表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Tamer's Mythology  作者: 槻影
第二部:栄光の積み方

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

89/121

第四十一話:この地の探求者に勝利を捧げる

 ぼうっとした灯りの元、食器のなる音と話し声、笑い声が響き渡っていた。

 そのこれから訪れる不安をまるで吹き飛ばすかのような酒精と熱気が立ち込める酒場はしかし、明るく騒々しいにも関わらずどこか死地に向かう直前のような、通夜のような雰囲気が極僅かに混じっている。

 僕の出資で酒場を解放したのだ。最後の晩餐……にはならないと願いたいが、どうなるかわからない。


 目の前のテーブルで、マクネスさんがため息をつく。どこか疲労の混じった表情。


「いいのかい?」


「構わないです。これは……必要経費だ」


「……それだけで報酬がなくなるのでは?」


 マクネスさんの訝しげな視線に、僕は首を横に振って答えた。

 険しい表情だ。外様に対する不信感か、未だ僅かに見え隠れしている負の感情。余りにも速度が早すぎた。胡散臭さはそう簡単に拭えない。


 アルコールの入ったグラス、氷をちりんと鳴らす。


「僕はこの地の探求に経験以上の『メリット』を求めていないのです。マクネスさん、これが何を意味するか分かりますか?」


「何を意味するんだ?」


「あらゆるリスクもコストもこの僕の事を止められない、という事です。これは所謂――死兵ですよ」


 探求を積み重ねてきた。あらゆる敵と戦ってきた。

 僕の身体の弱さは大きなデメリットだが、反面メリットも持っている。

 僕にとってB級程度の死地もSSS級の死地も――大して変わらないのだ。どっちみち死ぬのだから。僕には大きなストレス耐性がある。今回の死地は僕にとって日常と変わらない。


 マクネスさんが真剣な表情で聞く。


「……何故この街のためにそこまで尽くす?」


「借りがあるんですよ。さっさと返さないといつ返せなくなるかわからない」


「そんな……すまないが、そんなつまらない理由で?」


「人が行動する理由なんて案外そんなものですよ」


 借りは返す。それは僕の探求者としてのポリシーで、スタンスだ。

 常に誠意を持って行動する事。周囲からの助けがなければ死ぬ僕が、この殉職率の高い探求者としてまだ生き残っている理由がそこにある。


 グラスを傾け、光に透かす。


「僕がこの探求に参加するのはそういう打算の賜物です。だからマクネスさんはその件に関して特に何も思う必要はない。不安を抱く必要もないし、この探求に参加するメンバーで一番弱いのは間違いなく……僕です。ですが、僕は死なない」


 SSS級依頼にもL級依頼にも参加してきた。この程度の探求に何の気負いを抱こうか。

 恐怖は時に人の心を狂わせる。怯えた状態で参加する探求で十全の力は出せない。


 大規模討伐。今回、他の探求者達は僕の駒だ。だから、こうして酒場を開放した。

 不安は全て潰す。チューニングを行う。

 勝つ。何の面白みもなく、何の物語もなく、必然的に、できればあっさりと、ただ勝つ。今まで通りに。


 その第一歩として、僕はどこか不安げな光を瞳に灯すマクネスさんに言った。


「だから、貴方は自分のすべき事をすべきだ」


「そう……だな」


 街の事を心配しなくていいのならばその分のリソースを別に割ける。

 マクネスさんは戦場に行かないのではない。別の戦場で戦うのだ。だから、そんな不安げな表情をされてしまえば困る。


 空になっていたマクネスさんのグラス。瓶を握り、そこに琥珀色の液体を注ぐ。

 ラベルにはゴシック調の文字列――『victoria』の文字のロゴが並んでいる。


 その名の意味は『勝利(ウィクトーリア)


 古い歴史を持つ酒で、特に数百年前まで、一部地域の探求者の間では確実に勝利せねばならない戦いの前に勝利を祈って飲む習慣があった。今ではそれを知る探求者は数少ない。それを飲む習慣を持つ者はさらに少ない。勝利に貪欲な探求者が少なくなっているためか、あるいはマイナーな地方の酒だからか。


