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Tamer's Mythology  作者: 槻影
第二部:栄光の積み方

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第三十七話:大人しくしてくれよ……

 それはギルドの地下、奥底にあった。

 四方数十メートルの広めの部屋。壁、天井、床ともに特殊合金で誂えられており、そこに高位の補助系スキル、防護系スキルを張り巡らせたその部屋は大銀行の金庫室と同等以上のセキュリティが講じられている。

 空間転移から身体の電気化。幻想精霊種の持つ忍びの権能に至るまで考えうるあらゆる手段に対抗した鉄壁の箱だ。

 入る事は勿論、出る事すら易易とは出来ぬその部屋の中心には、一抱えもある結晶石が安置されていた。精緻なカットを施された巨大な宝石はその多面に天井に設置された灯りを反射し、虹色に輝く。


 その前に、一人の老婆が座っていた。


 グラエルグラベール王国王都のギルド支部。

 神秘情報室。あらゆる神秘を万全に成すための一室。


 他国と比較しても随一の人口を擁するグラエルグラベール王国王都は、そうあるべくして近辺に数多の魔境を持つ。

 竜。悪魔。鬼を初めとしたポピュラーな魔性から遥か太古から受け継がれる神秘に語られる怪物(テイル)まで。

 そこで生きる探求者は一騎当千だ。当然、国に所属する騎士団もまたそれに準じる。

 王国の力は周辺の他国と比較しても飛び抜けて高い。

 人口の増大に比例して増加する魑魅魍魎にグラエルグラベール王国初代国王は探求者を募った。それが千五百年の時を経た現在の『軍事力』の基盤になっている。


 故に、そこに存在する冒険者ギルドもまた世界各地に存在する支部の中でもトップクラスの設備を誇っていた。ハイランクの探求者達を万全にサポートするために、ハイランクの探求者があらゆる手段を講じて集めた神秘。


