第三十九話:オーケー、ブラザー。座るといい
目をつぶり、ゆっくりと全身を感覚、精神を沈める事を意識する。
目を開く。
街全体が浮き足立っている気配がした。
太陽の下、ゆっくりとレイブンシティの中を徘徊する。仲間はいない。久しぶりに僕はたった一人だった。
依頼を一つ受ける時、度々僕はまるで地獄に向かって一歩進んでいるかのような錯覚を得る。
僕は弱い。いつ死んでもおかしくない。だから、常に悔いを残さぬように万全を尽くす。
それは覚悟だ。そして、その覚悟を強めるためには儀式が必要だった。
僕はレイブンシティの人間ではない。だからこの街に郷土愛なんてのを感じていないし、例え滅ぼされたとしても何も感じずに次のステップを踏む事ができるだろう。それは、探求者として僕が培ってきた確固たる決意だ。
それは、立ち止まらないという事で、だがきっともし、この街の人々がそれを知ったらそんな僕をなじるだろう。
命は一つしかない。僕も、そしてこの街の住民も、そして共に大規模討伐に参加する探求者達も。
王国で僕に魔物使いの何たるかを教えてくれた師匠は僕に『お前は非情すぎる』と言った。
然もありなん。魔物使いとして高い適性のあるロサの一族に生まれた師は、僕の魔物使いの師であると同時に、人としての師でもあった。
師匠は優しすぎた。
魔物使いとしての実力は置いておいて、探求者としてのランクは師匠よりも僕の方が高い。必要なのは緩急であり、優しすぎるという事は人としては好感が持てるが、探求者として大成できる者の性質ではない。
だが、その師の教えのおかげで僕は『優しさ』を取り繕う事ができる。
レイブンシティはこの近くに存在する他二つの街――リュクオシティとセントスラムと比べると大規模な街だが、世界的に見るとそれほど大きな街ではない。
住民の数もそれほど多くない……ただし、無機生命種を住民の数に含まなければ、だ。
だから最悪、街が退っ引きならない状態に陥った際は住民をリュクオシティやセントスラム、そして、機械種の生息範囲外の街に逃がすという手も考えられる。
優先度は無機生命種以外の住人を優先する。
無機生命種の住民については申し訳ないが諦めてもらおう。所詮は作られた命、無碍にはしたくないが『やむを得ない』
日は既に高く上っていた。これから大規模討伐に向けた最後の会合が始まる。
午前中は図書館を訪れていた。もし万が一敗北した場合、住民を逃すための手段を考えるために。
いらない想定だ。この僕に、この『フィル・ガーデン』に敗北は――ありえない。だが、それとは無関係に、『準備』しておくに越した事はない。これまでの経験と知識で結果を想定する事はできるが、所詮人である僕は全知ではないのだ。
僕は自身の無力さを知っている。
ギルドに向かう前に、裏通りに存在していた店に立ち寄る。小さな個人経営の花屋だ。薬草なども売っているが、需要がないのか店の中には他の客は人はいない。
軒下に並んでいた花を一輪購入し、売り子をやっていた少女の形をしたガイノイドに硬貨を支払う。薔薇の花だ。棘は抜いてもらった。
花を購入する者が余りいないのか、売り子さんは不思議そうな表情をしていた。鼻に近づけると、確かに薔薇の匂いがする。
笑顔を浮かべて礼を言う。売り子さんも高性能の感情機構から成る可愛らしい笑顔を返してくれた。
勝ち目のない戦いをするつもりはない。
できるだけスマートに、それが無理なら何が何でも勝利する。
一歩脚を進める毎に、精神は研ぎ澄まされていく。スイッチが切り替わる、比類のない集中力。
レイブンシティの日常風景は目に焼き付けた。心の奥底に刻みつけた。これで僕は、街の痛みを自らの痛みであるかのように実感する事ができるだろう。
身体能力も魔術的素養も何もかもがなくても、いや、ないからこそ精神でそれを凌駕する。
他のSSS級探求者にあって、僕にないものをそれで補う。
僕は負けない。ちょうどいいハンデだ。言い聞かせる。
最後に、頬の筋肉をもみほぐし、笑顔を浮かべる。鏡がなくてもわかる、僕の完璧な笑み。
それはスレイブと同じくらいに長い間使い続けた僕の武器だった。
*****
ギルドにはこういう時のために大人数が入れる会議スペースが幾つか併設されている。