 故に、この酒をオーダーした。詳しい説明はしていないが、全ての卓に既に行き渡っている。

 僕はこの地の探求者に勝利を捧げる。


「恐怖でも期待でも希望でも悲しみでも誓いでも貸しでも友情でも慕情でも誠意でも金銭でも権力でも、あらゆるものを使って僕は――勝利を捧げる」


「……勝利を祈って」


 敗北を考えて勝利の杯は交わせない。

 マクネスさんが掲げた杯に杯をぶつける。ちりんという涼しい音がなった。


「じゃあ僕は全員のケアをしてくるよ」


 杯を片手に席を外す。

 唐突な宴の開催に戸惑っていたのだろう、初めはどこか戸惑いがちだった空気も、マクネスさんと話している内にいつの間にか温まっていた。


 人との交流に一番手っ取り早いのは食卓を共にする事だ。これは、魔物使いのマスターがスレイブと一緒の食卓を囲む理由に似ている。


 卓はクランごとに、実力ごとに、そして知り合いごとに囲まれていた。

 まだ、依頼決行まで数日あるのでこの卓が最後の晩餐となる者はいないはずだが、僕の気分的には最後の晩餐のようなものだ。

 思考は冷たく、如何なるアルコールを入れても熱せられそうにない。度々死亡率の高くなるであろう大規模討伐の前、僕はこの状態になるのだ。


 おまけに今回は珍しく側にスレイブがいないから――尚更の事。魔物使いのマスターとスレイブは二つで一つ。どこか精神を満たすこの淡い心細さの原因の一つは半身がいない事にも由来しているのだろう。


 侘びしさを立ち込める酒精の香りで紛らわせながら席の間を歩いて行き、目的の者を見つけた。


「飲んでるかい? ブラザー」


「!! お、おう……」


 席についていたのは、会議の場で僕に文句をつけてきた半巨人族だ。

 同じパーティのメンバーなのだろう、席を囲むメンバー――デミヒューマン系の戦士一人に魔術師一人、治療師一人――に視線を向け、空いている席を引き寄せてそこに腰をかける。


