第三十四話:馬鹿っていうんだよ
空気が変わった。
肌がザワつく。空気がびりびりと張り詰めていた。
気のせいではない。それは魔力の波動だ。本能で感じ取れる独特の感覚。
魔術を使用する際に発生する事のある、余剰魔力による世界の侵食。魔術的素養の高い種族ならば目に見えて感じ取れるもので、感覚の鈍いプライマリーヒューマンでも、経験さえあればなんとなくわかるものだ。
それは予兆とも呼べる。一流の魔術師ならばそれを読み取る事で次に放たれる魔術の予想さえ可能となる、そういう空気。
もし安全を期するのならば、そういう空気の有る場所にいってはいけない。もし、唐突にそういった空気が発生したのならば、警戒すべきだ。可能ならば逃げた方が良い。
何故ならば、基本的にこういう現象が発生する魔術というのは……不安定な魔術によるものなのだから。
本当に完成した魔術というものは……余計な現象を起こさない。特に中小規模の効果範囲の狭い魔術ならば尚更の事。
よほど大規模な魔術か、あるいは術者の精神に何らかの極端な動きがあったのか。迷宮内部でそこまで大規模な魔術を行使する事はまず考えられないので、今回の場合は後者という事になる。
まぁ、どちらにせよ、三流の起こす現象であることに違いはない。
まったく、わかりやすいな……
一旦、足を止める。床をつま先で叩きながら、首を傾げる。ついでに今更な事を言ってみる。
「んー……アリスを差し向けたのは失敗だったかな?」
基本的に機械種という種族はスピリチュアルな素養を必要とする『魔術』と噛み合わない。
この現象、間違いなくエティの手によるものだ。
僕がアリスに動くことを許したのは、アリス自身の意志を聞いたというのも勿論あるが、面白かったというのも勿論あるが……エティに何らかの問題が発生した事を前提にしている。
もし、その想定が誤りだったならば……僕の差し伸べた手は唯の余計なお節介だろう。
冷たい空気の中に混じる魔力の『味』
エティの精神はやや安定性にかける。
その力は僕の知るどの機械魔術師よりも高いが、その精神性はどの魔術師よりもまだまだ未熟だ。
天稟は時に人から経験を奪う。多分彼女には『逆境』が足りていない。だからA級の迷宮程度で傷を負うことになる。
何かあったのは間違いない。先ほどまでエティは動いていなかったのだから。それが、僅かな時間にこの魔力の波動。
道中でエトランジュ・セントラルドールのデータは概ね取れている。能力値は文句なしだ。冷静な状態ならば、こんな無様な現象は起こさない。『貴雷』を放った時ですら感じられなかったのだから。
アリスが何かやったかな……やれやれ、もともと悪性霊体種と有機生命種の相性は最低だからなあ……何が起こってもおかしくはない、か。
さすがにエティを『始末』する事はないだろう。僕は彼女にそれを『許可』していないし。
壁に反響し、怒号と雷撃の音が断続して聞こえてくる。僕は凄くその場に近づきたくなかった。
「……な、何か……怖いんだけど……」
「……そうだね。何か近づくと巻き込まれそうだな……」
電撃を弱点とするのは機械種だけではない。水の精霊もまた、それを弱点とする種の一つである。
いや、弱点ではなかったとしても……巻き込まれてしまえば僕もブリュムも即死だ。制御できていれば対象だけを破壊する事も可能だが今のエティにそれを期待するのは危険だろうか?
