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Tamer's Mythology  作者: 槻影
第二部:栄光の積み方

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第三十三話:あー……やっちゃった

 どんなに強力なクラスでも、基本的には弱点と呼ばれるものが存在する。

 広谷の持つ侍は速度と攻撃力に優れるが耐久はそれほど高くないし、ランドさんの持つ破砕者(フラクチャーター)は物的障害物を破壊するには無類の強さを発揮するが反面、霊体種には高い適性を持たない。


 だから、例え何が相手でも、相手のクラスさえ知っていれば対策を立てられる。

 それは常に戦場に身を置く探求者にとって命に関わる事だ。

 それ故に探求者にとって自らのクラスは、出来るだけ秘匿すべきものだし、それを知られた時の対策を考えておかねばならない。ちなみに僕の場合は弱点しか存在しないので、策の一環としてクラスを公にしている。


 それは、機械魔術師も同じ。


 何度も言うが、機械魔術師は強力なクラスだ。特に機械種(マキーナ)に大して高い適性を持つ。それは、善性霊体種が悪性霊体種に対してもつ適性と同レベルのものだ。

 だから、もし仮にSSS級の『野生』の機械種なんてものが存在したとしても、真っ向から立ち向かえば機械魔術師の勝利は揺るがない。


 何故か?


 それは、本来、機械種は造物主たる機械魔術師への対策を持たないからだ。それは機械種を専門に扱っている者にとって基礎中の基礎である。

 そう、どこぞの機械魔術師が『意図的』にそれを付与しない限りは。


 機械魔術師の全ての根――存在核を発明した天才魔術師はそういう意味で臆病だった。いや、用心深いと言い換えてもいい。

 彼は機械種(マキーナ)を愛し、人のために数多の機械種を生み出しそれの普及と技術の伝導に務めたが……機械種に完全な自由を与えなかった。

 彼は機械種が己の敵になる事を恐れた。


 その用心深さは、幾星霜もの年月を経た今でも完全に解析されていない『存在核(たましい)』のブラックボックスの中に埋め込まれている。

 そして、それこそが、有機生命種が無機生命種(マキーナ)に強い理由。

 原初の機械魔術師が――有機生命種(ヴィータ)だった故に、有機生命種全体が持ち得る『権限』


 電撃耐性。分解耐性。


 その類は――一種の造物主への造反を可能とする機能は、機械種が自己進化で持てる機能ではない。それにプラスして機械魔術師の扱う機銃系の強力な物理攻撃スキルを抑える反射(リフレクター)防壁(バリア)系のスキルさえ付与してしまえば機械魔術師を相手にも何とか『対抗しうる』

 機械魔術師は機械種に対して極めて高い適性があるが……あくまで無敵ではない。そして、敵である機械種を作った者に――善意であれ悪意であれ、思惑があればあるほど不利になってくる。

 機械種は機械魔術師にとってただの捕食対象なので――反撃を想定する事に慣れていないのだ。


 濃霧の中、信じられるのはブリュムの手だけだ。

 僕の手を引いて駆ける彼女の動きは迷いなく、ただそれを信じる事だけが僕に出来る事だった。そしてそれが、とても心地いい。

 大丈夫。一帯を霧が覆っている現在、敵の場所はブリュムにはっきり把握出来ているはずだ。


 幾つもの角を曲がる。脳内のマップで、僕達の位置を更新していく。

 監視警備機兵の巡回区域を出た所で、ブリュムの手を引いた。脇目もふらずに駆けていたブリュムがつんのめる。

 

「何?」


「血の臭いがするね……エティの側に敵は?」


 嗅覚を擽る血の芳しい臭い。霧の中でもはっきりわかる臭い。

 基本的に機械種は血を流さない。勿論そういう風に設計すれば可能だが、普通ならば、流させる理由もない。


 それはエティがダメージを受けた事を示している。プライマリーヒューマンの嗅覚は優れていないので距離や方向まではわからないが……


「一番近い反応でも……数百メートルは離れている……けど……」 


 数百メートル。エティがダメージを受けたとするのならば、受けるに足るスキルが付与された敵がいたとするのならば、相手のランクは最低でもSだ。

 そのランクの敵を相手に数百メートルの距離はないに等しい。ましてや相手は機械種、量産型のカメラ程度ならばともかく、霧によって独立した機械種のセンサーを欺けるとは思ってはいけない。


