第四十五話:疑っているわけじゃないけど
空は嫌気が差すくらいの晴天だった。
雲ひとつない青空、ぎらぎらと輝く太陽がまるで街全体を炙るかのように強い光を放っている。
僕は、リンを連れ立って、アレンの店に向かっていた。
彼女の才覚は本物だ。特に強力なのはその魔力。プライマリーヒューマンにしては、という注釈は付くが、彼女の魔力は一端の魔導師としてやっていけるくらいに高い。
以前聞いた話では、彼女は僕が友魔祭で優勝したのを偶然映像で見て、魔物使いを志したらしい。僕には彼女に教える義務がある。
いや、違う。僕は教えたいのだ。彼女ならばもしかしたら僕が志半ばで倒れた際にその意志を継いでくれるかもしれない。いや、継いでくれなかったとしても……僕の教えを基盤に生きていてくれるのならば僕が魔物使いになった甲斐もあるというものだ。
リンに足りないのは知識と経験だった。
魔物使いとしての知識と経験ではない。いや、勿論それも足りないが、より重要なのは探求者としてのノウハウだった。
広谷は鬼だがリンは人だ。貧弱な純人だ。僕の友にプライマリーヒューマンの探求者は存在しない。皆死んでいった。どれ程レベルを上げてもその身体は貧弱で、魔法で強化しようと高価な魔導具でカバーしようと現実は覆らない。
僕はプライマリーヒューマンの中でもひときわ貧弱だった。それが逆に幸運だったのだ。僕の肉体ではいくらレベルを上げても正攻法で探求者は出来ない。
逆に言うのならば、プライマリーヒューマンでも正攻法でなければ探求者を出来る。今の所、この僕がそれを証明できている。
なるべく大きな通りを歩き、こじんまりとしたアレンの店の前に辿り着いた。
「薬屋ですか……」
「ああ、来たことは?」
探求に必要とされる品物は大体がギルド併設のショップに売られている。値段もギルドからの補助が出ていて直接専門店から買うよりも若干安かったりするので、薬師にコネを作ったり、『普通じゃない』薬を手に入れるなどの目的がない限り一般の探求者が薬屋を訪れる機会はない。
僕の予想とは裏腹に、リンが僅かに頬を染め、はにかみながら小さく頷いた。
「……一回だけ」
一回だけ、か。リンはこの街に住む探求者である。
住んでいるのだから顔を出した事くらい会っても不思議ではない、が――
「……広谷に盛ったのか」
「ッ!?」
試しに言ってみると、図星だったのかリンがびくりと震えた。
リンには以前、アムの成長手段について話したことがある。広谷は有機生命種が混じっているが、やろうと思えばアムと同じように薬物によって強化する事が出来るだろう。
だが、言うまでもない事だが半分有機生命種が混じっているのでアムと同じ薬物では強化できない。
「成功した?」
「……い、いえ……」
バツが悪そうに言葉短かに答えるリン。
好奇心は探求者にとって重要な資質だし、向上心がなければ成長できない。……が、あまりにも高すぎるのも時に弊害を引き起こす。
薬物による強化はその肉体にとって不自然な変化である。薬物の量と種類、時と場合によってはその肉体と精神に多大なるダメージを与える可能性も十分ありえる。広谷も災難だったね……。
まぁ、マスターの未熟を許容するのもスレイブとしての大切な役割なんだけど。
僕は笑みを浮かべ、まだ視線を背けているリンの頭の肩に手を乗せた。
「大丈夫。僕だって何回もアリスを殺しかけたし、失敗はするものだよ」
「……へ?」
薬物によるスレイブ強化は魔物使いの範疇からはやや外れる。どちらかと言うと薬師や医師としての知識と力が必要なのだ。僕は薬学も医学も一通り学んでいるが、実戦経験は多くないし、専門からは二歩も三歩も劣る。
それでも、アシュリーだけをスレイブとしていた際は細心に細心の注意を払っていたので大きな事故は起こさなかったが、アリスは命のストックが尽きない限り死なないのでやや無茶な配合も試している。もしその前例がなければアムに薬を仕込むのはだいぶ苦労していた事だろう。
「広谷もわかってくれるさ」