踏み出したくねぇ……
「……とか何とか言って、選択肢はないんだけどね……」
アリスが僕に『魅せてくれる』と言ったのだ。ならば、魔物使いとして僕に取れる選択肢は一つしかない。
例えそこが……死地であっても、例えそれが想定外の結果を見せたとしても。僕にはそれを確認する義務がある。
緊張に表情を強張らせ佇むブリュムの手を強く握る。握った瞬間、ブリュムが大きく肩を震わせた。
彼女には本当に迷惑をかける。
「さ、行くよ」
「えええ? ほ……本気、で? これ、相当……やばそうだよ? 何が起こっているか、もう『見えない』けど、危険な事はこの距離からでもわかるし……」
「大丈夫、彼女達は……『味方』だからね」
最悪、僕が死にそうになったらアリスが助けてくれるだろう。僕の命はきっと彼女にとって――彼女自身の命よりも重いのだから。
それに、エティも少々冷静さを失っているだけ。彼女の『激情』に水を差せばいいだけの話。
きっとそれは、この場では僕にしか出来ない事だ。
僕。アリス。エティ。ブリュム。
そのパーティの中で最弱を誇るブリュムと僕だけが冷静だというのは皮肉というより他ない。
さらに一歩踏み出そうとする僕の手を取ったまま、ブリュムが音を立てて大きく一歩を踏み出し、僕の前に立ちはだかった。
振り返り、強張った笑顔でこちらを見上げる。潤んだ眼と引きつった頬、それでも何とか微笑みを浮かべようとするそれはきっと僕が随分前に失ったものだ。
「……ほら、危険、なんでしょ? わた、私が……先に、行くから……」
「……ブリュム。君が今日のMVPだ……」
ああ……可愛い。
頭をなでてやると、困ったような眼でこちらを見上げてくる。
ブリュムにはうちのどのスレイブにもない汚れのない純粋さがあった。擦れてないのだ。
勿論彼女はスレイブじゃないし、もしアムやアリスと交換するか聞かれても当然NOと答えるが、それとこれとは話が別だ。
恐怖。そしてそれに打ち勝ち前に踏み出す勇気。それこそが探求者に必要な素養で、そして会ってまだ数日しか経っていない赤の他人である僕のために自らの身を盾にして前に踏み出そうとする決意はきっとそれ以上に稀有な素質だ。ここは彼女にとって遥かに格上の迷宮だというのに……
それを多くの探求者は馬鹿のすることだと笑うかもしれない。だけど、ブリュムには是非ともそれを忘れないで居てもらいたいものだ。いずれその資質は彼女自身を救う事だろう。
それと比べてエティとアリスときたら……情けなくなってくる。
お前ら、ブリュムを見習えよ! 後輩探求者に無様な有様を見せるなよ!
「……まてまて、冷静になるんだ、フィル・ガーデン。確かにこの反応は予想外だったけど……まだ何が起こったのか、何が起こっているのか自分の眼で確認していないだろ? 決めつけるのはいけない事だ」
「お、お兄さん? 危ないよ!?」
危なくない。危なくないよ。危険はもとより承知の上。だから、危なくなんてないに違いない、きっと、多分、もしかしたら。
全身の肌を撫で回すような違和感の中、その現象の中心点へ向かう。一つ角の向こうだ。無意識の内に腰に差した鞭の柄を握っていた。
角から出る直前にぴたりと足を止める。金属同士がぶつかり合う音と、波のように迸る殺気。
……事前に状況の把握だけしようか。
「鏡を作ってもらっていい?」
「……あ、うん……」
ブリュムの力で空気中に数メートルの大きな水の膜が発生する。
僕の意図を察してくれたのか、光を完全反射する性質を付与されたそれは角の向こうを綺麗に写していた。
ひゃっくりが出る。
戦慄く手でブリュムの頭をもう一度ゆっくりと撫でる。今日の僕の精神安定剤は君だ。やっぱりブリュムがMVPだな。
「ブリュム、僕は探求者だ」
「……うん。お兄さんが探求者なのは知ってるけど……」
「しかもSSS級の探求者だ。その中でも特に上位に入る。グラエルグラベール王国ギルドに存在する探求者のランキングでは七位で、ギルドから付与された二つ名は『白の凶星』だ。勿論このランキングは強さだけが基準ではないし、グラエル王国以外にも強い探求者はいくらでもいるし、情報の伝達速度だとか、ランキングの正当性も多大に疑われてはいるが、公式的に言えば僕は……北で七番目に強い探求者という事になる」