 配置されている結晶石もまたその中の一つだった。

 世界各地の魔素溜まりで見つかる魔力の結晶体。

 魔導師系のクラスの杖にも嵌めこまれている事で知られる、魔術の結果を増幅するための媒体である宝玉だ。


 ただし、そこに安置されていたのは、同種にして一般的なそれらとは格の違う代物である。

 本来ならば拳大の大きさがあれば一級品とされる魔力結晶の常識を超える大きさと、そしてその――『色』。

 その置かれた環境によって自ずと『属性』に染まるはずのその色が……『ない』

 透明度の高い結晶体は見る方向によって様々な彩りを見せる。その手の専門家が『奇跡』と口を揃えて称する代物だ。


 その前に跪き、老婆が祈る。


 老婆は盲目であり、魔術師であった。

 光を受け入れないその瞳は代わりに見えぬものを見通す強い力を有する。


 クラス『予見師』

 それは他者に運命の道標を課す『託宣師』と並ぶ、神秘のクラスである。


 そして、探求者の聖地である王都でも片手の指で余る数しかいない神秘系技能を持つ探求者。

 『千見』の二つ名を与えられたSSS級探求者の魔精(ジン)。王国設立時から生きると噂される古の賢者。その名を、ワイズ・アボイト。

 がりがりにやせ細った肉体とは裏腹にその目には強い魔性の光が宿り、擦り合わせられた皺だらけの手からはそれまでに刻みつけられて来た歴史が見て取れた。


 老婆の身から溢れる魔力が類まれな明度を誇る魔力結晶により増幅洗練され、その権能(スキル)を顕現させる。

 この世に流れる運命とは波だ。預言者などの類はそれを読み取り、未来の道筋を示すが、その波は潮の満ち引きの如く揺れ動き、容易く読み取れる類のものではない。

 故に、予見師のスキルで任意発動が可能なものは数少ない。いつ発動するかわからず、その精度も低く、対象も選べない。

 三重苦のスキルをしかし、その類まれな経験で全て解決したのがこの魔精(ジン)であった。

 故の、王国で認定されたSSS級探求者。


 老婆の眼がかっと開いた。『見えていない』瞳が宙を揺蕩う。

 その薄茶色の虹彩が金色に変わる。

 トランスの証。スキル発動の証に、出入り口付近で佇んでいた身長二メートルを超える黒髪の大男が静かにその様子を見守る。

 口を開いてはいけない。

 運命を見る力。それが如何なる力なのか、一介の戦闘職では微塵も理解できなかったが、ルールは当然知っていた。

 世界の波を乱すような真似は慎む事。さもなくば、如何に経験を積んだ魔精とはいえ、運命を正確に見ることなんて出来ない。


 やがて、ワイズの眼が一度閉じ、ゆっくりとその身体が揺れた。

 沈黙する事数秒。僅かに開いた唇。嗄れた声が一言、結果を告げる。


「……見えんの……」


「……ふむ……貴方でも、無理、でしたか……」


「……ふん、あんたは相変わらず早とちりをする……わかってやってるなら質が悪いねえ……」


 ため息をつき、ワイズはゆっくりと立ち上がった。視力は失われているが、その動作は機敏にして正確。

 足元は確かだ。そも、『魔精(ジン)』は肉体依存度の低い種族でもある。大抵の魔精は脚など使わない。


 大男が手を差し出す。それを無造作に受け取り、ワイズが続けた。


「強い……運命を乱す波が見える……見えぬのはそのせいさ……」


「マザーの言葉は迂遠に過ぎる。はっきりと言ってもらいたいものですな」


「意図的に乱した跡さ。しかも、フィル坊の波だけ狙ったように乱されておる。これでは現状の把握は無理さね」


「……という事は……」


「くっくっく、まぁ詳細は別室で話そうか。長くこの部屋にいると結晶が曇ってしまう」


「そうですな……」


 扉を開くと、二十四時間体制で部屋の外で待機している警備兵に軽く会釈をした。

 二人が出ると扉が自動的に施錠される。魔術的ロックと技術的ロックによる複合型の施錠。扉を開くには何重もの申請と、冒険者ギルド長の許可が必要とされる。透明な魔力結晶は容易く周囲の魔力に染まる。故に、部屋の使用は数ヶ月に一度しか許されない。


 何も言わずに歩く二人に、通りすがりのギルド職員が丁寧に会釈をする。

 フェイルス・グラッド。グラエルグラベール王国でもトップクラスの有名人であり――探求者の聖地にて、その全てを管理する冒険者ギルドグラエルグラベール王都支部のギルドマスターでもあった。


 嘗て自身も高位探求者であったその男は戦闘力は勿論、それ以上に長きに渡り王都を守りぬいたという信頼がある。

 馬鹿は長生き出来ない。見た目は剛健だがそれ以上にその頭脳は明晰でもあった。


 支部に多数存在する応接室の一室にて腰を下ろすと、さっそくフェイルスは再度問いただす。


「して、続きをお願いできますか?」


「……察しの悪い男だね」


「私はマザーの『口』から言って頂きたいのですよ。『千見』の言葉には価値がある。貴方がご存知の通り、ね」


 王国ギルドの送った調査隊がシィラ・ブラックロギアの『閉鎖世界(フィールド)』であった黒き森の消滅を確認してから既に一週間以上過ぎている。フィル・ガーデンのシィラ・ブラックロギア討伐失敗から数えれば既に一ヶ月近い時が過ぎていた。

 既にギルドに与えられた衝撃は少しずつ収束しつつあった。

 探求者というのは元来死亡率が高い職だ。その率は傭兵や騎士などと比べても頗る高い。SSS級探求者の死亡だって、ありえない事ではないのだ。


 死は慣れる。良くも悪くも、王国の探求者はそれに順応している。

 ワイズは大きくため息をつき、重々しい声をあげる。


「生きてるね」


「ふむ……確率は?」


 特に驚く事なく、フェイルスが問う。

 ワイズが呆れたようにため息をついた。


「……そんなの知らんよ。だが、あえて『妨害』しているのならば生きている可能性が高い。くっくっく、死んでいたらそんな工作、不要だからねえ……。そもそもフィル坊は、相打ち覚悟で特攻をかますような玉じゃないよ」


 フィル・ガーデンがシィラ討伐に赴く前に施された『生者の炎』――探求者の生存を確認する術式は確かに死を示していたが、対象が滅ぼされていたともなれば話が変わってくる。本来、相打ちなど滅多にある事ではないのだ。追加で――マスターはともかく、高い不死性を持つスレイブ側まで戻ってこないという『異常事態』