時間はあえてピッタリにつくように調整した。扉を開けると、視線が集中するのを感じる。
レイブンシティとその近辺、二都市より集まった精鋭達の視線。
皆、腕っ節に自信があるからこそ、探求者をやっている。その視線は刃のように鋭く、その人相も盗賊顔負けに悪い者が多い。言うまでもないが、盗賊顔負けで質の悪い者もいる。
会議室は百人近い人数が入れるそれなりの広さがあったが、討伐に参加する全員が集まっているわけではない。明けの戦槌は代表としてランドさん、シウィンさん、ガルドにセーラといういつものメンバーが参加しているし、この間、バルディさんの屋敷で顔を合わせたハイルやエティはソロで活動しているので本人が参加している。
総勢五十人はいるだろうか。それぞれのパーティのリーダー格とそして――自らの指揮を取る外様の探求者の資質をこの眼で確認したいと考えている者だ。
誰も何も言わない中、奥の一歩手前に脚を組んで腰掛けていたマクネスさんが第一声をあげた。
久方ぶりの大規模討伐を前に引き締められた雰囲気。円形のテーブルを囲むメンバーに、そこに座りきれないメンバーは壁際に佇んでいる。
この中のメンバーの何人が大規模討伐経験者か。
「遅かったな」
室内を大きく見回し、最後にマクネスさんの方を向く。
笑顔を浮かべ、返答した。
「時間ぴったりだよ」
「……皆十分前には揃っていたのです」
マクネスさんの隣の席についていたエティが眉をしかめる。その後ろには人間大の絵かきが扱う球体関節人形のような機械種が佇んでいる。あれがアリスから報告があったエティのスレイブか……いい趣味してる。名前は『ドライ』と言ったか。とある言語で『3』を意味する単語だ。偶然名付けたのでなければ、『1』と『2』もいるのだろう。もしかしたら『4』もいるかもしれない。あるいは全く関係なく、『Dry』が語源かもしれない。あぁ、今は関係のない話だった。
考えを一旦打ち切る。悪い癖だ。僕も少し緊張しているのかもしれない。
「そんなの知らないよ。大体僕が先に来ちゃうと後から来た人が入りづらいじゃないか」
僕の席は皆の表情が見える一番奥、マクネスさんの左隣だ。右隣は僕に次いで権限があるランド・グローリー。
エティの後ろを通り過ぎる際に、手に持っていた薔薇の花をエティの髪に差してあげる。
「!? な、なんです!?」
「それはここに来れない人の分だよ」
お、リンとアムも来てるな。
手を振ってやると、アムがリンの後ろに隠れた。リンの方が小さいので全然隠れきれていないが……
どうやら本当に僕が最後だったようで、席に座るとほぼ同時に定刻となった。
上位陣の殆どの顔は知っている。バルディさんの家に呼ばれたメンバーが上位陣で、この近辺の探求者の中でも特に有名なメンバーである。
ここは僕がメインで活動していた王国ではない。ぽっと出の僕への不信は取りきれない。だが、ベストは無理でもベターは十分に目指せる。
笑顔なのは僕だけだ。皆が皆、やや強張った表情をしている。引き締まった表情とも呼べる。それは、僕への好印象ではないだろう。あまり良くない。
息をゆっくりと吸い、ゆっくりと吐く。呼気を整え、穏やかな声色を作り、唇を滑らせた。
「何人かを除けば初めまして、フィル・ガーデンです。この度、大規模討伐『灰王の零落』の指揮を務めさせて頂きます。よろしくお願いします」
「ちょっと待て」
さっそく物言いが入る。気が早い事だ。
出口付近の席に座っていた大男が立ち上がる。
身の丈二メートル強。人よりも遥かに発達した上腕筋に体毛のない肉体。推定種族は『半巨人』。名前は知らない。
身の丈にあった濁音混じりの声で恫喝するように叫ぶ。
「俺は認めてねえぞ、てめえが俺たちの指揮をやるだと? 色男」
「……」
「何故実力もわからねえ外様の探求者に指揮が指揮を担当する? おい、当初は『明けの戦槌』のランド・グローリーが指揮を担当するはずだっただろ? 一体、どうして突然指揮が変わった?」
「……」
「大規模討伐、それも攻略対象はA級迷宮だぜ? いつ死んでもおかしくねえ。俺は見ず知らずの探求者に指示を出されるなんてゴメンだ! そうだろ?」
情報の周知はどこまで成されているのか? いや、聞いただけの情報と目で見て手に入れた情報では理解度がちがう。