「ふぇ!? な……七番目に、強い、探求者? え? お、お兄さんが?」
正確に言えば『僕』ではなく、『僕達』の総合力を含んだ序列ではあるが、それは今重要ではない。
何が言いたいかというと、つまりは僕は、ブリュムよりも優れた探求者である、という点だ。
……いや、まどろっこしい事はやめておこうか。
つまり、僕が最終的に何を言いたいかというと――
「それを踏まえて言わせてもらえれば、と思うんだけど、ブリュム。これは……『ない』からね?」
「あ、え? あ……は、はい」
敬語だった。
だが、その気持ちもわかる。ずきずき痛む頭を抑えながら、ブリュムに教授する。
僕は全ての探求者の模範とならなくてはならない。行動で探求者たるものを示さなくてはならない。
それもまた、権利ではなく――義務だ。高位探求者としての義務だ。
「絶対にダメだよ? 迷宮探索でやっちゃダメだからね? いや、迷宮でなくてもやっちゃダメだ。まぁ、君のパーティならば心配ないとは思うけど……」
「う、うん。わ、わかったよ……お兄さん」
鏡に写ったのは信じられない光景だった。
アリスとエティが……獲物を取り合っている。
全身から白銀の光を瞬かせ、壁を天井を獣のように跳ねまわり標的を血の瞳で睨むアリスと、片腕を失って重傷なのにも関わらず『スパナ』を手に、全身から紫電を撒き散らすエティ。そして、その中央に呆然と佇む敵。
記憶にない機械種である。全長二メートル。重装兵に酷似した身体に表面上が水面のように揺れるタワーシールドと、黒色の巨大な剣を持った機械種である。それが今、縦横無尽に駆けまわるアリスとエティに翻弄されている。
エティの右腕を奪ったのがその機械種ならば、その危険性はかなり高めだ。だが、それ以上に二人が危険過ぎた。
アリスの手から放たれる三日月の刃が背後から首を穿つ。その寸前に、エティが神速でその間に割り込み、それをスパナで弾き飛ばした。何でエティが敵を守ってるんだよ。
そのまま裏手で機械種を打ち付けようとするが、アリスの指から放たれた白銀の糸が敵の足に絡みつき、そのまま右足首を両断する。体勢が大きく崩れ、エティのスパナが空を切った。アリスの表情が笑みに浮かぶ。確信犯だ。
明らかに二人のスペックは敵を上回っており、一気に畳み掛ければあの正体不明の機械種に勝ち目はないだろう。
高い知性は持っているようだが、神速で動きまわりおまけに理解不能の仲違いをしている二人を前に手も足も出ていない。
とっさに振り下ろされる刃がエティのスパナに衝突し、大きく跳ね上げられる。重さも大きさも剣の方が上だが、スパナには『幻想』が付与されている。分解こそできなかったものの、付与された力が刃を弾いたのだ。
……馬鹿じゃねーの。台無しにする事を命令下さいって、確かに台無しにはしてるけどさ、そういう事じゃねーだろ。
大きく深呼吸する。心配して損した。
「ブリュム。ああいうのは……馬鹿っていうんだよ。覚えておいてね。迷宮で、もしパーティメンバーがああいう状態になったらちゃんと仲裁するんだ。ああいうのはパーティ全体を危険に晒すからね。最悪、どうにもならないんだったら殺してもいい」
「……うん」
さすがのブリュムも何も言えないようだった。
あからさまに互いを殺そうとしてはいないようだが、この戦場で許容できる行為ではない。はっきり言うが、その行為に正当性はない。特に、今現れたばかりのアリスにはない事はわかっている。
「ブリュム、巻き込んで悪かったね。こんな茶番を見せるつもりじゃなかったんだけど……本当に申し訳ない」
「いや……それは……わ、私も、楽しかったから! あは、はは、普通では出来ない経験ができて、楽しいなぁ!」
明らかに空元気だった。
こんな事まで言わせてしまって、本当にもうブリュムには頭が上がらない。