 バランスのいい構成。やはり、悪いメンバーではない。性能的な意味で粗悪な探求者があの場に呼ばれるわけがない。


 正面は文句をつけてきたブラザーになるように。席が空いていたのは僥倖だった。

 隣に座られた獣人種の僧侶が気弱げな視線を向けてくる。


「ご、ご馳走様です……フィルさん」


「気にすることはない。金は地獄に持っていけないからな」


「地……獄?」


「もしかしたら天国に行けるかもしれないけど、どちらにせよ金は持っていけない。持っていけるのは業だけだ」


 そして、その件も今は余り関係ない。死後の事は死んだ後に考えよう。きっと死ぬほど時間があるだろう。

 居心地悪そうにしているブラザーに杯をかざした。


「さっきは悪かったね。皆を短時間でまとめるにはああするしかなかった。許してくれ」


「あ……ああ。俺も悪かったよ」


 突然謝られて出鼻をくじかれたのだろう、強面がやや戸惑いがちに歪む。


 そうだ。これで僕と君は友達だ。

 革鎧にも似た装甲で包まれた発達した上腕二頭筋。僕の倍程はあるだろう、その豪腕から繰り出される打撃はきっと蟻達の敵になる。


「君たちに勝利を捧げよう。乾杯」


「……乾杯」


 打ち合わされるグラス。

 響き渡る音は戦友の契だ。絶体絶命になった際に精神的な楔になる。

 組み交わす言葉の一つ一つが絆になる。喉元を流れ落ちる熱さはきっと誠意に変わる。

 万が一、僕がこの探求で死んだとしても役に立つ事だろう。


 唇の端についた水滴を親指で拭いさり、ブラザーに尋ねる。


「勇敢なブラザー、僕に君の名前を教えてくれるかい?」


「……あんた、まさか俺の名前も知らずにあれほどの啖呵を切ったのか……」


「名乗りを交わしてもいないのに自分の事をわかってもらえると思ってはいけない。何しろ僕は――ずっと境界の北で活動していた探求者だったんだ」


 呆れたような視線に笑みを浮かべ、ひらひらと手の平を振ってみせた。

 敵意を落とす。悪性霊体種の鬼を落とすよりも遥かに簡単だ。


「境界の向こうの探求者、か……。ハーフジャイアントのロドリス・マッシャーだ。探求者のランクはB級。パーティでは近接火力及び盾をやっている」


「そうか、ロドリス。討伐ではよろしく」


 近接火力は前衛、盾は一般的に耐久に秀で、後衛職を守ったり、敵の足止めを行う役割を指す。彼はその自らの体格と膂力、種族特性をよく理解しているといえる。


 すかさず手の平を差し出す。ロドリスは一瞬躊躇し、すぐに手を握った。

 握られた手から伝わってくるパワー。多少訓練はしていても、プライマリーヒューマンとは基礎が違う半巨人の筋力。


「なぁ、フィル。あんたがさっき言った言葉はどこまで本当だったんだ?」


「ロ、ロドリス、SSS級探求者には敬語で――」


「あははははは、構わないよ。もう十分失礼な言葉は吐かれたし、今更だ」


 制止しかけた隣に座った鳥系獣人の女を止め、勝手に皿の中のポテトを摘む。

 敬語、上下関係、そんなのいらない。それは僕のやり方ではない。力なき者が他者を従わせようとした時、使わねばならないのは情である。規律で探求者は動かない。そういう気性の者は少ない。


 誠意を持って答える。ロドリスに笑みを向けて。

 酒精に侵されやや赤らんだ容貌、その奥にある正気を保った焦げ茶色の虹彩に視線を合わせて。


「殆ど冗談だよ。僕が君に言った討伐での活躍を期待するという言葉を除いたらね」


「……正直、あんたからはSSS級の凄みが感じねえ。今こうして目の前にしても、俺にはランドさんの方がずっと強く見える」


「そりゃそうだ。僕という個体の強さで言うのならば、僕よりもランドさんの方が強いからね」


 この卓だけではない。周辺の卓からもこちらを窺う気配がする。

 この地に来てから二ヶ月足らず。僕はもう有名人だ。さっき会議室で散々やらかしたためだろう、時の人、とでも言おうか。

 それら全ての視線に気づかぬ振りをして目の前のロドリスに集中する。これは二回戦だ。一回戦は圧倒するためにやった。二回戦は協力してもらうためにやらねばならない。蟠りを崩し、こちらにその尊い命を委ねてもらうために。


「僕とランドさんがタイマンを張ったら五秒でやられる自信があるね」


「……そんなあんたに命を賭けろと?」


「賭けろ。僕ならばランドさんよりも依頼の成功率と君たちの生存率をあげる事ができる」


 即答し、グラスを煽る。透き通った液体の向こうで、ロドリスの双眸がゆがんで見えた。

 下ろすと同時にポケットからギルドカードを取り出し、テーブルに置く。白銀色のカード。僕の探求者としての足跡。


「僕はSSS級の探求者だ。個体としての力はランドさんは勿論、ロドリス――君よりも弱いが、SSS級に認定されるに至るまで探求を続けそして……生き延びてきた。僕の積み重ねてきた依頼の数はランドさんよりも多く、踏んできたリスクはランドさんよりも遥かに高い」