 近づくのは危険か? 否、考慮するに値しない。

 彼女がアムだったら放っておいても良いかもしれないが……エティは少々綺麗過ぎる。


 さてどうするか。

 迷う。ブリュムの眼をじっと見つめる。

 助けるとしても、可能ならば足を止めたい。


 エティが傷を負ったという事は、相手は機械魔術師に特化した構成である可能性が高い。元素精霊種との交戦を想定していないだろう。機械種に付与出来るスキルの数には限りがある。


 先ほど使った遠距離からの足止め――『氷止封壁(フリージング・シール)


 僕はブリュムを誘う際に、安全を保障する事を誓った。

 彼女に自身の喪失の可能性すらある魔術を頼むのはとても心が痛い、が、是非もない。僕は……そうすべきなのだ。

 例え後で誰に罵られたとしても、最善を尽くすのが僕の責任。

 ため息をつく。迷っている時間はない。


「……ブリュム、申し訳ないんだけど――」


「うん」


 ブリュムが真剣な表情で僕の言葉を待つ。


 だが口を開こうとしたちょうどその時、脳内に声が響いてきた。


『ご主人様……その判断は誤りかと存じます』


 アリスの声。冷徹で冷静で透明な声が囁く。


『ご主人様は……ベストを尽くすのならば、迷わず私を使うべき』


 予想外の言葉だった。アリスがこの僕の決定に意見するとは。

 出しかけた声を止める。黙ったまま次の言葉を待つ。

 突然言葉を止めた僕に向けられたブリュムの視線すら無視して、つらつらと述べられるアリスの『意見』を聞く。


『ぎりぎりを狙いすぎ。ベストを尽くすのならば、ご主人様は初めから私を使うべきだった。未熟な機械魔術師(メカニック)や中途半端な二重群霊(ダブル・リンカ―)など使わずに。……この(アリス)こそが……今ご主人様に使える最善手なのだから』

 

 ふむ……なるほど。然もありなん。

 アリス・ナイトウォーカー。

 確かにアリスは僕の今使える切り札に他ならない。だが、アリスには他の最重要のタスクを振っている。


 アリスの声が僕の思考を読んで返答を返してくる。

 まるで呆れたような感情が伝わってくる。


『そんな事は関係ないし、ご主人様もそれはわかっているはず。ご主人様は……『経験』を――重視しすぎている。だからいつだって……遊びすぎる。既にL級探求者に足がかかっているご主人様にそれはもう――不要なはず』


 だが危険は人を成長させる。

 エティもブリュムも、いや、全ての探求者はそれを愛するべきだ。

 そもそも、不要な経験なんて――存在しないんだよ。


『ご主人様の意見は尊重したい。けど、それでも……TPOを……わきまえた方がいい。それは最善を反故にしてでも求めるものではない』


 きっと。と、アリスは最後に少しだけ自信なく付け加えた。


 アリスが僕の選択にここまではっきり意見を述べるなど、初めての事だ。

 あの裏切りは酷く醜悪なものだったが、変わるきっかけとしてはあるべきものだったのだろう。


 僕はその意見を正しいものだとは思わないが……


 しかし、面白い! 面白いぞ! それは紛れもない、彼女の成長だった。

 血の臭い、戦場である事も忘れ、傷を負ったエティと、言葉を待つブリュムの事を忘れ、少しばかり変化を得たアリスに尋ねる。

 唇を舐めて、声に出して聞く。


「ならば、どうしろと?」


 不安そうな表情をするブリュムの頭――透き通った碧色の髪を撫でる。

 数秒の沈黙の後、アリスは迷いのない声で進言した。丁寧な言葉遣いで。


『蹂躙をご命令下さい、『白の凶星(コラプス・ブルーム)』。何もかもを台無しにする事をお望みください。あらゆる策を、あらゆる悪意を、あらゆる思惑を、全てを討ち滅ぼすことを。ご主人様は、そうやってSSS級の座を手に入れたはずです』