そんな健気なダブル・リンカーを抱きしめる。ブリュムは一瞬びくりと身体を震わせたが、そのまま腕の中に収まってくれた。
照れているのか、頬が赤い。いつもの癖で元素核を探りに動く手の平を無理やりに止める。人は経験から学ぶ生き物なのだ。
アリスとエティもそうであることを切に望む。
「まぁ……僕が仕向けたんだ。こういった際の対応方法は……心得ているよ」
伊達に長年魔物使いをやっているわけではない。
伊達に長年探求者をやっているだけではない。
もう現時点で無駄かも知れないが、ブリュムにもいいところを……見せないとね。
敵の注目は二人に向いている。あの形状で遠距離攻撃をメインとしている線はまずないだろう。
僕を止めようとするブリュムを押しとどめ、角から一歩出る。酷い有様だ。
大丈夫、手も足も震えていない。
思った通り、二人と一体の注目はこちらに向いていない。
何で敵を守ってるんだよ。とっとと片付けろよ。
エティを押しとどめるのは無理だ。一応今日だけのスレイブになるとは言ったが、彼女にはまだ『仕込め』ていない。
だが、もう一人なら出来る。限り有る命を容赦なく消費し、変幻自在の動きの動きで跳ねまわるアリス。動きは全く見えないが、彼女の特性は知っていた。
腕から伸びた白銀の刃をエティが防ぐ。その瞬間だけ動きが止まる。
刹那の瞬間――攻撃の瞬間を外して息を大きく吸い、思い切り叫んだ。
「アリス!! おすわりッ!!」
「ッ!?」
アリスがまるで雷に撃たれたように跳ねた。
命令ではない。魔術による契約を結べていないアリスに命令は使えない。が、その分、綿密に仕込んである。いや、そこまでしなくては王国ギルドに彼女をスレイブとすることを認めさせられなかったのだ。
唐突に体勢を崩し、まるで重力を思い出したかのように床に転がりかけ、腕を使って何とか衝突を避ける。そのまま体勢を戻し、床の上に四肢で降り立って、そのまま――アリスは犬のように『おすわり』した。
例え戦闘の最中であっても、僕の指示はいつだって彼女に届く。
そうだ。いい子だ、アリス。それでいい。
迅速に最速に鞭を抜き、そのまま床に叩きつけた。
戦闘により発生する音を貫く、何かが破裂したかのような鋭い音。いきなり『おすわり』をしたアリスに動きが止まっていたエティの視線がこちらを向く。
目が見開かれ、上気した頬が青ざめたように歪み、それを確認して僕は鞭をもう一度床に叩きつける。
まだ未熟なスレイブに指示をする際はこれが効くのだ。怒っています、というアピールにもなる。
「エトランジュ、さっさと片付けろ」
「ッ……」
弾かれたようにエティが目標を変えた。僕から、アリスから、敵の方へ。
アリスは鬼のような形相でそちらを見ているが、まだお利口にお座りしている。よしよし、後でご褒美やらないとな……犬かよ!
確かに僕は殲滅を命令したが、目的は敵を倒す事であってアリスが敵を倒す事ではない。事態は常に刻一刻と変化しているのだ。ましてや仲間割れなんて以ての外だ。
エティは身を低くすると、左手に持ったスパナを振り上げた。電撃や機銃を使わない所を見ると、相手はその二つに耐性を持っているのだろう。
いや、あの機械種の持っている独特の盾――耐性どころか反射を持っている可能性が高い。反射系スキルは数多存在するスキルの中でも一際警戒しなければならない部類に入る。大抵の探求者は攻撃能力の方が守備能力よりも高いので、最悪、攻撃を完全に跳ね返されてしまえば敗北するのだ。
銀鏡竜であり、種族スキルとして『魔法反射』を保有するリード・ミラーが最強の探求者と称される一つの理由でもある。
エティの動きには迷いがないが、右腕がないせいでバランスが崩れている。きっと、腕が吹っ飛んだ経験があまりないのだろう。
そのスパナに対して、機械種はタワーシールドを無理やり捻り、剣で受け止めた。アリスの攻撃で足首を失っているが、相手は機械種。痛覚もなければその動きには躊躇いもない。
チンという鈴の音のような繊細な音が響く。剣とスパナの間で反発が発生し、火花が散る。