「……あの、でも……死にかけたんですけど……」
「大丈夫、鬼種の体力はかなり高いから、傍目から見てやばそうってくらいの量を仕込まない限り死にはしないよ。せいぜい一週間寝込むくらいかな? 死ぬわけじゃないんだから気にしない気にしない」
挑戦なくして勝利は得られない。
僕の慰めに、何故かリンは怪訝そうな表情をした。追加でフォローする。
「まぁ、時間があるんだし、一気に仕込むよりは影響を確認しつつ少しずつ仕込んだ方がいいかもね。後、その手の薬品は魔物使いの証明さえできればギルドでも購入出来るから、いちいち薬屋に来る必要もないよ」
多めに仕込んで少しずつ減らすより少量ずつ仕込んで徐々に様子を見ながら増やしていく方がリスクが少ない。そういう意味では――死にかける程仕込んでしまったリンは浅慮だったかもしれないけど挑戦しないよりはずっといい。
僕達にとって停滞は死を意味する。
常に一歩でも前に進み続ける事。それは栄光を手に入れるための第一条件だ。
僕は自信を持って断言した。
「あらゆるミスは誠意と愛でカバー出来る」
「あの……でも、フィルさん?」
リンがちょいちょいと袖を引っ張る。何故か潤んだ目つきでリンが僕に尋ねてくる。
「死んじゃったら……カバー出来ないと思うんですけど……」
尤もな言葉だ。僕は笑みを浮かべ、そのこちらの袖を握っていた手を取った。
「だから、僕達は知識と経験を積まなきゃならない。僕達がミスをするとまず死ぬのは……スレイブなんだよ。彼らを殺すのは僕達なんだ」
「……は、はい。わかりました」
常に成長を続けよ。僕達は頭脳。スレイブは手足。薬を仕込む上でも、普段の探求においても、僕達の決定が彼らを殺す。
僕の言葉に、リンが真剣な表情で小さく頷いた。
よし、それでいい。覚悟だ。常に死ぬ気で行動せよ。僕達に時間はない。エルフのように長命でも、レイスのように寿命が存在しないわけでもない。こうしている間も僕達の肉体は――劣化している。
唇を舐め、頬を緩める。安心させるように声色を緩める。
「まぁ、すぐに出来るようになるとは思っていない。少しずつ勉強していけばいいよ」
急いては事を仕損じる。
リンはおそらく僕を見て焦りかあるいや憧れで広谷に薬を仕込んだのだろうが、その行動の恐ろしさは十分に知ったはずだ。二度、同じ失敗をする事はないだろう。馬鹿でもなければ。もし馬鹿だったらその時はそのツケを広谷が取るだけの話。僕が口を出すような事ではない。
教えられることは教える。だが、結局のところその結果の責任は自分で取るしかないのだ。
僕は真鍮製のドアノブを握り、リンの方をちらりと見た。
「だけど、一番いいのは専門家に頼む事だ。専門のクラスの持つスキルを使えばリスクを大幅に下げる事ができる。見てなよ」
出来る事と出来ない事を見極める事。例えどれだけ努力しても時間の壁と才能の壁はそうそう乗り越えられない。
僕は扉を開きながら、中で店番しているであろう専門家に向かって声をあげて叫んだ。
「アレンさーん、竜人と狼人と豹人を強化する薬が欲しいんだけど!」
§§§
戦人は誇りを重視する。補助魔法はよしとしても、薬物による強化を受け入れない者もいる。種によっては回復魔法すら嫌う者だっている。
重要なのは強制しない事。自分の行動が善意によるものだとはっきり示す事。つまりは、コミュニケーションである。これは魔物使いのコツとも一致している。
使用は強制しないが用意はする。説明と説得もする。いざという時、彼らはきっとそれを使うだろう。
例え――僕がそれを命令しなくても。
リンが棚に並ぶ薬の類を観察しながらも、釈然としなさそうな表情で呟く。
「……でもスレイブじゃないのに……」
「スレイブじゃないから、無理やり仕込んだりはしないよ」
詳細なデータを取ったりもしない。まー側にいるはずなので明らかな反応くらいは観察出来てしまうだろうが、それはまぁしょうがないだろう。
「スレイブだったら無理やりにでも説得して仕込んでるよ。あ、これアムの分ね」