「……」


 良かろう。認めようじゃないか。


 君の意見は――全く以て正しい。

 そこまで愉快な冗談を言えるなんて、僕の意志に従い敵を撃つだけだったアリスが成長したもんだ。

 僕の感情を彼女に伝えるために、声に出して笑ってみせる。

 相手のいない会話。迷宮に虚しく笑い声が反響した。


「あははははははは、言うじゃないか。詭弁を弄してまで暴れたいか、夜を征く者(ナイトウォーカー)


『……はい(ダァ)、ご主人様には最強こそ相応しい。私がそれを……証明して見せましょう』


 誰に?

 きっと、エティに、ブリュムに、そして……この迷宮の主に。

 そして何よりも――この僕に。


 ここでのアリスの使用は計画にずれを生じさせるだろう。

 相手の力量すらわからない状態、黒鉄の墓標の時とは状況が違う。危険度が違う。

 あまりに不確定要素が大きすぎる。ここでアリスの性質を示してしまう事は今後不利に働くかもしれない。

 だが、可愛い可愛い従者(スレイブ)がそれを望むならば(マスター)として――是非はない。


 魔物使いの心得その9

 時にスレイブはマスターに意見を述べるでしょう。

 飲み込みましょう。マスターとしての器量がかかっています。

 例えそれが誤りだと思っていても、それも加味した上でスレイブの意見を受け入れましょう。

 それはいずれ信頼をより強固なものにします。もしそれを受け入れた上で、生きていれば。


 僕はアリスを信じよう。


「いいだろう。許す、アリス。蹂躙せよ」


「ご主人様、大好き」


 全く気配は感じられなかった。

 耳元に吐息が触れる至近距離での囁き。

 アリスの血のように濡れた瞳がこちらを見ていた。

 冷たい唇が唇と重なる。いけない子だ。


「え……?」


 いきなり現れたその存在に、ブリュムの間の抜けた驚愕の声が響く。

 やれやれ、アリスの場合はまた別の話だが、もともと悪性霊体種というのは……神出鬼没なものだ。


 唇が触れたのは一瞬だ。堂々と僕の前にたったアリスを中心に力が広がった。

 風が吹き、ブリュムが張り巡らせた濃霧を一瞬で吹き払う。


 僕に、その姿を見せるために。


 視界が一瞬で満たされる。床、壁、天井に張られた配管に設置されたカメラ。まだ先なのだろう、エティの姿はない。


 膨れ上がった力はアリスの華奢な痩身とは裏腹にどこまでも巨大だ。

 その姿に、かつての人間は『夜の支配者』を見た。それこそが『夜を征く者(ナイトウォーカー)』の名の由来。

 森羅万象を貶める邪悪の気配が暴力的に吹き荒れ――アリスの姿が消える。

 音一つなく、残像すら残さず。


「な、に……今の……」


「ん? 見たことあるだろ? 僕の可愛いスレイブだよ。随分と張り切ってるみたいだが」


 霧を晴らしてもそんなに速く動いちゃったら、僕の眼には見えないというのに。

 さて、心配はしていないが、自信満々のアリスのお手並みでも拝見しようか。



*****



 蹂躙せよ。主の命令は、天命に等しい。

 その命令が耳から入り鼓膜を震わせ、空のグラスにワインが注がれたかのように、全身に力を満たす。


 信頼される事。精神を高揚させる妙薬であり、精神の高揚は霊体種であるアリスの力に直に響く。

 蹂躙。破壊。台無しにする事。それはアリスの得意分野だ。


 天井を、床を、壁を足場に加速する。それはアムも嘗てやった事だったが、その速度は桁違いに早い。

 悪性霊体種の種族スキル――『重力無効』は己の重力を限りなくゼロに近づけるのだ。練達した使い手によるそのスキルは使い手の速度を限りなく上昇させる。

 四方を壁で囲まれた建物の中でこそ十全にその効果を発揮させるその基礎スキルは、アリスの移動速度を眼で追えないレベルまで高めていた。


 気配が牙を向く。有機生命種がその姿を見たら、アリスの背後に鬼の姿を幻視しただろう。