パッシブスキルで強化されているとはいえ、エティは魔術師。万全の状態で力比べをしてエティが高位の機械種に勝てる道理はない。
「シールドは分解耐性なし、か……電撃耐性と反射に全リソースを振ってるんだろうな。剣が分解されないのはあれが唯の金属の塊……だから」
機械種に付与できるスキルの数には限界がある。基本的には存在核が大きければ大きい程付与出来る数は多くなるが、付与するスキルの位が高ければ高くなる程に数が少なくなる。電撃耐性も位は高いが、それ以上に反射は多大なるリソースを食う。
剣でスパナを受け止めたという事は身体には分解耐性はないのだろう。
つまり、総合すると、大した敵ではないという事だ。
反射と電撃耐性で遠距離攻撃を封じ、剣で敵を討つ。身のこなしこそ悪くないが、確かにその動きには今までの機械種には見られなかった『剣術』が見えるが、その剣はノーマン・フロートで防御出来る程度の強度であり、つまるところ反射で敵を倒せなければジリ貧になる可能性の高い非情にピーキーな構成だ。
そして、完全に機械魔術師に特化した構成でもある。
全力だ。全力できている。
機械魔術師に特化した機械種の存在。その存在は初見でこそ威力を発揮するが、その特性が明るみに出れば対策は容易だ。
間違いなく。殺しに来ている。僕達を逃せば今後、向こうにとって大きな不利益となるだろう。
街に戻ったら、僕は間違いなく機械魔術師の天敵たるその存在をギルド全体に吹聴する。他の機械魔術師達への警告とするために。だから奴らは僕を逃せない。
『おすわり』したままじっと戦況を見ているアリスに言葉短に命令する。
「アリス、治せ」
「ッ!! ……はい」
しょげたような表情でアリスが俯くと、唇を噛み、震える指で敵と対峙するエティを指す。白銀の光がエティの右腕の付け根に集まる。同時に、何故かなくなっていたアリスの右腕にも光が集まり、腕を再現していた。
生命操作による回復は一般の回復魔法とはわけが違う。魂を分け与える行為はアリスに取って苦痛だ。
それは知っている。それは知っているが、我儘を聞くつもりはない。アリスは僕から指示を受けるまでもなく傷を負ったエティを治癒すべきだった。例えそれが彼女にとってどのような特別な意味を持っていたとしても。
「動きを止めるな! エトランジュ!」
いきなり治癒された腕にエティの動きが鈍る。すかさず喝を飛ばす。戦闘時に……動きを止めるんじゃねぇ。
君は死にたいのか! 君は――弱い者としか戦えないのか!
僅かな隙に横薙ぎに払われた剣を寸での所でスパナで受け止める。刃渡り一メートル半もの大剣を正面から受けても、スパナは砕けない。が、その膂力を受け止めきれずにエティの小さな身体が宙に浮いた。
壁に叩きつけられる寸前に、アリスがお座りの姿勢から俊敏に跳ね上がり、それを抱きとめた。
眼が『これでいいんですよね? ご主人様?』と言っている。姑息な……
まぁ、いいだろう。
「アリス、盾を壊せ」
「ッ……!!」
宙空から抜き出すようにした取り出された箒が閃き、そのまま斜めに振り払われた。
身長ほどもある盾がそれを受け止める。揺らめく鏡面はその攻撃に対して何のアクションも示さない。
やはり特定攻撃のみの反射か。特化型……間違いあるまい。
やれやれ、この迷宮の主は僕達を舐めすぎだ。
箒が二度三度、閃光のように打ち払われる。
アリスは魔術師。だが、近接戦闘の技術もある程度は教えてある。巨大な金属の塊による剣閃を真正面から受けたりはしない。
敵の剣は厚く、でかい。もはや柱と呼んでも大きさだ。圧倒的な質量には相応の破壊力が込められているが、如何に高い膂力を誇る機械種と言えど、その一撃一撃の間には隙が生じる。
袈裟懸けに放たれたそれを箒で受け、斜めに受け流す。そのまま屈むと、盾を横から思い切り蹴りつけた。
鐘でも鳴らしたかのような音が壁を天井を伝わり拡散する。
両足が無事だったらそのまま踏ん張れただろう。が、切断された右足ではそれは不可能。盾を撃たれ大きく開いたその左腕に向かって銀閃が煌めいた。生命エネルギーを加工した糸が、左腕に絡まり思い切り引かれる。