半巨人が同意を求めるように周囲を見渡すが、誰も何も言わない。
だが、雰囲気で伝わってくる。彼と同じ考えの探求者は何人もいるだろう。何も、この男が馬鹿なわけではないし、我は強いかもしれないが感情で物を言っているわけでもない。初対面、バルディさんの家であった際に反抗してきたハイル・フェイラーと同じ。彼らは決して悪く無い。
探求者は基本自己責任。自身の命を守るのは自身だけ。だから、他の群体に所属する者同士をまとめるのは難しい。
「……」
「おい、黙ってないでなんとか言えよ? 腰抜けか?」
腰抜け、腰抜け、か。
スレイブ抜きの僕とこの男が真正面から戦ったら高確率で僕が敗北するだろう。
だが、そんなのは関係ないのだ。そんな事で、この地位は覆らない。
静まるまで待った。静まったのを確認し、諭すように口を開く。
「それは浅慮だ」
「……何?」
「浅慮、だと言ったんだ。だが――」
つまらなさそうな表情で偉そうに腰をかけているハイルに視線を向ける。
一度会っていなかったら間違いなく彼も向こうの側だっただろう。
再度、物申してきた男に視線を戻す。
「――必要な事でもある。その勇猛さは蟻を相手に存分に発揮してもらう事にしよう。さぞ、活躍してくれるんだろうね。その体躯が見かけ倒しでない所を見せてくれ。マクネスさん、彼のグループは迷宮に突入する組に組み込んでおいてください」
「ッ!? て、てめぇ、どういう事だ!?」
「僕が指揮官で、割り振る最終決定権も僕にありそして……君が何を言おうとそれは覆らないという事だよ。他に意見がある人は?」
確かに彼らは悪くないが、そんな下らない事に構っている暇もない。
どうせいくら説得しても湧いてくるんだからいちいち丁寧に対応していられない。大体、敬意が足りないんだよね。敬意が。
なんてね。
僕の言葉に男は一瞬理解できないようなぽかーんとした表情をしていたが、すぐに鬼の如き形相に変化した。元々、強面なので眉間に皺が寄ると本当に怖い。
「っざっけんな! 俺は抜ける!」
「却下だよ。既に君は計画に組み込まれてる」
「……は?」
ため息を付く。
俺は抜ける? 笑わせてくれる。危険な役割から逃れる事を許容したら誰一人迷宮に突入する者がいなくなるじゃないか。
確かにやる気のないメンバーを入れても効果は薄いが……やむを得ない。囮くらいにはなるだろう。
「大規模討伐を受領する意志を見せた時点で君は僕に従う義務がある」
「んなの知らねえ! 止められるもんなら止めてみやがれ!」
これは遊びではないのだ。
凪の如くに、僕の精神は乱れない。
どんな罵声も怒声も殺意も敵意も害意も受け流すだけの準備がある。
テーブルに肘をつき、人差し指を向ける。
「じゃーそうさせてもらう。おい、ハイル、『あれ』の脚を折れ」
テーブルの中頃に座っていたハイルが、ぎょっとしたように僕を睨む。
S級探求者。この部屋にいる探求者はこの近辺でも上位に入る者達ばかりだが、その中でもテーブルを囲む事を許された探求者は特に上位に位置している。あのハーフ・ジャイアントよりも余程強いはずだ、少なくとも一対一ならば。
特に、性格上ハイル・フェイラーはランドさんよりも他の探求者に対して畏れられているだろう。適材適所だ。
「はぁ? 何で俺がんな事――」
「そんなの決まってる。僕がやったら……殺しちゃうからさ。ハイル、ここで仲違いするのは良くない。街の危機だ、協力していこうじゃないか。ここで人的リソースを消費するのならば僕は――迷宮で『捨て駒』にする事を選ぶよ。そっちの方が人の役に立つからね。そうだろ?」
死んでもいい人材というのは使い勝手が良い。まぁ、滅多にそんなのいないんだけど……
部屋の外に出て行く寸前で固まるハーフ・ジャイアントに笑みを作り、投げかける。
スマートにいこう。大多数が幸せになる道を選択しよう。最小限の犠牲で最大限の成果を。栄光ある勝利を得るための努力を怠ってはならない。
見回すが、どうやら僕の意見に手放しで賛成する者はいないようだった。
凍りついた空気を打ち消すべく、音を立てて両手を打ち合わせる。
「冗談、だよ。ただの冗談、だ。これから一緒に戦うんだ、仲良くしようじゃないか。全て白紙に戻す、席に座りなよ」
僕のスレイブがいればここで笑ってくれたのに、面白くない冗談だったかな?