 ナイトウォーカーとは、元来そういう生き物だった。


 負けない。

 アリスが表情に出さず、心中で歓喜する。


 既に数体の機械種の王を討伐し、アリスは確信していた。

 この地の魔物は、迷宮は、思惑は、策は、突出した怪物(モンスター)に対する対策が全くできていない。

 最たる弱点――機械魔術師に対する対策に目が行き過ぎている。この世に存在する脅威はそれだけではないというのに。


 電撃耐性。分解耐性。物理反射。防壁。

 確かに強力だろう。確かに有用だろう。だがしかし、もっと他種に対する対策を講じるべきだった。機械種という一つの種族で万物を平らげんとするのならば、有機生命種、無機生命種、幻想精霊種、元素精霊種、善性霊体種、悪性霊体種、その全てに対する手を持つべきだった。


 この地にフィル・ガーデンが転移させられたのはただの偶然だが、フィル・ガーデンが訪れなかったとしてもいずれは綻びが発生していただろう。これまでこの地域が機械種に支配されていたのは、機械種が支配できていたのは……多大なる幸運によるものだ。


 移動と同時に放った空間魔術による感知により、既に周囲の把握は完了していた。その魔術は、お粗末な事に壁を、天井を、床を通りぬけ、その先についてまで詳らかにしている。

 空間魔術による全貌の把握。

 回廊聖霊(プレジャー・ワンダー)が支配する迷宮では決して不可能な事だ。


 全ては――対策不足。

 尤も、それは一般の迷宮探索にとって決して定石ではない。感知能力は本来迷宮に対する守護によって制限される。それを知る者は必要最低限の感知しか行わず、それを知らぬ者は感知できてしまうという異様に気づかない。

 アリスの持つ空間魔術師(スペース・ユーザ)は魔術師系のクラスの中でもレアなクラスだ。異空間への物質の収納という利便性はあれど、直接的な攻撃の術をあまり持たず、且つ空間を操るために多量の魔力を必要とするそのクラスは、探求者の中でも優先されるものではなく、そして資質を持っている者は更に少ない。

 だがしかし、もし仮にそれを加味して空間魔術師に対する対策を怠ったとするのならばそれは……愚かとしか呼べない。


 現に、この場にそのクラスを持つ怪物が存在しているのだから。


 既にエトランジュにダメージを与えたと思われる機械種の存在は捉えている。

 向こうもアリスの存在を捉えているだろう。が、逃げる気配はない。それは自信故か、あるいは逃げても無駄だとわかっているからなのか。


 移動に力を割きつつ、情報を整理する。

 人型。剣と盾を持った機械種。マスターに問い合わせ。即座に返答有り。機神の祭壇にて、該当の機械種の情報……なし。迷宮の監視者の切り札と仮定。エトランジュ・セントラルドールを撃退した事と『未知』を加味し、推定ランクをSSと仮定する。


 尤も、相手がSSだろうとSSSだろうとLだろうと、アリスに出来る事はその全力を持って速やかに破壊する事だけだ。速やかに破壊し、主の最強を示す事だけだ。


 接敵する前に、五百メートル程離れた位置に蹲る影の側に着地する。

 四肢を使って降り立つその様はまるで獣。重力は無視しているため、その速度にも関わらず音一つ出ない。


「はぁ、はぁッ……あ……り、す?」


「……くす……無様……」


 エトランジュは惨憺たる様だった。憔悴した表情で見上げるエトランジュの表情を見て、アリスは一度鼻で笑った。


 右腕は完全に引きちぎれており、粉々に四散した骨の残骸と焦げた肉片が見える。その傷に反して血が出ていないのは何らかの処置を行ったためか。

 すぐさま死にはしないだろうが、戦闘能力は大きく削がれているだろう。主な攻撃方法として武器を振るう戦士系の職と比較すれば、魔術師職であるエトランジュの戦闘能力の軽減は大きくない。が、痛みは恐怖を呼ぶ。そこで必要とされるのは不屈の精神力だ。