硬い金属が傷つけられる嫌な音。
「……硬い」
その一撃で落とすつもりだったのだろう。
舌打ちをしてアリスが再度、思い切りそれを引く。ぎしぎしと歪む装甲。足よりも腕の方が硬度の高い金属でできているのか。機動力の強化よりも万が一にも腕を飛ばされない事を優先したのか。
鼻で笑う。
創造者は馬鹿だな。機動力を落とした機械種など、敵ではないというのに。
切断は不可能と悟ったのか、腕に絡み付けられた糸が操作され、左腕を大きく上に釣り上げた。天井まで垂直にたった輝く糸はまるで『蜘蛛の糸』のようにも見える。その先端は天井で折り返され、アリスの手から伸びていた。
身体の大部分を隠していた盾が剥がれ、敵の全身が通路を照らす淡い白灯の元明らかになる。
この迷宮で見たどの機械種よりも人間らしい姿。強いてそれに名を与えるのならば『騎士型』とでも呼ぼうか。
騎士のクラス保持者が好んで装備する騎士甲冑。そのヘルムの隙間から覗く無機的な黒と、人にしては正確過ぎるその動きさえなければ人間と見間違えたとしても仕方のない姿。
白夜や小夜はともかくとして、この周囲の野生の機械種に人に似すぎた姿を持つものはいなかったはずだ。人体構造を機械で再現するのは、一般人が考える以上に難しい。手作りに近い繊細な技術が必要になる。
右腕の剣がその糸を切り裂かんと大きく糸を薙ぐが、糸はまるで高い弾性と柔軟性を持つかのように大きく撓み、千切れない。それどころか、その状態になってもナイトの身体は吊り下げられたままだ。生命エネルギーを変幻自在に操る力の活用範囲は広い。
腕を取られ、剣を取られ、それでも藻掻くその姿は蜘蛛の巣に絡め取られた蝶のようで滑稽だった。
防御にスキルを傾けすぎたが故の汎用性のなさ。やはり、冷静に分析すれば大した敵ではない。
違うな……いくらなんでも汎用性が無さすぎる。まだ奥の手があるのか、あるいは本来この汎用性の無さをカバーするための何かがあるのか。
まぁいい。
呆然と佇むエティに命令する。
「エトランジュ、それをばらせ」
「え? わ、私……です?」
「ああ。何度も言わせるなよ」
今僕たちに最も必要なのは情報だ。それは、未来の指針になる。
エティというエキスパートがいるのにアリスに任せる手はない。そんな事は――言われるまでもなく察するべきだ。
初心者でもないんだから。
とどめを取られたアリスは、どこか不満顔だったが特に何も言わなかった。
「は、はい! ……あの――」
「エトランジュ! さっさと分解して!」
何か言いかけたエティの言葉をアリスが止める。
そうだ。命令は迅速に執行する事。締めるべき所と緩めるべき所を見誤ってはならない。今は締めるべき所なのだ。
「……」
言葉を止め、エティが重い動作でスパナを胸部の装甲にちょんと触れた。
鎧が一瞬だけ軋み、部位に別ればらばらと床に崩れ落ちる。アリスが釣っている腕と、その手に握られた盾だけが宙に浮かんだままで、どこかシュールだ。
騎士の形はしていてもやはり機械種だったらしい。
中にみっちり機構が組まれていたようで、広範囲にばらまかれた部品の数は僕がここに来て倒したどの機械種よりも多い。壁際まで転がっていった黒の水晶球――存在核が不気味に明滅している。
「アリス」
「もう……やってます。ここに近づいてくる魔物も……いません」
広範囲にばらまかれた部品を箒で掃き集めながら、アリスが言った。
もし彼女が本当の犬で、尻尾があったら萎れていただろう。
自分のミスをわかっていて、それを少しでも取り返すべく、言われる前に行動しているのだ。アリスは誰に何を言われても平然としているが、僕に怒られるのだけは苦手だった。その機会もあまりなかったし……
後ろ髪が『ごめんなさい、許してください』と言っている。許さない。
「……フィル?」
「反省会は後だ。そうだろ? エトランジュ。ここは……迷宮なんだからね」
「……は、はい……わかった……のです」
何事か言いかけるエティを止める。謝罪よりも先にすべきは、自分の頭で考える事だ。