ちょっと自信のあるジョークだったのだが、誰一人笑ってくれる人がいない。ランドさんやエティも。
立ち上がる。視線が集まる。
僕は説明義務を果たしながら、ハーフ・ジャイアントの元に歩みを進めた。
「僕はSSS級探求者のフィル・ガーデン、だ。保持するクラスは魔物使い。戦士系のクラスじゃないから見た目は貧弱に見えるかもしれない、まぁ君が不安に思う気持ちもわかるが、大規模討伐に参加した経験も二度程ある。二度目でちょっとばかりやり過ぎて三度目の参加は断られてしまったが……多分ここにいる探求者の中では一番経験しているはずだ。それが根拠になり、指揮をする事になった。何か不安点はある?」
さすが目の前にすると圧迫感がある。立ち並べばまるで大人と子供だ。
矢継ぎ早に告げられた言葉に、見下ろす朱の眼が動揺する。
「い……や」
「オーケー、兄弟。座るといい」
右手で背を軽く叩き、踵を返す。
まるで魔法でもかかっているかのように、ブラザーはふらふらと椅子の上に崩れ落ちた。
屈強な肉体を持っていても、鋼鉄の筋肉の鎧を纏っていても、スキルによる加護を得ていても、いや、だからこそ精神が柔らかい。迷い、惑い、弱さ、トラウマ。僕の『愚者の喝采』はその精神の歪に付け入るのだ。
「よし、他に質問や不安点がなければ、今回の探求について作戦会議を始めよう。この会議が……僕達の生存率と任務の達成率を決めるわけだ。何、大船に乗った気でいてくれればいい。僕が……勝利を約束しよう」
ただし、生き残られるかどうかは個々人の資質次第だ。
だが、死んだとしてもその死は無駄ではない。それによって少しでも救われてくれればいいのだが。
僕が席に戻ると同時に、ようやく会議が始まった。
僕への反抗勢力は概ね表面上は鎮静することができたようだ。まぁ、元々上の方を掌握していたから当たり前だが。
マクネスさんから事前に資料は送られてきていた。既に読みこんである。
まずこちらの戦力。
参加する探求者の総数は五百人程度。これは、別に参加しない探求者が多いというわけではない。むしろ、B級以上の探求者は概ね参加しているらしい。つまりこれが、レイブンシティを初めとする三都市の最高戦力という事だ。
勿論、この五百人の中にはB級に至っていないがクランぐるみで参加する探求者も含まれているので実質の戦力的にはもうちょっと低下するだろう。
蟻の推定数は二千体なので、僅か四分の一という事になる。リスクバッファとして敵の推定数を十倍すれば僅か四十分の一の戦力。おまけに相手は防衛側。
まぁ、嘆いても仕方ない。これは人と人の戦争ではないのだ。力づくでは厳しいが、策を使えば十分に勝ち目はある。
探求者の持つクラスには傾向がある。
数として近接戦闘を主にする戦士系クラスが一番多く、攻性魔術師、斥候系、回復系の順で少なくなっていく。勿論、クラスを持たなくても種族スキルで戦える者もいるので、必ずしも需要がこの順であるわけではないが、概ね分布はそんな感じだ。
機械種は基本的に硬い。この地の探求者ならば僕よりも余程その事実を理解しているだろう。
物理攻撃に高い耐性があるので魔術系のスキルが有用だが、それを扱う魔術師は逆に体力など身体能力に劣る場合が多い。そして、魔術は広範囲を対象とした時にこそ大きな成果を発揮する。
故に、一般的に迷宮探索は魔術師系の職には向いていないとされる。一般的な迷宮とは言い切れない今回も同様にその法則は適用される。
メインの戦力は戦士系にする予定だった。
余りに魔術師を入れすぎると味方に被弾する可能性だってあるのだ。冒険者のクラスが持つスキルに、同じパーティのメンバーに対する攻撃を無効化するフレンドリー・ファイア防止のスキルがあるが、一つのパーティに入れられる人数には限りがある。多数のメンバーで突入する際には気休めにしかならない。
部外秘だが、事前に連携されていた参加メンバーのリストにはクラスの情報も記載されていた。
「では、割り振りから、で良いかい?」
「……いえ、まず第一にすべき事は……目標の確認です」