 ギルドの調査が入るのは当然だ。ましてや対象は木っ端の探求者ではない、SSS級の探求者なのだから。


「しかし、となるとフィルが戻ってこないのは――」


「戻ってこれない事情があるかあるいは……物理的に戻ってこれない場所にいるか、かねえ」


 ワイズの言葉にはどこか確信めいた響きがあった。

 その意味を、フェイルスは冷静に考える。

 古株の探求者が敬意を払い、『マザー』と呼ぶこの魔精は何よりも本質を突くことに長けている。神秘系の権能を持つ能力者の中でもその力は極めて高い精度を誇り、そして――それ以上に鼻が利く。


「その、運命の波とやらを妨害している者は?」


「シィラ・ブラックロギアじゃないねえ。これは『意志』による妨害だ。今もまだその影響が残っているという事は、妨害者はまだ生きてる」


「意志による妨害……『千見』の眼を誤魔かす程の能力者、ですか……」


「馬鹿ぁいっちゃいけないよ。誤魔化せてなんてないねえ……こうして乱した跡を残しちまってる。乱すだけなら誰にでもできるさね」


「……私でも?」


 ワイズがにやりと唇を歪め笑い、その節くれだった手でフェイルスの頬をなぞる。まるで何かを確かめるかのように。


「くっくっく、超越種(ハイエスト)のあんたにできなくば、誰にだって出来ないさ。まぁ、あんたは魔術師(ウィザード)じゃないから練習は必要だろうが……」


「……魔術師……という事は容疑者は相当いますな……」


「……くっくっく、現実逃避はやめときなよ。まさかあんた、全て私に説明させるつもりかい?」


 老獪な笑い声に、フェイルスはため息をつく。

 ただでさえグラエルグラベール近辺のクエストには緊急を要するものが多い。可能ならば『なかったこと』にしたいというのが本音だったが、そういうわけにもいかない。それを成すには、フィル・ガーデンの影響が大きすぎる。

 調査を待つ者もいる。ギルドには調査責任があった。


「率直に聞きますが……これがフィルの意図した失踪である可能性はどれくらいあると思いますか?」


「まず、ないだろう。そうする『理由』がない。そんな性格でもない。そもそも、失踪するならスレイブ達も一緒だろうさ」


「……では、アリスですか……クソッ、フィルめ……何て面倒な事を――」


 がりがり頭をかきむしり、最後に額を当ててため息をつく。強面の眉が想定される今後の事後処理に、情けなく歪んでいる。

 ワイズはその様子を苦笑いで聞いていた。まだ少年の頃から知っているが、このギルドマスターの根っこの所は昔から変わっていない。元々腕っ節で周囲を統率してきた男だ。今マスターとして収まっているのもその頃に集めた信頼故、『仕方なく』である事も知っている。


「やれやれ……しゃんとおしよ」


「……マザー、フィルの生存が知られたら間違いなく……敵が動きますよ。奴は味方も多いですが、敵も多いですからね。何人死人が出るか……」


 死んでいたほうがマシだ……とは立場上言うわけにはいかないが、死人に口なし。

 フィルが生きており、且つ王都にいないとなれば、間違いなくその隙にその力を削ごうとする勢力が出る。

 その探求者はそのあり方故にあらゆる敵を作ってきた。今までそれでも大きな事件が起きなかったのは偏にフィル・ガーデンという男がトラブルを嫌う男であり、ちょっとしたアクシデントで死にかねない貧弱な男であり、トラブルが起きる前に出来るだけ潰していたからだ。