怒られたから謝るのではなく、自分の行動の誤りを考え反省し次に役立てる事。
確かに凄まじく馬鹿げた事をしでかしたが、きっとこの経験はいつかエティの役に立つに違いない。そうでなければ、僕は……唯の道化だ。
駆け寄ってくるブリュムの頭を撫で、天井を見上げる。
さて……
「アリス」
「……基本は上。壁の中にも一部通路がある」
「下は?」
「……下も一緒。かなり『大きい』」
「そうか。空間魔法に対する対策は?」
「ない」
穴だらけだな。だが、概ね想定の通りだ。
入り口から地下一階に降り立つまで、大きな階段があった。地表と地下一階の天井との間の隙間はかなり広い。
この迷宮に生息する魔物がどこから来ているのか不明ならば、まず疑いにかかるべきはそこだ。
あるいは――壁。マップに記載された通路と通路の間の空白。本来の迷宮の特性を考えるとありえない話であっても、人の手で創られた迷宮であるこの地ならば十分ありえる。
元々、迷宮を人造してそれっぽく整えるなど、困難な話なのだ。更にその中に、広大な生産設備を必要とする機械種を押し込める等、不自然になって……当然。
むしろ、こんな下らない仕掛けに今まで誰一人気づかなかった事の方が不思議だ。
まぁ、だいたい理由は想像がつくが……
もはやナイトの形を保っていない残骸を見る。エティが盾を拾い、眉を顰めてその表面に触れている。
ナイトが持っていた時は水面のように波打っていた表面は今は唯の薄水色の金属にしか見えない。
僕が見ている事に気づき、エティが顔を上げて罰が悪そうに視線を逸らした。
「……装備の力だけじゃないのです。この機械種が持って初めて効果の発揮する――反射のスキルの補助具みたいなものなのです」
「反射はリソースを食うからね」
「はい……この程度の大きさの機械種が本来持てるようなスキルじゃ……ないのですよ。まさかこの迷宮の魔物が持っているなんて……思わなかったのです」
おいおい、それはまさか、負けた言い訳しているのか?
……なんてね。勿論口には出さない。ああ、出さないとも。後で反省会でたっぷりお説教してあげよう。
残骸に視線を戻す。
さて、これをどうするべきか。
この機械種は相手の切り札の一つ。解析すれば多くの成果が見込めるだろう。
万全を期するのならば、言うまでもなく、部品一つ残さずアリスの異空間に格納させるべきだ。機械魔術師も魔導機械を格納するために異空間を操作するが、やはり空間操作の技術では空間魔術師が一歩上を行く。
だがしかし、既に証拠を隠滅する理由は薄くなっている。
ここは既に監視者の縄張りだ。如何に空間魔術による結界を張っているとはいえ、空間魔術師の結界は内と外を隔絶するものであって、出し抜く方法等いくらでもある。例えば――張った結界の内部に設置されたカメラで撮影するとか。
そろそろ、敵にこちらの存在を示してもいい頃合いかもしれない。
「アリス、何体倒せた?」
「……」
これまで動かしていた成果を尋ねる。
アリスは僕の言葉に頬を僅かに綻ばせ、どこか自信ありげに片手を広げて胸元に小さく上げた。
五体、か。相当頑張ったな。上出来だ。
僕の表情を読み取ったのだろう。箒を異空間に戻し、後ろで手を組んでアリスが僕の目の前に来た。
もじもじとこちらを見上げるアリスの頬に手の平で触れる。
「よくやった、アリス。いい子だ」
「……当然の事をしたまで、です。ご主人様」
当然の事、か。眼が褒めて下さいと言ってるんだが……
当然の事ではあるが、アリスに指示をして――そう、まだ僅か二週間程度しか経っていない。
その程度の時間でそこまでの数の機械種を倒せたのは一重に彼女自身の努力があったからこそ。
「命は後いくつ残ってる?」
「……」
一瞬ちらりとエティとブリュムに視線を向けたが、そのまま促す。
しぶしぶといった様子でアリスが囁くように耳元で言った。
「……後、九百と七十二、です。ご主人様」
「……チッ」
成る程、機械種と言っても流石にSSS級。
その命の消費量が、その戦いが並大抵のものではなかった事を示している。