 それは多くの修羅場をくぐってきたものだけに与えられる特権でもあった。


 エトランジュの表情を見て愉悦に浸りながらも静かに分析する。何が来ようが打倒するだけだが、事前知識はあればあるだけいい。


 エトランジュの一番の傷――右腕に視線を寄せる。


 右腕だけで済んだのは僥倖だ。体幹を撃ちぬかれていたら即死だっただろう。

 その傷跡にアリスは見覚えがあった。自分も何度か――受けたから。


 エトランジュ・セントラルドールから数週間前に貰った『機銃』による弾痕。素の状態でもS級相応の防御力を誇るアリスが生命操作で強化した身体を容易く打ち砕く、極めて高い攻撃力を持つ魔導兵器。


 エトランジュの被害状況から敵対勢力の性能を評価する。


 敵が機械魔術師に特化していると仮定するのならば、第一に付与すべきなのは電撃耐性だ。

 その攻撃は遠距離から超高速で撃つ事が可能であり、そして多少狙いが甘くても、金属で出来ている機械種はそれを引き寄せてしまう性質を持つ。表層を絶縁の性質を持つ物質で覆った所で、全面を保護するのは困難であり、また、攻撃力の高い電撃(エレクトロ)はそれを容易く打ち破る。エトランジュの『貴雷』が壁をぶち破ったように。それを完全に防ぐにはスキルの付与が必要不可欠だ。


 そして、第二に付与されるとするのならばそれは……物理耐性。


 『反射(リフレクト)』や『障壁(バリアー)』系のスキル。機械魔術師はあくまで魔術師職だ。パッシブスキルによって身体能力が底上げされていても、その戦闘スタイルはあくまで、遠距離からの破壊。

 手段は二つ。雷撃(エレクトロ)魔導機械(メカニカル)による攻撃。魔導機械は多種多様だ。中には炎を使うものや光学兵器も存在する。が、単純に高威力を誇る魔導機械は、嘗て対峙した際にアリスも受けた機銃に違いないだろう。

 そもそも、エトランジュは無人軌道要塞(ノーマン・フロート)を使用していた。近接戦闘職で侍と同等の速度を誇るランサーの連撃を防げるレベルの防衛装置。

 それをたかが機械種の、たかが剣による線の攻撃で打ち破れるとは思えない。


 そこまで考えて、自身の考察を笑い飛ばす。

 エトランジュの傷跡は明らかに弾痕。剣により攻撃を受けた可能性など、考えられない。


 結論を出す。


 馬鹿だ、この女。

 あまりに愚か。今まで『楽』に戦ってきた『強者』は隙が多いから困る。

 自らの攻撃で大きなダメージを受けるなど、あまりに無様過ぎて何も言えない。


 だが、これ以上彼女を嘲るのは良くない。ご主人様への印象が悪くなる。

 アリスは嘲笑の感情を不屈の意志で心の奥底に封じ込め、自らの思い当たる、そして主の思い当たるスキルの名前を出した。

 それは、遠距離系の物理攻撃を反射するスキル。よく知っていた。それは、フィルの第三のスレイブ――『護衛』にその全ての性能を捧げた夜月も持っていたスキルだ。


「『物理反射(リフレクト)』……貴方は運がいい」


「はぁ、はぁ……運が……い、い?」


 青ざめた表情。荒い吐息。

 自らよりも遥かに小さな身体の小人(ピグミー)を見下ろし、眉一つ動かさずに頷く。


「体幹を撃ちぬかれたら即死だった」


「即……死……」


 いや、体幹でなくとも、あの威力ならばもう少しだけ肩に近い場所を撃ちぬかれていたら頭部を持っていかれていただろう。

 一発しか命中していないのも運がいい。アリスの受けた機銃は掃射だった。反射された弾丸は一発や二発ではなかったはずだ。


 その意味を考え、エトランジュが一瞬、ぞくりと肩を震わせるが、すぐに首を横に振り恐怖を押し殺し、口を開く。

 最初は夢かと思ったが、アリスがここにいる理由など一つしか思いつかない。嘗て廃工場で唐突に現れた時の事は記憶に新しい。マスターが呼び出したのだろう。何のために? 決まっている。