宿から持ってきたアンプルと注射器を渡す。薄灰色の液体が入ったそれを見て、リンが僅かに目を大きく開いた。
「弱めだけどないよりはだいぶマシだ。生成する魂力を一時的に増量しその魂質を強化する作用がある。効果時間は長くとも一時間だからいざという時に使ってやって欲しい」
「……アムは注射が嫌いなんですが……」
「そこはリンの腕の見せ所だね」
アムの戦闘技術は拙い。今まで長いこと力で押し切るように戦ってきた。
アム以上の地力を持つ相手を討伐依頼に選択することで少しずつ改善させてきたが、まだまだ不安が残る。蟻の巣ではさぞ苦労する事だろう。
その薬液は一時的に力をブーストさせる最も使いやすいものだ。精神への影響も大きくない。対処療法ではあるが、いざと言う時に役に立つだろう。
リンがおずおずとそれを受け取り、僕の顔を見上げる。
「わ……わかりました。……勿論、使わなくてもいいんですよね?」
「使わないに越した事はないね」
だからいざという時だ。切れる札はなるべく隠しておいた方がいい。僕がそれをリンに渡したのは、アムが今回の街の周辺ではもう殆ど役に立たないからであり、同時にアムがまだまだ発展途上であるからでもある。今のアムの実力を知られたところで何ら困らないのだ。
ちょうどその時、奥で僕の依頼した薬を準備していたアレンがカウンターに戻ってきた。
後ろからは弟子のカードが木箱を抱えて重そうについてくる。
「いやぁ、待たせたね。さすがに三種ともなると時間がかかって……」
「構わないよ。今日はまだ時間があるからね」
時間が余ったらエティの所に遊びに行くつもりだったけど、優先度は高くない。
アレンが木箱の蓋を開ける。そこには、数種類の注射器と液体の入ったアンプルが整然と並んでいた。
再度こちらを向いて、アレンが笑顔で尋ねてくる。ハーフエルフらしく、非常に整った容貌。同種らしく、水霊の灯のリーダーであるセイルさんと髪色も眼の色も違うのにどこか似た空気があった。エルフにも様々な種類が存在するので混じった血が違うのだろう。
「身体強化系でいいんだよね?」
「ああ。彼らは近接戦闘職だからね。大変だった?」
「いや。対象が全て有機生命種だったからね。大した手間ではなかったよ」
アンプルを丁寧に箱から出し、カウンターに並べる。注射器は数種類。種によっては体表があまりに硬く普通の注射器では刺さらないものもいるし、アムのような霊体種を相手にする場合は透過対策は必須である。
肉体依存の強い有機生命種には薬物の効果は強く出やすい。逆に霊体種を相手にした場合は独特の手順が必要とされる。今回の主力が皆、有機生命種だったのはとてもラッキーだった。コストも低いし。
「一本で有効時間は三十分。効果は四倍だ。きっかり三十分で切れるから注意して。副作用は極力抑えてあるけど、場合によっては強い高揚感が出るだろう」
有効時間の設定。効果の設定。この辺りは薬師のスキルによるものだ。おそらく有効時間を削って効能を強化したのだろう。短期決戦でよく用いられるタイプである。ちなみに、武闘大会などでは出場者が薬師でない限りドーピングは禁止されている事が多い。
「針は刺さる?」
僕の問いに、アレンが白銀色の美しい針をした注射器を示してみせる。
特に問題なのは竜人だ。竜人であるランドさんは竜化のスキルを有している。そのスキルを使用した時、竜人は極めて硬度の高い鱗を得る。注射針が刺さらないなんて事になったら笑えない。そして、これは決して冗談でもなんでもないのだ。実際に王国最強の探求者、銀鏡竜のリード・ミラーには注射針は刺さらない。
「ミスリル製の針だ。成体竜でもなければ刺さるはずだよ。これが竜人用。狼人と豹人は体表がそれほど頑丈ではないから普通の針で大丈夫だろ。ああ、わかっていると思うけど、刺すのは首筋で。効果を調整してある。腕だと筋肉に阻まれて針が折れる可能性もある」
「ああ、わかった。ありがとう、助かるよ」