命のストックが再会した時と比較して『増えて』いなかった。
湯水の如く命を消費してこそアリスの本領は発揮出来るのだ。
少し休ませるべきだろうか? 否。それにアリスもきっとイエスと言わないだろう。
……そうだな、そろそろ頃合いだな。
遊んでいる時間はない、か。
まだ境界船のチケットも取れていないし、正規の手段を使ってそれを手に入れんとするのならば、一月は欲しい。
黙ったままこちらを覗っているエティの方をちらりと見る。その眼には怯えがあった。SS級の探求者とは思えない子供じみた表情だ。
アリスの掃き集めた残骸の方を指して指示する。
「エトランジュ、その残骸を余すことなく転送しろ。今まで殆ど拾ってこなかったからな……その程度のスペースは残っているな?」
「あ……はい……」
のろのろとエティが袋を取り出し、部品を詰め始める。事前に転送出来るように処置を施した袋だろう。
集められた部品の中で四角い黒の箱のような部品をつまみ上げた。機械種を構成する部品の中で尤も一般的な――記憶装置。機械種の元を知るために最も手っ取り早い手段。
「エトランジュ」
「……」
心ここにあらずと言ったご様子。感情のぶれが本当に酷い。
エティがSSS級になるに足らない要素をもし一つ上げるとするのならば、間違いなくそこになるだろう。彼女は一度、この地から離れて世界を見るべきで、ソロだけではなくもう少し他の探求者と共に探求を行うべきだ。
一度ため息をつき、言い方を変える。
「エティ」
「……!! あ、は、はい……」
心なしかやや明るくなった表情。人の機微を識るというのはこういう事なのだ。
まぁ、エティの場合は少々、わかりやすすぎるが……
「これ、こいつの記憶装置で間違いないね?」
「……はい。フィルも知っての通りなのです……」
この中に何が眠っているのかわからないが、さぞ貴重な情報が眠っているだろう。
専門外のクラスには読み取れなくても、機械魔術師ならば読み取れるはずだ。
「中の情報を読み取れる?」
「勿論なのです。専門の機材と時間さえあれば」
「セキュリティは?」
「……何かしらのロックがかかっていたとしても、大抵は突破出来る自信はあるのです」
汚名を返上しようとしているのか。妙に自信満々なエティの眼。
感情論を差っ引いて事実だけを教えて欲しいのだが、まぁやむをえまい。元々エティがいなければ得られない情報なのだ。ダメでもともと……
摘み上げたタバコの箱のような形のそれをアリスの顔の前に持ってくる。アリスは僕の意志を察し、何も言わずそれに静かにくちづけをした。
これはマーカーだ。空間魔術師の術の一つ。その物体が今何処にあるのか、だいたいの場所を追えるようにするための特殊な探査術式。
勿論、追える範囲には制限があるが、この術式は精度を落として範囲に振っている。レイブンシティ周辺一帯くらいならば有効範囲内だ。
ブリュムが不思議そうな表情をして見ているが、何も言わなかった。
手渡されたそれを、エティが袋の中に入れる。多分彼女もあまりわかっていないだろう。
探求者の中でも上位の依頼はただ魔物を討伐したり物を探すだけではない事が多い。
理由は様々だが、大抵はそこに某かのリスクが上積みされている。そのリスクの分だけ難易度が上がっているのだ。
そして中には、そのリスクの上積みがされておらず、一般の探求に見えるものがある。俗にいう『地雷』だ。
今回の探求もその類のものだ。それを判断出来ずに普通の探求だと思っていると手痛いしっぺ返しを受ける事になる。
ナイトの残骸を入れた袋が定点転移で転送される。色を失い影も形もなくなる戦果。転送先は恐らくエティの自室だろう。
頭を働かせる。
やはり、リン達を連れて行くのは無理だろうか。無理……いや、違う。無駄になりそうだ。
作戦っていうのはその時の状況次第でどうにでも出来る柔軟性を持つべきだ。少なくとも、僕は今までそうやって探索を行ってきた。命さえ残っていれば挽回のチャンスはいくらでも来るのだから。
良い事を思いついた。余計な手順を差っ引いてさっさと終わらせてしまおう。