 ならば、エトランジュに出来る事は敵と対峙して得た情報を少しでも伝達する事だ。

 

「はあ、はぁ……敵は――近接戦闘、向けの兵装をした、機械種……ユニークな――」


「……エトランジュ……何故、戦わないの?」


 エトランジュの言葉をぶったぎり質問する。

 容貌は既に感知している。遠距離からでも予想できる。スキルはエトランジュの傷跡から想像できる。単一(オーダーメイド)かどうかなど、機械種の知識の浅いアリスにとってどうでも良い事だ。興味もない。


 心底不思議そうな表情で見下ろすアリス。その視線は決して重傷を受けた者に向けられるものではない。


「ッ……ぁ、う、でが」


「左腕がある。大体貴方は、魔術師(ウィザード)のはず」


「はぁ、はぁ……ぇ?」


 腕の一本や二本失った程度で攻撃をやめるなど、正気の沙汰ではない。アリスは呆れた視線を止められなかった。

 アリスには生命操作による驚異的な回復能力があるが、それにしたって痛覚は残ったままだ。ダメージを受ける度に『死ぬ程』の痛みを受けている。

 別にダメージを受けたから一時撤退するという事が悪いわけではない。だが、エトランジュの右腕の血は何らかの処置が行われており、既に止まっている。

 戦闘を続行出来る身体があるのにこうしてうずくまっている理由が、アリスには全く理解出来ない。


「魔力がない?」


「はぁ、はぁ……い、や――」


「武器がない? そんなわけ無い。貴方には幻想兵装がある」


「ッ……」


 戦場で蹲るものに待つのは『死』だけだ。

 重傷を受けた状態で攻撃を続行出来るのには鋼の精神を必要とするが、それは本来高位探求者ならば持っていて然るべきものだった。それを持たない者は大抵、経験の浅い内に死ぬ。


 エトランジュの表情に、アリスは心の中で頷いた。


 やはり、こいつは駄目だ。この程度で戦闘を離脱するなど……

 ご主人様は彼女の意志だけを見て、その能力だけを見て、彼女を過剰評価している。この女は歪だ。極めて高い才能のせいで、精神が成熟していない。まだ両方未熟なアムの方がマシだ。少なくともアレは精神が才能に見合っている。鍛えればどちらも上昇するだろう。特に交渉で見たその意志は特筆すべきものだ。


 もうこの女に用はない。つまらない女だ。


 捨て置くか一瞬迷い、一言だけ助言する事にした。

 ご主人様の中でエトランジュは有用な駒。このまま使い物にならなかったらご主人様が困る。少なくとも、ここにいる間くらいは。

 また、少しでもご主人様の意志を汲めばご褒美を貰えるかもしれない。

 アリスの目下の敵はアシュリーだけだ。エトランジュ程度、相手にならない。ならば、一言述べるくらいなら手間にもならない。


 かがみ込み、蹲るエトランジュに視線をあわせる。勿論、遠くでアリスを待ち受ける敵の挙動からも注意は外さない。


 白皙の肌。そこで唯一色づく桜色の唇を開く。

 それは、スレイブとなってまだ一月程度しか経っていないアムですら知っている事だった。


「スレイブが負ければマスターが死ぬ」


「ッ!? それ……は……」


「貴方……私のご主人様を、殺すつもり?」


 魔物使いの本体の能力値は高くない。そのスレイブの敗北はマスターの死を意味する。

 それは、機械魔術師の持つスレイブとの関係との明らかな差異。

 機械魔術師にとってスレイブは一つの攻撃手段でしかないが、魔物使いにとってスレイブは主武器(メインウェポン)であり、命でもある。


 勿論、それをエトランジュは知っていた。知っているつもりだった。

 だが、其の言葉に痛みを一瞬忘れ、アリスの眼の中を覗く。


 アリスにとって、死ぬ気で戦うのは当たり前の事だ。例え敗北したとしても、主の命だけは何に換えても守らなくてはならない。例え予備の命など存在しなかったとしても、アリスはそうしただろう。まだ弱いアムが――かつてこの場所でそうしたように。