 頭がいない隙にその腕を潰そうという無謀な考えを抱く勢力。

 探求者の聖地である王都は同時に、『逆』の質もまた高い。SSS級探求者を相手に手を出そうとする愚か者も数多くいる。その数を数える気にさえならないくらいに。


 公にしないのは無理だ。既にシィラ・ブラックロギアの調査結果は発表されている。

 確証はなくとも、結びつける事はできる。既にフィル・ガーデンの生存説は流れていた。そして、それは僅かな刺激で爆発する爆弾を発火させるに十分な量の情報だ。

 今まだ爆発していないのは単純に、フェイルスが『千見』に依頼をするという情報があったからに過ぎない。


 かといって、嘘をつくわけにもいかない。ギルドと『千見』の権威の低下に繋がる。

 ましてやこの嘘は、いつかばれる可能性の高い嘘だ。リスクを踏むわけにはいかない。

 フェイルスは徐々に外堀を埋められていくかのような錯覚を抱いていた。


「……チッ、こっちで警護するしかない、か……依頼を上げるか……『剣の団』に協力を要請……」


「随分と過保護だねえ……」


「……人も資源ですからね。自己責任とはいえ、死ぬと分かっていて何もしないわけにはいきません。本音を言うならば勝手に死ねと思ってますが」


 以前何度か訪れたことがある真っ赤な屋根の『屋敷』を思い出し、フェイルスはげんなりとした。


 開放的で且つ朴訥とした見た目とは裏腹の鉄壁の砦。

 常に開けられた門は奈落。あらゆる襲撃を飲み下した地獄への入り口だ。


 『閉鎖世界(フィールド)


 一般に『幻想精霊種(テイル)』と呼ばれる種の種族スキルが創造するその世界は独自の法則でなっている。

 それは蜘蛛の張る巣のようなもの。事実、フィル・ガーデンの屋敷全体はその『縄張り』だ。

 そして、そこに住まうスレイブは情け容赦ない。正当防衛ならば、百人でも千人でも何の躊躇いもなく殺すだろう。そういう風に仕込まれている。


「……くっくっく、坊やも随分と大人になったもんだ……嬉しいよ」


「よしてください。私ももう――探求者になって百年近いんですよ? ……ああ……頼むから、大人しくしてくれよ……」


「それは残された方に言ってるのかい? それとも失踪した方?」

 

「……どちらも、ですよ。うちで登録した探求者がよそで迷惑かけたらクレーム来るのうちなんですからね」


 G級幻想精霊種、家事妖精(ブラウニー)

 閉鎖世界(フィールド)名、『小さな(スモール)小さな家(ドールズハウス)


 人の住む屋敷に潜み、家人に代わり家事をこなすという他愛もない『物語(テイル)

 そして同時に、無数の命を飲み込み続けた本来『非戦闘型』のフィールド。あまりにも危険な代物だ。


 待ち受ける幻想精霊種(テイル)の巣に突入する事など愚の骨頂。ましてや相手は嘗て世界最強の座を勝ち取った魔物使いのスレイブなのだ。数や多少の質で攻略できるような相手ではない。

 だが、果たしてその意味を正しく理解できる者が何人いるか……


 公に注意をしても連中は聞くまい。また、手を出される方に文句を言うわけにもいかない。

 馬鹿な事を考える連中がなるべく少なくある事を、そして、件の探求者が失踪先で迷惑を掛けていないことを、冒険者ギルド、グラエルグラベール王都支部ギルドマスターはただ祈った。




*****




 機神の祭壇から離れること数十キロ。

 ようやく自身のセンサーから機神の祭壇の周辺をうろつく機械種の存在が見えなくなった所だ。

 荒野のど真ん中で、エトランジュは困ったように可愛らしく首を傾けた。


「……ごめんなさい、ちょっとよく聞こえなかったのです……」


 静かな夜である。青白い月だけが三人を照らしている。

 砂礫を流す風の音だけが存在する音だった。四方数キロに機械種の姿形は見えない。

 十六の脚、体長二メートル程の鋼の蜘蛛が誰も見るもののいない荒野に止まっている。


 フィルは大きな欠伸をして、眠そうに眼を擦った。


「機蟲の陣容」


「……それが?」


「これから」


「……」


 後ろの席では、ブリュムがあっけにとられたように前の席を見ている。何も言わずに。

 機神の祭壇に潜ること数時間、命からがら敵陣から脱出した直後である。

 魔力は勿論の事、体力も、そして精神力も万全とは程遠い。

 一番消耗しているのは間違いなく、この三人の中で最も基礎的能力が低いフィル・ガーデンその人だろう。例え戦闘行為を行わなくとも、迷宮の探索はただそれだけで元々高くないプライマリーヒューマンの体力を削っている。

