しなよ」


「……フィルの神経ってもしかして鉄……いや、(スチール)か何かでできてるのです……?」


「そんな機械種じゃあるまいし……ちゃんと『なまもの』だよ」


「……これはただのジョークなのですよ」


 いや、知ってるけど。


 呆れたように両腕を組むエティ。このアルデバラン討伐でこの少女が万が一死亡してしまうと僕は困った事になる。

 友人としても、探求者仲間としても、そしてこの地で非常に貴重な野良の機械魔術師としても、彼女の価値はランドさんよりも上だ。


 特に、エティには隙がある。その超一級の実力に見合わぬ隙が。SS級探求者であるにも拘らず、やろうと思えば僕は彼女をたった一人で殺す事が出来るだろう。


 真面目な表情を作り、警告をする。


「エティ、わかっていると思うけど、この探索の難易度はきっと今までエティがこなしてきた依頼の中でもかなり難易度が高い。くれぐれも……注意深く行動しなよ」


「……はい。わかっているのです」


「多分、一緒に探索した機神の祭壇よりも危険かもしれない」


「……迷宮の難易度的にはともかく、事前の準備が全然違うのですよ。スレイブも――ドライも連れてきたのです」


 ひらひらと、着ている黒のジャケットを揺らして見せる。確かに前回『機神』を装備していたのならば、腕をふっとばされる事もなかっただろう。だが、僕が言いたい事はそんなことではない。


「エティは……隙が多いんだ。僕は君が死んだら困った事になる」


「……心配は受け取っておきますが、大丈夫なのです。常に注意深く……前回のような目には合わないのです」


 真剣な目ではっきりと述べるエティ。わかってない。わかってないな。

 僕はこれみよがしと大きなため息をついてみせた。


「それはどうかな。言ってる側から……エティは隙だらけだ。心配で心配でしょうがないよ」


「……はい? ど、どこが隙だらけだって言うのですか!」


 僕の言葉に、エティが自分の姿を見下ろした。

 全身固められた黒の兵装に、腰に下げられた対機械種に扱う工具は僕が以前購入した汎用性の高い分解ペン・構築ペンとは異なる強力なものだ。ベルトにはポシェットのような形の収納があり、恐らく、転送(トランスポート)など使っている場合ではない戦闘中に使うための回復薬の類がしまってあるのだろう。


「……体力も魔力もばっちりですし、睡眠もちゃんと取れてるのです。あらゆる道具を転送出来るようにしてきましたし……万全なのですよ?」


 自信を持ちつつも、上位の位を持つ僕に指摘されると不安なのだろう。エティがそわそわとした様子で首を傾げた。

 僕に指摘されただけで不安になるなんて、そんなの万全とは程遠い。と思うが、僕が言いたいのそんな事じゃない。

 エティの目と目をしっかりと合わせ、はっきりと口を出して言う。


「アリス、ステイ」


「……?」


 訝しげな表情をするエティに構わず、指でちょいちょいとエティを誘う。

 目を瞬かせ、不思議そうな表情でエティが一歩近寄った。


 ほら、隙がある。それが精神の隙だ。


 僕ならば――近寄ったりしない。


 瞬間、僕は自然な動作でエティの腕を掴んで引いた。


「えッ!?」


 呆けた表情。目を見開くエティの顔が一瞬で接近する。例え力を持っていても、その身体は少女のものだ。軽い。

 その矮躯を抱きしめ、その唇を奪った。


「!?」


 その唇の表面を舐め、混乱している隙にそのままその隙間から咥内に舌を入れる。

 右手はその後頭部を、左手でエティのうなじを抑える。鼻孔を微かな甘い匂いがくすぐる。隙だらけ。隙だらけだ。


「!? !? !!?」


 秒数を数える。五秒、十秒、十五秒。

 二回目にも拘らず、再起動する気配はない。唇を合わせたまま僅かに顔を傾ける。双眸が色を失い、ぐるぐると渦巻いて見えた。


 ほら……やっぱり隙だらけだ。


 ここまで距離を詰めればもはや身体能力の優位性は意味をなさない。うなじを撫で、喉元を後ろから触れる。

 メカニカル・ピグミーの生態は人とさほど変わらない。喉を潰せばエティは死ぬし、脊椎を貫いても死ぬ。機神は強力な防御兵装だが決して万能ではない。


 『待て(ステイ)』をしたかいがあったのか、アリスが騒いでいる気配はない。


 舌を絡ませる。エティの舌を味わう。味はなかったが熱があった。純粋な人族よりも僅かにエティの低い体温が伝わってくる。


 大体、僕は言ったはずだ。責任を取ってキスの練習に付き合って貰う、と。僕は冗談を滅多に言わないし、チャンスを逃したりもしない。


 ……そうだな。せっかくの僕のスレイブ獲得計画を破綻させたんだ。多少の利子くらいは受け取っても罰は当たらないだろう。


 唇を僅かに離す。混乱に潤んだ双眸と視線を一瞬交わし、僕は唇をエティの唇から下に滑らせた。唇から顎をかけて首筋へ。舌でその肌を撫でるように。


「んっ!?」


 ビクリと身動ぎする身体を左手で支え、右手を後頭部から身体の前面に回す。機神は銃弾は斬撃、ブレスすら防ぐ兵装だが決して硬いわけではない。攻撃に反応して結界を張る、魔導兵装なのだ。

 生地自体は固めだがそれを通してすら、エティの身体の柔らかさがわかる。手の平で感じる。肉体的に脆弱である事。竜人種は素の状態で鎧を着ているような防御力を持っているが、彼女にはそれがない。