足並みを揃える事。それを怠ると後で手痛いしっぺ返しを食らう事になる。
出席しているメンバーの半分が、何だ今更か、とでも言いたげな表情をしている。
「今回の目標は……モデルアントを生み出す源であり、巣の拡充を指示していると思われる、SSS603型クイーンアント――ギルドの名付けた識別名『アルデバラン』の討伐です。ハイル、これ壁に映して」
「……チッ」
マクネスさんから届けられていた灰色の結晶をハイルに放る。
映写結晶だ。アルデバランを初めて発見した今は亡きメカニックが撮影し、持ち帰った貴重な資料らしい。
嫌そうな表情で、ハイルが映写結晶を起動して壁に映像を映しだす。
全体的に薄暗い映像だ。四方を覆う焦げ茶の壁。天井に生える光る苔のおかげで辛うじて状況がわかる。
僕は映像から眼を離し、会議室に詰めているメンバーの表情を順番に見た。
「これは嘗て『機蟲の陣容』の深奥まで到達した機械魔術師が持ち帰った貴重な映像です。今回の目標対象であるアルデバランの姿も映っています」
押し殺すような呼気の音が再生される。
A級迷宮『機蟲の陣容』のその深部。
広さは縦横共に数メートル。縦横無尽に伸びる薄暗い洞穴と、それぞれの洞穴に通じる広大な部屋は、映像越しでも『死地』の空気を如実に感じさせる。
かの機械種が蟻を模しているというのならば、その巣もまた蟻を模したものになっているのだろう。
映像はゆっくりと、しかし確実に移動していく。
その動きから、微かな傾斜があり、少しずつ下っていっている様子がわかる。聞こえる音は本人の呼気の音と微かな衣擦れの音くらいで他の音は聞こえない。
「ただの機械魔術師じゃない。斥候系のクラスの保持者だね」
「ああ」
そうでなければ、たった一人でスレイブも連れずに迷宮に突入したりしない。
たまに現れるモデルアント型の機械種は見敵必殺、周囲の敵の位置をキャプチャーしているのだろう。音もなく雷光が瞬き、姿を見せると同時に破壊していく。救助信号を出す暇を与えないためだろう、そのほぼすべてが一撃だ。
かなりの腕前の探求者。その動作から、スキルから、確かな自信が感じられる。
迷宮を探索する事十数分、数十体のモデルアントを破壊した所で、視界が開けた地点を映しだした。
今までいくつか通ってきた部屋とは比較にならないほど広大な部屋だ。今いるこの会議室よりも大きい。撮影者が息を飲む僅かな音。
物陰からそっと向けられた視界の先。
その部屋の中央に『それ』はいた。
「これが……アルデバラン、か」
その体躯は僕がこの地で出会った機械種のどれよりも巨大。
黒光りする装甲と絶え間なく鳴り響く鼓動のような音。
生き物というよりは生産機械のように見える。そして、事実その種は生産用の機械だった。
「なに……こいつ……」
今まで黙って映像を確認していた女性探求者が身を震わせ、息を飲む。
会議室に詰めていた全員がまるで惹きつけられるようにその相手に視線を向けている。
部屋の中央に堂々と佇んでいる――いや、設置されている蟻の女王。
ただの映像であるにも関わらず感じられる威圧感。その身体の大きさは竜に近く、俯瞰すれば蟻の形をしているとわかるが近づけば壁にしか見えないだろう。
腹から伸びた太さ数メートルの管が縦横無尽に部屋中に張り巡らせられている。その隙間を羽を持ったモデルアントが騒々しく飛び交っていた。部屋に存在する蟻の数だけで言っても数えきれない程の数だ。羽があるということは一匹一匹がB級以上の力はあるだろう。
「原型は恐らく、有機生命種の混合王蟻だね……女王蟻を中心として百種以上の多種の蟻を生み出す危険な魔物だ。平均体長が三メートル程の巨大な蟻で、樹海一つを飲み込んだ巣がL級依頼対象となった事もある。アルデバランは本物と比べれば……まだ大した事がない」
ちなみに僕は相手にした事がない。
アルデバランは所詮機械だ。生き物ではない。生き物には特有の生き汚さ、生存本能、そして気持ち悪さがある。