 だが、その声には一切の迷いが見えない。ふざけている様子もない。エトランジュはもう驚くのをやめた。


 言葉を選び、先ほどからしきりに欠伸を繰り返すフィルに尋ねる。


「……私達を殺す気なのですか?」


「ちょっとだけ……ちょっとだけだから……」


「……大体、機蟲の陣容は今、高い警戒態勢が敷かれているのです。中に突入するのは勿論、近づくだけで危険なのですよ。『フィルも知っての通り』」


 最後の言葉を強調して述べるエトランジュ、フィルは無言で応える。


「……」


「大体、一番初めに約束した機神の祭壇はもう……行ったのです」


「お兄さん、さすがに私もこれからってのはちょっと……」


「……」


「フィル? フィル!?」


「……むぁ……ごめ、ん……寝てた」


「!?」


 開かれた瞼、瞳の焦点もどこかあやふやだ。

 本当に、心の底から眠いのだろう。そんな状況で『次』を目指すなんて……


 万全の状況で挑むのは探求者にとって前提条件だ。最悪、アイテムの類が揃っていなくても、自身のコンディションだけは整えねばならない。エトランジュだって、もし誘われた時に自分の体調が悪かったらここに来ることを断っていただろう。

 迷宮とは、いつだって死の危険がつきまとっているものなのだから。


 だからこそ、信じられなかった。

 何が信じられないって、今の状況に至ってもまだ前に進むことを要求するのが信じられない。


 ……フィルはどうして今まで生き延びてこれたんでしょう……


 もういっそ、ここまで来ると怒りすら抱けない。

 ふらふらと腕を上げ、一方を指差す。相当思考が侵されているはずなのに、その指先は誤ることなく迷宮の方向を指差していた。


「さて……機蟲の陣容に、レッツゴー」


「フィル……眠そうなのです……」


「大、丈夫……僕はもうダメだけど……君たちがいるから」


 エトランジュはそれを聞いてにっこり笑った。

 今にも落ちそうにこっくりこっくり上下に首を振るフィルの頬に手を当て、囁く。


「フィル。おやすみ、なのです。『停止睡眠(モード・スリープ)』」


 強制的に眠らせるスキルを受け、僅かな声すらあげる事なくフィルの意識が閉ざされる。

 側で見ていたブリュムが声一つあげる暇すらなかった、鮮やかなスキルの行使はまさしく上位探求者の技。

 フィルの身体を座席にしっかり横たえ、後ろを振り向く。何の気負いもなく感情もなく、宣言する。


「帰るのです」


「え……でも――……うん」


 何も言えなかった。その言葉には確かな力があった。そして、それは奇しくもブリュムの意志と一致している。意識すら残っていない探求者の馬鹿げた指示に従うわけもない。大体、当初の目的は達したのだから。


 成る程、あの時もこうすればよかったんだ……


 見事な手際に、『黒鉄の墓標』での事を思い出し、ブリュムが変な所で感心した。

 