 それこそが極めて強力な破壊力を誇るエトランジュ・セントラルドールの弱点であった。彼女はあくまで魔導師なのだ。


 さすがに肌を直接あわせるのは申し訳ないので、首筋を舌で撫でながら服の上からその肉質を確認していく。繊細であり華奢であり靭やか。手を動かし、徐々に手を上半身に伸ばしていく。下半身は利子にしては大きすぎる。おっぱいくらいならセーフ。多分。

 その年齢にしては薄い、アシュリー以上アム以下の胸を手の平で抑えるように揉む。揉む程なかった。

 エティの身体が大きく震える。白い首筋がぷるぷると振動していた。


「!? !? !?」


 二度、三度と確かめるように揉む。小人(ピグミー)種は身体が小さいが、それは決して貧乳という事を意味しない。でかい個体はでかいので、きっとエティはおっぱいに振る分のポイントを探求者としての能力に振っているのだろう。

 僕は首筋をもう一度舐め、喉元で囁いた。


「ほら、エティ。隙だらけだ。僕が敵なら、君はこの瞬間……死んでる」


「……な……」


 僕は味方が相手だったとしても油断したりしない。彼女とは違う。

 例外を作ってしまえばそれが隙になる。アリスの件でこりていた。隙を許容するかどうかはまた別の話だ。


 近づけば近づく程感情が伝わる。徐々に混乱が別の感情に変わっていく。


 僕は素早く唇を離すと、混乱から立ち上がっている間にエティの両手首を掴んだ。


「ななな……な、に……す……」


 エティの表情が見えた。真っ赤に染まった頬。涙の滲んだ眼。

 唇から首筋にかけて、舌が通った軌跡が唾液でてかてかと光っている。

 睫毛が震え、唇がわなわなと震えていた。照れではないだろう。


 綺麗に整えられていた碧の髪が僅かに逆立つ。感情の励起によりその身に秘めた魔力が漏れているのだ。


 僕は自分の唇を舌でぺろりと舐め、ゆっくりと息を整えて言った。


「落ち着くんだ、エティ。これから作戦を開始するのに今、力を使うのは良くない」


 大体、そんな魔力を直接ぶつけられたら死んでしまう。

 エティが僕の手を振り払うように腕を動かす。恐ろしい腕力だ。

 大きく身体が泳ぐ。それでも掴んだ手は離さない。殴られたら死んでしまう。離すわけにはいかない。


 エティの双眸はゾッとする程冷徹だった。涙が滲んでいても、それが嘆きによるものではなく憤怒によるものだという事がわかる。

 ガチギレであった。それは僕に死を覚悟させるのに十分であった。呂律の回らない口調、しかし感情の篭った低い声。


「ほ……ほ……ほ、かに、言うことは、ないの、ですか?」


「ごちそうさまでした」


 眼を覗き込み、至近距離から礼を言う。


「そ……そうじゃ、ないの、ですッ!! よねッ!? え?」


「エティ。死んじゃだめだよ。まだまだ代価には足りてない。全てが終わった後に絶対に残りの代価を払ってもらう。それまで死んじゃだめだ」


 ここまで至っても、僕は自身の心臓の鼓動のリズムに僅かも変化がない事に気づいていた。

 それこそが隙のない証である。

 

 離れた席に座っていたランドさんがこちらの異変に気づき止めにくるまで、僕はエティとじゃれあっていた。





§§§





 そして、戦いが始まる。


 空は白み始めていた。

 地平線の彼方から上がる太陽は濃い雲に包まれ、しかし地上をぼんやりと照らしている。

 闇は剥がれ、既に僕の視力でも状況が確認出来た。


「おうおう、うじゃうじゃいやがる」


「……予想よりも多いな」


 ランドさんが眉を顰め呟く。


 黒の金属で構成された身体。六脚の足に膨れ上がった下半身。機械種の神に生み出された無機生命種(マキーナ)の創造物が蟻によく似た動きで触覚を模した器官をこちらに向ける。

 地平の彼方。砂礫の中に存在する黒の数は無数で、数える気にすらならない。最低でも僕たちと同程度の数はいるだろう。


 モデルアントの縄張り。本来ならば蟻は適度にバラけてその縄張り内を巡回しているはずだった。

 視界に広がるあまりに数の多いそれは、当初の計画外であり、しかし僕の予想外ではない。


 待ち伏せされる事は予想通りであった。近くに巣の入り口はないにも拘らずこの数の魔物。明らかに警戒されている。しかし、情報が漏れているのもまた予想通りであった。漏れる事は前提で、僕は作戦を全員に伝えたのだ。


 しかし、ランドさんが泣き言を言わなかったのはさすがと言えよう。リーダーの動揺は下に伝播する。


 彼我の距離は数百メートル。作戦開始予定の地点まで、その群れをかき分け前進しなくてはならない。


 僕はため息をつき、小さな声でまだ頬の赤いエティに命令(オーダー)した。


「数が多くてもやる事は関係ないよ。エティ、『電撃光線砲(アクティブ・レイ)』だ」


「……フィル、あなた、ぜ、絶対に、碌な死に方しないのです……」


 それでも放たれた巨大な電撃の光線が地平の彼方まで線を描きその戦場にいた蟻の軍勢を紙のようになぎ払う。

 ランドさんが号令をかける。それぞれの探求者が、ランナーから飛びおり体勢を整えた。


 碌な死に方をしない? 望む所だ。

 重要なのは死に方ではなく……どう生きるか、だよ。

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嘆きの亡霊は引退したい。

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