張り巡らせた管の一部が開き、黒い固まりが転がり落ちる。数十メートルの上空から地べたに落下したそれは轟音を立て、その場で立ち上がった。モデルアントの中級種、まさにアルデバランは女王蟻の機能を有している。あの身体の大きさは蟻を生み出すための物だ。無から有は生み出せない。
「大きさは力だ……耐久性は身体相当に高い。反面、その機能は生産に特化しているはずで、アルデバラン自体の攻撃力は大したことがないが、配下のモデルアントが何体いるかわからない。アルデバランだけを対象とするのならば、これは討伐依頼と言うより、解体作業だね」
「……電撃系スキルが効きさえすれば遠くから心臓部の破壊も可能なのです」
「電撃系スキルは効かない前提で行く。勿論一発は撃ってもらうけど、向こうに行って効きませんでしたじゃ洒落にならないからね」
今回のエティの役割は露払いになるだろう。
機神の祭壇で対機械魔術師の戦力が現れた以上、機蟲の陣容にもいるはずだ。いや、高位のモデルアントの殆どが対策を施されている可能性すらある。
機神の神殿の敵は、機械魔術師を明確な天敵として定めていた。
映像を止め、腕でアルデバランの威容を指し示す。
「今回の目標はこいつだ。皆、その眼に敵を……焼き付けておきなよ。僕達はこいつを討伐するために全力を尽くしそして――もしかしたら死ぬかもしれないのだから」
会議室がざわめく。名前だけで、対象の姿形を知る者は少なかったのだろう。
おずおずと一人の青年が手を上げた。
「それ以外の蟻はどうするんですか?」
「基本無視する。勿論倒して貰っても構わないけど、倒さなくてもお咎めはない。生産工場の役割を担う女王さえ倒してしまえば後はどうにでもなる」
マクネスさんが何も言わずに頷く。
ここだ。ここにまず、差がある。
アリスと再開したあの日――大規模討伐の依頼について初めに聞いたあの時、僕は依頼内容をクイーンアントとその配下の討伐、と聞かされた。
確かに、女王蟻を倒すには配下もある程度討伐しなくてはならないのは間違いない。だが、もし討伐しなくても女王を倒す術があるのならば、別に討伐する必要もないのだ。
この部屋で最も強力な物理火力であろう、ランドさんの方を向く。
「ランドさん、今のを倒せますか?」
「……一人では厳しいだろうね。周りが邪魔だ。一対一なら何とかなるだろう、攻撃手法もなさそうだし……」
「ハイル、今のは倒せる?」
「チッ……時間はかかるだろうが負けるつもりはねえぜ?」
「ガルドは?」
「無理だな。あれだけ巨大だと俺の剣じゃ崩せねえ」
三者三様の答え。それは有する攻撃手段の差だ。情報が脳裏を渦巻き、有るべき所に整頓されていくのを感じる。
必要なのはボスを討伐するに必要十分な攻撃力と――その場所まで戦力を送り届けるための手段。
送り届けるための手段については作戦がある。奇策の類に入る策だが、正面から切り込んだ際に想定される被害を考えると十分実用に耐えうるだろう。
というか、正面突破するには少しばかり自軍のメンバー数が少なすぎる。やっぱり王国とは違うね。王国だったら余裕で四桁集まっただろうに。
ハイルが不機嫌そうに顎で僕を指す。
「てめえの使う『魔物』ならどうなんだよ? 魔物使い」
「一撃だね。だけど今回僕はスレイブを使うつもりはない」
「何でだよ?」
「ランドさんやハイルのやることがなくなっちゃうからね……まぁ最悪負けそうだったら助けてあげるけど」
流石に命と引き換えには出来ないが、アリスには他のタスク――SSS級討伐対象の討伐を与えているのだ。命の残量の問題もある。この程度の危険で煩わせないで欲しい。
そして、可能ならば、ランドさん達には僕の期待に答えて欲しかった。一人でも多くの探求者が成長する事は、彼らの敵ではない僕にとって何物にも代えがたいメリットとなるのだから。
手を抜くという趣旨の事を言った僕に、皆何も言わなかったがどこか不満気だ。
マクネスさん口を開きかけ、僕はそれを遮った。
確かにアリスを使うつもりはないが、代替案は考えていある。
「まぁ、落ち着きなよ。スレイブを使うつもりはないけど、僕に策がある」
そう言った瞬間、轟音と共に会議室の扉が吹き飛んだ。