それでも、僕ではきっと彼らの皮膚を傷つける事はできないだろう。だが、問題ない。それを使うのは僕ではなく彼ら自身だ。
ちょうどその時、カードが追加で小さな箱を持ってきた。中には液体が入った透明な丸い容器が並んでいる。
僕の視線に気づいたのか、アレンが照れるように言った。
「これは餞別だよ。大規模討伐に参加するんだろ? フィルさんじゃ自ら戦う事はないだろうけど、武器は有った方がいい」
「爆弾か……」
「爆弾という程の物でもないけどね。倒すまでは行かなくても足止めくらいは出来るはずだ」
薬師の力はサポートによっているが、それでも戦う手段がないわけでもない。スキルにより元素の力を閉じ込めた液体爆弾はその力の一端であった。青と赤と黄色。それぞれ氷と火と雷の力が込められている物が三つずつ。
薬師の扱うアイテムは担い手の能力に寄らない。僕は礼を言って箱に詰められた好意をありがたく受け取った。
「そういえばフィルさん、そっちのお嬢さんは?」
アレンが、棚を興味深そうに見ているリンの方に視線を向ける。
ああ、紹介がまだだったか。
「ああ……リン・ヴァーレン。僕の……一応、弟子っていう事になるのかな。一回ここにも来たらしいけど。彼女には才能がある、アレンも是非面倒を見てやって」
「あ……は、初めまして。リン・ヴァーレン。魔物使いです」
リンが慌てて深々とお辞儀をする。それを見て、アレンが呆れたように言った。
「フィルさんはいつも別の女の子を連れているね……」
「あはは、ただの偶然だよ。ここがデートスポットだったのなら言い訳できないけど」
リンは弟子だし、アリスとアムは僕のスレイブだ。いつも誰かしら女の子と一緒にいるのは否定しないが、少なくともビジネスパートナーであるその三人は僕と一緒にいてもおかしくないメンバーである。
アレンの言葉に、リンは困ったような表情で僕の方を見上げていた。そういう反応をするから付け入る隙を与えるんだよ。
「あ、そういえばフィルさん。この間アリスさんが一人でここに来たんだが……」
「ん?」
おそらく、黒鉄の墓標から戻ったその翌日だろう。アリスにお使いを頼んだあの日だ。
どこかほの暗い表情。非常に言いづらそうにアレンが言った。
「その……アリスさんが……比翼の血を買っていったんだ」
「比翼の血、か……」
比翼の血。確か、媚薬の一種である。特に有機生命種に効果のある物で、一滴で人を狂わせる程の興奮を与える事ができる。決して致死性ではないし毒でもないが、別の意味で非常に危険な品だ。使い方次第で人を獣に落とせる。勿論、僕がそれを誰かに投与した事はない。
反面、肉体依存の強い有機生命種以外には大きな効果がない。
しかしそうか。ここでそんな物が売っていたのか。勿論、ここは薬屋なので取り扱っていてもおかしくはなかったが、ここは機械種の街。本来需要がなければ供給もまたない。
アリスの嗅覚に脱帽である。
僕はしばらくそれについて考えていたが、顔をあげて深刻そうな表情をしてこちらを見ていたアレンに尋ねる。
「それがどうかした?」
「……え? どうかした、って……」
アレンの表情から既にその考えはわかっていた。
彼はおそらくアリスが僕にそれを投与する事を懸念しているのだろう。だが、問題ない。
僕は彼女を信じているし、そんなものを投与されなくても僕は彼女を愛している。そして、アリスもそれを知っているはずだ。
そもそも、僕の肉体は脆弱であり、たかが媚薬といえどその魔法薬は僕に多大なるダメージを与えることだろう。アリスが僕にそれを使う事は『ありえない』。
アレンが意外そうな表情で呟いた。
「フィルさん、不安じゃないのか?」
「その程度で不安に思ってちゃ魔物使いは出来ないよ」
悪性霊体種。その特性を考慮に入れて僕は彼女をスレイブにしたのだ。
疑い始めればキリがない。僕は小さくため息をついて、アレンに言った。
「まぁ疑っているわけじゃないけど、一応解毒剤だけ貰っておこうかな」
「……へ?」
いつ使う事になるのかもわからないしね。