 王都で数々の依頼をこなしたその全てにおいて、例え後詰めにアシュリーと呼ばれる化物がいたとしても、その意識だけは変わらなかった。腕の一本や二本、主の命と比べたら安いものだ。いや、腕ではなく自身の命と引き換えにしてさえ……


 鋼の忠誠。あるいは絶対の愛。もしくは鋼鉄の意志。ほんのりと感じる好意や尊敬など、死を前にして何の役にも立たない。

 それを育てるために、魔物使いは全能力を掛けるのだ。もともと忠誠をインプットされている機械魔術師のスレイブとはわけが違う。


 言葉を下す内に、アリスは腹が立ってきた。


 フィルがアリスの言葉を聞いてくれたのは幸運だ。アリスの知るご主人様は、平然と死地へ飛び込む、見ていて寿命の縮むような探求者だった。アリスに寿命はないが。

 平静を装ってはいたが、内心はらはらしながら交渉していたのだ。フィルがノーと言えばアリスはそれを見守るしかない。勿論、いざとなったら飛び出す気ではいたが、待て(ステイ)を出来ないアリスをフィルは許さないだろう。犬でも出来るのにアリスはその程度の指示すら守れないんだ、とか平然と言うマスターである。


 言葉を聞き、まだ座り込んでいるエトランジュを、アリスは侮蔑する。

 多少の傷を受けただけで撤退し、今も反撃する様子もない機械魔術師。


「腕があれば戦う? 治す?」


「……ッ」


 エトランジュが唇を噛む。


 生命操作による傷の修復。条件はあるが擬似的な死者の復活すら成すアリスの力を使えば腕の一本や二本の治癒は容易い。


 だが、それは唯の可否であり、アリスの感情を考慮していない。

 生命操作による回復。それはつまり、自らの命を使った治癒だ。魂を分け与えるとはアリスにとって、命を賭けて救うという事に等しい。

 自分は当然として、愛しい主に使うのならば躊躇いはないが、それ以外の者に使う等、ありえない事だ。


「右腕がないと戦えない? 自分の不備で失った右腕、(マスター)の命より大事?」


「ッ……ぅッ――」


 エトランジュは俯いたまま何も言わない。

 だが、その精神に変化が訪れている事が、元来、有機生命種の精神を喰らう存在であるアリスにはよくわかった。

 その魂の根幹を成す悪性が色づく。そうだ、どうせならこの際、壊してしまおう。


 ここまで話して何の反応も見せないのだ。

 半端に正常であるくらいならば、いっそ完全に壊してしまったほうがいい。この未熟は間違いなくご主人様にとって大きなデメリットになる。殺してしまうのは不味いが、引きこもってもらう位なら問題ないだろう。ご主人様がエトランジュを使わないのならばそれに越したことはないのだから。


 立ち上がり、少女を見下す。その表情には酷薄な笑みがあった。

 自らの右腕――二の腕を左手で強く掴む。爪を立て。

 

「くすくすくす……右腕がないと戦えないなら、私の右腕――あげる」


 そのまま、右腕を根本から捻り切った。みしみしと骨を通じて全身に響く音と焼きごてを絶えられたような激痛を涼しい表情で受け流す。身体が悲鳴を上げる。だが、全て我慢する。今までのようにすぐに治癒するつもりはない。