「……」


 ロドリスは無言でギルドカードを手に取り、天井から投げかけられる明かりに透かす。

 その道程で如何なる罪を犯そうとも業が深かろうとも、そのカードには曇り一つない。


「僕の探求は僕を殺さない。勝利に向かって僕の探求は常に最短で、最善で執行される。勝利を捧げるという宣言は別に冗談でもなんでもないよ」


「……おう」


 だから、今回も最善を尽くす。


「ロドリス、僕に君の力を貸してくれ。最善を歩むために君たちの力が必要だ」


「……なるほど……この会はそのためか」


 呆れたようにグラスをしげしげと見つめるロドリス。

 半巨人については詳しくない。さすがの僕でもその心中はわからない。


「僕は最善を尽くす。これはそのための布石だ。最善を尽くせば死傷者も最低限にできる。僕はプロだ。最善を尽くすことを怠れば、本来死ななくていい者が死ぬかもしれない」


「……ちょっと待て」


 ロドリスが僕を止めた。

 しかめっ面のような、微妙な表情で僕をじっと見ている。少なくとも敵意ではない。

 敵対値増加抑制のスキルを持つ僕に、明確な理由無くして敵意を抱くことは難しい。


 もったいぶるように左右の仲間と顔を見合わせ、最後に僕を見る。


「つまり……なんだ? あんたは、俺達が手を抜くんじゃないかと心配しているのか?」


 濁った鈍色の虹彩がぎょろりと心外そうに僕を見返している。僕の倍はある太さの指ががりがりと褐色の髪を掻いた。


「いいや、そうは思っていない。これはただの念押しだよ。何分、僕は脆弱だから、その分臆病でね」


「ふん……念押しは不要だぜ。あんたがプロなら、俺達もプロ、あんたと比較すりゃランクが低くて不安かもしれないが、報酬相当の働きはさせてもらう」


 報酬相当、報酬相当、か。

 声に出さずその言葉を口の中でつぶやき、笑みを浮かべた。


「そんな事はない。頼りにしてるよ」


「少なくとも、スレイブ抜きの魔物使いよりは役立つだろうさ」


 冗談めかした言葉。

 全くもってその通りだ。だが彼は理解しているだろうか。


 元々の計画では、低ランクの探求者は外で敵を引き付ける任務を受ける予定だった。一方、僕の作戦ではマクネスさんを除いた全員が巣の中に突入する。

 相手にする敵の数は本来よりも少なくなる予定だが、巣の外を防衛している蟻より巣の中を徘徊している蟻の方が基本的にランクが高い。有り体に言えば彼等が戦う敵は本来彼が戦うはずだった敵よりも強い。連携して相手取れないような相手ではないが、一つのミスが死につながるのだ。


「僕は君を殺したくない」


「俺もあんたを殺すつもりはねえ」


 僕の嘘は見抜かれる。しかし、僕に他者の嘘を見抜く術はない。

 表情筋の動き、目の運ばせ方、他愛のない仕草。

 ある程度の共通点があるとは言え、多種多様の種のそれらを見抜く術を全て修める事は不可能だ。

 平気で嘘をつく事ができる者もいることを僕は知っていた。時には直感が欺かれる事だって……ある。


 すかさず、ロドリスから返ってくる言葉。果たして嘘か誠か……いや、僕にできることは信じることだけだ。

 ロドリスがグラスを煽る。歪んだ半透明のガラスの向こうで窺う視線が覗いている。


「……あんたはこの大規模討伐の成功率をどう見積もってる?」


「百パーセントだよ」


 そこだけは譲れない。僕の不安はその他のメンバーに伝染する。

 そして事実、この依頼の成功は約束されている。そこに不安はない。例え僕が道半ばで倒れたとしても、依頼は完遂される事だろう。それでいい。


「……ならば、何の不安がある?」


「……」


 僕の神経が過敏になっているのは、そうせざるをえないからだ。

 僕の考える依頼の成功率は損耗率を考慮に入れていない。最悪、突入部隊が『全滅』したとしてもアルデバランを倒す。それが百パーセントの理由。自爆も辞さないよ、僕は。


 人の命は僕にとってただの数字だ。五百人で挑んで三十人死んだ、四十人死んだ、百人死んだ、三百人死んだ、それがどうした。成功したのならばいいじゃないか。

 そう考えられる事は大きな武器でありデメリットでもある。


 僕は人だ。だから神経を過敏にする。

 僕の策のせいで死ぬはずだった者が生き、死ぬはずでなかった者が死ぬ。だから神経を過敏にする。

 せめて、一人でも死傷者を少なくする努力をする。

 一度それを怠れば次から僕はきっとそれをしない。成果だけを追求し、自らの利だけを追求し、それを達成できる事だろう。それは一般的な観点から言って、恐ろしい事だ。


 油断すれば合理主義の渦に飲み込まれそうになる。いや、合理主義というよりは個人主義と言うべきか。

 だから、僕は特に大規模討伐に参加する際は、意識して律さればならない。

 僕はサイコパスになるくらいなら偏執狂になる事を選ぶ。


 数秒黙ったまま視線を交わらせて、僕は席を立ち上がった。


「ただ、僕は少しばかり……心配性なんだよ。身体が弱くてね」


「ふん……そうか」


「ああ、いい夜を」


 楔は打った。自ら宣言させる事に意味がある。きっとその発言は彼の行動を縛るだろう。


 いい。これでいい。


 意識の底に潜む怪物が、僕を最上級探求者たらしめたそれが、僕の表情筋と連動するように笑う。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新作、並行投稿中です。
よろしければお付き合いくださいませ!
嘆きの亡霊は引退したい。

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