「大体、やりすぎなのです。冗談でも何でもなく……死ぬかと思ったのですよ……」


「……あ、そうだ……ね……」


「……?」


「……いや、私はこれで……二回目だから。前よりはマシだったかなって……」


「……信じられないのです……」


 エトランジュはずっと戦い続けだったが、今回ブリュムは殆ど戦闘をしていない。

 クリーナーに四方八方を囲まれた黒鉄の墓標探索の方が修羅場だった。

 思い出し、顔を顰める。結果的には何とかなったとはいえ、何年も悪夢に見そうな探求だった。


「……お兄さんと一緒には……迷宮探索はやめた方がいいかもしれないね……」


「……残念ながらまだ一個、おっきいのが残ってるのですよ……はぁ」


 大規模討伐の事を考えると、エトランジュは頭が痛くなった。

 布陣についてはまだ何も聞いていないが、アルデバランの討伐が主目的である以上、上位探求者の多くは迷宮に突入する組になるだろう。

 さすがに人数が多いので、勝手をする事はないとは思うが、指揮権はフィルにある。


 何が起こっても、何をやらされる事になっても問題ないように万全の態勢を敷かないと……

 ノーマン・フロートの補充だけでも、かかる費用の額は無視できる金額ではない。収支で言うのならばスキルデータが手に入った分だけプラスだが、今はタイミングが悪かった。


 ……スレイブの改良は当分お預けなのです……はぁ……


 ふいにその時、ずっと張り巡らせていた感知の網が揺れる。


「ちょ……エティさん!?」


「あー……忘れてたのです……」


 見知った気配に、しかし身体を強張らせる。

 明らかな失点だ。

 唐突に目の前に現れた白銀の体表を持つ獣の姿に、乗っていた『巡回機構』を送還する。

 元より、逃走に使ったりする魔導機械ではない。上位の獣の脚力には適わないし、破壊されるわけにもいかない


 唐突に足元が消え、ブリュムが慌てて着地。エティも隣のフィルを抱きかかえ、地面に軽く着地した。

 同時にコンディションを確認。一戦程度ならば戦えるだけの魔力と体力は十分に残っている。何なら、僅かな隙さえあれば回復用のポーションも転送できる。だが、果たしてその隙があるのか?


 ちらりと後ろのブリュムを見る。

 彼女は弱い。その能力は確かに有用だが、少なくとも、アリスとエトランジュと比べるとはっきり見劣りする。こと戦闘に置いてはそれは顕著だ。


 憑依による転移。


 嘗ての対アリスとの戦いはまだ記憶にあたらしい。

 それはエトランジュにとって屈辱の一戦だ。それから常在戦場の心構えを新たにし、常に装備を身につけ、新たな魔導機械の開発にも着手してきた。だが、僅か数週間で、おまけに大規模討伐の準備と同時に行える準備など、たかが知れている。


 彼我の戦力を分析する。アリスを数度殺す方法はあるが、アリスに勝利する方法はまだ持っていない。

 視線を対象から外さず、空を見て唇を噛み締めた。

 おまけに今は以前とは異なり――夜。悪性霊体種のホームグラウンド。エトランジュはその瞬間、あらゆる情動を抑えこみ『勝利』を捨てた。


 アリスの姿は異様だった。

 それは白銀に光り輝く獣。狼に似て、同時に竜にも似ている。滑らかな白銀の体表。変形した眉目は高く引き攣り、鼻が飛び出し、狼に似た容貌になっている。

 体幹の延長線上から靭やかに伸びる同色の尾に似た何かは傷一つなく、その力に一切の衰えは感じさせない。それが嘗て人型だと言って、誰が信じられるだろうか。

 亜人と呼称される種には、そのスキルによって人から獣に变化できる者もいるが、それでもここまで異質な変化を持つ者は多くない。


 じりじりと、無意識のうちに数歩一歩後退る。

 何より、側にいるだけで心の奥底から湧き上がってくる『恐怖』は目の前の存在が悪霊である事を如実に示している。

 一度、相対していなければ気圧されていた可能性もあっただろう。


「―――――ッ!」


 奇妙な咆哮をあげる獣。

 憑依していたという事は、こちらの事情は知っているはずだ。

 マスターの意に沿わぬ行いをしようとしたから転移してきたのか?