 肉体を巡る有機生命種のそれとは異なる血液が強く噴出し、アリスの足元にどす黒い水たまりを作った。


 ねじり切るにのに時間はいらなかった。流れる血をそのままに、右腕を無造作にエティの足元に放る。まるでゴミでも扱うかのように。


「私は右腕なんかなくたって戦えるから」


 そして……勝つ。いいハンデだ。

 右腕を失くしただけで戦意を失うエトランジュと、右腕を失っても容易く目的を達する自分。どちらが優秀か。

 恐らく、ご主人様もわかってくれるだろう。


 エトランジュが俯いたまま、震える手つきで床に転がった腕に触れる。 

 ぴくりとも動かない人形のような悪霊の腕。


 若干声色を抑え、表面上だけ優しげな感情を作る。まだ、腕が残っている左の肩に手を置く。

 

「くすくすくす……冗談。エトランジュ、立たなくていい。後は私がやるから――余計な事しないで……大人しくしてて」


 あくまで、何を言われようが、フィルの要望に従うかどうかはエトランジュ側に決定権がある。エトランジュがフィルからの誘いを断れなかったのは、アリスが覗いた限りでは、断るという『強い意志』がなかったからだ。

 余計な向上心やプライドなど出さずにノーとだけ答えていれば、力づくと言う最も単純で効果的な方法を選択出来ないフィルに出来る事はない。そしてまた、そこまで全力で拒む者を連れて行く理由もない。


 アリスの説得を受け、エティの首が、まるで油の切れたゼンマイ人形のようにぎりぎりと動く。

 優しく置かれた、しかしあからさまに侮蔑の込められ置かれたアリスの手の甲の方を。


 黙ったまま、ふらつきながらもゆっくりと立ちあがる。壁に一本だけ残った左手をついて。今にも倒れそうな様相で。

 顔を上げる。虚ろに濁った眼光に血の気のない眼。その表情にアリスは死相を見た。まるで悪性霊体種(レイス)のような表情。


 しまった……もしかして、やり過ぎた?


 全然反省せずに歪んだ笑みを浮かべながら、その様子を眺めるアリスに、エトランジュが眼を閉じて一度深呼吸する。

 小さな、今にも消え去りそうな程に小さな声。


「――のです」


「……チッ……あー……やっちゃった……」


 こめかみを抑え、アリスがオーバーリアクションで首を横に振る。

 力こそ比較にならないものの、人の心の理解においてアリスはマスターの足元にも及ばない。アリスにとっての有機生命種は基本的に唯の『捕食対象』なのだ。

 その立ち位置の齟齬によって、度々こういう意図とは異なる反応が返ってくる。


 エトランジュの全身に紫電が奔る。その寸前にアリスは肩に置いた手を離した。


「なめんじゃ……ないのですっ!!」


 その眼は決して腕を失った者の眼ではない。先ほど瞳、光の消えかけた眼とは正反対のそれは燃え盛る炎。

 感情の昂ぶりに呼応するように蒼の紫電が空気を舞う。


 くそっ、怒らせた。


「貴方達は――マスターも……スレイブも……私を……馬鹿にし過ぎなのですっ!!」


 空気中に渦巻く魔力の影。アリスの眼には、エトランジュがスキルを行使した事が手に取るようにわかった。

 ぶらりと下げられた左腕に光が集る。まるで萎びた木が生気を取り戻すかのように戦意が湧き上がる。


 そう。それは、戦いを諦めた者の持つ『気』ではない。

 判断は一瞬だ。それを見送る事なく、アリスは身を低くし獣のように駈け出した。


「ちょ……逃げるんじゃ――」


 咆哮に近い叫びも意に介さない。

 逃げる? 違う。そもそも、アリスの目的はエトランジュと戦う事では断じてない。

 余計な事をしたせいで、ただの単純な狩りが競争になってしまった。消えかけていた火に油を注いでしまった。激しく燃え盛る炎を消すことは時に、消えた炎を再度燃え盛らせる事よりも難しい。


 全てはアリスのミスだった。欲張り過ぎたのだ。

 そこまで、精神の弱い者を……フィル・ガーデンが選ぶわけがないのに。

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嘆きの亡霊は引退したい。

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