 機蟲の陣容にこれから突入するのと、アリスに勝利するのどちらが容易か計算する。

 そして、計算途中で気づき、それを捨てた。恐怖に縛られるなんてまっぴらだ。そもそも、それは味方のする行いではない。


 エトランジュは、一度下げた身体を一歩前に出す。勇気を奮い立たせるように。いついかなる行為でも万全に対応できるように。

 獣は転移したその場から移動する様子はない。オーロラのように迸る魔力。


「――――――――!!」


 再び空気が震える。

 反射的にノコギリを顕現しかけて、そこでエトランジュは気づいた。

 恐怖こそ世界が震える程に感じるが、その存在から戦意や殺意は感じない事に。


 獣がまるで苦痛を感じているかに咆哮する。身体から迸る白銀の光が一瞬弱まった。

 予想した通り、しかしアリスは特に敵対行動を取る気配はない。

 油断せず、じっと観察している間に、光が少しずつ治まっていく。その巨体が大きく脈動する。


「縮ん……でる?」


 一回り小さくなった身体。しかし、それでも本来のアリスとはかけ離れた大きさの身体が更に苦悶に歪む。

 二人の目の前で繰り返す事三回、凄まじい咆哮の大きさに、たまに近づいてくる機械種もすぐに離れていく。


 十分近い時をかけ、そこには人型に戻ったアリスがいた。

 傷一つない一糸纏わぬ身体が光輝き、いつもの服装に戻る。

 四肢を地面につき、荒く呼吸をする少女の姿は尋常な様子に見えない。


「はぁはぁはぁ、ご主人様……酷い……」


「……だ、大丈夫、なのですか?」


 近づかずに掛けられたエトランジュの言葉に、鋭い視線を返す。だが、その視線はすぐにエトランジュからエトランジュの腕の中にいる存在に移った。

 ふらふらと立ちあがるその身体には傷一つない。


「大丈、夫……ご主人様が起きていればもっと大丈夫だった……」


「起こしますか?」


「……起こさなくていい」


 魂魄の暴走は薬効によるものだ。

 本来、一度使ったら戻すのに時間がかかる。薬効を覆すには別の薬品か強い暗示が必要だった。

 アリスが近寄る。今度はエトランジュは下がらなかった。考えていた以上に様子が落ち着いていたためだ。


「……伝言、お願いする」


「伝……言?」


「ご主人様に伝言……」


 泣きそうな表情でマスターを覗き込むアリスに、思わず提案する。


「……起こしますか?」


「……起こさなくていい」


 数秒止まり、とてもいいようには見えない表情でアリスが首を横に振った。

 自らの欲を押しとどめる悪性霊体種に、エトランジュは心底感心する。少なくとも、『ご主人様』に関する点について言うならば、仕込まれているらしい。


「三体、倒した。設備もそこそこ破壊した。後は――」


「……全部倒したんですか……ってかあの状態でちゃんと意識あるのですね……」


 呆れたようなエトランジュの頭を、アリスはまるで窘めるように人差し指で軽く突く。

 予想外のその動作に固まるエトランジュに大きくため息を返す。


「後は……憑依もちゃんとした」


「憑依?」


「……一度表に出ると、解けるから」


 アリスが離れ、そっけなく遠く空を見上げる。疲れの見える横顔。

 あえて聞く必要はないと思いつつも、つい尋ねてしまう。


「眠らせた事……怒ってないのですか?」


「……ご主人様は、止めないと死にに行くから……」


「……え……」


 アリスの予想外の台詞に、思わず死んだように眠るフィルに視線を向ける。

 嫌な予感がエトランジュの中に渦巻いた。


 まさか……これって勝率とか考えずに提案してたのですか……?

 そういえば、工場に向かう途中に天井に穴を開ける際も、アリスがいなかったら勘で開けるとか言っていましたね……


 凶悪極まりない悪性霊体種のスレイブがまさかの『ストッパー』であった可能性に戦慄。


 放っておくとふらふらどこかに行ってしまう凧か何かですか、貴方は。


「『冒険』大好きだから、たまには止めないと……あっという間に死ぬ」


「……まさか死んだ事あるのですか?」


「……ない」


 ……まだ。と、

 続きの言葉を述べるアリスは本当に疲労しているように見えた。

 それを見ていると、ありえなかったはずの同情心が湧いてくる。今日一日だけでエトランジュの精神はくたくただった。もしこんな探求にずっと付き合わされているのだとすると、それは十分に憐憫を受ける余地があるだろう。


 例え、つい数時間前に腕をふっとばされた件で散々嫌がらせを受けたとしても。

 それを帳消しにしてあげてもいいような気がした。


「ご主人様を宿に届けて、伝言をお願い」


「……貴方は戻らないのですか?」


「戻らない、というより……戻れない」


 何故、という問いを飲み込む。何か事情があるのだろう。伏せられた瞳には悲哀の情が出ていた。

 他の探求者の事情に首を深く突っ込むのは良くない事だ。


 アリスが耳をすませなくては聞こえないくらいに小声で呟く。


「ご褒美……」


「…………起こしますですか?」


「…………起こさなくて、いい」

アンケート、締めきりました。

多大なるご協力ありがとうございました!

結果発表については追って活動報告の方で実施させていただきます。

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